第7話 血と月

「随分と嬉しそうだね。化煙」


 祭囃子のその外れ、妖が二つ佇んでいる。


「にゃは、そう見えるかにゃ?」


 ある程度の戦闘技能と自身の力を灰奈に理解させ、名無が同行して行く事で灰奈が危険な目に会う可能性をできるだけ削減した。

 正直なところ名無が着いていくだけで殆どの事柄は解決するのだが、念には念をというものだ。


「猫又の使命が果たせそうだからかい?」


「まぁ、それもなくは無いにゃ」


 書き換える者と猫又には、切っても切れぬ関係がある。猫又一族にとって、書き換える者と出会えた時点で光栄この上ないというのが妖怪の一般的な認識であった。


「相手がちょー手加減してたとは言え、予想以上に動けるやつだったにゃ」


 彼の初戦である修道女は人間を傷つけたくないという思考が根底にあったからか、本来の実力の少ししか出せていない事が化煙の目には映っていた。


「けど、違うみたいだね」


「……別に大した事じゃないにゃんけど」


 化煙は一歩踏み出したくるりと回り、余程愉快なのか口角を上げきっている。


「初めて名無ちゃんにわかりやすい隠し事をされた気がするにゃん」


「ふ、成程ね」


 振り返る事なく歩き出した化煙は、呟いたのか語りかけたのか絶妙に判断できない声量で言葉を発する。


「色々と、面白くなりそうにゃんね」



 ◆



 入ってきたはずの鳥居から現実世界に戻ってきた俺は、歩きなれたコンクリートの帰路を踏みしめていた。ボディガードとして名無さんが着いて来てくれているが、人通りが少ないとはいえ見られると要らぬ誤解を生んだりしそうなので隠れてくれている。影に。


(聞こえますか?ご主人)


 そう、言葉のまま陰に潜んでいるのだ。そのせいか、脳内に直接名無さんの声が響いてくる。


(念じてくれれば聞こえますよ)


(……こうであってますか?)


(はい、流石の適応力ですね)


 なんだかよくわからないまま褒められたが、悪い気分ではないので素直に受け取っておくことにする。

 都会から少し離れた街、通っている学校からも絶妙に遠いこの場所。一人暮らしなのだから明らかに引っ越した方が利便性が上がるのだが、生まれ故郷であるし家賃が安いのでこの街に住んでいる。

 道路を軽く照らす程度の光量しかない外灯と、深夜にも関わらず着いた家庭の明かりのみが夜闇を照らす。周囲に響く音は自分の足音しかなく、夏になりかけた温かな風が撫でるように優しく吹いていた。ふと空を見上げてみれば、雲一つない空にぽっかりと満月が浮かんでいた。


「あれ、合わない?」


 俺が武士に襲われたのが月の浮かんでいた夜。そして数時間寝て、一時間ぐらい休んで、祭で少なくとも数十分過ごして……。


(どうしました?ご主人)


(いや、名無さんとあった時も夜だったのになと思いまして)


(それは……私たちの世界が夜から巡ることのない世界だからです。こちらと違って、太陽が昇ることはありません)


 そういえば、無我夢中だったからか思考から抜け落ちていたが部活にも入っていない俺が帰宅する時間に月が昇っている訳もない。仮に一時間逃げ回っていたとて、初夏手前程である今の時期なら陽が落ちかけているかどうかぐらいだろう。


(祭の場所が夜だったのもこっちが夜だからじゃなくて……)


(その通りです。こちらの朝昼晩いつ訪れても、あの場所が表情を変えることはありません)


 本当に感覚的に理解できる話では無いなぁ、と空を見ながら思った。過ごしやすい気候と疲れからか眠気が体の動きを鈍らせていく。本当に激動の一日だった、日付は変わっているかもしれないが。今でも理解できていないこともあるし、夢幻のような出来事だったが、この出来事が空想でないことは体が一番理解している。

 日付と言えば、今は何時だろうか。スマホを取り出そうとポケットをまさぐった所で、忘れかけていた事実と直面する。武士から逃げる時に……カバンもスマホもどっかに置いたな……。

 思わず頭を抱える。どうしよっかな。本当に。現代社会に生きている都合上スマホが無いと非常に生きづらい、それに学校帰りだったので鞄が無ければ色々とヤバい。殆どの教科書を置いて行っているとはいえだ。


