第6話 差し伸べた手は救済

「気づいたね」


 男は妖艶な笑みを浮かべる。この祭りを従えている以上、常識的な立ち回りをする必要があるためいつもは衝動を抑えているものの、元来それは只の妖である。


「育ってくれよ。もっと強く」


 戦闘を己が楽とする。戦場を我が故郷と笑う。それこそが流刻と名乗るものの本性だ。だからこそ、試験という体裁を持って灰奈を死の淵へと放り投げた。

 尤も隣に立つ二体は、そんなもの当たり前のように知覚しているが。



 ◆



 廻る思考と緩慢に進む時間の中で、目に入ったのは、祈るよう絡み合った指先……の、その奥。掌と掌を結びつけている液体だった。


『祈ることを強制された人形』


『救ってくれ』


『泣き跡のよう』


 脳内でばちっ、と。点在していた言葉が繋がった音が聞こえた。彼女は自分の意思で祈っているわけじゃないんじゃないか。じゃあ、誰が彼女に祈祷を強制している?

 彼女は妖なんだろう?なら、


『噂をすれば影が射す』


『人間が噂したことで』


 そうか。きっと人間に、救われたい誰かに。


『優先して人間を狙う』


 彼女がそれを望んでいたのか?彼女は本当に無償の救いのために生きたいのか?

 彼女が振り上げた脚が、彼女の一挙手一投足が、妙に遅く感じて。頭が痛い。意識が鮮明になっていく。眼がよく見える。


「ねぇ、シスターさん」


 彼女が俺と目を合わせた理由を勘違いしていたんだと、前進しながら思った。振り下ろされた脚を右の掌で受け止めた。今までなら無傷では済まない、けれど、湧き上がる全能感が可能だと嘯いた。


「貴女を助けるのは誰」


 聖職者が、誰かに手を差し伸べる者に対して、感謝が薄れてしまったその時に。誰がそれに手を差し伸べるのだろう。誰が、彼女に手を差し伸べるのだろう。

 苦痛と、後悔が脳内に鳴り響く。流れ込んできたのは俺の記憶じゃない。俺の感情じゃない。彼女の心だ。彼女の叫び声だ。

 助けてくれ、と自分の下で縋り付く誰かの声が聞こえる。なんで助けなかったと、何処か遠くで自分を恨む声が聞こえる。何で、私が。

 手を組み合わせて、膝をついた。そうすれば誰かの為になるから。そうあるべきと、定められたから。誰かを助けた。そうあるべきだったから。

 使命だけが私を突き動かして、必然だけが私の道標。だから、背後に背負った怨念も何もかも、私のせいだ。

 祈り続けなければいけない苦悩と、持ち合わせた善性によって役目を放棄できない苦痛。救えなかった命をいつまでも背負う運命。自分だけが背負った宿命。何故私なのか。どうして。なんでなんでなん


「大丈夫」


 風が足元から舞い上がる。何処からか発生した月明かりの様な糸が、俺の右腕に巻き付いていた。


「もう祈らなくても」


 軽く右の掌を払うと、上に乗っていた脚が弾かれる。何処からか湧き上がる力のせい、だけじゃない。彼女の動作にもう活気は感じられない。少しずつ全身から力が抜けていき、崩れ落ちる様に地面に座り込んでしまう。

 それでも、彼女は祈る両手を崩さない。崩せない。


「なんで君が背負うんだよ」


 もう冷静な思考はない。心に浮かんだ言葉だけをそのまま口から放出する。胸の前に置かれた両手に出来る限り優しく触れた。


「はな……れ……」


 彼女がか細い声をあげるのと同時、手の奥から黒い煙が溢れ出す。見覚えのあるものだ、あの夜の、あの時と同じ。


「離れない」


 目の前で逃げたくない。もう手を伸ばさずに逃げることはしたくない。


「なぁ、何を望みたい?」


 自分の口角が僅かに吊り上がる感覚を覚えながら、そう問いかける。繋がった思考の奥で、困惑と安堵が流れ込んでくる。


「のぞみ、なんて」


 悲観に思考が染まっていくのを感じる。


「違うだろ?」


 流れ込んでくる思考の奥で、一つの言葉が聞こえてきた。それが嘘だと思いたくない。幻想だと思いたくない。


「怖いよな」


 俺の右腕から伸びた糸が、いつの間にか彼女の腕に絡まって、そこから漏れ出す様に黒い煙があがっている。


「聞こえるよ。でも、言って欲しい」


 初対面で、敵対した関係ではあるが。他人事の様に思えなかった。彼女は──に何処か似ている気がしたから。他人事の様に思えなかったから。救いたいと思ったから。只それだけの、単純な事だ。でも、進むのには十分だと、遠く思った。


