第5話 最高の瞬間
「え!?杉野さんが、そんな事言ってたの?」
現時刻は、13時。社員食堂の一角で、先程の杉野さんとのリハビリの様子を、笹井さんに報告していた。
「はい…。あんな元気のない杉野さん、初めて見ました…。」
月曜日の日替わりランチを頬張りながら、杉野さんの不安な気持ちに気付くことができなかった事を悔やんでいた。
患者のメンタルが不安定になると、リハビリの成果に大きく影響する。モチベーションが上がらず、リハビリの拒否や鬱状態と発展するケースもある為、患者のメンタルを捉えて、アプローチしていくのも、我々リハビリスタッフの重要な仕事である。「病は気から」という言葉は信用していなかったが、実際の臨床現場では、環境の変化が認知症状の悪化に繋がったり、鬱症状を発症してしまう患者をよく見かけるので、あながち、間違ってはいないのか?と感じる事がある。
「うーん…。密かに、不安な気持ちを抱えていたけど、ずっと隠していたのかもしれないね…。杉野さん、一お仕事もずっと1人で頑張って来られたから、1人で何とかしよう!って気持ちが強かったんじゃないか?」
カツカレーを頬張りながら、笹井さんは冷静に杉野さんの思考の癖について、分析していた。
「でも、どれだけリハビリを頑張っても、身体には麻痺が残り、失語症も残存している状況で、家族の助けが必要となってしまった…。笹井さんが思い描いていた、リハビリ後の姿と少しギャップがあったのかもしれませんね…。」
日替わりランチのメインであるメンチカツを頬張るが、杉野さんの心情を思うと、手が止まってしまう。
いや、自分自身に失望していた方が大きかったのかもしれない。杉野さんの心情を読み取ることができなかった自分が腹立たしかった。
「杉野さんが、橘さんに自分の心の内を見せてくれたんだから、落ち込んでいる暇なんてないよ!これからが大事だから!!さあ、橘さんなら、どうやって杉野さんの不安な気持ちに向き合う?」
笹井さんは、いつもこうやって、落ち込んでいる私を、励ましてくれる。
決して落ち込んでいる私を攻めず、前向きに、どうやって課題を乗り越えればいいのか?のヒントを教えてくれる。
「杉野さんのリハビリ担当者や担当看護師、相談員と、今回の件を共有して、対応を検討したいと思います。個人的には、退院前カンファレンスで、ご家族だけに杉野さんの心情をお伝えする方がいいかと考えています…。」
【退院前カンファレンス】とは、患者が退院する際に、患者本人とその家族、病棟看護師やリハビリスタッフ、介護福祉サービスを提供するデイサービスのスタッフや、介護ヘルパー、車椅子や杖をレンタルしている福祉機器の担当者など、患者が自宅に退院した後に、病院での生活を通して、より良いサービスを提供できるように検討する会議の事である。大体、ケアマネージャーが看護師や相談員から、病院生活での様子を、自宅に帰った際の生活に落とし込み、サービスの提供プランを作ってきて下さる為、それを確認する場となる事も多い。
杉野さんの退院前カンファレンスでは、リハビリスタッフも同席し、病院でのリハビリの経過について報告する予定となっており、杖歩行の必要性や、外出時における注意点、コミュニケーションを取る上での注意点を報告するつもりであった。
「よし!そうと決まれば、しっかりお話ししてきてね!」
笹井さんからの言葉に、自然とメンチカツを掻き込んでいた。
…
……
………
ここは、リハビリスタッフが集まるスタッフルーム。
昼休憩後に、杉野さんの理学療法を担当している真田さんを探しに来たのだ。
「そう!とっても良いですよ!!しっかりと、鏡を見ながら…。」
と、外来患者に熱血指導をしている声が聞こえた先に居たのが、理学療法士の真田義昭さんだ。
真田さんは、身長が190センチもあり、非常にガタイがいい。元バレー部で、インターハイにまで出た実力者でありながら、膝の故障が絶えず、プロの道を諦めたとの話を聞いた事がある。そのため、大学生では、スポーツ医学を学びたい!と決意し、理学療法士の道を志したとのこと。
真田さんが熱血リハビリ(指導?)しているのは、最近、サッカーの試合で左膝の前十字靭帯を断裂してしまった高校生だ。
鳳来脳神経外科病院には、整形外科もある為、骨折や怪我、交通事故等の患者も診察している。
「よし!じゃあ、今日はここまで!」
真田さんのリハビリは、患者の気持ちを盛り立てる声掛けが特徴的で、リハビリ室を後にする患者は皆、自信に満ち溢れた顔つきとなって帰っていく。
【技術は見て盗め!】と、先人達の教えに則り、真田さんのリハビリを良く観察するようにしている。
「真田さん、お疲れ様です。少しお時間ありますか?」
外来患者が帰ったのを見計らい、背後から真田さんに声を掛けた。
「おう!橘!どうした?」と、言いながら振り返った真田さんは、先程のリハビリで、余程熱が籠もった指導をしていたのだろう、額に汗が輝いていた。
「実は、杉野さんの事なんですが…。」
本日の杉野さんとのリハビリの様子について、真田さんにも報告をした。
「そっか。杉野さんがな…。俺の前でも、そんな不安な気持ちを言ってくれた事は無かったなぁ…。」と、笹井さんと同様に、杉野さんの胸の内に、少し驚いていた様子だった。
「でも、橘、すげーな!杉野さんて、弱みを見せないというか、弱く見せようとしないというか…、なんか、かっこいい人だなって思ってたんだよな。ずっと、一家の大黒柱として、仕事を頑張ってきた人だから、弱みをそう簡単に見せてこなかったんだろうにさ…。橘は、杉野さんのその弱みを引き出したんだな!杉野さんのその部分を引き出せなかったまま退院してたら、在宅生活も上手くいかなかったかもな…。」
