キツネの嫁入り

葱丸

キツネの嫁入り

 バスは山道を征く。車窓からは遠く、石垣に腰を掛けた少女が見えた。それがなぜか、とても魅力的に映った。

 

 駐車場につくと、彼らはぞろぞろと降りていく、来た道からは更に4、5台のバスが入ってきている。全員がバスから降りるまで、皆思い思いに固まっている。僕にも知り合いは何人かいるのだが、声をかけることはしなかった。夕日が山の向こうに沈んでいくのを見ていた。


 視線を山の入口に移すとさっきの女の子がいた。前髪が少し緑がかっていて、苔むした石垣や、この山の雰囲気と相まって神秘的だった。


 全員がバスを降りたので、ガイドに連れられ、彼らは山に入っていく。空気みたいな僕は、こういうときは、先頭か最後尾を歩く。先頭は誰かに譲ってしまったので、段々と暗くなる空を眺めていた。

 

 気がつくと空もすっかり暗くなり、既に僕は独りになっていた。彼らに置いていかれるのを気づかないふりをしていた。かといって、声をかけられても、反発したくなるのだろうけど。


 駐車場には、僕と彼女だけだった。

 

 彼女を横目に、僕は山へ入っていく。山の中へ入ると、月明かりに反射する苔や、場違いな緑色のイルミネーションが、山の様子を伝えてくれた。一本道を暫く行くと、開けた場所に出た。そこからはターミナルのように、何本にも道が伸びており、どれを進めばいいかわからない。それに、独りは心細い、と自分に言い聞かせ、僕は道を引き返した。


 彼女は、まだ石垣に座っていた。まるで、誰かを待っているように。僕は駐車場に出て、彼女に近づく。


「すいません、この先どの道を選べばいいですか?」

「一番右」

「ありがとうございます。」


 分かれ道まで来て、考え直す。この先も分かれ道はないのだろうか。それに、独りは心細い、と自分に言い聞かせ、僕は再び道を引き返した。


「すいません、やっぱり、付いてきてくれますか?できれば、話相手にもなってほしいなーなんて」


 僕は上目遣いを少しそらしながら彼女に頼んだ。

 

「うん」


 首肯すると、彼女は僕の隣に飛び降りた。彼女の緑色の前髪が揺れて、その下の相貌が僕を捉えている、そのことに言葉にできない幸福感を感じた。

「じゃあ行こうか。」


「ちょっと、あそこ外してもいいか確認するから、よってもいいかな?」

「ぜんぜんいいです。」 

 少し好奇心もあった。


 道中あまり会話はなく、彼女は、袖を引いたり、肩で押したりして僕に道を教えてくれた。感じられるほどの恐怖や不安は僕の中にはなかったが、彼女の存在は暖かな灯りのようで、僕を安心させた。

 

 本当は彼女のことを知りたいが、彼女と沈黙を共有しているというのが贅沢で、その隙間を言葉なんかで埋めたくなかった。


 しばらくすると、ぼんやりとした灯りが見えた。月明かりでも、場違いなネオンでもなく、暖かな火の灯り。


「ここは?」

「…バイト先? 勤め先? そんなの。」

「なるほど。」


 建物は古い旅館のように見えた。彼女は正面から僕を招く。こういう場合、勝手口などではないのだろうか。


「お客さんはあまり来ないから。」

「なるほど…?」


 僕が靴を揃えていると、しゃがんだ僕に彼女が右手を出す。僕が疑問を持ちながら右手を出すと。

「左手。」

 硬直した僕に、少し間をおいて、彼女が。

「て、つなごう。」


 はじめて女の子と手をつなぐのに、不思議と、緊張感はなかった。もっと言えば、先程までの道中も、女の子と二人で歩くこと自体が人生初かもしれない。それでも緊張感というものはなくて、ただ、全く知らない場所へ来たときのような、浮遊感があった。


 廊下はまっすぐ、外から見ては想像もつかないほど奥まで続いている。進むに連れて、彼女の手に力がこもるのを感じた。それは何かを確かめているのか、それとも僕を逃さないためなのか。


 彼女は、廊下の端のすぐ手前の部屋の前で止まった。一瞬痛みを感じるほど、強く手を握って、離すと、部屋の中へ入っていった。聞き耳を立てると、中から話し声が聞こえた。どうやら、彼女は暫く仕事を休んで、四国へ行くらしい。話し相手は父らしい。


 彼女が部屋から出てきた。別の襖から黒く長い髭を蓄えた厳しい男性が出てきた。なんで出てきた?


