エピローグ

 あの後、先輩と校内で何度かすれ違うことがあったが、何も言われることはなかった。一稀のほうにも、何もないらしい。

 どうやら、拒絶の言葉に懲りたようだ。一稀は自分には不釣り合いだと周囲に喧伝して自己を保とうとしていると聞いて不快にはなったが、助詞を取り替えれば不釣り合いなことに変わりはないし、被害がないと分かっていれば構わなかった。

 そして、京夏にからかわれる率は予想通りに上がっている。学校ですれ違うことはあまりないが、京夏が自宅にいるのは常と言っても過言ではない。そこで仕入れた俺たちの話を突っ込んできては、兄ちゃんと二人からかいに余念がなかった。

 兄ちゃんは、気をつけてやれよ、と男らしくアドバイスしてくれているのだろうが、どうしても表情が緩い。からかうつもりはないのかもしれない。しかし、弟の恋を微笑ましく見ているのは間違いなかった。

 そして、同じように微笑ましさを含んだ生暖かい顔をしているのは崇原だ。俺と一稀は、あれ以来教室で弁当を囲むのが日常となっている。それを見るたびに、にやにやしやがるのだ。

 そして、山津さんに俺たちの仲の良さについて同意を求めている。一稀が俺とお昼を一緒にするようになってからは、山津さんはうちの教室で他の子と机を囲んでいたらしい。男だてらにそこに紛れ込んだ崇原は、そこでそれなりにロマンスに興じているようだ。

 一稀よりも山津さんのほうがタイプだと言っていた崇原が声をかけているのは、山津さんではないけれど。まぁ、あれはあくまでたとえ話でしかなかったので、気が多いと言うのは酷だろう。

 そんなわけで、一列を挟んだ先の机に固まっている崇原と山津さんからも時折微笑ましい目を向けられている。ただし、山津さんの目線は一稀のほうに注がれている時間が長い。


「一稀がこんな可愛くなるのは佐竹くんの前だけだもん」


 との論には、どんな顔をしたらいいのか分からなかった。

 一稀が可愛いことなんて百も承知だ。俺が知っている一稀は俺の前にいる一稀だから、それだけだと言われてもピンとこない。一方で真に受けて、舞い上がりそうにもなる。一稀を和やかな気持ちにさせられるのならば、それは嬉しかった。

 一稀はいつも、やめてよ! と肯定も否定もしないので、真偽は定かではない。ただ、可愛いことは事実なので、それはそれとして受け止めている。

 あれ以来、可愛いだとか好きだとかを告げることも、あそこまでの至近距離で迫ることもしていない。いわゆる偽装としての距離感。それを保って、極めて健全な関係を結んでいた。

 はたして、虚偽の共犯が健全かどうかはさておき。


「今日も美味しい」

「ポテサラ、味付けちょうどいい?」

「ああ。いい加減だと思う。塩こしょうも良い感じ」

「よかった」

「いちから作ったの? 大変じゃないか?」

「薫のためだもん」


 ……前言撤回。

 直接的なことは言わないが、以前よりも冗談の勢いが増した。俺が受け止められると分かっているからだろう。躊躇がない。俺は苦笑で答えるしかなかった。


「それじゃ、そんな一稀にお礼があるんだけど」

「え、何それ」


 仕返しだとでも思ったのか。一稀の表情に警戒心が宿る。とはいえ、その警戒レベルは精々構える程度でしかない。先輩へ向けるそれを知っていれば、ただの甘噛みでしかなかった。

 俺はその何とも可愛らしい反応をよそに、鞄の中から小包を取り出した。リボンが巻かれたそれは、小さな紙袋でしかない。一稀は怪訝を濃くした。


「どうぞ」


 差し出すと、一稀は条件反応のように手のひらを差し出してくる。その手のひらに袋を乗せると、まじまじと見つめた。


「……ありがとう。開けてもいい?」

「もちろん」


 変に遠慮の言葉が出なかったことにほっとする。何かと気にしがちな一稀なら、お礼なんていらないといわれる可能性も高かった。しかし、一稀も物品込みのことを言葉で撥ね除けて、場を乱そうとは思わなかったようだ。

 丁寧に包装を剥がした一稀が、袋を斜めにして中身を取り出す。滑り出てきたのは、ちゃりっと音を立てたチェーンピアスだ。

 一稀がぱっと目を見開いてから、俺を見る。


「これ……」

「欲しかったんだろ? あのとき、うやむやになってたから」

「いいの?」

「一稀がもらってくれなきゃ無駄遣いになる」

「ありがとう」


 ふわっと微笑んだ一稀が、そわそわと台紙から外して、ピアスを付け替えた。その手つきは楽しそうで、つけ終わった一稀がちゃりちゃりと金属音を鳴らす。


「どうかな?」


 首の傾きに釣られて、ピアスが揺れた。それは想像よりもずっと似合っている。


「綺麗だよ」


 熱のこもった音になった。一稀の頬が紅色を炙り出す。

 どこまでが偽装なのか。あやふやになりつつあった。確かめてみたい気持ちもある。けれど、一稀がこうして笑ってくれるから、俺はそれだけで十分だった。

 共犯者として、この地位に収まっていられれば、それでいい。好きだと告げた言葉に嘘はない。そこに京夏に思い描いていた以上の感情があるかどうか。それは俺だって自信がないのだ。俺はまだ自分を疑っていて、そして、一稀を信じていた。

 だから


「ありがとね、薫」


 こうしてお礼を受けられて、一稀に笑いかけてもらえる。その心地良さを守り抜こうと誓う。


「どういたしまして」


 もう、声は戸惑いにこもってなどいない。

 俺は共犯者として、同じように笑った。

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偽りの共犯者は恋を装う めぐむ @megumu

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