第2話 猫又の住まう小屋で
ボロい、小さな小屋。見慣れない、奇々怪々な物品が所狭しと並べられたその場所で、一人の女が佇んでいた。全体的にひらひらとしたゆとりのある衣装を身に纏い、彼女の軽快な動きも相まって非常に神秘的で、妖艶な女性。耳の位置より少し長い程度で切り揃えられた黒に近い赤い髪、彼女が動作を起こすごとに忙しなく動く猫のような耳、気分に合わせて揺れる尻尾。客の全く来ない活気とは程遠い店を営む女、
いつも通り客の来ない雑貨店を営んでいた彼女であったが、珍しく扉の開く音を頭上の耳が捉えた。全てを見通す様な紅の瞳が、扉と言う一点のみを睨んでいる。
「いらっしゃ~い……って、珍しいにゃんね、
勢いよく開かれた扉の向こうには、化煙に馴染みのある女が立ち尽くしている。それは名無と呼ばれたが……その呼称には不満があるようだった。
「お邪魔するよ猫又」
腰まで伸びた初雪のような淡い色彩をした髪、双方で色彩の違う瞳、全てを飲み込むような漆黒をした翼。浮世離れしたその姿だが、浮世離れという点では負けず劣らずのこの空間に住まう化煙の前では些細な事だった。
「まーだ名前で呼ばないにゃ?」
「そのふざけた呼び方を止めてくれたら考えるかなぁ」
「ん~、名無ちゃんが駄目なら一個目の案の」
思い返すのは初対面の少し後。頑なに名乗らない彼女に出した案は名無しの権兵衛にちなんで名無と……
「前言撤回、権兵衛になるくらいならそれでいい」
不機嫌そうに代替案を蹴とばした名無に満足そうな笑みを浮かべた後、一瞬の間も開けずに顔色を変える。
「それで、君の抱えたそれは何にゃん?」
二本の足に二本の腕、妖怪的な身体的特徴の一切無いそれは信じ難いが、
「人間、だよ」
「どういうつもりにゃ?」
底冷えするような冷え切った声がその空間を揺らす。化煙は嘲るような笑みは崩していないものの、瞳の奥から感情の炎が抜け落ちていた。
人間を忌み嫌う妖がありふれているこの近辺に、しかもその代表格でもある猫又の一族の妖に人間を見せびらかすということの重大さに気付かないほど名無は間抜けでは無い。少なくとも、化煙はそう認識している。
「まぁそういう反応をするよねぇ」
「随分と妖をおちょくるのが上手くなったにゃんね」
時が止まったかのように、どちらも一言も発さない。その重苦しい静寂を破ったのは申し訳なさそうな、静かな言葉だった。
「……書き換える者、暗雲と共に」
「!?」
名無の呟いた言葉に、化煙は思わず動きを止める。そして、顔を伏せて小刻みに震えだす。一触即発、そうその場にいる二人以外は感じただろう。
「にゃは、にゃははははは!!」
爆笑だった。それを察していた名無は苦い顔を浮かべているが、其れすら考慮することなく化煙はひたすらに笑っている。
「にゃは……成程にゃ。それは私に持ってくるべき事案にゃんね」
笑いすぎて零れたのか流れた涙を拭き取りながら、化煙は納得したように微笑む。
「ここら辺にあったような気がするにゃんけど〜」
化煙は跳ねるように室内を歩き回り、実に楽しそうに鼻歌を歌っている。そして、棚の一角から目的のものであろう掌サイズの巻物を掴み取り、床へ乱雑に投げ捨てた。それは地面に着くと同時にポンッ、と間抜けな音を出し、煙を放出する。さながら手品の演出のような煙が晴れた時にそこに在ったのは、明らかに元の巻物の面積よりも巨大化した敷布団だった。
「猫又……物好きだとは思ってたけどここまで……」
使う機会の分からない道具に対して名無が明らかに眉間に皺を寄せているが、気分の盛り上がった化煙がそれを気にすることはなく、飄々とその言葉に返答する。
「偶々手に入れただけにゃんよ。ほら、さっさとここに置くにゃん」
促される儘、名無は敷布団の上に抱えた人間を丁寧に置く。
「随分肩入れしてるにゃんね?」
「過干渉は寿命を縮めるよ」
「猫は九つ命があるって知らないのかにゃ~」