 二人と父が向かい会っている形だ。先程までと打って変わった緊張感で吐きそうだ。父はこちらをみて大きく頷くと、

「お前が選んだことだ、文句は言わない。ただ、声を上げられずに望まぬ方向へ流される事だけはしないように。」


 と、デートDVの講座のようなことを言うと、彼は部屋へ戻った。僕は彼の言葉に色々言いたいことはあるが、一つ安心していた。というのも、僕は山の入口で、彼女をナンパしたとも言える。初対面のナンパ男と一時間も立たないうちに手をつないで歩く彼女にの貞操観念を心配したという点で、彼がああ言ってくれたことは安心だった。


 うんうん、と頷くのはいいが、これはどういう状況なのだろう。


「付いてきてください。」


 彼女の声にしては語気が強すぎる。背後にどこから現れたのか女中が立っていた。渋々というわけではないが、納得出来ないまま、僕は彼女とともに女中の後に続く。

「花嫁様はこちらです。」と彼女のみが部屋に招かれた。そういうやつか。

「旦那様は…」僕は、彼女が入った部屋の2つ隣の部屋に通された。状況はわからないが、彼女と僕はこれから、結婚ごっこ、若しくは結婚をするらしい。また一つ、浮遊感を感じた。

 

 袴に着替えさせられていると、何も達成していないのに達成感を味わうというような、浮遊感の中に感慨深さのようなものも混じって、不思議だ。自然と笑みがこぼれれた。


 着替えが終わると隣の部屋で彼女を待つ。

 

 現れた彼女は白無垢を着ており、緑の前髪といい、雰囲気といい、それまでの様子から似合うはずが無いと思うのだが、その姿にはとても納得させられた。なぜかは分からないが、その姿が彼女の本質を言い当てているような気がした。


 ぼくが彼女を見つめていると、彼女は礼をして、二三歩近づいて、僕の腕に彼女の腕をまわした。


 流石に鼓動の早くなってきた僕が、固まっていると、先の女中が現れ、

「襖通りです。早く目の前の襖を開けなされ」というので、襖を開けると、そこは他人の家の中だった。


 部屋の中には僕たちの他に新婚の夫婦がいた。二人に僕たちは見えていないようで、妻が料理をしながら、夫は洗濯物を畳んでいる。興味深そうにそれを見る彼女の横顔に、自分たちのこれからを想像して、こみ上げる何かを感じた。


「次にお進みください。」

 目の前に襖が現れたと思うと、襖は自ずと開いて、今度は病室の中だった。


 命が生まれるその光景はとても感動的だったが、映像の中の出来事のように実感がなくて、先程のような気持ちにはなれなかった。僕にとってそこには厚い壁があった。腕に込められる力と、震えから、隣を見ることはしなかった。彼女は生きていて、それほど僕と変わらないのだ。そう強く思った。


 赤ちゃんの名前が初めて呼ばれた時、それはピークに達したようで、彼女の嗚咽が響く、僕は彼女を抱きしめたくなって、抱きしめようとしたが、抱きしめることはなかった。

 

 それから子育て、倦怠期など、それぞれの夫婦を見ていったが、出産以降どんどん実感から遠ざかり、僕は彼女を見ているか、この部屋がどうなっているのか観察していた。ただ、最後、老夫婦に訪れた別れの瞬間には、目頭が熱くなって、隣で静かにそれを見ている彼女を、やはり、抱きしめたくなった。


