幽霊

「では王子、そろそろ最後と行きましょう。」

「はい先生。」

 クルリと西宮 にしきゅうの家令ファルドは朝食も挟んだ午前の訓練を終えようとしていた。

 老齢のオオカミのファルドは顔が獣面であり手足も狼の手足にほぼ近い、祖神(に心身を捧げた証である。

 ファルドが微動だにせず木剣を構えている、一方厳しい訓練にクルリは肩で息をしている。

 五歳から始まった「先生」による訓練(訓練の時はファルドの事を先生と呼ぶ習わしである)は成長と共にどんどんスパルタの度を上げてきている。

 訓練の最後はファルドが全力で打ってくる──流石に当てることは無いが──クルリは全神経を集中し備えた。

 ファルドの輪郭がブレた。


 瞬間、相手の裂帛の息吹と共に気付いた時には自分の木剣が弾き飛ばされ喉元に剣が突きつけられている。

 正面から最短でこちらの剣を叩き落とし剣を突いたのだ、時間差で痺れて来る手を我慢しながらクルリは終わりの礼をした。

「ありがとうございました、先生。」

「お疲れ様です王子、外に出て何か収穫はありましたかな?」

 唐突にファルドが訊いてくる。


「いや……そろそろハンターで色々やってみようかと。」

「うむ、見聞を広め様々な人物を知るのは良い事です。ただ──」

「ただ?」

「貴方は狼の国たるリーディータの王の長子、

このオオカミの剣を修める事を第一とするのですぞ。」

「はい、先生。」



 午後の訓練は西宮の地下室でメイド長のリベルゥと短刀(もちろん木製である)での訓練である。

 訓練と言ってもどう頑張っても当たらない攻撃をひたすらリベルゥに斬りかかるだけである。

 しかも少しでも動きが乱れるとリベルゥはあいた隙をしたたかに打ち付けて来る。痛い。

 ファルドと同じく五歳から始まったこの訓練は九歳から新たなメニューが加わった。

 目隠しをしてリベルゥと戦うというとんでもないものである。

 王族はいつ死角から暗殺されるからわからないからという理屈で無理やりやらされている。


 最初は痛いほどの殺気で来る部位がわかるのだが進むにつれだんだん殺気は薄まっていき気配も消え足音さえ消える。

 無茶苦茶な訓練に自棄になる気持ちを抑え必死に食らいつく。

 だが如何せん音も気配も無くなっては無理である。


「ここまでですね。」

 右耳にリベルゥの声が聞こえ右に構えると左から強烈な一撃が鳩尾に打ち込まれる。

「ぐおぅ……。」

「今日はこれで最後としましょう。目隠しを取ってください。」

 何とか立ち上がり目隠しをとる。この後は最後にリベルゥが撃ち込んできてそれを迎え撃って終わりだ。

 構え、神経を目の前のリベルゥに集中する。

 だがリベルゥはユラリと姿も気配もブレてすぐに見失う事になる。

(前にいないなら──後ろ!?)

