最終話 聖地巡礼の旅
あの夜、俺たちは…………。
吉祥寺のロマンチックなムード漂う街中にいた。百貨店裏の通りを年甲斐もなく腕を絡ませて歩く。廻りに見えるのは寄り添う若い男女のカップルばかり。
近くには虹色のネオン輝く宿もある。里美の大好きなシャンパンに付き合い、ほろ酔いかげんで彼女にもたれかかる。もうとっくに終電は終わっていた。
「イブの夜ぐらい、帰りたくないから」
里美の甘い囁きが耳元に届く。
「両親は心配しないのか」
「大丈夫だよ。もう、大人だもの」
彼女には笑みがこぼれる。
イヴの夜は宛もなく
ほんのわずか一年前なのに、今では夢のようだ。いじわるな神さまは日めくりカレンダーをさらに捲ってゆく。
──── 故郷の春景色が見えてくる。
仰げば尊し、我が師の恩……。
おんぼろの学舎がはっきりと見える。
子供達が満開の桜を眺めている。太っちょな男の子とえくぼが可愛い女の子だ。卒業証書の丸い筒を抱え、小川沿いの並木道を駈けだしてゆく。
何処へ行くのだろうか。かわいい姿に見惚れてしまう。鎮守さまのお堂が近づく。女の子が手を振りながら、「早く、早く」と叫んでいる。もう、目の前で戯れる彼らが誰なのか分かっていた。
何故か、小学生の頃にタイムスリップしている。なんと、二十年近く前の世界である。次第に記憶がはっきりと甦ってくる。
「
里美は桜の木を指差している。
「ダメや。あの青もみじの近くだ」
「どうして?」
彼女はキョトンと首を傾げる。
「もみじは二度咲くやろう」
「何それ? わかんない」
里美は不思議そうな顔をする。
「春は青、秋は赤くなるんや」
母親の言葉を鵜呑みに自慢してゆく。
「もみじって、綺麗やなあ」
「母ちゃんも、言ってたでぇ」
「おばちゃん、なんと?」
でも、伏し目がちとなり言葉にならない。母親にはもみじが恋を二度呼び込む魔法の木だと言われていた。
少女は手袋人形を操り、切り株の上で即興劇を始める。武蔵野の森パペット劇場の始まりだ。
「昔々、森には小太りの豚とおしゃまな子羊がおりました。豚さんの名前は正ちゃん。羊さんは里美ちゃん」
いつも、里美のおしゃまな紹介から始まった記憶がする。
「豚さんの夢は何や?」
子羊が神妙な顔で聞いてくる。
「夢……か?」
「神さまが叶えてくれる夢だよ」
子羊は空に漂う雲を見上げて口にする。
「羊さんは、何や?」
「ずる~い。先に言うのは豚さんでしょう」
おしゃまな羊にいなされてしまう。
「汚ねぇの」
「こういうの、何かドキドキするね」
「子羊と結婚することかな」
もじもじして、やっと言葉にした。
「うちお嫁さんになるんや」
女の子には笑顔が浮かぶ。人形に扮して、いつも他愛ない戯れを繰り返していた。終わると、お堂の神様の膝下に隠してくる。幼い頃から里美の方が大人びていたらしい。
────暫くまどろんでいたようだ。
目覚めると、都会の朝焼けを間近にしている。初めて見る景色となる。なんと、美しいのだろう。遠くには、田畑が広がる自然豊かな風景が見えてくる。やっぱり、大切なものを忘れていたのかも知れない。
フッとため息をつく。こんな仕事は二度とやりたくなかった。終業時間と共にオフィスを飛び出してゆく。
既に始発電車は動いているはず。行先は里美の実家となる。なりふりなどかまわず、急いで東武東上線の急行に乗り込んだ。
もう一度、彼女と会いたい。お金よりも大切なものを見つけていた。あの森に行って、忘ていた言葉を伝えたい。
「一番好きなのは子羊や。里美、俺と結婚してください!」
俺は彼女との夢を諦めてはいない。車窓からは高層ビル群が消えて、武蔵野の田園風景が広がってゆく。
《 完 》
むさし野の森に残した純愛ラプソディ 神崎 小太郎 @yoshi1449
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