喫茶店オルゴールの日常

 まるで呪いが掛けられているかのように雨で煙る日々が続く東京。

 そんな都市の片隅にある喫茶店オルゴール。客たちが去った閉店後の店内を清掃するエプロンを身につけた青年が二人いる。

 その一方が、光の加減で赤みを帯びる長い銀髪の先で円弧を描きながら、もう一人の青年に目を向けた。

「――やっぱさ、花がないよね、花が」

 長い銀髪の青年――律はモップをとんっと床に押し付け、仕事の相方である節に顔を向ける。

「いきなり何の話だ?」

 話しかけられて、節は布巾を絞る手を止める。

「だってさ、喫茶店だよ? むさい男二人だけって、花がないじゃん」

 律はもっともらしい口調で胸を張る。

「お前さ、毎朝鏡をちゃんと見ているか?」

 くだらないと言いたげに告げると、カウンターの周囲の拭き掃除に取り掛かる節。手を止めるだけ無駄だと考えたらしい。

「接客業やっているんだから、ちゃんと身だしなみは整えているよ!」

 当然じゃないかと言わんばかりのきっぱりとした台詞。律はわずかに頬を膨らませる。

「そういう意味じゃない」

 説は一瞬だけ手を止めると、顔だけをちらりと律に向ける。

「なんでその見てくれで男なんだよ。銀髪のさらさらストレートも反則だろ」

 ため息。そして作業再開。

「やだなぁ、せっちゃん。これは地毛だって知っているくせに。一緒にお風呂にも入ったじゃない」

 さりげなくモップを壁に立てかけ、律は自分の長い髪の一房を取って見せ付ける。

「確かにお前は立派な男だ」

「そう言いながら、頭の中で僕にメイド服着せるのやめてくれない?」

 指摘されて、節はむすっとする。《風読み》の力を使って意識を同調させ、律に思考を覗かれたことに少々腹が立ったのだ。

「その辺の女の子よりも着こなせると思うが」

(変な意味じゃなくて、見た目のイメージで、だぞ?)

 節は自分の思考を紛らわすために言い訳を心の中で呟く。

「やだやだ。アキラやカヅミンじゃあるまいし」

 髪をさらりと払って律は肩をすくめる。

 そのタイミングで、ドアに付けられたベルが高い音を立てて鳴る。扉を開けて顔を出したのは、先ほど律が話題に名を出したアキラだった。

「俺だってメイド服は着ないぞ、風宮。変なことを言わないでくれ」

 予期せぬ来訪者に節は一瞬目を丸くして、そして営業用の笑顔をアキラに向ける。

「あ、いらっしゃーい」

 律はアキラの台詞に不満げに頬を膨らませる。

「えー。だって、カヅミンから聞いたよ? 営業のためにミニスカサンタの格好したって」

「したのはあいつと、悪乗りしたイヲリさんだけだ!」

 大きな声で心外だとばかりにアキラは否定する。

「えー。結構期待していたんだけどなぁ。この店の花になるんじゃないかと思ったのに。ユウちゃんはノリノリでやるんじゃない?」

 律は良いことを思いついたとばかりににこにことしながら言う。ユウと言うのはアキラの家で預かっている子どもで、中性的な顔立ちの可愛らしい少年だ。何度かオルゴールに顔を出しているため、律や節とは顔なじみである。

