金魚とお祭りの追憶

高黄森哉

思い出


 赤い風車かざぐるまが、


 回った。


 僕には思い出があった。


 それをぼんやりと思い出したのは、


 冬の神社の階段に差し掛かった時だった。


 足元を、


 赤い小さな金魚が泳いでいる。


 背の高い僕の視点では、豆粒のように小さく、


 危うく見逃すところだった。


 飾り気のない魚は、


 りんご飴のように、赤い魚。


 その形容を、ぴったりと当てはめたとき、

 

 僕のなかで、まだ、ぼんやりとしかなかった、思い出の灯が、


 ぱちぱちと、音を立て、


 燃え始めた。



 *



 屋台がならんでいて、


 赤い提灯が屋台の傍に並んでいる。


 僕の隣には、幼馴染が居て、


 赤い着物を、ひらひらとさせながら、


 真っ赤な唇で、りんご飴にキスをしている。


 ほっぺたは、赤く上気していた。


 夏だからだ。


 蒸れた空気が、屋台の匂いを、濃く色付けしているのは、


 夏だからだ、


 夏だから。


 *



 僕の先を泳ぐ金魚に導かれて、


 階段を登るたびに、金魚は増えていった。


 その着物のような、ひらひらを、左右に振って泳ぐ魚。


 生き物は次から次に、石の階段から、雫のように生まれては、


 同じ方向へ頭を向け、泳ぎ出した。


 階段の先になにがあるのだろう。


 思い出は、まだ燻り、


 新たに、赤い幻燈を見せ始めた。



 *



 たこ焼きの屋台の、赤い看板が目に入る。


 屋台のおじさんは、ゆでだこのような、赤ら顔だ。


 幼馴染と僕は、そこで、タコ焼きを買った。


 かぶりついた断面に、蛸の足が見えた。


 サメ釣りをした。


 ぽっかりと開いた口からくじが引き出される。


 当たったのは、赤の水風船だった。


 最後に僕たちは、金魚すくいを始めた。


 たくさんの金魚を、捕まえ、


 僕たちは、


 帰る支度を始めた。



 *



 夢中になって階段を登るが、


 階段は僕を責めるように見下ろしている。


 とても、長い長い階段。


 階段を踏むたびに、


 足元の金魚は増えた。


 おびただしいことおぞましい、金魚の群れが、


 階段を登る。


 金魚を踏んでしまうことが、時々あった。


 柔らかい身の下に、繊細な骨のもろさがあり、


 その感触が、靴底越しに、


 足の裏をくすぐった。


 この先だ、


 この先の踊り場だ。



 *



 幼馴染が、


 金魚の入ったビニールを左手に下げている。


 手を大袈裟に振るから、


 金魚がかわいそうだ。


 右手には、りんご飴を持っていて、


 夏を実らせている。


 長い長い階段に、僕たちは差し掛かり、


 一歩一歩、階段を踏み、


 眼下に、踊り場が見えてきた。



 *


 

 僕の行く手に、


 かつての僕と少女が、踊り場を目指している。


 来ちゃだめだ、と叫ぶのに、


 届くはずもない。


 もう届かない、届くことのない、


 叫びを上げ続ける。


 にわかに目の前が真っ赤に咲いた。


 金魚たちが、


 踊り場に集まり、


 なにかを、ついばんでいる。



 *



 幼馴染が、踏み外したのは、


 一瞬の出来事だった。


 その滑落は、


 踊り場でうずくまるようにして、止まった。


 頭から、赤い赤い血が、


 流れ出て続けている。


 透明な袋は破れ、


 金魚たちが、階段に投げ出された。


 死骸が、赤い、花びらみたいだ。


 突如として、世界が赤く照らし出される。


 夜空に、


 赤い花火が開いたからだ。



 *



 ずっと、そこにいたんだね。


 ずっとそこに、


 ずっと、そこにいた。


 声を掛ける、


 うずくまる、幼馴染の姿。


 赤い和服が、


 金魚の尾っぽのように、綺麗に開いていて、


 細く白い足が垣間見える。


 幼馴染は、生きているはずもなく、


 死んでいた。


 顔を見ると、目は金魚のように無機質で、


 あんなに姉に思えた顔立ちは、


 今となっては、少女にしか見えない。


 彼女だけ時が止まり、僕の時だけが回ってるのが、


 強く強く、


 感ぜられた。



 *



 救急車の赤灯が、辺りを周期的に染め、


 真っ赤な叫び声は、


 泣き声なのかもしれない。


 赤子のような、


 生まれたての叫びは、


 だれのものなのか、見当もつかない。


 僕の泣き声は、


 聞こえない。


 僕は、そのかわり、


 忙しなく、口をしゃくりあげ、


 今にも、窒息しそうだ。


 まるで屋台の、


 エアーもなく、


 ぎゅうぎゅう詰めにされて、


 今にも酸欠になりそうで、水面を求めもがく、

 

 金魚のように。



 *



 そうだ、


 僕には幼馴染が居て、


 彼女は、階段から足を踏み外して、


 死んだ。


 まるで、屋台の金魚のような、


 命の軽さで、


 彼女の命は、流れてしまった。


 忘れていた、


 記憶の帆脳ほのおは、


 僕の前で、


 責めるのでもなく、


 ただ、


 舌を出し、


 へらへらと笑った。



 *



 金魚、


 金魚、金魚が、


 金魚が、いる。


 過去と今がまじりあう、


 この踊り場で、死んだのは、


 彼女だけではなかったはずだ。


 巨大な金魚が、


 死んだ魚の目で、僕を責めるように、


 見下ろしていた。


 激怒の炎が、めらめらと爆ぜた。


 ごめんなさい、


 僕達人間は、


 屋台で、


 遊びで、真っ赤な命を、


 ないがしろにします。


 そう言いかけて、


 だからどうした。


 その宣言が、どこを、どうして、


 つぐないになるのだ。


 お祭りで死んでいった、金魚の命に、


 人間の為せる、つぐないのうち、


 一体なにが、


 償いになるという。


 幾千の赤い粒が、押し寄せて来た。



 *



 そのとき、


 道の両脇に沢山生えている、赤い風車が、


 一斉に、音を立てた。


 金魚は、もう、どこにもいなかった。

 

 その代わり、


 踊り場の彼女も、また、


 消えていた。


 石畳に、当時の血痕は、一つもなく、


 彼女など最初から、いなかったかのようだ。


 最初から事故なんて、無くて、


 幼馴染なんていなくて、


 だけど、


 ここまでの道にある、赤い風車が、


 僕の思考に、静かに、


 かぶりを振った。


 はじめ僕は、この体験が、


 幻覚だと思った。


 だけど、そこには、小さな金魚の死体が、


 一匹、あって、


 まるで、さっきまで生きていたかのような、新鮮さで、


 赤い風車かざぐるまが、からからと音を立てた。


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金魚とお祭りの追憶 高黄森哉 @kamikawa2001

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