第4話 眠らぬ祭囃子
暗い、昏い夜。それを打ち破るように祭囃子がそこには響き渡る。太鼓などの楽器の音、そこに住まう者どもが放つ喧騒。それらが合わさって、静寂だけが残るはずだったその宵闇を活気で埋め尽くす。
「すっご……」
思わず言葉が漏れ出る。余りに巨大な鳥居の奥に広がっていたのは、神社でやっている夏祭りを拡大解釈したような場所だった。
「離れないでくださいね、ご主人」
「一人になったら何されるかわからないにゃんよ~」
先を歩く二人の影に隠れるように後ろをついていく。多少回復したとは言えまだ倦怠感の残る体に鞭を打ち、ひたすらに歩かせる。できるだけ誰かの眼に入らないように……影に溶け込む感じで……
「化煙じゃん」
「どーもにゃ~」
こんなにも俺が縮こまっているのには相応の理由がある。今化煙さんに挨拶したのも、道を歩くのも。化煙さんや名無さんと同じ系列の、明らかに人間ではないであろうものたちだった。
人間に獣の特徴が足された者だったり、それに対して獣を二足歩行にしたような者だったり。はたまた蟲の顔面が牛のようになっている者だったり。百鬼夜行、という言葉をここまで正確に使えることも珍しいと思う程の光景だった。
「聞いても……良いですか」
誰の耳にも入らないような小声で前を歩く二人に話しかける。
「あ、ここで内緒話はできないと思う方が良いにゃんよ」
当たり前かのように俺の警戒が無に帰した。いや、かのようにではなくここでは本当に当たり前の事なのだろう。
「それで、何にゃん?」
「ここの人たち?とか、化煙さんとかってどういう……存在なんですか?」
化煙さんが振り向いて口を開きかけた瞬間、法螺貝のような音が響き渡る。それに追随するように、数多の和楽器が旋律を奏でる音が耳朶を打つ。
「説明は、あっちがしてくれるみたいにゃんね」
通路の一角に突然現れた一段。山車のような巨大な神輿を数十人で支え、周囲に音楽隊を従えたそれは、混雑を切り裂くようにこちらに一直線に向かってくる。前を歩いていた岩石と猫のハーフのような人?猫?が道から掃けたのを見て俺も通路の真ん中から逸れようとしたが、名無さんに手首を軽く掴まれる。
「ご主人、あれの要件は私達……いえ、ご主人一人です」
「その通り」
背筋にぬるりとした何かが伝ったような感覚に、悪寒を含んだ身震いをする。恐らく音の主は、山車の上。こちらを品定めするように見つめた男。数メートルは離れている筈なのに、耳元で囁かれたかのような感覚がこびりついて離れなかった。
「猫又に名無しの巫女、そして、書き換える者よ」
その男が山車から飛び降りた瞬間、音一つない静寂が空間を覆いつくす。比喩表現ではない。山車の周りの音楽隊も動きを止め、遠くから聞こえてきた祭囃子も今は一つの音も立てていない。
「眠らぬ祭りへようこそ」
瞬きをした。それだけの一瞬で二人の前に居た筈のその男は、俺の眼の前へと肉薄する。俺よりもかなり大きい背丈、恐らく二百は優に超えているだろう。その男の瞳を除いた瞬間、トンネルの奥を覗いたときのような、胸の何処かに不安を残す感覚が走る。
「……!」
思わず一歩後ろに引く。そうすると、其れの全身を意識せずとも見ることになる。後ろでまとめられた深緑の長髪、細くはあるものの軟弱ではないその体躯、古風な甚兵衛をいとも容易く着こなす相好。街で見かければ多くの人が振り返る程の色男だと言えるだろう。
けれど、今までここで見た中で一番人間に近い姿をしているにもかかわらず、最も心に重圧をかけてくる。目の前に立っているだけで、潰されてしまうような。
「それ以上ご主人に近づいたら斬る」
「おっと」
名無さんの一言で、目の前に居た筈のその男がまた少し先へ移動する。
「私としたことが、珍しい来客に舞い上がってしまったみたいだね。肩の力を抜いていいよ」
その言葉と同時に、かかっていた重力が軽くなるような感覚が走った。それは錯覚なんだろうが、頭でそう思っても本能で否定しきれないような感覚だった。
「そうだね、先ずは名乗ることにしようか」
飛び降りる過程を逆再生していくような不自然な動きで山車の上に戻った男が、少し息を吸ってからゆっくりと口を開く。