名無から突き刺す様な殺気を向けられて尚、全てを嘲るような態度を崩すことはない。それを見て、名無は諦めたような息を吐いた。
「……今度話すよ。今は早く」
「しょうがないにゃんね~」
「できる限りの処置はしてる」
化煙は顔に張り付けた笑みを消し、神妙な表情で布団に転がされたそれと向き合う。見た限りでは成人していない男、外傷も無いように見えるが……。化煙の紅い瞳が仄暗い灯りを放つ。
「成程、名無ちゃんなら固定はできるにゃんね」
その双眸が捉えたのは覆い隠された深層。名無の力のように無傷のように見せかけているだけだということにたどり着き、状況を解決させるために自分が持った手札を効率よく並べていく。
名無の処置は云わば原因が入った箱を布で覆い隠しただけ。その中身から変えないと結果が変わることはない。けれど、化煙ならば隠された真相に触れることは容易だ。
「損傷だけならどうにでもなるにゃんけどこれは……」
男の肩の辺りを触れながら考え込むように反対の手で化煙は自分の額を触る。問題は、全身から漂う嫌悪感の塊のような煙。この人間を蝕んでいるこれの正体に一つだけ心当たりがあった。
「妖が凶暴化する煙……何かこの子と関係はあるかにゃ?」
最近化煙や名無のような妖の間で問題になっている急な妖達の凶暴化。その際にはいつもこの人間が纏っているような煙が観測されている。
「うん。凶暴化した侍みたいな妖に襲われた」
「この辺りなら……腕が六本あったかにゃ?」
静かに頷いた名無を見ながら化煙は深い溜息を吐く。その武士が交流のある相手であったが故に、面倒ごとに巻き込まれてしまったことを憐れんでいる面もあったのだろう。
「ご主人、いや、その子が触れた瞬間に内側から煙が爆発するみたいに発生した」
「なるほどにゃあ」
納得したように、それでも晴れ切らない表情でそういった彼女は一度深く思考の海に入り込んだ意識を引き挙げる。
「どうにかできると思うにゃ」
「流石」
少し不服そうに名無はそう呟く。曲がりなりにも化煙の実力は認めているようだった。
「けど、労力も時間もかかるにゃん。持ち込んだ面倒ごとなんだから、手伝ってもらうにゃんよ」
「……勿論」
名無は表情をあまり見せないと思っていたが、覚悟の決まった表情をしている名無を見て化煙は内心少し評価を変える。この子に対しては、感情のこもった表情を見せるらしいと。
「ちょっと妬けるにゃんね」
「ん?」
「いいやぁ?何でもないにゃん」
珍しく本心で呟いた言葉を詮索されかけ、慌てて化煙は平静を取り繕う。これ以上何か言われる前にと言葉を交わすことなく治療に必要な道具をそこらから取り出し始める。
「それ、要るの?」
平静を保っていなかったからなのか何故か不細工な招き猫の亜種のような置物を床に置いた化煙を訝しむような視線で見ながら化煙はそう呟いた。
「……その子が治るように……ゲン担ぎみたいなもんにゃ」
「そう。ならいいけど」
随分盲目的で助かった、と彼女は肩の力を抜く。少し落ち着いてから、彼女は疑問に思ったことを脳内で反芻する。この子に対しては、という言葉を。
「これだけは答えてほしいにゃん」
「……何?」
静かに帰ってきた返答を肯定だととらえ、彼女は一つ、言葉を紡ぐ。
「名無ちゃんにとって、この子はどういう存在にゃん?」
その瞬間広がった静寂に、化煙が道具を弄る音のみが響いていた。
「……私の主人で、私の月で、私の翼」
その言葉を受け取って、化煙は思考を加速させる。主人、主人と言った。誰にも従うことのない狂犬のようだったあの名無が。月と言った、翼と言った。この二つは比喩表現な事はそうなのだが、それでも並々ならぬ感情が籠ってくることは確かだと確信する。
そのあたりで、考えても仕方がないと思考に一区切りをつけた。
「有難うにゃん」
いつか、ゆっくり話を聞こう。今できることを自分はしなくては。
「じゃ、始めるにゃん」
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