揺れるポニーテールと白い浮き輪

守破屋敷

揺れるポニーテールと白い浮き輪

 夏休みが目前に迫ったこの日、俺は決心した。

「晴翔、俺ついに決めた。俺は今日、ななせ先輩に告白する!」

「おお! やっとか、やっとお前、覚悟を決めたんだな!」

 隣に座る晴翔は朝からテンションが高い。電車の中ではあまり大きな声は出さないでほしい。

 晴翔は俺の肩をぽんと叩き、顔を俺の耳元へ近づけながら言った。

「それで、勝機はあるのか?」

「もちろんだ。俺は勝てない勝負はしない派なんでね」

「そりゃそうだ。そうでなきゃこんなにも時間かけるわけがない。去年の四月から想い続けてんだろ。もう一年以上何もしなかったなんて逆にすげーよ」

「何もしてなかったわけじゃないぞ。ちゃんと準備はしてきた」

 そうだ。俺はこれまで、ななせ先輩に告白するために準備をしてきた。

「そんなことわかってるよ。俺だって一年以上お前と付き合ってるんだ。お前がどれだけ臆びょ、慎重なのかはそれなりにわかってるつもりだぞ」

「おいこら、なんか言い直したよな。もう一回、言ってみろ!」

 俺は晴翔の頬をつねる。

「いったああ! まあ、なんだ応援してるぞ」

 そう言って何かを手渡してくる。

 そのものを確認してしてから、俺は晴翔の目を見る。

(おい、何考えてんだ)

(せいぜい頑張ってくれ。期待してるぜ)

 アイコンタクトだけで会話をする。

 俺は、大きなため息の一つでもつきたくなったのを我慢する。これも晴翔なりの応援なんだろう。

「ああ、任せてくれ」


 放課後、俺はいつものように晴翔と別れたあと生徒会室に向う。そして、いつもより気合を入れて扉を開ける。

「お疲れ様です」

「拓也か」

 生徒会室に電気はついておらず、ななせ先輩が窓際のプランターに水をかけているだけだった。時期でないのか花は咲いていない。けれど、その後ろ姿は綺麗だった。艶のある長い黒髪、ワイシャツとのコントラストが艶美さをいっそう際立たせる。それを一つにまとめたポニーテールに自然と目が惹きつけられる。

「あれ、先輩一人ですか?」

「ああ、三年生は塾があるからと言って帰ってしまったし、二年生もお前が一番だ。まあ、今日はやることもなかったし部屋の片付けでもしたら解散にするつもりだったからいいんだが」

 俺はこの日のためにたくさんの準備をしてきた。隣に立っていても違和感がないように容姿にも気をつかい、勉強もした。そして、ななせ先輩に近づくために生徒会に入った。

 今日その全てを集約させる。初めは会話もろくに続かなかったが、今では互いに名前で呼び合う仲になった。休日には二人で出かけたこともある。

 これならいける。

 ここでいけなかったら、いついけるんだ。ななせ先輩は三年生、もう受験生だ。ここを逃してしまってはもう機会は永遠に訪れないかもしれない。最初で最後のチャンス。

「そうですか」

 空白の時間が流れる。ななせ先輩がカーテンを閉める音だけが鳴る。それだけが時間が進んでいることを俺に理解させる。どちらも何も言わない、何も言うことがない。けれど、俺はこの時間が好きだった。この部屋が世界から隔絶されたように感じられるこの時間が。

「今日はもう帰っていいぞ。特にやることもないし、私もこれから帰るつもりだ」

「あの、先輩」

「何だ?」

「あの、よかったら、これから一緒に、プール、行きませんか?」

「プール、だと」

 聞き返された。そりゃあ、突然プール行きませんかなんて言われたら聞き返すのが普通か。頭の理解が追いつかない。

「いやー、友達と行こうって約束してたんですけど、その友達が突然行けなくなっちゃってー、的な」

 俺は早口で適当なことを口にしてしまう。

 終わった。ここまで順調だと思ったのに。まだ何もしてないけど。

 晴翔がプールのペアチケットなんて渡してくるから。しかも今日限定の。そんなの使うしかないじゃん。そもそも、何で晴翔はそんなものを持ってたんだ。

 ただの後輩の男と一緒にプールなんて誰が行きたいって言うんだ。

「君が行きたいと言うのなら、一緒に行ってもいいぞ」

「そうですよね。それなら他あたりま」

 当たり障りのない返答をする。

 あれいまなんて言った?