「この祭りの主催者、そして日本の妖が一つ。ここでは
舞うような身振りと、詩を詠むような静かな声で紡がれたその言葉。引き込まれるようなその一つ一つが、相手が受け取るのではなく相手に受け取らせているような気がした。
「にゃは、随分余所行きの挨拶にゃんね」
「ここの支配者として、それ以前に妖の一体として彼には敬意を払っているからね」
少しずつ困惑が脳裏に溜まっていく。書き換える者、恐らく俺を指しているのだろうがそう言われるような理由は知らない。そして初対面の相手に尊敬される理由もわかった物じゃない。
「はは、困っているね。質問したいことも、説明すべきこともある……場所を変えようか」
◆
木々すら眠る丑三つ時。眠ることさえ忘れてしまった者が一つ、夜に溶けるような漆黒の衣服を纏って佇んでいた。
「はぁ……」
自分の目の前に倒れている化け物、妖と呼ばれるそれを自らの力で捩じ伏せた彼女は物憂げな表情を浮かべながらそれの腕を掴む。
「弱肉強食なんでしょ?だから、ね」
口腔で光る八重歯が妖の皮膚を貫通し、緑色の血液が流れ出す。その一雫さえ溢さないように丁寧に血液を嚥下していく。木々や葉の隙間から漏れ出る月光で仄かに照らされたその姿は、妖しい雰囲気を纏っていた。
「ご馳走様」
相手が生物の理から外れたものだからか、はたまた血液のみを摂取する彼女達にとって必要分の血液が失われないような進化を遂げたためか。彼女が掴んでいた腕を離す頃には裂けた皮膚は繋がり、傷口も殆ど残っていなかった。
「都合が良いと言ってもやっぱり妖は……」
戦闘を行なって気分が盛り上がっているのか、日頃あまりしない独り言を呟く。最近妖達が凶暴化する事象が起きているお陰で捕食を正当防衛とすることができるのは、彼女にとっては追い風だった。
彼女は吸血鬼である。人間の歴史の中でも長く恐怖されてきた種族ではあるが、だからといって現代で過去のように吸血が行えるかといえば否である。
「道端は無理だし……」
人間社会に溶け込んで生きている以上、監視社会の渦中にいるということである。仮に吸血の現場をどんな形でも発見されてしまった場合、人間社会で生きていくことは難しいだろう。
それ故に両親の人脈を使って輸血パックなどで飢えを凌いできたが、捕食者としての都合かはたまた摂理か。新鮮な血液を摂取しないことには満たされない感情もある。
「どうするかなぁ」
だからこそ人間界から剥離した空間で凶暴化した妖を狩っているわけだが、人間以外の血液というのは基本的に不味い。吐瀉物を薄めたような味がする。
とはいえ彼女も贅沢を言ってられる状況ではないため、自分の意見を押し殺して無理やり血液を流し込んでいたのだった。
「……やるしか」
それは泥酔した母親の言葉。簡単に言えば彼氏を作って無理やり吸血しろとのことだった。自分が好きな相手であれば文句は言わないだろうと。
前述の通り泥酔したからこそ放った言葉であり、真に受けるべきではない。そして、ある程度理論的な思考ができる彼女は今までその言葉を戯言だと切り捨てていた。しかし、ここまで切羽詰まってしまった彼女にそんな思考がある筈もなく。
「あれ?これって……」
そんな彼女の視界に入ったのは、手のひらサイズの一枚のカード。彼女にも馴染みのある、学生証というものであった。
「うちの」
裏面のデザインからして、彼女の通っている高校の学生証だった。所以を考えるよりも先に彼女はそれを掴み取り、表面を見る。
「霧ヶ崎灰奈……」
見覚えのあるその顔。同学年の、同級生であるその男の顔を見て、獰猛な捕食者としての彼女は浮かべる。
「……そうしよう」
深い交流があるわけではないが、気弱で性格も聞く限りでは良い。色恋沙汰の話の一つも聞かないので、彼女がいるという訳ではないだろう。どうにかして、手中に収める。そうやって、きたる月曜日のプランを立てている彼女だったが、正気を保っているとは言い難い彼女の思考からは、一番と言って良いほど重要な事柄が抜け落ちていた。
何故その学生証が人ならざるもの、妖の空間にあったのか、ということである。
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