第52話
「これなんてどうかね?」
そう言って店主はまるで上品な商人が着るような服を見せる。
セレナはそれを着たハンスを思い浮かべ、素敵だなと思いながらも首を横に振った。
「すいません。渡す相手は冒険者なんです。その服も素敵だと思いますが、もう少し動きやすい服の方が……」
「そうかい。じゃあ、少し選ぶものを変えないとねぇ。ちょっと待っておくれ」
そう言って、店主は集めた様々な色の服を並べる。
どれも鮮やかで、動きやすそうなものが選ばれている。
「わぁ。どれも素敵ですね。このちょっと深い緑みたいな色、ハンス様に似合うと思います」
その内からひとつ選び取り、セレナは両手で持ち上げ、それの向こうにハンスの姿を想像する。
深い干し草のような緑色に包まれたハンスは、とっても素敵に思えた。
「おや。その服が気に入ったのかい?」
「ええ。とっても素敵な色ですね。緑......と言うには少し濃い色な気がしますけど......」
「それはね
「そうですか? 何かあるんですか? この服」
「服自体には何も面白い話はないけれどね。その色さ。蒼い衣を男性に贈るのは、神話から出た逸話で、『あなたを慕って従います』って意味があるのさ」
「え? そうなんですか? 聞いたことありませんでした」
店主の女性は微笑みながら、その逸話の元となった神話を話してくれた。
ある国に勇者として選ばれた一人の少年が居た。
その少年は勇者になるという重い使命を背負っていたが、どんな強大な魔物も倒すほど強大な力とは裏腹に、心は幼い子供のままであった。
人々はその少年を奉り、または敬い、美辞麗句を並べ立て、称賛したが、その少年の心は満たされることはなく、むしろ全ての人々から、その心を閉ざしていくのだ。
ある時、少年は自分の未熟さを、生きる意味を教え諭してくれる一人の男性と出会う。
少年はその男性を師と称し、慕い、敬い、その男性に従うことを決めた。
男性は『勇者を導くもの』として名を残し、その男性が好んで着ていた蒼衣は、少年から男性への忠誠心の表れとして、いつしか人々からその気持ちを伝えるための贈り物、とされるようになった。
それは誰かが作り上げた物語かもしれない。もしくは遠い昔、こことはどこか異なる世界で起こった史実かもしれない。
どちらが正しいのかセレナには分からなかったが、贈り物としてこれ以上の物はないと思い、手に持つこの服を買うことに決めた。
「すいません。これにします。これください!」
「はいはい。じゃあ、今贈り物用に包んであげるから少し待ってね」
店主はそう言うと、セレナから代金を受け取り、丁寧にたたんだ後、麻で織られた袋に入れてくれた。
お礼を言い、店を出ようとするセレナを店主が呼び止める。
どうやら、出る際にセレナが外していたフードを、再び被ったことが気になったらしい。
「お嬢ちゃん。そんなに素敵な顔をしているのに、どうしてそんなフードなんて被るんだい?」
「え......と、実は......」
セレナはガバナで有ったことを素直に、たどたどしい口調で店主に説明をする。
それを聞いた店主は、怒ったような悲しむような顔をした。
「ちょっと待っててね」
店主はそう言うと、奥から貴族の女性が被る様な、つば広の帽子を持って戻ってきた。
「これをお嬢ちゃんにあげるから、その耳を隠したかったらこの帽子を被ったらいい。そうすれば誰もあんたが獣人だなんて思いやしないよ。それに、それならお嬢ちゃんの可愛らしい顔も良く見える」
「え......? あの、いいんですか? あ! でも、この代金もきちんと払います!」
「いいんだよ。これは私からの気持ちさ。昔獣人の女性に世話になってね......」
店主の話によると、数年ほど前、店主とその母親は困窮に喘いでいた。
カルデアで仕立て屋を営む彼女らは、ある日、小さな男の子を連れた獣人の女性と出会った。
その女性は奴隷ではないが、身の安全を図るため、セレナと同じように西の果てを目指しているのだという。
しかし、旅の疲れがたまったのか、幼い男の子は高熱で喘ぎ、獣人の女性はしばらくの停留を余儀なくされた。
