黄緑色の雷と燃ゆる花

ぴーや

黄緑色の雷と燃ゆる花

 その日、少年は普段通りに学校からの帰り道を歩いていた。なぜかいつも一緒に帰途を辿る友人たちとくだらないことで笑っていた。


 少年は自分の家の前に着くと「それじゃ、また明日!」と振り向いて彼らに言う。


「おう! また明日! …? なぁ、なんか地面に落ちてるぞ。お前の家のドアの前」


 その中の一人がぴっ、と指をさす。少年はその方に顔を向ける。


 真っ白な封筒が扉の前に落ちている。五人ほどがそれを囲んだ。皆、いぶかしげに白い長方形を眺める。少年がしゃがんで手を伸ばす。


「あと少しで踏んじゃいそうだった…」

「それ触ってもいいのかよ⁉︎」

「平気平気」


 驚く友人にいいながら、彼は封筒を手に取ってくるくる回してみてみる。どこにも何も書かれていない。


「開けてみようぜ」


 ヘラヘラ笑って、怖いもの見たさに一人が言った。周りもそれに共感する。苦笑しながら少年は蝋でできた封を丁寧にぺり、と外した。それをポケットに入れて中にある便箋を取り出す。


 これまた白い便箋が少年の指の間に挟まれて顔を出した。それと一緒に薄い青のドライフラワーがオマケのようについてくる。便箋を開いて、中身を少年が読み上げる。


「押し花作ってみた。手紙があっておどろいた? 今日も待ってるよ」


 たった三文。差出人も宛先も何も書かれていない奇妙な手紙と水色の乾燥花。けれども、少年はそれだけでも誰が差出人なのかわかった。誰も気がつかない程度に口角が上がる。


「なんだ? 彼女か?」


 ダハハと笑って数人が少年を茶化す。けれども彼は年頃相応に顔を赤らめることなく「ただの友達だよ」と返した。


「彼女だったらよかった?」


 少年はくすくす笑ってからかい返す。


「つまんねーの」

「てか誰なのかわかるのかよ」

「まぁね」


 便箋とドライフラワーを封筒に戻しながら、少年は受け答える。けれどふと、便箋の端っこに違和感を覚え、もう一度その紙を手のひらにのせる。よくよくみると、小さな文字が書かれていた。


(わかってるだろうけど、ニゲラだよ)


 心の中で少年はその文をひっそり読んだ。きっと、わかるのか不安だから、見えにくいところに書いたのだろう。


(ていうかなんで僕の家知ってるんだろう。今日きいてみようかな)


 そう独りごこつ。


「じゃあ、今度こそ。じゃあね」


 ドアの取っ手に鍵をさして回す。他の友人たちもじゃあな、と別れの言葉を告げた。彼らが別の方向を向いて別の話題でげらげら笑うのを見届けると、急いでドアを押し開いた。そのまま飛び込むかのごとく家に入っていく。だだっと廊下を走る。


「おかえり〜」

「ただいま!」


 母に元気よく返事をして、自分の部屋に入っていく。カバンを放っぽって、少年はそれを近くの別のリュックにノートとペンケースをいれた。それを背負って部屋から出ていく。


「行ってきます!」


 期待に胸を躍らせながら、ついさっき通った廊下を通る。


「何かお菓子持ってったら〜?」


 リビングにいる母親が少年に言った。「持ってく!」とキッチンに走り込み、板チョコをリュックに放り込んだ。そしてまた廊下を通って行った。


「行ってきます!」

「行ってらっしゃい」


 ドアを開いて外に出ていく。もう彼の心持ちはすっかりノラに変わった。たったったっと駆けていく。数分前にさよならした友達が見えるが気にせず追い越す。元からある体力でも十分長い距離と時間を走れるのが彼にとって幸いなことだ。


「あいつ帰ってから出かけるの早くね⁉︎」


 のろのろ歩いてた男子集団が驚きの声をあげる。うるさいことこの上ない。そんなことお構いなしに少年は秘密基地を目指す。この一週間で頭に叩き込んだ地図を頭の中に展開させて最短距離で目的地に着けるようにダッシュを続ける。


 まずはまっすぐ、次に三つ目の角で右に曲がる。その後ちょっとすれば上り坂が始まった。登りきったあと息が切れてしまった少年は二十秒ほど休んでからまた走り出す。


 最初はがむしゃらに走っていて、途方もない時間がかかったが、今ではもう二十分あれば森が見えてくる。


 一年前にマンションから戸建てに引っ越した結果、たまたま、森からほど遠くない場所で生活することになった。前まで少年はそのことをあまり意識していなかったが、ノラは今、それをとてもありがたがっている。何せ、すぐに大好きなあの廃墟に行けるのだから。