「ななせ先輩なんて言いました?」

「私が一緒に行くって言ったんだ。こんなこと二度も言わせるな」

 ななせ先輩の顔が少し赤みを帯びている。

「本当ですか!?」

「本当だ。……その代わり、期待するなよ」

「え?」

 今大事なことを言ってたような。

「とにかく! 準備のために私は一度家に戻る。5時に現地集合でいいな!」

 そう言うとななせ先輩は逃げるように生徒会室を出て行ってしまった。


 俺は一度家に戻り準備をしてからプールに向かった。

 ななせ先輩の姿を探す。

「うわ……」

 鼓動が早くなるのを感じる。顔に熱が帯びる。

 ななせ先輩は制服姿ではなく白色のワンピースを着ていた。髪も結んでいたのを下ろして、背中にかかる黒髪が俺の足を止めた。壁に寄りかかり、髪をいじる姿が妙に様になっている。

 ななせ先輩、何着ても似合うな……。

 百六十センチメートルあるというが今だけは、プールを楽しみにしている子どもにしか見えない。心なしか表情も学校で見る時よりも穏やかに見える。

 そこで、ななせ先輩が俺に気づいて駆けてくる。サンダルを鳴らして走る姿にまた俺は言葉をなくす。ななせ先輩が少し幼く見えた。

「すいません。遅くなりました」

 俺は平然を装って話しかけた。直視しているとまともに話せなさそうだ。

「いいや、私も今来たところだ」

 ななせ先輩はそう言うと何やら恥ずかしそうに俺を見つめた。そしてすぐに視線を外す。

「先輩、それなんですか? 左手に持ってるの」

「これは何でもない。君が気にすることではないよ」

 さてはこの人、泳げないな。

「そう言われても気になりますよ。先輩が白い大きな浮き輪持ってたら」

「…………」

 ななせ先輩に直接そんなこと口に出すなと言わんばかりに睨まれた。けれど、白い浮き輪持っている人にそんな表情をされても全く怖くなかった。子供が親に宿題の催促をされた時の、むすっとした顔に似ている。

「泳げないなら、そう言ってくださいよ。それなら無理に誘わなかったですし」

 俺としてはプールでなくてもよかった。駅前のカフェなんかで軽くお茶をするという案もあった。

「いや、泳げないとは言ってない! ちょっと苦手なだけで……」

 だんだんと言葉に力がなくなる。これ以上何か言うのはななせ先輩が可哀想だ。

「ここにいても何ですし、中入りませんか?」

 俺は入り口に向かって歩き出そうする。

「それに、かわいい後輩のお願いを断りたくはないからな」

 俺は頬がゆるまないようにするのに必死だった。


 プールは平日にもかかわらず思った以上に盛況していた。ななせ先輩は同じ学校の生徒に会うのを嫌って端の小さなプールで泳いでいた。生徒会長たるものこんな姿を他の生徒に見られるわけにはいかないらしい。小学生に混じって楽しそうだった。

 そして、特に何か起こることもなく俺たちは外に出た。

「今日は楽しかった。ありがとう」

「こちらこそ、先輩と一緒で楽しかったです」

 十九時だというのにまだ空が少し明るい。それでもななせ先輩の輪郭ははっきりとせず、何を考えているのかはわからない。

「あの、先輩、送って行きます」

「……そうか、それじゃあ頼むよ」

 声に少しの落胆の色が混ざっているようにも感じたが、確かなことはわからなかった。


 俺はななせ先輩の横を歩く。時折の街灯がななせ先輩の横顔を照らす。

「先輩、夏休みの予定とかって」

「勉強ばかりだ。私も受験生なのだから当たり前だか、さすがに本腰入れてやっていかないとまずいからな」

「けど、先輩って学年順位一桁でしたよね」

「そうだが、別に学校の中で戦うわけじゃない。全国の学生と戦わなくちゃいけない。そうなると、私なんてまだまだ勉強不足だよ」

 ななせ先輩はもう少しで生徒会長を辞めてしまう。そうしたら、ななせ先輩は勉強に集中するだろう。生徒会の仲間ということでしか繋がりのない俺は会える機会がなくなってしまう。だから、もう一歩、先に進める。

「あの、先輩」

 入学式の時、ななせ先輩の真剣な眼差しを一目見た時から俺は恋をした。その日からななせ先輩のことを片時も想わなかったことはない。何も期待していなかった高校生活がその時色を持った。

「俺、ななせ先輩のことがーー」

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揺れるポニーテールと白い浮き輪 守破屋敷 @morihayashiki

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