第3話 たどり着けない明日まで、あと101日


「行ってきまーす」


間延びした声で言って、玄関のドアに手をかける。うちの玄関扉は引き戸と見せかけて外側へ押すつくりだ。夢の中に片足突っ込んだままの状態の朝に、この構造は複雑すぎた。


生まれたときから住んでいる家だから、もう18年はここでこうして暮らしていることになる。それでも時々、ドアを開けられずにドタバタすることがあった。まさに今朝がそれだ。


「おい壊すなよっ」


背後から俺以上にドタバタと廊下を歩いて来た母親が怒鳴る。


「まあ、そんなにカリカリしなさんな、母さん」


未だに気合の入った金髪ロングヘアをキープしている元ヤンの母親・チヨ子をなだめるのは、七三分けの髪型にまん丸のメガネをかけた安定をこよなく愛する父親・きよしだった。あまりのミスマッチさが逆にギャクマンガの王道設定のような両親なのだ。


ちなみに俺はどちらにも似ていない。強いて言えば、昔モデルをやっていた叔父に似ていると思う。


「いや、兄貴は間違いなく母さん似だよ」


中学の指定カバンを背負った弟・すぐるが、玄関扉を迷わず開け放って言った。


英には俺の心の声が読めているのではないかと思える時が多々あった。こいつこそ誰にも似ていないかもしれない。


「一緒にすんな」


そう言ったのは俺ではなく、あろうことか母親だった。言葉遣いも態度も基本的に優しくない母親だが、今日もその手には朝早くから作った弁当を持っていた。


「ほら、弁当」


差し出された弁当を見て、俺は今日は弁当がいらない日だったことを思い出した。


「あ、わり、今日は友達とピザパーティーする日だったわ」


「ふうん、じゃあ夕飯に食べな」


ここまでの流れからすれば、作らなくてもいい弁当を作らされた母親はブチ切れそうなものだが、意外とこういった変更には寛容だった。


「じゃあ、行ってきます」


「行ってらっしゃい、気に入らない奴いたら先にやっちまいなね」


後からスーパーのパートに出かける母親を残し、男3人で家を出た。


俺はこのとき、母親が俺たちを送り出すときに毎回言う「先にやっちまいな」にふさわしい漢字を考えていた。俺が操れる漢字の種類は驚くほどに少ない。よって、ただ単純に「殺っちまいな」が妥当という結論に達した。


「あーあ、兄貴、母さん悲しませたあ」


「は?」


ふいに俺より身長の低い英が上目遣いで睨んできた。


「そうだぞ、母さんはあれでもものすごく繊細で、かわいいんだぞ」


父親も膝を曲げると英と同じ高さから何やら文句を付けてきた。


「だから、何?」


何に対して2人がそんなことを言っているのか、俺には思い当たらなかった。


「「作ってくれた弁当はちゃんと食べろってことっ」」


すると、英と父親が顔をずいっと近づけてきて声を揃えて言った。


「なんだ、そんなことか」


「「そんなことじゃないっ」」


またしても2人して息ぴったりで、俺は少し後ずさりした。


「夕ご飯にちゃんと食うって」


「ほんとだな」「約束だからな」と2人は口々に言うと、英は中学校の方面へ、父親は会社に向かうために駅方面へとそれぞれ別れて歩いていった。


朝からなんだか疲れた俺は、電線に並んで止まっているスズメに向かって「あー炭酸飲みてえー」と叫んだ。ほとんど意味のない雄叫びに嫌気がさしたのか、スズメたちはたちまち飛び去っていった。



「おい、ハーフアンドハーフじゃなくて、4種類が1枚に乗ってるピザのほうがいいって言ったろ!」


昼食を迎えた構内では、見苦しいことこの上ない争いが勃発していた。


教師に見つかったら即締め上げられるのを承知で、俺たちはデリバリーでピザを注文し、屋上でピザパーティを繰り広げていた。


「だって、4種類のだとパイナップルのやつないんだもん」


「パイナップルなんて邪道なもの好んでんじゃねえ!」


人の嗜好を全力で否定する友達たちを、フェンスに背中を預けながら眺めて、俺はコーラーをすすっていた。


「カルビが乗ってるピザ食べたがってたの誰だっけ? なくなるぞー」


「あ、俺」


歪んだフェンスのくぼみから起き上がり、俺はピザに群がる友達のもとへ駆け寄った。


桜は絶頂期を過ぎ、散っていく花びらの数もごくわずかになった。もうすぐ新緑だ。俺が意識していないところで夏は確実に迫っていた。


そして、俺たちが気づかないところで、ドセンも確実に迫っていた。


ガチャン。


屋上の錆びついた扉のドアノブが回転した。馬鹿騒ぎしていた俺たちは途端に黙り込み、一時停止ボタンでも押したかのようにピタッと静止した。息をすることすら忘れていたかもしれない。


