第5話 初仕事

「ここだね。お疲れ様、書き換える者よ」


「私たちに労いの言葉はないにゃ?」


「残念だけど在庫がないね」


 木造の大きな扉が特徴的な神社のような外観の建物の前にたどり着く。いつの間にか山車を囲んでいた者たちは姿形を消していて、山車本体も朝霧のように静かに消え去っていた。


「質問して、良いですか?」


「なんだい?」


 人当たりのいい柔らかな笑みを浮かべながらその男……流刻さんは返答した。


「書き換える者って、何なんですか?」


 ずっと気になっていたことだ。よく考えては見たが、俺を指した二人称、ということぐらいしか理解できたことは無かった。


「それは」


「あ~、ちょっと待つにゃ。妖の話をしてからじゃないと飲み込めないにゃんよ」


 ゆったりと話を遮った化煙さんの言葉を受け、忘れていたという様子で手を叩く。


「あぁ失敬。前提からだったね」


「そこは私から」


 名無さんが控えめに手を挙げた後、口を開く。


「噂話、というのはわかりますよね」


「え?あ、はい」


 人々の間で伝染する不明瞭な話題、という程度の認識ではあるが大きな間違いはないだろう。急にそんな話題が出てくるとは思わず、理解に一拍かかってしまった。


「噂をすれば影が射す。しかし実体にしか影は生まれず。嘘から出た誠、虚像に射した影。入れ替わった手順によって生まれた実像」


「そう、それが私達。妖と呼ばれる者達だ」


 名無さんが紡いだ言葉を流刻さんが纏める。感覚的には理解したが、理論的にわかったかと言われれば怪しい。つまりは、人間が噂したことによって生まれた存在、と言った感じなのだろうか。


「まぁ実はその限りでは無いんだが、長くなるので省くことにしよう」


 こちらを振り返っていた流刻さんが、振り返りざまに奥に鎮座した建築物を指さす。


「説明だけじゃ退屈してしまうだろう?だから、解説ついでに初仕事といこう」


 その建物の大扉が、重たい音をたてながら少しずつ開き始める。顔を覗かした黒い煙が嫌に見覚えがあって。


「さぁ、君の力を見せてくれ」


 その奥に立っていた、人型の何か。両膝を地面に着き、祈るように突き出した両腕から漆黒の血液のような何かが漏れでていた。聖職者のような黒を基調とし、白をアクセントとして取り入れた衣装だったのだろうが、汚れ切った純白の部分は濁り、黒に近い姿になってしまっている。

 それは黒い布で目隠しをしている。している筈なんだ。だから、ゆっくりと立ち上がったそれと目が合ったような気がしてしまったのはきっと錯覚のはず、だ。


「名無ちゃん、動いちゃダメにゃんよ」


「……わかってる」


 それが動くたびに錆び切った金属がこすれる様な不快な音が響き渡る。完全に両足で自立したそれは女性的なシルエットをしているが、皮膚のつぎはぎをみてそれがただの人間でないことは容易に察せられる。何か、やばい。来る。


「!?」


 ひゅ、と風が吹く音がした。咄嗟に全身を屈め、丸まるような体形になる。頭上で空気が切り裂かれる音が聞こえ、その瞬間に心拍数が一気に上がった感覚がした。そのまま前転をして、一秒も経たない内に元居た場所から爆裂音のような音がする。

 冷たい手で首筋を触られたような悪寒が、背筋にはびこって離れない。違う、駄目だ。恐怖するな、考えろ。

 それに向き合うと、祈るように絡み合わせた手はそのまま、片足が地面に突き刺さっていた。恐らく踵落としのような形で俺を潰そうとしたのだろう。


「答えなくていい。彼女は僕たちよりも優先して人間を狙う」


 突き抜けるような流刻さんの言葉が空間に響いた。片方の足を軸にしながら身体を回転させ、腰よりも上にあげた反対の脚で蹴りかかってくるそれを視界に収めながら、別枠で思考を回す。多分逃げれない。話の流れ的に助けも期待できない。

 足の下に滑り込み、進んでいく自身の肉体の勢いに任せて相手の足首の辺りに腕を引っ掻ける。人間の構造をしている以上、片足を上げれば肉体を支えるのは頼りない片方の脚だ。転倒したそれを見ながら、イメージ通りいったことに安堵する。


