第3話 起床と現状

 沈んでいた意識が戻ってくる。朝というものに対して苦手意識を持っている俺にとって、今視界を覆っている瞼を開くことすら中々億劫だ。


「ゔ〜……」


 唸り声を上げながらなんとか全身を伸ばす。六本腕の武士に追われたような記憶があるが、そんなことが現実に起こることは無いはずなので、きっと夢だったのだろう。腕も動くし。


「お早う御座います。ご主人」


 瞼をなんとかこじ開けて、首を傾けた視界に飛び込んできたそれと視線が合ってしまった瞬間、俺の思考が浅はかだったことを思い知らされる。俺の枕元に座り込んでいる女性……現実の出来事だと確定してしまったあの夜に俺を助けてくれた女性がそこには居た。


「お早う……御座います……」


 寝ぼけた脳みそを起動させながら状況を理解しようととぼやけた目を擦る。木製の天井が上にはあって……左右には壁一面に棚とよくわからない物品の数々。なんだあの置き物、化け物の招き猫?

 そして寝返りを打って体の下を見てみた限り、布団のようなものに寝かされているようだった。後何か体に違和感がある。水の中のように全身に圧がかかる感じと言うか……。


「あー、起きたにゃんか?」


 遠くから聞き慣れない声が聞こえてくる。声質的に女性であろうこと、ぐらいしか情報はなかった。


「うぐっ」


 体を起こそうとした瞬間、全身を鋭い痛みが駆け抜ける。違和感だったものが、明らかな痛みへと変化した。この痛みには覚えがある。幼少期の頃に全身筋肉痛になった時の感覚を二倍にしたような……そんな痛み。


「肩治すのに体力も生命力も使ってるから変に動くと危ないにゃんよ〜」


「あ、肩」


 そういえば。少なくとも折れていたはずの腕が、しっかりと繋がって俺の四肢として動いてくれている。治して、と言ったのだろうか。いくら現代医療が発達しているとはいえ、あのレベルの怪我をすぐに……いや、待てよ。あの夜から多少しか時間が経っていない確証がどこにある?もし数か月とか寝ていたのだとしたら。


「どれぐらい、寝てましたか?」


「ん~。そっちの時間なら三時間ぐらいじゃにゃいかな?」


 全然短い時間だった。唯一納得できる仮説が瓦解したところで、いよいよ脳が混乱してきている。


「名無ちゃんと~、君のも淹れといたにゃんよ」


 ぺたぺたと俺の後ろを歩く足音が聞こえる。悲鳴を上げる体を無理矢理回し、足音の聞こえた方に振り向く。回る途中で一瞬だけ相手のシルエットが見えたが、回り切ってしまうと足しか見えなかった。そんな思考を回していると、目の前にゆっくりとカップが置かれる。いや、陶器と呼称すべき古風なそれが置かれた。


「君は今飲めないんだったにゃ。色々困るにゃんね……支えるから体起こせるにゃん?」


「……頑張ります」


「名無ちゃん、手伝って~」


「はい」


 背中側に二人係で手を回される。健全な男子高校生としての何かを失った気がするが、自尊心だどうだなんてものは俺程度があまり気にするべきではないだろう。


「「せーの」」


「ぐえ」


 あひるのような声を出しながらも、何とか体を起こす。視野が広がったことで思うことが二つ。一つはこの店内が下から見る視点よりも数割増しで奇妙だったこと。単純に見える物品が増えたことも影響しているのだろうが、生物を模したような物が多いことがその印象を増長させているのだろう。

 あと一つは、美人が増えたこと。枕元に翼の生えた女性が座っていることは認識していたが、お茶を運んできてくれた方も推測通り女性であり、また浮世離れした美貌の女性だった

 けれど、普通の人間じゃないことは一目で明らかだった。赤い瞳に、頭頂部に生えた猫耳、そしてゆらゆらと揺らいでいる尻尾。猫と人間の中間というには人間の比率が高いが、明らかに人間では無かった。