その時店主達は、自分達の生活も苦しい中、獣人の女性と男の子を不憫に思い、二人の停留場所として自分達の部屋を貸してあげたのだという。
何気なく店主達の仕事を聞いた獣人の女性は、一点物の仕立てが流行らないのならば、いらなくなった縫製済みの古着を引き取り、綺麗にしてから安く売りだすのはどうかと提案してきた。
カルデアはガバナとティルスの間にある中継地点で、長く滞在する者が少ない町だったため、町を訪れる人の多さに比べ、仕立てを待ってくれる者は少なかった。
しかし、獣人の女性の提案に従い、すぐ着ることの出来る古着を、新品同様の綺麗さで売る方法は人気を博し、ティルスに新たな店を建てることが出来るほどになった。
年老いた母は街へ出ることを嫌い、カルデアに残ったが、今でも両方の店で順調に売り上げを伸ばしていた。
それもこれもあの時の獣人の女性の提案があったためだと、二人はそれ以降、周りが何と言おうと、獣人には親切にすることを決めたのだという。
話を聞いたセレナは、ここで店主の好意を無下にしてはいけないと思い、有難く帽子を受け取ることに決めた。
フード付きのローブを脱ぎ、帽子を被ったセレナを見て、店主はため息をつく。
「おやおや。可愛らしいというのは間違いだったみたいだね。これは綺麗なお嬢さんだ」
「ありがとうございます......あの、よろしければお名前を」
「ああ。私の名前はリディアっていうのさ。それで、お嬢さんの名前はなんて言うんだい?」
「セレナって言います。ありがとうございます。リディアさん」
セレナは深々とリディアに頭を下げると、店を出ていった。
セレナはハンスへの贈り物が入った包みを大事そうに胸の前で抱えると、満面の笑みを浮かべ、広場に向かっていった。
◇
その頃、ハンスも用事を済ませ、すでに頭上高くまで昇りきった太陽を背負いながら、セレナが待つであろう広場を目指し歩いていた。
手には先ほど購入した品物が入った、小さな袋を抱えている。
広場に着くと、中央に建つモール王の彫像が目に入った。
恐らくその下にセレナが待っているはずだが、フードを被った小さめの姿を探してもどこにも見つからない。
少し遅れたと思ったが、まだセレナは着いていないか......そう思いながらハンスは彫像の下まで歩いていき、そこに辿り着くと手に持った荷物に目線を下げた。
「ハンス様!」
突然かけられた声にハンスは驚き、びくりと身体を震わせてしまった。
どうやら声の主は先程から目の前に立っている、つば広の帽子と桃色のワンピースドレスを着た女性のようだ。
「ハンス様。どうしました? 変な顔して。私の恰好、何処かおかしいですか?」
その声で、ハンスはその女性の正体がセレナだと気付いて驚愕する。
確かに、以前買った服がこんなドレスだった気がするが、それにしてもその帽子はどうしたのだろうか。
「や、やあ、セレナ。遅くなってすまなかったね。一瞬誰か分からなかったんだよ。それにしても凄いね。その恰好」
「やっぱり変でしたか......?」
沈んだ顔を見せるセレナに、ハンスは慌てて否定する。
「いや! 似合っているよ! ただ、普段と随分と印象が違ったからびっくりしただけだ」
「本当ですか? 嬉しいです」
ハンスの誉め言葉に、セレナは先程の表情など忘れたように笑みを浮かべる。
ハンスは見慣れぬセレナの恰好に戸惑いながらも、気を落ち着かせ今後の予定をセレナに確認する。
「それで。これからどこに行くんだ?」
「ちょうどお昼なので、食べに行きたいお店があるんです。そこに向かってもいいですか?」
ハンスはちょうどお腹も空いていたし、断る理由も特にないので、セレナの要望を聞くことにした。
セレナが嬉しそうにハンスの手を引き訪れたのは、ガバナでよく見かけるような、これと言って特徴のない大衆食堂だった。
何故こんな所に自分を連れてきたかったのか、ハンスは疑問に感じながらも、セレナに言われるがまま、空いていた席に座りメニューを見た。