(どうしよう……どうしよ……)


(……猫又にどうにかできないか聞いておきますね)


 強く念じれば会話できる関係からか思考が聞こえてしまったようで、申し訳なさそうな名無さんの返答が聞こえてきた。


(そうしてくれるとありがたいです……)


 よし、思考を放棄しよう。未来の俺にこれからのことは任せる。

 ため息が不幸を呼び込むというのなら、今吐き出した息は不幸の方から嬉々として飛び込んでくるぐらいのものだろう。


「あ」


 背後から聞きなれた声が響いた。驚愕で勢いよく振り返ると、案の定見慣れた人間がそこに立っていた。


血月けつづきさん……?」


「そう!霧ヶ崎君だよね?」


 血月けつづき咲勿さくな。同級生だが、異性であり間に友人もいない。二人とも部活に入っていないので繋がりがなく、互いに挨拶は返すぐらいの間柄である。

 整った顔とすらりとしたスタイル、そして腰まで伸びた艶やかな黒髪。そして誰にでも隔たりなく接する人柄。そんな人間なので、当然のように同学年の男子から愛情だの劣情だのを向けられている高嶺の花、という認識だ。


「あの、これ。君のでしょ?」


 彼女の手には、俺の鞄が掛けられていた。偶々拾って、届けに来てくれた?そんなことあるか?だってそれを落としたのは。


(名無さん、あの空間に人間って入れる?)


(ご主人のように空間の主に引き摺り込まれる以外では自分で空間に穴を開けて入る方法がありますが……)


(只の人間にできる事じゃない……)


(その通りです)


 あの場所から人間の世界に帰ってきていて、それを毛ほども顔に表さず会話してきている。普通の人間なはずがない。

 何で接触してきた?何故態々俺に鞄を届けに来た?自分の正体がバレるような行動を、何故。それ以前に、彼女は何者なんだ。

 満月がこちらをみているような気がした。月、妖、人間に紛れ込む。


(吸血鬼)


(その可能性が高いですね)


 速度を下げていた思考をまた稼働させ始める。


「ん、どうしたの?」


「いや、なんでもない。ありがとう血月さん」


 選んだ選択肢は一歩引く事。何が目的かはわからなくてもすぐに敵対するようには見えない。ならばこちらからも踏み込まない。


「ごめんね、ちょっと鞄の中見たけど」


「あぁ、全然大丈夫。本当にありがとう」


 吸血鬼……実在するということ自体先程知ったばかりだが、俺の知った通りの存在なのだろうか。人の血を吸って生きていて、日光に弱い。みたいな。


「どうしたの?私の顔見て」


「……あ、なんでもないよ。考え事してただけ」


 暴走狩りなる吸血鬼は妖の血を吸うらしいから認識自体は間違っていないか。というか、彼女が暴走狩りである可能性もある。そうならば直ぐに化煙さんに報告しなければだ……が……。


(名無さん、あれって)


(どうしました?ご主人)


 なんで急に。いや、急になんかじゃない。俺が認識してなかっただけだ。其れを隠してただけなんだ。

 その黒髪が、揺らぐ。それは風が吹いたからとかじゃなく、空間ごと歪むような、不自然な揺めき。揺らめいたその瞬間だけ、彼女の髪が銀の色彩をしていた。彼女の全身が揺らぎだす。揺らいだ瞬間だけ彼女の姿形は異なるものに変化している。漆黒の瞳は美しい瑠璃色に。整った歯並びから、その一瞬だけ八重歯が覗く。


(見えてないんですか……?)


 けれど、。彼女を覆い尽くすような、濃霧がここまでの本能的な恐怖を呼び起こしていた。武士よりも、修道女よりも。その二人よりも、もっと濃い煙。暖かくなってきた夜だというのに、体が不自然に震えだす。


「大丈夫?なんか変だよ」


 伸びてきた腕が、鋭い針のように見えて。それが俺の肌に突き刺さる前に、一歩飛び退いてしまった。


「な、何でもないから。じゃあね」


 鞄を持っていることを確認し、足早にその場から去る。ここに居てはいけない、本能も理性もそう告げていた。

 呼び止める声はしない。血月さんが何を考えているのかなんて分かりはしない。けれど、確信した。


血月咲勿は暴走狩りだ。

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あやかしどもの祭り囃子 獣乃ユル @kemono_souma

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