 そう言われたアキラは、不愉快そうに眉を寄せる。

「その話、絶対にカヅミにはするなよ? あいつはやりかねないからな」

「わかった。後でちゃんと電話しておくよ――って、冗談だから、本気で怒らないでくれる?」

 アキラから発せられた怒りのオーラに気付いたらしく、律は慌ててなだめる。アキラが本気を出したら、律では対応しきれないのだ。

「――しかし、音名が言うのもわからんでもない。この店に女の子のバイトが入らないのは、風宮の隣に並ぶことに抵抗があるからだと言うもっぱらの噂だしな」

 冗談を冗談で返してやる。律が自分の容姿について言われるのを嫌っていることを知っての厭味である。

「いや、正確にはりっちゃんが《風読み》の力を悪用して追っ払うからだ」

 冗談を真に受けて返す節。しかし、そこであることに気付いて手を止める。

「――つーか、杉本、お前どのくだりから聞いていたんだ?」

 場合によってはまずい発言をしていたような気がしないでもない節は、うっすらと汗をかきながら問う。

「花がないよね、発言辺りから。《観賞少年》は耳もいいんだぜ?」

 にやりと口元の端に笑みを浮かべながらアキラは答える。その返事に、節はがっくりとうなだれる。聞かれたくないジャストな部分から聞いていたことにショックを隠せない。

「そ、そっか。で、何の用だ?」

 気を取り直すために節はアキラに問う。

「近くを通りかかったんで、アップルパイの予約をしようかと。ここのは格別だからな」

 彼の台詞は社交辞令で言っているのではなく、アキラはオルゴールで作っているアップルパイが好物なのだ。こんな感じで用もないのにふらりと注文に現れることは珍しいことではない。

「まいどー」

 節はアキラが訪ねてきた他の理由に《風読み》の力で察していたが、言いたくないことを言わせるのはスマートじゃないと黙っておく。

 しかし、隠し事が嫌いな律は黙っていられなかった。

「別件があるならはっきりそう言えば? 僕たちにはどうせ筒抜けなんだからさ」

「お前さ、《風読み》の力使って相手がわざわざごまかしたことに突っ込みを入れるなよ」

 せっかくの気遣いを無視されて、節は律に注意する。

「だってだって、わざとらしいんだもん、杉本のって。そういうところが僕は嫌いなんだよね」

 むすっとしてアキラを睨む。律とアキラは同じ高校出身の同窓生で節と比べて長い付き合いであるのに、どうにも仲が悪い。

「別に好かれようと思っちゃいねーよ。仕事の都合さえなけりゃ顔合わせたくねーのに」

 アキラは負けじと律を睨む。

「だったら電話でもメールでもいいじゃん。それなら僕の能力に触れずに済むんだし」

「上の命令だから仕方なくやってんの」

 このまま放置していたら不毛な言い合いが続きそうだと察した節は、ため息をついて割って入る。


「はいはい、そこらでおしまい」

 二人の間に割って入って視線を外させる。

「なんでお前らはそんなに仲が悪いわけ? 俺よりも付き合い長いんだから、距離感と言うものを掴むべきだと思うが?」

「俺としては、こいつと仲良くやっている音名のほうが不思議だが?」

 意味深長な視線を節に向けるアキラ。その視線の意味は《風読み》の力などなくてもわかりやすい。元からアキラは素直すぎて隠し事のできない性格なのだ。

 そこですかさず節はぴっと挙手して告げる。

「いや、実はそこまで仲良くはない。毎日振り回されてこっちはへとへとだ」

「えぇっ! そういうこと言うっ?! せっちゃんは僕の味方だと思ったのに」

 その台詞に、律は目をまん丸にして節を見る。

「わがまま言い放題、へそを曲げるとすぐごねる、能力使ってお客を追い出す――そのフォローをやっているのは全部俺だ」

 両手を腰に手を当てて指摘する節。言いたいことはごまんとあったが、いちいち挙げるのも面倒なので適度に端折る。律に振り回されるのにはほとほと嫌気がさしていたのだ。

 節の真に迫った台詞に、アキラは不思議そうな顔をする。

「そこまで言いながら、どうして去らないんだ? 大体、俺らの仕事にまで付き合う必要もないだろう? 風宮にはメリットがあっても、お前にはないんだから」

 律にはある目的があってオルゴールを経営し、《観賞少年》らが引き起こす事件に関わりを持つことをよしとしている。それはアキラだけでなく、オルゴールを出入するほかの《観賞少年》たちも知っている話だ。

 一方、節は律のような理由が別段あるわけではない。律に会うまで、《観賞少年》と呼ばれている社会の穢れの象徴とは全く関わらない人生を送ってきた節にとって、日常に戻ることは悪いことではない。むしろ、そのほうが節にとって良いはずなのだ。