「た……て」


 髪の毛が無理やり千切れる後と、金属同士を擦り合わせた音が混ざった様な不快な音が響き渡る。それは、彼女の掌に絡まった糸が黒い液体を溶かす音だった。

 いや、それだけじゃない。彼女が、呪縛を引きちぎる音。


「助けて」


「わかった」


 彼女の体が震え出す。見覚えがある光景だ。あの武士が煙を放ったのも、あの時。糸が巻きついたところから溢れた煙はどんどんと濃度を増し、まるで漆黒の様な色彩をしていた。

 纏った黒の衣装が剥がれ落ち、元の修道服に変化する。


「流刻、もういいでしょ?」


「あぁ、合格だ」


 それでも、離れる訳には。例えこの身が傷ついた所で、だからなんだ。

 彼女の目隠しの隙間から、光を反射して美しく輝く液体が流れ出る。それを、指の腹で拭き取った。


「ご主人」


 ばさっ、と。翼が羽ばたく音がした。一気に視界一面が影に包まれた、その次の瞬間に影の奥で爆発音がした。


「お疲れ様でした」


 耳元で、名無さんの囁く声がする。そこでやっと、翼に包まれて守られたことに気がついた。


「ありがとう、ございます」


「私より先に彼女に」


 次はゆっくりと翼が開き、外の光を取り込み出す。その帷が開いた先に、地面に仰向けに伏した彼女の姿があった。何を考えるよりも速く体は動き出していて、ぴくりと動いた右腕を掴んだ。


「心配しなくて良い。傷は殆どない」


 俺の内心を読み取ってか、流刻さんがそう口にした。


「力を使いすぎたのと、休息無しで干渉に抗った結果だろう」


 話を聞きながら、彼女の背中側に右手を回した。


「じゃあ、何処かで休ませた方が」


「それは私の配下にやらせる。君ももう休むべきだ」


「でも!」


 熱くなった思考に、冷たい感触が過った。それは掴んだ手首がなにかを探る様に動き、俺の手に触れたからだった。


「だい、じょうぶ」


 消えいってしまいそうな、しかし芯の通った相反する印象を持つ声だった。


「ありがとう。助けてくれて」


 その言葉を聞いた途端、全身に入っていた力が抜けきったような気がした。熱くなって、高速で回転していた思考が緩やかに速度を落とし始める。


「すいません。流刻さん」


「いや、私の配慮が足りなかった」


「そうにゃんね〜」


「君に言われるかぁ……」


 急にのしかかってきた疲れそのままに地面に倒れ込もうとしたとこで、空中で体の動きが静止する。


「もう少し待ってください、ご主人」


 名無さんの顔がすぐそこにある。両腕で横から支えられる様な格好になっているようだった。


「そうにゃんね。君について説明してあげるにゃ」


 随分と上機嫌な化煙さんが今にも跳ね出しそうなテンションで話し始める。


「妖怪を理解する事で、上から書き換えることのできる力。それは今みたいに、歪みを直すことにも使えるにゃ」


「書き換える?」


 元が噂話であるからその表現を使っているのだろうが、少しピンとこなかった。


「例えば……吸血鬼にゃんね。古くから恐れられてきたそれらには、今は多くの弱点が記されているにゃ。しかし、元からそうだったわけではにゃい」


「それを行なったのが君の様な、書き換える者たちさ」


 壮大な語り口に、思わず息が詰まる。大体は理解できたと思う。


「まぁそのせいで彼らは人間社会に紛れ込む様になってしまったんだが……」


「思い出したくない事言うんじゃないにゃ」


 苦虫を噛み潰したというか、漢方を飲み干した様というべきか。一眼見ただけで良い思い出ではなかったんだろうなという苦々しい顔を二人は浮かべていた。


「今、暴走狩りの吸血鬼が話題になってるんですよ」


 俺の疑問を察したのか、その内容を名無さんが説明してくれる。


「暴走狩り?」


「そう、あの煙で暴走した妖は君の様な人間以外で救うことはできない。だからこそ、その状況を有効活用しようとする奴がいる」


「それ自体は問題ないにゃん。弱肉強食がこの世界の基本であるにゃんし……」


「じゃあ」


 何の問題があるのだろう。今のところ悪そうな部分は全て否定されたが。


「そう、ここじゃないんだよ問題は」


「暴走狩りは倒した妖の血を吸う。そして、人間界に姿を晦ます」


 それは、吸血鬼なのだし普通の様に感じるが……


「思い返して欲しいにゃ。妖の行動に作用する様な強大な力を、一体が只管吸収してるにゃんよ?」


 一言一言発するたびに、化煙さんの顔に影が募っていく。ここまで言われたら流石に俺も察してしまった。


「そんなの殆どの場合暴走する。けれど、適合したのだとしたら……」


 化け物が生まれる。

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