第4話 隠そうとした想い
杉野さんは、ナースステーションから少し離れた4人部屋に居る。
コンコンと、いつも通りノックをしながら入室する。
「おはようございまーす!」
ガラッと扉を開けると、
「おはよう!橘ちゃんか!」
「おおー、今日は早いな!」
「寝坊しなかったか?」
と、杉野さんの同室の3人から声を掛けられる。
その3人に挨拶を返しながら部屋に入り、1番奥のベッドまで向かう。
「杉野さん、おはようございます!」
「お、おはよう。今日も、あ、んー、げ、元気だな。」
と、言葉の出辛さが感じられる話し方をされているのが、杉野さんだ。
(良かった…。顔色は悪くないな…。)と、朝食の摂取量の少なさを、体調不良によるものか?と推察していた為、顔色の良さにホッとした。
「元気しか取り柄がないので…。今日から、笹井さんから担当を引き継ぎまして、私が担当させて頂く事になりました!よろしくお願い致します!」
「おお。きょ、きょ……、今日からか。よろしくな。」
「では、リハビリ室へ、向かいましょう!心エコーの検査があるので、10時までには、こちらのお部屋に戻ってきます。」
「わかった。」
(いつもと変わらないな…。)
挨拶から受け答えまで、特に普段と違うと感じる場面が見られなかった為、
リハビリ室へと一緒に向かう事にした。
杉野さんが杖を持ち、ベッドから立ち上がった瞬間に、「バサッ」という物音がした。
物音の方に目をやると、一冊の雑誌が落ちていた。
「杉野さん、雑誌を落とされましたよ?奥様が持ってきてくださったんですか?」
杉野さんは、新聞をよく読んでいるが、雑誌を読んでいるのを見かけた事が無かった為、ご家族が持って来たものだろうと思って聞いてみると、
「いや、これ、これ、これは、買ったんだ。」
「あ〜、売店で買われたんですね?」
と聞き返すと、少し照れ臭そうに頷いていた。
杉野さんが購入した雑誌は、有名女性週刊誌で、芸能人のゴシップネタや、時事ネタ、世間を賑わせている話題が多く掲載されている。対象となる性別や年齢層を考慮している為、スイーツ情報も多く取り上げあげられており、牧副主任も、売店でよく購入している姿を見る。
「珍しいですね?女性週刊誌を購入されるなんて…。」と聞くと、
「これ…。」と、杉野さんが、雑誌の1ページを指差している。
(ん?これは…。)
そのページには、とある家族が、同居している高齢者の介護負担が原因で、主介護者である息子さんが自殺してしまったという記事だった。
このような事件は、「いつ起きてもおかしくない」現状がある。
【自宅で介護をするという大変さ】を、色んなメディアを通して、見聞きするようになり、その現状を知る機会が増えているものの、【自宅で介護をしている者にしか分からない苦痛がある】という事を、私は肌で感じていた。
私の祖父も、車椅子無しでは生活できない状態になってから、約10年ほど経つ。家族が家族の介護をするという現実が、如何に大変で、想像を絶しているか…。この記事を読むだけで、胸が締め付けられる。
「杉野さん、この記事を読まれていたんですか?」
「あぁ…。あー、んー、話したいんだ。これを。」
と、雑誌の記事を指差しながら、私に何かを訴えて下さる。
恐らく、この記事の内容について、何か話したい事があるんだなと推察し、
リハビリ室へと移動する事にした。
言語聴覚士には、リハビリに使用する為の個室がある。
コミュニケーションに障害を持っている方は、読み書きや、絵カード、音読をして頂いたりと、言語障害のレベルに応じて、リハビリで実施する課題を選んでいる。集中して実施できる環境を提供する必要があり、病院の施設基準において、
部屋の広さが決まっている。リハビリの際にも使用するが、言語障害の段階を判定する為の検査や、知能検査、認知症の検査等も実施する。
集中できる環境でのリハビリも必要であると考えるが、個人的には、非日常的な空間である個室でのリハビリが適応でないと判断する患者もいる為、大広間や食堂で実施する時がある。
杉野さんは、脳梗塞の後遺症で、課題に集中する時に、人の話し声や物音に注意が逸れてしまう為、個室でのリハビリを実施している方だ。
リハビリ室へ移動し、椅子を引きながら、
「杉野さん、先程の雑誌の記事ですが、何か思うところがあるようですね。」
と、雑誌の話を切り出した。
「俺、ずっと、考えているんだ。あー、んー、帰っていいの?って」
「ご自宅へ戻られる事に、不安を感じておられるんですか?」
「うん。」
「それは、どうして?」
「だってさ、俺、身体がこんなんだし…、帰ってもさ…。」
「脳梗塞を発症する前と、今のお身体を比べているんですね。」
「そう、何も出来ないよ。」
杉野さんは、暗い表情で、膝を見つめるように、項垂れていた。
(なるほど…。朝食の摂取量が少なかったのは、これが原因か…)
歩行する際には、杖が欠かせない状況であるが為に、不整地である畑や田んぼの上では、転倒するリスクが非常に高い。
歩行のリハビリを担当している理学療法士の先輩から、平地を選んで歩行し、杖を使用するようにと、指導を受けていた。
退院後の生活に関しては、杉野さんの強い希望により、退院後も農家の仕事が出来るように、入院期間中に環境調整を行なってきた。畑や田んぼの作物の管理は、ご家族が引き継ぐ事となっている。
杉野さんが不安に感じないように、現在の身体機能と希望されている生活様式を安全に実現できるように、丁寧に聞き取りを行い、退院調整に時間を掛けてきた為、この時期に不安を感じておられる事に、少し驚いてしまった。
「退院への不安感は、急に出てきたんですか?」
「これ、読んでから。」と、雑誌を指差した。
「この記事を読んで、どういった事が不安に感じますか?」と尋ねると、
「せがれとさ、か、か、んー、かあちゃん。」
「杉野さんのご家族が、この記事に書かれているような状態に発展するのではないか?という事が不安なんですね?」
「うん…。迷惑かけてるって。」
いつも明るく、リハビリにも前向きな杉野さんが、ネガティブな発言をされるのは、今回が初めてだった。
「杉野さんが不安に感じるのは、当然な事だと思います。お身体が倒れる前と大きく変わっている事、生活スタイルの変化等、全てが一気に変わってしまったのですから…。誰でも、変化を受け入れる事は、時間が掛かります。ですが、杉野さんには、その時間を共有してくれるご家族が居ます。杉野さんが不安なお気持ちを、受け止めてくれる方々が居ます。」
「退院まで、杉野さんの不安を少しでも解消できるように、精一杯、私達リハビリや病棟スタッフがお手伝いさせて頂きます。少しずつでいいので、一緒に受け止めていきましょう。」と杉野さんに伝えると、
「よし…。分かった。」と、頷いてくださった。
「では、今日も、先週の続きから、初めて行きますね?」
用意していた課題を一緒に行いながら、頭の中では、【杉野さん不安解消大作戦】の構想を練っていた。
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