「これで、襖通りは終わりです。」

寝室に通されて、しばらくすると、浴衣姿の彼女が現れた。

僕は大きく息を吸って、吐いて、彼女の目を見る。

「どういうこと?」

「あなたは私と結婚したの。」

「うん。」

「キツネの嫁入りって知ってる?」

「うん」

「それ」

「やっぱりなんだっけ?」

「要するに、あなたは雨乞いの生贄に選ばれたの。」

「なるほど。誰に?」

「私に?」

「なんで?」

「あなたは21年前に助けられたキツネのことなんておぼえてないのでしょうね。」

「ごめん、わからない。」

「冗談よ。」

 それにしては切なさそうに、困ったような笑顔を浮かべる彼女に、言葉を失う。

「…ごめん。」

「良いのよ。」


 しばし沈黙。


「君は狐なの?」

「私はキツネよ。人は私をそう呼ぶわ。」

「そっか。」


 彼女は獣の姿でも、きっと美しいのだろう。


「手、握っても良い?」

彼女は僕の横に来て、流し目で微笑んだ。彼女の手を握ると、僕は涙が溢れてきて、開いたままの目から頬を伝う涙は、涙の伝う横顔は、彼女のように美しくは無いのだろう。


「もう、寝よっか。」

 そう言うと彼女は僕の布団を離れた。そのことに僕は安心していた。これ以上前に進めば、終わってしまうような不安があった。彼女の背中を眺めながら、それは彼女も同じなのかもしれないと思った。




 僕と彼女は、四畳はある、神輿のように大きな輿部日せられて、僕の故郷へ向かっていた。


 今朝、僕は彼女に起こされて目が覚めた。今までは僕が一番早起きだったから、自分が他人に寝顔を見られることが苦手なのだと、気づいた。それ以上に、昨日の事が夢でないことに安心する。

「あなたの故郷に行くの。嫁入りだから」

 

 もう何時間も輿の中にいる。彼女は輿が揺れる度に外を見たそうにしていたが、到着するまでは顔を出してはいけないらしい。


 面白くなさそうにしている彼女に僕は問う。


「ねえ、君の名前は何ていうの?」


 彼女は微笑んで言う。

「あなたがつけて。」

 

 彼女の緑色の前髪を見ながら考える。

「みどり、すいって書く方とか。」


「ありがと。」

彼女は天井を見つめながら、長く息を吐く。


「あなたの名前は?」

「真白」

「ふたりとも名前に色がついてる。」

「そうだね。」

「わざと?」

「そうかも。」


 輿が大きく揺れたが、彼女は目をそらさないでいてくれた。

「好きな食べ物とかある?」

「ない」

「趣味は?」

「ない」


彼女の瞳は曇っているように見えた。


「好きなものとかないの?」

「あなたのことは好きよ。」

「ありがとう。けど、そうじゃなくて。」

「景色を、見るのは好きかな。…私は、あの山の外を知らないの、」

「じゃあ、海も見たことないの?」

「そう!見てみたい。」

「僕の地元は港町なんだ。」


 それから僕は実家につくまで、彼女に求められるままに、故郷でのことを話した。「楽しみがなくなるよ。」と言っても、「あなたが見た景色と、私の見る景色は違うわ。」彼女はと言った。どうしても、僕の思い出話には、家族や友達が登場してしまい、その度に彼女は複雑な表情をしていた。


 輿が止まる。扉がひとりでに開いて、潮風の匂いが鼻につく、半年ぶりの懐かしい匂いだ。一瞬で錆びてしまった自転車のことを思い出しながら道へ降りる。


「き…翠はちょっと待ってて。」

「わかった。」

彼女ははにかみながらやはり複雑な表情で返事をした。


 前ぶりもなく帰省した上に、婚約者?嫁?を連れてきた息子に両親はどのような反応をするのだろうか。そこは、両親を信用するしか無い。

「ただいまー。」

家の鍵も開いて、入る前に車は確認した。話し声も聞こえる。

「ただいまー。」

まさかと思い、振り向くと、行列も輿も姿はなく、翠が独りうつむいていた。


「…海、いこっか。」

「うん」

 あちこちに、人のいた痕跡もあるし、声も聞こえるのに、姿は見えず、車も走っていない。尤も、人の少ないこの街の日常を考えると、非日常と言うほどではないが。

 海というのはいつも突然現れるもので、遠くから海を見ていても、海に出るのとやはりそれは急に現れる。彼女が砂浜の上に立ち尽くしているのは、海に驚いたからだろう。


「僕は、あっちの方が好きなんだ。」

僕は砂浜の端、岩山の方へ歩く。彼女は少し後を付いてきた。

「ごめんね。」

歩きながら彼女が言う。足元を見ていないから、岩につまずいて転けそうになる。

「ありがとう。」

 僕は彼女の手をつかんで言った。

「なんで?」

「たった一人に僕を選んでくれたから、ありがとう。」

「うん。」


 少し歩いて、海岸線の出っ張り部分に着いた。海は後ろにも、一面に広がっている。

「私は、その人の理想の姿になるの。だから、私は自分の姿を知らないの。」

「うん」

「けど、この姿は嫌いじゃないよ。」

「…僕も好きだよ。」


 岩山から見える景色は、二人きりの世界には、十分すぎるほど鮮やかだった。




 それからは、猫のように気ままな彼女に振り回される日々が続いた。僕はもう人間ではないらしく、食事も睡眠も必要なくなっていた。彼女は旅が好きで、名勝や旧跡など日本中を旅した。人のいなくなった東京なんかは最高で、人のいない観光地は映画のセットみたいだった。