暑くもないのに変な汗が背中を伝っていく。


ギイイイイイッ


ゆっくりと開いた扉の隙間から、毛深い手と腕が伸びてくる。極め付けに、死んだ目をしたおっさんヅラがニョキッと覗いた。


「きゃああああああああああああっ」


俺たちは普段なら出ないくらい高い声でいっせいに悲鳴を上げた。(※注意:ここにいるのは全員男です)ある者は頭を抱えて地面に突っ伏し、ある者はフェンスをよじ登り始めた。逃げ惑う俺たちの姿を楽しそうに眺めているのは、仁王立ちを決め込んだドセンだった。


「密告者か、密告者なのか!?」


またある者は意味不明なことを繰り返しほざいた。


「お前らあっ!!!」


ドセンが声を張り上げる。そしてまた俺たちはピタッと静止した。


「放課後、全員連れ立って職員室な。来ないやつに明日はねえと思え。いいな」


「……ハイ」


俺たちには、もはや弱々しく返事する道しか残されていなかった。



放課後。ピザを食い損ねた男たちは、いろいろな意味で憔悴しきっていた。職員室への呼び出しが気がかりで、午後の授業はほぼ頭に入ってこなかった(それはいつもと変わらない)。


男たちは死刑台への階段を重い足取りで進む。ある1人を除いては。


頂上では死刑執行人であるドセンがすでに待ち構えていた。


「おい、1人いねえぞ」


その言葉に、男たちはビクッと肩を跳ね上げる。


「早弁のあいつがいねえって言ってんだよ」


「すみませんっ 取り逃がしましたあっ」


太い声を揃えてそう言うと、全員で土下座をかます。謝るときは大袈裟なくらいがちょうどいい。何かと目をつけられがちな男たちは心得ていた。


ハタから見れば心からの謝罪をする一方で、ひんやりとしたリノリウムの廊下に額を擦り付けながら「くそ、あいつどこ行ったんだ」「寸前まで隣を歩いていたはずなのに」「これ、絶対連帯責任だろ」とそれぞれに心の内で思っていることだあった。



こと俺は、その頃、漫画喫茶の個室に身を潜めていた。


「放課後の貴重な時間をドセンに費やしてたまるか」


そう独り言ちりながら、オンラインゲームをだらだらと進めていた。


読みたかった漫画が1巻も抜けることなく奇跡的に揃っていたので、それらもまとめて持ってきた。スナック菓子にドリンク類も、必要なものは一通り持ち込んだ。


ゲーム→漫画→ゲーム→漫画→休憩→漫画、と無限ループを過ごし、あっという間に日がくれた。


帰宅したのは午前0時近かった。家族が寝静まった真っ暗な家にそっと足を踏み入れる。もはやコソ泥くそやろーと言われても仕方ない。


自分の部屋へ着くなりカバンをその辺に放り投げ、ベッドにうつ伏せに倒れた。


多大なる社会貢献をした人と同じくらいの満足感に包まれて、俺はそのまま目をつむった。


寝に入る寸前、夕飯に食べると約束していた母親の弁当のことを思い出した。一度は目を開いたけれど。


「明日でいっか」


お決まりのセリフを吐き、また目を閉じた。


夜は次第に深まり、眠っている人々を明日へ連れて行く。夜が明けて、いつもと変わらない退屈な朝がやってくることを疑いもしなかった。


しかし、俺の意識していないところで迫っていたのは、暑い夏や暑苦しいドセンだけではなかった。


この口癖がまったく通用しない日が来るなんて思ってもみなかったんだ。



目を覚ますと、そこにはあるはずの天井がなかった。代わりに延々と続く曇り空が広がっている。


「あーそういや、昨日の夜は疲れすぎて屋根の上で寝ちゃったんだっけか」


俺は仰向けのまま、やけに雲の流れが早い空を見上げて言った。


「って、そんなわけあるかいっ」


ノリツッコミにより無駄に体力を消耗しつつ体を起こすと、2階にあるはずの俺の部屋は1階にあった。というか、そんな概念ごと吹き飛んだというか、ここはもう室内ですらなかった。


手触りのゴツゴツするベッドに視線を落とすと、それはベッドではなく何枚にも重なり合っている板だった。立ち上がると、そこは瓦礫の山の頂点に位置していた。


ひょっとすると、昨晩はとてつもなく寝ぼけていて、空き地かなにかで意識が飛んでしまったのだろうか、と思った。そう思いたかった。


もしもここが俺の家があった場所だとするなら、この辺一帯はコンクリートで舗装された道しかなかったはずだ。それが今、瓦礫の山の下に広がっているのは土の地面だった。


強い風が吹くと、砂埃が巻き起こる。高い位置にいる俺の体は不安定に揺さぶられた。


瓦礫の山はそこかしこにあれど、視界を遮るほどの建物はなく、地平線がきれいに見えた。舗装された街しか知らなかった俺は、そんな光景を生まれて初めて目にした気がした。


「どうなってんだ……」


そんな言葉しか思いつかず、口にするのもやはりそんな言葉だった。

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明日まであと101日|喰われた未来を取り戻すためサバと旅に出ました 五味零 @tokyo_pvc

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