杉野さんの心情を察知できなかった事に後悔していたが、真田さんは、私が杉野さんの弱みを引き出したと言ってくれた事に、少し誇らしい気持ちになった。
「退院前に杉野さんの心情を知る事が出来て良かったです。そこで、真田さんにご相談なのですが、退院前カンファレンスで、ご家族だけに、杉野さんの胸の内を少しお話ししたいなと思っているんです。」
「それがいいな。きっと、杉野さんは、自分の気持ちをご家族に悟られたくないって思ってるだろうからな…。」
と、真田さんからも了解を得られたところで、担当看護師や相談員にも、同様の連絡をし、了解を得た。退院前カンファレンスが終了した後に、ご家族には部屋に留まってもらい、私の方から説明する事となった。
…
……
………退院前カンファレンス当日
「〜では、これにてカンファレンスを終了致します。ご家族の皆様には、この後、リハビリスタッフより、日常生活での注意点や対処方法などを具体的にご説明致しますので、このまま、お残りください。では、橘さん、お願い致します。」
事前の打ち合わせ通り、杉野さんや他の関係者を除いた、私と息子さん、そして奥様の3人だけが残った。
「では、日常生活面でご注意して頂きたい点をお伝え致します。」
と、杉野さんのコミュニケーション面について一通りお伝えした後に、
「最後になりますが、杉野さんは、私とのリハビリの時間で、退院後の生活について不安を感じている、麻痺が残ったせいで家族に迷惑をかけてしまうと、胸の内をお話ししてくださいました。この事は、秘密にしておいてくれと言われていたのですが、杉野さんをご自宅に迎えるべく、家屋の修繕や、お仕事の調整に奮闘されていたご家族の皆様には、お伝えしておこうと思いまして…。」
「父がそんな事を…。俺の前では、そんな弱気な発言や仕草はしてなかったのに…。」と寂しそうに息子さんが呟くと、
「流石のあの人も、自分の身体の変化には、気持ちが追いつかなかったんじゃない?自分が脳梗塞で倒れて、麻痺が残るだなんて、夢にも思ってなかったのよ。」
と、息子さんを励ますように、奥様が声を掛けていた。
「私も、奥様と同意見です。杉野さんは、今でも、自分のお身体の変化に、対応出来ていません。ご家族の皆様に、迷惑が掛かる事を、とても気にされています。ですが、退院後は否応にでも、ご家族の手助けが必要になります。退院した後に、ご自宅での生活を通して、迷惑をかけたくない気持ちが、より一層強くなってしまうかもしれません。でも、杉野さんだけではなく、息子さんも、奥様もきっと不安なお気持ちがあるかと思います。初めての経験ですから、不安になってしまうのは、当然です。」
「なので、些細な事でも、決してご家族だけで抱え込まず、今日のカンファレンスに出席したケアマネージャーや、デイサービスのスタッフに頼ってください。
皆さんで、変化を受け入れいていくには、時間と周囲の助けが必要となりますので…」
「俺も、母も、初めての事だらけで、多くの書類を書かなきゃいけなかったり、仕事の引き継ぎで分からないことも沢山あったりで、少し一杯一杯になっていたんです…。今日、皆さんのお話を聞いて、俺と母だけで戦わなくても良いんだ、我慢しなくてもいいんだ、と思えました。父の気持ちも十分に分かりました。
あんな親父でも、弱いところあったんだなって、少し安心しました。」
「主人は、昔から、弱い姿を見られるのが嫌いな人でしたから、きっと入院中も、リハビリを一生懸命に頑張っていたのも、周りに弱いところを見せたく無かったんでしょうね…。意地っ張りがいつまで続くか、見ものです。」
と奥様が言うと、息子さんが「楽しみだな。」と続き、意地悪な笑みを浮かべられていた。
(息子さんや奥様は、杉野さんをしっかりと受け入れようとしてくれいるんだな…。)と、息子さんや奥様の発言から、家族の見えない強い絆が垣間見えた気がした。
…
……
………退院当日
「杉野さーん!おはようございます!」
退院のご挨拶をしに、杉野さんのお部屋に伺うと…
「あ、おはようございます!」と、息子さんが荷造りを手伝っていた。
「杉野さん、息子さんが手伝いに来てくださったんですね!」
「良いって言ったんだけどな…。」と、少し照れ臭そうに呟いていた。
その後、真田さんも挨拶に来られ、エレベーター前まで一緒にお見送りをする事になった。
「もう戻って来ないでくださいね!」と、私が杉野さんに声を掛けると、
「え…?」と寂しそうな表情をされていた為、
「私が杉野さんともう1度お会いするという事は、リハビリが必要な状況であるという事なので、お元気で過ごされてください!」と慌てて補足すると、
「そっか。」と納得されたので、ほっと胸を撫で下ろした。
息子さんが両手に大きな荷物を持ち、奥様が杉野さんを横を寄り添うように歩く。
担当看護師と息子さんと奥様、そして杉野さんがエレベーターに乗り込む。
エレベーター前で手を振る私に、「ありがとな。」とボソっと呟き、エレベーターの扉が閉まった。
私は、このエレベーターでお見送りする瞬間が、1番安堵する時間だ。
入院中の予期せぬ怪我や脳梗塞の再発、誤嚥性肺炎や感染症に羅漢する事なく、自宅へ退院される姿を見る事が、医療従事者として、【最高の瞬間】である。
だが、その【最高の瞬間】は、【貴重な瞬間】に置き換わっていく事を、
新米言語聴覚士だった当時の私は、まだ知らなかった…。
一緒にランチしませんか?〜新米言語聴覚士編〜 @suwwsann
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