兄の墓

結騎 了

#365日ショートショート 314

 玄関の鍵が遠くで閉まった。

 やがて、窓の外から排気音が聞こえる。ゆっくりと加速したそれは、次第に遠のいていった。

 無神経な小鳥のさえずりが、不規則に耳に届く。苦い想いはある。確かにある。しかし、それでも。今日この日、母親について行かなかったのは、自分で決めたことだ。

「墓参りなんて意味がないよ。あれは時間の無駄さ」

 生前、兄はよく言っていた。兄はひどくリアリストだった。墓が持つ社会的なシステムには一定の理解を示しつつ、その本質には全く関心がなかった。兄曰く、墓に行ってもそこにあるのは骨である。ただ、骸が埋まっているだけ。魂は決してそこには無い。

「でもな、決まってこう返されるんだ。墓参りに行くことで、死者へ想いを馳せることができるんだと。おかしな話だよな。墓までわざわざ足を運ばないと死者を想えないなんて」

 兄の命日だけ、僕は兄の部屋に入る。月に一度、母親が掃除のためだけに出入りする部屋。思いのほか埃っぽくはない。本棚から、兄が読んでいた冒険小説を取り出す。指の腹でなぞりながら、文字を目で追い。一枚、一枚と、読み進める。

 そう、死者を想うことなんて、どこでも、いつでも出来る。なんなら、命日じゃなくたっていい。胸の中で兄の顔を思い出せば、それは墓参りと何が違うというのだろう。

「だからな、もし俺が死ぬことがあったら」。兄は割と真面目なトーンでそれを言っていた気がする。「本でも読め。墓参りには来なくていい。そんな時間があるなら、本の一冊でも読んで、知見を深めろ。心を豊かにしろ。そっちの方が、おそらく俺はよっぽど嬉しい」

 一枚、一枚と、読み進める。母親について行かなかった自分を、納得させるために。

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