「あ! 頼むのは決まっているんです。多分、ハンス様のお嫌いな物じゃないはずなので。すいませんがそれでいいですか?」
「ん? そうなのか? ああ。構わないよ。セレナの好きにしてくれ」
いまいちセレナの目的が分からないが、特に食べるものにこだわりがないハンスは、セレナの頼むのをぼーっと眺めていた。
やがて、料理が運ばれてくる。特に豪華とは言えない、普段から食べるようなありふれた料理だった。
「ここは私が払いますので、遠慮なく食べてください。ハンス様」
「あ、ああ。じゃあ頂くよ」
目の前に並べられた料理に、ハンスはどこかで見かけたような光景だと一瞬思いを巡らせたが、ガバナでよく食べたような料理ばかりだったため、特に気を留めることなく、目の前の食事を口に運んでいった。
その間、セレナは満足そうに、喜色満面でハンスの食べる姿を眺めていた。
一通り食事が終わり、セレナは先程購入したハンスへの贈り物を手渡すタイミングを見計らっていた。
しかし、なかなか切り出せず、いつも通りハンスが語る魔法に関わる話を、ほとんど意味も分からずに頷いていた。
「おっと。話ばかりで、うっかり忘れるところだった」
突然ハンスは、何か思い出したようにテーブルの隅の方に置いていた袋を持ち上げると、おもむろに中身を取り出した。
セレナの目の前に差し出されたハンスの手には、一輪の大きな花の形を象った髪飾りが握られていた。
「え......? ハンス様。これは?」
目の前の髪飾りがなんなのか分からず、セレナは思わずハンスに聞いてしまった。
「セレナへの贈り物だよ。今日でセレナと出会ってからちょうど三ヶ月だろ? そのお祝いにと思ってさ」
「そ……んな……」
思いを声に出せず、セレナは絶句してしまった。
自分が考えていたことを、まさかハンスが同様に考えているなどと、思いもよらなかったのだ。
ハンスによると、亜人だとバレないため、フードを被るセレナが少しでも女性らしくできるようにと、フードの上からこの髪飾りをつけたら良いのではないかと思ったらしい。
あまりのセンスにセレナは思わず吹き出してしまった。
「ん? そういえば、ここに並んでいた料理は、初めて二人で食べた時の料理と同じだね?」
「あ……あの、はい!」
今食べたばかりの料理、それはセレナが奴隷になってから初めて食べた、人間らしい食事だった。
ハンスがセレナにくれた数々の幸せ、その始まりだった。
おそらくハンスはこの事など覚えていないだろう、セレナはそう思っていた。
セレナにとって重要なのは、感謝の気持ちをより深く味わうことだった。
しかし、愛する主人は、奴隷と共に取ったなんでもない食事、そんな些細なこと、そしてセレナにとってはかけがえのないことを覚えていてくれた。
そのことを知ったセレナの目からは、嬉しさのあまり自然と涙が流れ、頬を伝った。
セレナが泣き出したことの理由が分からないハンスは、慌てふためき、セレナの機嫌を戻そうと、必死に言葉を並べた。
それがあまりに滑稽に思えて、セレナは思わず声を出して笑った。
何が何だか分からないが、とにかく機嫌が戻ったらしいことに安心したハンスは、浮かばせていた腰をもう一度席に戻す。
笑いながら涙を拭い取り、セレナは後ろに置いていた、布の袋を持ち上げると、そのままハンスに渡した。
「ハンス様。三ヶ月前に私を見つけてくれてありがとうございます。私はあなたの奴隷になれて本当に幸せです。どうかこれからも一緒にいさせてください」
「あ、ああ。ありがとう」
まさかセレナもハンスへの贈り物を用意しているとは思っていなかったのか、ハンスは驚きながら、照れくさそうに袋から蒼色の衣を取り出した。
一度、胸の前に当て、セレナに見せた後、お礼を言いながら再び袋にしまう。
セレナは店の店主に聞いた神話を話しながら、主人へ贈った服の意味を伝える。
それを聞いたハンスは困ったような恥ずかしいような顔をしながら、指先で頬を掻き、ありがとう、ともう一度お礼を言った。
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