「それは祈ることを強要された哀れな人形だ。君の手で、救ってくれ」


 言葉を一度受け取るが、理解できるほど思考に余裕はない。転倒した低い姿勢のまま放たれた足払いを咄嗟に飛び上がり、空中で回りながら着地する。


「お~!よく動くにゃんね~」


 その勢いのまま後ろに飛び退き、少し距離を離す。異常なほど望み通り動く体に疑問符を脳で浮かべるが、動いてくれるならいい。


「何かしたの?猫又」


 上半身が地面と平行になるほど体を折り、超低姿勢でそれは向かってくる。何をしてくる。手は今まで使ってこなかった。じゃあ蹴り?上か、下か。いや、先ず前提が不確定だ。腕を使ってこない確証なんて。


「い~や?あの子のお茶に肉体の動作に作用するようなのは入れたけど、少し動きやすくなる位にゃ。あそこまでなるのは予想外にゃん」


 低めた姿勢から一気に伸びあがって、地面から抉り上げるように爪先が迫ってくる。あそこからバク転すんのかよ。

 左足を軸足にして、全身を回転させることで相手からは半身しか見えないような状態にする。顔面ギリギリを掠めたキックを見送り、足を勢いよく曲げる。あの姿勢からなら手を着かないと着地することは困難なはず。


「命の危機ってのはある人種にとっては成長の機会になるようにゃんね」


 そんな思惑を込めた寝転がるような体勢で打ったローキックは空を斬る。それはあんな姿勢から両手を組んだまま、手を着かずにバク転した。蹴りで攻撃するのにも意識を裂かなければいけない筈なのに、本当に理解の範囲外だ、が。

 けれど、どうにかしなければ死ぬ。


「まぁ、それだけの話ではないけれどね」


 一メートルほど先に着地したそれは、唐突にピタリと動きを止める。それに伴うように、ぐちゃ、ぐちゃ、と。嫌悪感を伴う何かをかき混ぜる様な音を発する。


「本番……か?」


 掌から零れていた液体の量がどんどんと増えていく。両膝を着いた後、彼女は両手を天に掲げ、自分の頭部へとそれを掛ける。液体だったはずのそれは少しずつ、彼女の肉体に沿うように固形へと変化していく。それはまるで死装束とドレスを掛け合わせたような、美しい衣装。


「……流刻、ほんとに初戦がこれ?」


「まぁ……彼女は強いよ」


 全身にそれを纏った時、頬を伝るような黒い跡が残る。それはまるで、泣き跡のようで。

 あ、死ぬ。そう思った時には、考えるよりも先に後ろに飛びのいていた。轟、と空間が揺らぐ音と、突き上げるような黒い軌跡だけがそこには残っていた。見えない、見えなかった。


「けど、大丈夫だ。彼の後ろには僕らが……祭囃子が付いているからね」


 息を吸い込んで、次の一瞬に備える。考える隙間はない、感じろ、認識しろ、恐れろ。一発目、後ろに飛びのく。二発目、突っ込んでくる。足先で連なる三つの円を描くように回転しながら移動し、それを躱す。回転の勢いを無駄にしないように突き出されたその足を掌で弾く。


「はぁっ……!」


 息を吐き出して、思考を加速させる。どうすればいい?攻撃したところで体幹に影響は与えられるがダメージを与えられているような気はしていない。どうすれば勝てる……倒せる……?

 舞うような滑らかな動きで接近した彼女の動きを見逃さないように目を見開いて、姿勢を少し落とす。足を突き出してくる、これを横に避ければ……待て。足を、戻して、いっている。


「ご主人!」


 フェイントだ。そう気づき、行動に移そうとした頃には俺の体は後方へ吹き飛んでいた。


「っ……た」


 ギリギリで少し後ろに飛び退けたので多少ダメージは軽減されたかもしれないが……。痛い。折れたか?いや、いい。気にするな。進めなくなる。

 考えるのは対処法だ。攻撃したところで殆ど意味はないだろう。じゃあどうすれば良い。どう倒せば良い。どう、殺せば。


「あ、違う」


 嫌な記憶と一緒に、混雑した思考を振り払う。名無さんですら簡単に妖は消滅させれないと言っていた。だから、根本から間違っていたんだ。流刻さんは救ってくれと言った。

 廻る思考と緩慢に進む時間の中で、目に入ったのは。

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