 当てずっぽうで振り向くと背後から──さっきまでの正面だ──喉元に短刀が回されて突きつけられている。


 木製とはいえ込められた殺気に身震いする。

 ス……と短刀が引っ込み振り向くとリベルゥが無表情にこちらを見ている。

「お疲れさまでした王子。」

「お疲れさまリベルゥ。」


 礼をして去ろうとする……がリベルゥがまだこちらを見ている。

「どうしたの?」

「いえ……最近は外ではどうですか?」

「うん?いや、最近はそろそろ色々やってみようかと思っているけど。」

「そうですか、それはよろしゅうございます。ただ──」

「ただ?」

「貴方はお母上ルフラ様の獅子の獣族を継ぐ方、それをお忘れになってはいけませんよ。特にイヌの剣にうつつを抜かしてはいけませんよ。」

「うん、わかってるよリベルゥ。」



「しかしお前のところスパルタだな……。」

「そうかな?」

 夕食後、図書室で家庭教師からの課題の本を開きながら友人ディッラとの雑談に興じていた。

 物心が付いた辺りから始めているからかあまり理不尽さ等は感じていなかった。

 人間の感覚は順応して麻痺するのである。


「ところで……お前、幽霊の噂、聞いたことないか?」

「うん?」

 クルリは何を馬鹿なことを言ってるのか、と思ったが友人なのでそこまで言わなかった。

「アンデッドなんて王宮の結界内に居れる訳無いだろう。」


 とはいえ人間の心は不安からか好奇心からかいつでもどこでもそういった噂は絶えない。

「アンデッドじゃなくて幽霊かなんかなんだよ、いや……まあ、そうなんだが。」

 やたらディッラは歯切れが悪い、だがなにやら拘っている。

 クルリもさすがに気になりはじめた。

「なんか身に覚えでもあるのか?」

「いや、ここなんだ。」

「うん?」

「最近、違和感を覚えるんだが……どうも誰か知らない人間がここを利用している節を感じる。」

「曖昧だな……。」


「なんと言うか本の並びの感じがなんか雰囲気が違うとか……なんかいない間に誰か居たような雰囲気があるというか……わかれ、わかってくれ!」

「曖昧すぎる。」

 想像以上に曖昧である。

 クルリは期待して損をした、という風にジト目になり興味を失ってきた。

「うちの誰かが来てたんじゃないの?」

「そうも思っていたんだが、なんか違うんだよ。」

「お前は疲れてるんだ。」


 クルリはもう友人を諦め本に目を落とした。

「待て!夜だ!恐らく夜中なんだ!」

「うん?」

「俺は夜はここに入れないからな……幽霊か何かがここに来るとしたら夜だ。」

「まあ……そんなのいたらね。」

 ディッラは暗にクルリに夜中に確かめに行けと言っている。

「夜だぞ?夜中が一番確率が高そうだ。」

「あーうんうんはいはい。」

「友達甲斐のない奴め……。」

 ディッラはぼそりと捨て台詞をいたがクルリはもう無視した。




 夜もだんだんと遅くなり自室でだらだらとしてるとドアの外から声がかけられた。

「お兄ちゃん居る~?」

「居るぞ~。」

 返事をしたが、返事を待たずにドアノブは回されていた。

 鍵は掛けていない、あっさりと開きフィーリとフィルク、そして後ろからリベルゥが入ってきた。

「どうしたんだ二人とも?母さんは?」

「今日はパパが大丈夫だからってそっちに行ったわ。」

「ふーん珍しいな。」

 ふとリベルゥの視線を感じた。

「どうしたの?」

「いえ、なんでもございません。」

「?」

「そんな事より外の話してよ!」

 フィーリが話をせがんで来る。

 リベルゥが視線を向けて来る、今度はわかった。


 余計なことを喋らずに外へ興味を持たせるな、だ。


 イヌの獣人はは寝る時は身内で固まって寝る習性がある、多いと毛布を広く敷いて雑魚寝になるが三人で寝るにはクルリの寝台は十分広い。

 適当な話をしているとまだ小さい二人はすぐに寝息を立て始め、クルリも寝入った。




 ふと、クルリは目が覚めた。

 月が明るい、深夜であろう、リベルゥもとっくにいない。

 となると図書室でのディッラとの話を思い出す。

(幽霊がいる?)

 一度気になると目が冴えて来て、ネコの好奇心がむくむくと膨れて来る。

(まあ、行くだけ行ってみるか……。)

 寝ながら袖を握っているフィーリの手を外すとむくりと起き上がった。


 西宮に侵入するには厳重な警備を抜けないといけないが元々中にいれば関係ない。

 クルリは夜番の警衛兵に注意しながら探検気分で図書室に向かった。


 いる。

 誰かいる、扉の前でクルリは第六感でわかった。

 問題は中にいるのが人間か幽霊かだが……。

 内部の人間なら入ってよいかはともかく深夜に図書室にいるのは可能だ。

 幽霊なら……まあよくわからないがよくわからないものが幽霊だ。

 どのみち危険は無いだろう、危険な人間なり幽霊なりが王宮内部にいたらとっくに何か起きてる。

 一応ノックをしてクルリは中に入った。


 いた。

 月明かりに照らされ本を開いた女性がこちらを微笑んで見ている。


「ええと……こんばんわ?」

「こんばんは。はじめまして。」

 挨拶を返された。キツネだ、耳を見て判断するが生きてるか幽霊かはわからない……そもそも幽霊かどうやって判断するのだ?体温?

 クルリが想定外の事に固まってると女性が口を開いた。

「ああ……君がクルリだね、ルフラとファダルクによく似ている。」

 クルリの混乱は加速した。

 王宮内に居て母と父を知っていて自分を知らなかった?そもそも使用に許可のいる図書室に堂々といる時点で使用人などではない。


(母さんと父さんの友達……?)

 色んなことを横に置けば口ぶりからするとそんな感じである。

 だが自分が知らないのは、そして自分を知らなかったのは流石におかしい。

「私はリヤンサ、よろしくね。」

 立ち上がった。

 尻尾が多い、キツネの獣人で尾が多いというのは只者ではない、警戒しろと前にリベルゥに聞いたことがあった。

 固まったクルリに近づいてきて頭を撫でて来た、冷たくはない……幽霊ではないのか?

「ど、どうも……。」

 もう訳が分からず適当に返す。

「何か困ってる事とかはあるかい?」

 親戚の人間のように気軽に話しかけて来る。

「いえ……特に……。」

 だんだんぼーっとして来ていてそろそろクルリは考えるのを辞めていた。

「無事に育って良かった……でも何が起こるかわからないから無理してはいけないよ?」

「はい。」

「淋しいけど、今日は会えたばかりでお別れしないといけない、ごめんね。」

「はい。」


 するとリヤンサは目を閉じクルリの額と自分の額をくっつけ、ささやいた。

「……請い願わくは、しき吾子 あこに幸いあれ、 みまし弥栄 いやさかえあらんことを。」

「?」

「それじゃあおやすみ、いい夢を。」

「はい、おやすみなさい。」

 意味不明な事を言ったままリヤンサは就寝の挨拶をして扉に向かった。

 ふと止まりまた頭を撫でながら話してきた。

「ああ、私の事はあまり他人 ひとに喋らないでね。何か困ったことがあったらいつでも会いに来てね。」

「はい。」

「じゃあ今度こそおやすみ。」

 扉の向こうへ消えて行く。

 ここでクルリは正気に戻った。

「え? あの、ちょっと?!」

 慌てて追い扉を潜るが廊下を見渡してもどこにもいない。

「やっぱり幽霊だった……?」

 声が小さく廊下に響くが応えるものはない。


 とりあえずクルリは自室に帰って寝た。


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イヌの国のネコの王子 べしみ仁和 @beshimi

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