 なのに、そうしない理由は。

「そ、それは……」

 ちらっと律を見て、節は思い出す。彼を初めて見かけた日のことを。紅葉した森の中、バイオリンで悲しげな旋律を奏でる律の姿が脳裏を過ぎる。

「――この店は好きだからな」

 あえて律の名を出さず、節はごまかす。オルゴールで働くことが好きなのは事実であるが、それはここにこうして立っている理由にはならない。

 そんな節から気持ちを察して、律が続ける。

「お客さんが喜んでくれるのを見るのは楽しいし、励みになるもんね。杉本がアップルパイを贔屓にしてくれるのも嬉しいよ?」

 ここぞとばかりにスマイル。節の気持ちが悟られないように、律は話の矛先を変える。アキラには節との出会いを知ってほしくなかったのだ。なぜならそれを知られることは、自分が《観賞少年》に荷担する理由を知られることと同義であったから。彼は誰にもその理由を教えたくなかった。

「……やっぱ、お前ら気持ち悪いわ」

 アキラは二人の心の機微には気付かないまま、口元に手を当てて視線を外す。

「邪魔して悪かった、出直す。用件はアップルパイを取りにきたときにな」

「了解ー」

 突っ込まれたくないことを聞かれずに済んでほっとした律は、にこにことしながら答える。

「んじゃ、また」

 アキラはあっさりとドアを出て行く。

 あまりにもあっさりと出て行ってしまったので、節は見送りながら疑問を口にした。

「――で、あいつの用件は何だったんだ?」

「いつもの野暮用じゃない?」

 律は笑う。節からも問われてはいけなかったので、必死の演技を続ける。こうしていれば、察しの良い節がなにも訊ねてこないことを律は知っているのだ。

「俺らがちゃんと仕事しているかの偵察、ね」

 どうでも良いと言いたげな気だるさを吹き払うため、節は大きく伸びをする。仕事が中断されていたので、掃除はまだだいぶ残っている。

「さっさと片付けて帰ろうぜ」

「うん」

 モップの作業に戻って、律は話がどこから脱線していたのかを思い出す。

「あ、でも、メイド服は着ないからっ! 妄想も禁止だからね!」

「だったら、お前も俺に執事の格好させるのを考え直せ」

 アキラに指摘されなかったことに胸を撫で下ろしていた節であったが、現在執事のコスプレ中なのは確かなことだ。日中、お客の中心である女子高校生たちにもみくちゃにされたことを思い出してげんなりする。

「えー、結構女の子に評判じゃん! 接客するときくらいそれでいこーよ。もう宣伝しちゃったし、売り上げ伸びているし」

 言って軽くウインク。明らかに他人事として楽しんでいる。ちなみに衣装はカヅミのお手製である。

「ふ、不公平だ……」

 うなだれて、しかし節はがばっと顔を上げる。

「ならば、メイド服着て売り上げが変わるかどうか試してみないか?」

 節の提案に律はぎょっとして、ぷいっと顔をそむける。

「やらない。ぜったいにやらない。強行するなら仕事に来ない」

 きっぱり。絶対に首を縦には振るまいという姿勢が見て取れる。

「……わかった」

(今度カヅミさんに連絡しよう)

 心の中での決意。この手のイベントが大好きなカヅミならきっと手を貸してくれるだろうという期待がこもる。

「う、カヅミンの手を借りるのは反則だからね!?」

 節の思考を感じ取り、律は慌てて叫ぶ。

「いやー、あの人ならきっとやってくれるよね。この衣装を用意してくれたのも彼だったし」

 にやりと笑みを浮かべ、ポケットから携帯電話を取り出す。

「やだやだっ! せっちゃん! 僕を売るつもり!?」

「先に俺を売ったのはどこのどいつだ?」

 これは仕返しだ。節は迷わずに電話をかける。

「あ、もしもし? 音名ですけど、こんばんは」

「いやぁぁぁやめてぇぇぇぇ!」



 数日後、不機嫌なメイドがカメラ片手の女子高校生(オルゴールの客)を追い出して回ったと言うのはまた別の話。


《終わり》

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喫茶店オルゴールの日常 一花カナウ・ただふみ @tadafumi

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