「何か違和感はあるにゃ?」


「体が全然動かないこと以外は、特に」


「よかった……」


 俺の言葉に返答したのは翼が生えている方の人だった。人と呼んでいいのかはこの際置いておく。あの時も俺の肩の事を心配してくれていたな、という思考が過った。


「あ、あの時は有難う御座います」


 あの時は必死で碌に感謝も伝えていなかったが、言葉通り俺の命の恩人だ。


「え、いや……私の役目ですので……」


 なんだが煮え切らない回答に思わず首を傾けるが、帰ってきたのは筆舌に尽くし難いような混沌とした感情の籠った苦笑だった。


「ん、そろそろいいかにゃ?」


「あ、はい」


 そんな空気を見かねてか、猫に近い方の人が話始める。


「私は化煙、そのまま化煙でいいにゃ。君は?」


「灰奈です。霧ヶ峰灰奈」


「ふ~ん、良い名前にゃんね」


 化煙さんは楽しそうに俺に微笑みかけた後、眼を細めて翼の生えた人を睨む。


「自己紹介したらどうにゃん?名無ちゃん」


 名無ちゃんと呼ばれたその女の人は困ったように眉を傾けながら、呆れたように言葉を口にした。


「だから名前なんて無いって……好きに呼んでいいです」


「名無ちゃんって呼んであげれば良いと思うにゃ」


「はい」


「ちょっと、猫又?」


 俺が返答したのとほとんど同時、翼の生えた……いや、名無さんが露骨に不満を声色に乗せて口を開いた。


「なんにゃ~ん?」


「何か駄目でした?」


 名無さんは俺と化煙さんを交互に見て、その往復の回数が増えていくたびに険しい表情になっていく。


「いや……大丈夫です……」


 何かを噛み締めるようにそう呟いた名無さんを見てなんだか申し訳ないような気持ちになったが、だからと言ってどうすればいいかはわからなかった。


「よし、自己紹介も済んだところで灰奈には現状を説明するにゃ」


「はい」


「簡潔に言うにゃんね?ここは君の元の世界とは違う世界にゃん」


「……はい」


 一日前の俺ならば世迷言だと切り捨てた言葉だろうが、今の状況と過去の体験からその言葉が偽りではないであろうことぐらいは理解できていた。


「そして、恐らく今のままの君が普通に元の世界に戻ったら死ぬにゃ」


「え?」


 何とか情報を乗り越えた先で、もう一度巨大な情報に殴りつけられた。


「君は武士に遭ったにゃんね?」


「はい」


 顔の細部まで鮮明に思い出すことができるほど強く刻まれた体験になったあの武士。それが何か関係があるのだろうと脳内で結びつける。


「わかりやすいように言うと……あいつらの仲間に襲われて死ぬにゃ」


「なる、ほどぉ?」


 成程、と言いかけた言葉が一回途切れる。納得はしたくないが理解はできた。名無さんが撃退したことで恨みを買ったが、名無さんには勝てないから俺に回ってきた……みたいな感じだろうか。


「私達もこのまま見捨てるほど薄情じゃないし、今灰奈に死なれると困るにゃ」


「それには私も同意します」


 黙って陶器に注がれた液体を啜っていた名無さんが思い出したかのように返答する。


「と言うことで、君に生きてもらうために色々することになるにゃんけど、大丈夫かにゃ?」


「あ、はい」


 せっかく生き残ったのだから黙って死にます、となるわけにはいかないだろう。何をするか知らないが、やってみるしかない。


「じゃあ先ずそのお茶を飲むにゃ」


「……何の関係が?」


「趣味にゃ」


 今体が万全だったらコントのごとく倒れ込んでいくところだが、全身を覆う倦怠感がそうはさせてくれなかった。前言撤回する、万全でも多分やらない。


「えぇ?」


「にゃはは、流石にうそにゃ。それを飲むと今灰奈に出てる症状が幾分かマシになると思うにゃ」


「な、成程」


 余りに流れるように言われたせいで嘘だという考えには至らなかった。何も言わずに手渡してくれた名無さんから陶器を受け取り、口を付ける。


「おいし……」


「なら良かったにゃ。少し経ったら外に出るから精々休むことにゃん」


「了解です」

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