第3話 予兆

朝礼終了後に、笹井さんから声を掛けられた。


「今日から、独り立ちだね!何かあったら、ピッチに電話かけてきてね!」


「はい!よろしくお願いします!」


今日から、笹井さんが担当されていた患者さんを数名引き継がせて頂く形となっている。


鳳来脳神経外科病院は、1階は外来診察室や検査科、リハビリテーション科、薬剤科、受付等があり、2階から4階が入院病棟となっている。2階が急性期病棟、3階が回復期病棟、4階が療養病棟と分かれており、私は、2階と3階の病棟患者さんを数名引き継がせて頂いた。


「では、橘さん。今日から、患者さんをお願いしますよ?新人といえど、学生ではないんですから。笹井さんばかりに頼らず、自分で考えて行動してくださいね?」

と、嫌味とも取れるような言葉で激励してきたのは、言語聴覚士の篠原三郎さん。リハビリ科で最年長のスタッフではあるが、経験年数は、牧副主任と同じである。


「医療従事者あるある」なのが、経験年数と実年齢が比例しないという点で、

4年生大学を卒業後、一般企業に就職したが、養成校に入り直し、資格を取得する人が非常に多い。その理由は様々で、「手に職をつけたい」「誰かの役に立てる仕事に就きたい」等が多い。私が通っていた大学にも、社会人経験者が数名在籍しており、中には、助教授と同年齢の学生も居た。


篠原さんも、社会人経験がある方で、礼節には厳しく、院内に設置されている接遇委員会の委員長を務められている。日々の業務の中で、直接指導して頂けるのは非常に有難いのだが、「新人のうちは、休日なんかないと思いなさい。論文を朝から晩まで読んで、勉強し続けなさい。無知は恥です。患者さんに迷惑にならないようにすること!」といったように、プライベートの過ごし方まで指導(?)してくる…。


「はい!精一杯、頑張ります!」

と返事をし、走って3階病棟まで駆け上がった。


「はぁ…。逃げれた…。篠原さんに言われなくても、分かってるっての…。」

周囲に誰も居ない事を確認してから、ボソッと愚痴を吐く。

1階のスタッフルームから、一気に階段を駆け上った為、呼吸を整えてから、ナースステーションへと向かった。


ナースステーションに到着すると、朝の申し送り中だった為、邪魔にならないようにそっと入室し、担当する患者の受け持ち看護師と、患者の検査予定等が記載され記載されているホワイトボードを確認する。

看護師によっては、入退院等のフォロー、担当する患者の検査の有無で、バイタル計測の順番が変わる事も多い。

次に、担当患者の検査予定を確認する。担当する患者によっては、検査の予定や、担当医師の回診等があり、リハビリの実施時間を調整する事も必要となる。受け持ち看護師やその担当患者の予定を把握する事も、重要な仕事の1つである。


ホワイトボードを確認しながらメモを取っていると、ナースステーションが賑やかになってきた。


「橘さん、おはよう。今日は、杉野さんのリハビリ何時に行く?」

と、声を掛けられたので振り向くと、看護師の角田さんが、血圧計や記録用紙が乗っている巡回用カートを押しながら、こちらに近付いてきた。


「あ、おはようございます。杉野さんて、休日中、何か変化ありました?」


「特に何も無かったかな…。あ、でも、今日の朝ごはん、8割位しか食べれてなかったな…。」


「あの杉野さんが?心配ですね…。分かりました。少しお話伺ってみます。これからリハビリにお連れしても良いですか?」


「いいよ!でも、10時までには戻ってきて欲しいかな〜。心エコーの検査あるから。」


「承知しました!10時までに戻ります。」


よろしくね〜と言いながら、角田さんはナースステーションを出て行った。

角田さんは、回復期病棟の看護師で、お子さんが2人居るママさんだ。

新人の私にも、優しく接してくださるので、本当に有難い。


「今日は角田さんが担当か…。」と、内心ほっとしながら独り言を呟くと、【杉野弘】と書かれてあるカルテを手に取る。


電子カルテを導入している病院も多いが、この鳳来脳神経外科病院は、未だに紙カルテが主である。入院費請求やリハビリの実施記録用のソフトは電子カルテ化している為、記録の手間は省けるのだが、検査結果や日々のバイタルは、紙カルテで確認しなければならない。


ぱらぱらとカルテを捲ると、休日に出勤していた看護師の記録を見つけ、手を止める。

(土日は、特に何もなかったようだな…。)

体調の変化等がなかった事に安堵し、現病歴のページへと視線を向ける。


杉野 弘 年齢:76歳 性別:男性 職業:農家

20XX年2月2日16時39分頃、自宅の玄関先で倒れて動けなくなっている所を、同居している家族が、仕事から帰宅した際に発見し、119番通報後、当院へ救急搬送された。脳のMRI画像にて、左被殻に脳梗塞が見つかった為、入院加療となった。右半身に麻痺が残存したものの、杖での歩行が可能なレベルまで回復した。失語症も発症しており、徐々に症状が改善していたものの、言葉を発しようとする瞬間に言葉が出づらくなる【換語困難】という症状が残存していた。

1ヶ月後には自宅への退院が決まっている。私は、退院までリハビリを継続しながら、杉野さんのご家族へのコミュニケーション方法についての指導を行う予定となっている。


病室まで移動する間に、角田さんから教えてもらった、杉野さんの朝食の摂取量について考えていた。

農家である杉野さんは、野菜やお米、漁業関係者にも知り合いが居るようで、「出された食事を残すのは、作り手に失礼だ」と言い、提供されていたお食事を、残さず食べていた。

(そんな杉野さんが、8割しか摂取していないなんて…。何かあったのだろうか?)

若干、不安な気持ちになりながらも、杉野さんの病室をノックした。


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