 熱のこもった地面を蹴る。前に進んで、同じことを繰り返す。カバンの中身が壊れないかを心の隅で心配しながら緑色の世界を目指す。もっと速く、もっともっと。どんどん足を動かしていく。


 次第に森が近づいてきた。それと反比例してビルや家屋の数が減っていく。少しずつ視界の端にいる閉塞感が晴れていった。額に垂れる汗を気にせず、森に向かって走っていく。


 しばらく直線を走っていれば、ついにやっと境界線についた。腰をおり、膝に手をついて呼吸をする。何回か深呼吸をしてから、背筋を伸ばして、足を踏み出す。


 沈むスニーカーの感覚が毎回ノラの心をたかぶらせる。土の柔らかさを足の裏で感じてにっこりと笑う。最近ずっと晴れているからか、地面はぜんぜん湿っていない。


 茶色の幹の連立する空間を縫い進んで、キイチゴの茂みを横切る。苔で覆われた地面を越えて、シダの群生に挨拶した。

 

 そうして自然に感謝しながら突き進んでいけば、キラキラと光を反射するあの出会いの池が木々の隙間から視認できるようになってきた。どんどん歩幅が広がっていく。飛ぶように走り始める。


 樹木の群れから抜けると、一気に目に入ってくる情報量が増えた。やっぱり池の水面は美しくゆらめきながら光っていて、ちょっと遠くのイネ科の植物が風に揺れている。ここまで来ると、気分が落ち着いて心の底からノラになれる。


 ちょっと水位が下がっている気がする池を迂回し、隠れた道を見つける。そこを弾んだ足取りで通っていく。踏み固められた土はしっかりと自分を支えてくれる。


 まっすぐな道はすぐに目的地を示してくれるから、すぐに廃れた温かい教会が見えてくる。ダッとラストスパートをかけて、力強く地面を蹴る。


 一気に光が目に飛び込んできて、瞬きを強要される。足を止めて、まぶたを擦る。しかしリュックの中のチョコレートを思い出して、歩みを再開する。


 扉のない開放的な入り口をくぐり抜けるとすぐに、ピンクの女の子と藍色の男の子の姿が見える。その二人に手を振った。


「やっほー! ノラほとんど皆勤賞! えらいね!」


 ネモネがドーンと激突してきた。なかなかに痛い意図と悪意のない攻撃を喰らいながら、ノラも死にそうな声で返事をする。


「…だいじょうぶ?」


 眉を下げながらニゲラが声を掛ける。


「う、うん。平気。あ、そうそう、今日ね、チョコ持ってきたんだ」」


 パッとネモネが離れる。わくわくとした光が目の中できらめいている。小さく笑いながらノラは背中に背負っているリュックを地面に置いて開ける。中にあるチョコレートを手に取る。その感触に顔をわずかに歪ませた。


「どうしたの?」


 しゃがみこんでネモネはきく。


「ちょっと溶けてる…」

「まぁ、暑いし。仕方ないよ」


 がっくり肩を下げるノラをニゲラがなぐさめた。


「ちょっとだし、いっか」


 そういいながら、チョコレートの上半分の包装を破いていく。


「そういえば、二人ってアレルギーとかある?」

「アタシはない!」

「僕もないよ」

「よかった」


 安堵の息をついていれば、茶色の甘味が顔を出した。端が変形している。


「今思ったけど、これどうしよう」


 片手にある板チョコを見つめながら悩む。ネモネが口を開いた。


「手ベトベトになっちゃうもんね」


 その横でこくこくとニゲラが頷いている。どうしようか、そう三人が首を傾げていると、


「あれ、新入りかい?」


 入り口から凛とした声がした。


「あ! フォセカ‼︎ そうそう! アタシが連れてきたんだ〜」


 入り口に立っている、燃え盛る赤みがかった橙色の髪を一つにまとめている少女にネモネが抱きつく。ネモネの頭を撫でながらノラとニゲラに近づく。


「私はフォセカ、トリニ族。伝説にある不幸を呼ぶ力だとかいうのは全くのデタラメ。よろしく」


 握手のために手を差し出す彼女の背中には、髪の色と同じ、美しく堂々とした翼がついている。けれど今は畳まれており、足はすらりと長い。第一印象はファッション雑誌のモデルだ。