 それ以上に、彼女のいる景色が本当にどれも美しかった。彼女はほとんどの時間抱きつくようにして僕と腕を組んでいた。それは二人きりの世界で、相手の存在を確かめるためにも、相手に自分の存在を確かめてもらうためにも、自分の存在を確かめるためにも、きっと必要なことだった。


ある日、彼女が泣きそうな声で言っていた。

「私は自分が何なのかわからないの。」

泣いていたのかもしれない。

「だから、あなたに触れていたい。」

そう言って腕を強く締める。

「呼んで。」

「え?」

「翠って」

「翠」

「私は本当に好きなの。その名前も、あなたの好きな私の姿も」


 初めて僕は彼女を抱きしめた。誰も見ていない世界で、僕の精一杯の勇気だった。触れた首筋の冷たさが彼女を、温もりが、僕を証明してくれることを願った。




「ここまで、か。」

ここは九州最南端の地で、翠は海の向こうを眺めながら言った。

晴れやかな青空が広がり、雲は一層白い。


「次はどこへ行こう、いっそ日本地図のも作ってみる?」

 翠はこちらを見て微笑むと、

「本当はね。」

「うん。」

「真白を選んだのは、真白が好きだからじゃないんだ。真白が一人でいたから。悲しむ人は少ないほうがいいと思ったの。」

「そういう所、僕は好きだよ。」

海鳥は鳴かないし、波は騒がない。人の声も聞こえない。


「本当はそんな顔、させるつもりじゃなかったし、…こんな顔するつもりじゃなかったのにな。」

風が、彼女の前髪を揺らす。なにか言わないと、きっと後悔する。

「私はね、きっと誰でもよかったの。」


 僕は彼女に言うべき言葉があるはずなんだ。


「だからね、ちゃんと忘れるんだよ。」

 彼女の手が僕の頬へ触れる。


「みどり。」


 彼女は僕の口を塞ぐようにキスをした。




 目を覚ますと、僕は泣いていた。大切な、本当に大切な夢を見ていた。もう一度目をつむることをためらうような夢を見た。


 僕は、彼女の顔も姿の殆ども、覚えていない。ただ、彼女が隣にいた時の安心感と、彼女の緑がかった前髪だけが、彼女があった証拠のように、僕の脳裏に刻まれている。


 日が落ちるまで外へ出て、夕食を食べて、風呂へ入って、布団に潜っても、再び彼女に会えることはなかった。


 三日目までは、彼女を忘れてしまうことへの焦りや、罪悪感があったが、一週間も経てば、それもなくなり、彼女の記憶はやがて情報となった。


 以降、僕の人生は全くと行っていいほど、女っ気がなく、それなりに達成感のある人生だったが、彼女との記憶は、今でも薄っぺらな情報となって上書きされずに残っている。

 

 「翠」と最後に呼んであげられたから、きっと後悔のない人生だった。


 バスが、山の中を征く。皆はスマホとか、友だちと話したりとか、読書とか、バスという箱の中にしか世界がないのだろうか。


 景色はこんなに…地味なのは確かだが。車窓から見る景色はどんな景色でも私は好きだ。きっとこの山も悪くない。それにどこか懐かしい感じがする。トンネルを抜けると大きな川が流れて、ゴロゴロと巨岩が転がっている。川向こうの山では、一際大きい、岩の親分が頭をのぞかせている


 こういう、迫力のある景色は大好物だ。よく見ると、岩の上に誰かいる。髪の毛がおかしい。サラサラと揺れているが、太陽の光を全て反射しているようだ。白髪だろうか。


「あの山に行けたらな…」

 このバスの行き先がどこなのか、私はよく知らないけど。







 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キツネの嫁入り 葱丸 @negimaru04

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