 強気な彼女の風格に戸惑いながらノラは彼女の手を取って握手をする。


「えっと、僕はノラ、です。人間族でメイ族とディダル族のハーフです」

「あぁ、敬語じゃなくていいぞ。そういうのは苦手だからな」


 握手を三往復するとすぐパッと手を離す。細い鳥の足で、教会の壇上への階段に座り込み、足を組む。その一つ一つの動作も全てが様になっている。


「それで? 何かに悩んでたんじゃないのか?」


 フォセカは三人の囲んでいる物体を翼で指し示す。ニゲラが苦笑いした。


「チョコが溶けかけてて…どうしようかって悩んでる」

「溶けかけのチョコか、悩ましいね」


 足を組み替えて、両目のまぶたを少し上げる。背中の翼がぴくりと動いた。


「どうしようかなぁ…触りたい人なんていないだろうし」


 眉と肩を落とし、ノラは呟く。そうこうしている間にもチョコレートはじわじわと端から形を崩していく。


「食べてしまえば問題ないし、いっか」


 そしてノラは板チョコの最初の一列を指先でつまみ、手前に折る。いつものような爽快感のある感触はなく、ふんにゃりと曲がってから折れた。それを口に放り込む。


「うん、やっぱりおいしい」


 もぐもぐと頬張りながら、二列目も折って、近くにいるニゲラに渡す。渡された彼も、これ以上惨劇が起こらないようにすぐに口に放り込んだ。


「あ〜! アタシも食べる!」

「はいはい」


 三列目を指先に挟み込んで、ノラは頷く。駆け寄ってきたネモネにチョコレートの破片を向けた。ネモネはそれを受け取って食べる。わかりやすく頬が緩んだ。


「チョコ食べると飲み物とか欲しくなってくるよね〜」


 チラチラとニゲラを見ながらネモネは言う。


「…飲み物持ってないよ?」

「ちぇっ」


 そんな会話にノラとフォセカは小声で笑った。二人につられてニゲラも笑う。ネモネだけは拗ねてしまって、不満げな表情をした。


「私も貰っていいかい?」


 ふふ、と笑ってから、フォセカは立ち上がり、三人にいるところに歩み寄る。


「もちろん」


 ノラがチョコレートの四列目を差し出した。


 その瞬間、黄緑色の影がフォセカとノラの間を光のような速さで通った。


「いっただき♪」


 黄緑色の影がチョコを奪って振り向いた。


 ピンと立った狼の耳に、長くふわふわとした髪。力強い犬科の手足は電気を帯びているのか、ビリビリとした光を放っている。


「んー溶けかけてるのが残念だなぁ」


 ぺろりと食べて、文句を言う。黄緑色のツインテールが揺れた。


「てゆーか、もしかして新入りくん? 初めまして〜 あたしはデンファレ。よろしくね〜」


 口角をぐいと上げた表情で彼女は自己紹介をした。


「えっと、ノラです。よろしく」


 ノラは戸惑いながら返事をし、フォセカは眉間に指を当てる。


「デンファレ、他人の物を了承もなく取るのはやめろと何回言ったらわかるんだ?」


「ごーけー五十四回目だね!」


 ネモネが右手の人差し指を立ててえっへんと胸を張る。ニゲラが「すごいね」と微笑んだ。


「ごめんってぇ 許して?」


 デンファレは両の手のひらを合わせて、上目遣いでフォセカに擦り寄る。それを冷静にどかして、彼女は口を開いた。


「そんな風に媚び売っても許しはしないし、何よりその癖を治せ! 私だからまだ大丈夫だが他の誰かがそれを許してくれるほど寛容だと思うな!」

「うっ……はぁい」


 げぇっと毒を吐きそうな顔でデンファレは諦めて自分の非を認めた。不貞腐れてその場に座り込む。その様子が欲しいおもちゃを買ってくれなくてぐずる子どものようで、フォセカとネモネが顔を合わせて笑う。何が何だか、理解が追いついていないノラにニゲラがそっと耳打ちした。


「フォセカとデンファレがいる日は絶対こんな感じなんだよね。いつも通りで二人は安心してるんだよ」

「なるほど?」

「平和っていいよねえ」


 ふふふと幸せそうにニゲラは笑う。そうだね、とノラも共感した。


「あ、それからね、デンファレって喧嘩っ早いから、気をつけてね」

「おい! 聞こえてるぞ!」


 空気をビビビと震わせるほどの声量でデンファレは言った。「見つかっちゃった」と、さして怖がっていないのに、焦ったようなセリフをニゲラが笑いながら口から紡いだ。


「…残りのチョコ、いる?」


 手に持っている板チョコを差し出して、ノラはきいてみた。すぐさまデンファレは目を輝かせて立ち上がり、彼に近づく。


「いいの? いいね? もらうよ?」

「どうぞ」

「やった!」


 二回飛び跳ねてから残り五列のチョコを貰う。


「あまり甘やかすんじゃないぞ」


 フォセカは忠告するが、声色は厳しくない。


「アタシも欲しい! ねね、デンファレ、ちょっとちょうだい?」

「いいよ!」


 楽しそうにチョコレートを頬張るネモネとデンファレを、残りの三人は和やかに眺める。

 暖かい光が賑やかな秘密基地に降った。

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