第6話

 外は寒く、粉雪が降り続け、歩道の端には雪が積もっていた。公園には誰が作ったのか、雪だるまがあり、頭にはバケツを被せられていた。大阪の街で、雪だるまが作れるほどの降雪は、私の記憶の中には存在しなかった。

 冷気は、風が吹くと体温を奪い、スーツの上に羽毛のジャケットを着こんでいても、露出している顔や手に微かな痛みを残した。夕方近くになると、寒さは厳しさを増した。

 友人の紹介で、三重県の山中に住む見込み客の家にマイカーで向かった。路面が凍り付いていたので、途中でスリップしクルマの左側の後輪が溝にはまり込んだ。五分間、同じ場所で他のクルマが通行するのを待った。

 後からそこに来た車には、幸い男性が三人乗車していて、私のクルマを持ち上げてくれた。

 私は礼を言うと、ゆっくりゆっくりと、今来た道を逆にたどり、麓のガソリンスタンドに立ち寄った。

 ガソリンスタンドで、スパイクタイヤを買いそろえた。三万円の出費となった。タイヤをすべて装着し終えると、再び山に向かった。

 私はスマホを手に取ると、先方に連絡し「途中でトラブルがありまして、お約束の時刻より十五分前後、遅れそうです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と伝えた。

 目的地に着いた時、老夫婦が表に出ていて、家の中に迎え入れてくれた。応接間は暖房が効いていて、私の冷えた身体を温めてくれた。奥さんが気を使い、一旦、台所に姿を消すと、応接室に戻り「外は寒かったでしょう?」と、問いかけながらポットから急須にお茶を淹れて、差し出してくれた。皿の上には、栗饅頭が二つのせられていた。

 私は、ご主人が湯呑に手を付けるのを待って、お茶を飲んだ。私は、喉に流し込み、お茶の味わい深さに驚き「美味しいですね」と、声に出した。

「宇治の玉露の……、香りのいい新茶に、すっきりとした古茶をブレンドしたものです」

「うちの家内は、お茶にだけは、こだわりがあってね」

 心遣いが、身に染みて有難かった。

 二人は終始、明るく機嫌よく振舞い、夫婦でシニア向けの終身保険に加入してくれた。

 帰り道は、暗くなっていた。凍結した路面を滑るように下りて、しばらく一般道を走り、高速道路を大阪市内に向かった。

 久しぶりに成約できたが、夜遅く家に着いた時は、へとへとに疲れていた。身体は芯まで冷え切っていた。

 部屋の暖房を点けると、私はしばらく自問自答した。――このままでいいのか、進むべきか、退くべきか――、複雑だが抽象的な自分への問いかけだ。すぐに答えは出なかったが、近いうちに結論を出そう――と考えた。自分の存在意義をどこに見つけるか――私は、社会人になってから、書生じみた問いかけに、即答できなくなっていた。

 寝付けない夜は、ナイトキャップにブランデーを飲むようになった。飲むと、眠れるようになったものの夜中に目覚めるケースも多くなった。

 夜中に目覚めた後で、眠れない日は積み残していた未読の本に目を通した。

       ※

 師走の街にジングルベルが鳴り響き、交流会のレストランのあるホテルには大きなクリスマスツリーが飾り付けられている。レストランでも、クリスマスを思わせる装いに変化しており、有線放送からクリスマスキャロルが流されていた。

 異業種交流会は参加者の人数が減るとともに、結果的に自分が望む席に座ることが可能になった。私は小堀と、麗奈が腰かけているのを見つけると、同じテーブルの近くの席に座った。

 豆川は、他人が迷惑がっていても意に介さず、距離をどんどん縮めてこようとする。場が盛り上がっている時に、豆川は独演会さながらに、毒舌を吐き、周囲をうろたえさせていた。

 同い年の豆川が、私を席に呼びつける時、指をちょいちょいと折り曲げて指図した。私は席の移動が原則禁じられているのを口実に、無視した。

「箭内さん、人が呼びつけている時に、無視するのはあかんのと違いますか」と、豆川は楯突いてきた。随分、強引にずけずけと物を言うな――と思った。

「異業種交流会に参加してから、ここで羽毛布団を十五セット売りました。皆、ええ人ばかりですわ。まだ、買っていないのは、弥生さん、麗奈さんと、箭内さんだけでっせ」

 私は朝永、小堀、横倉だけでなく、蟹江さんが豆川のような男から高価な羽毛布団を購入しているのに驚いた。

「世の中、遠慮会釈しないものの勝ちですわ」豆川は、抜け抜けと言い放った。

だが、小堀が同席の時は、機先を制して一喝されるので、さすがの豆川でもおとなしくなった。小堀の押し出しの強さと、ドスの効いた声を恐れているかに見える。

 私は、豆川が自分の席に戻ったのを見届けると、目の前の小堀に向かって成績不振が原因で、営業所長との間に軋轢が生じている現状を相談した。

「飼い主に餌をもらうためになら、犬は牙をむき出しにして、唸り声を上げて威嚇する。それと同じで、箭内君の上司も自己保身のために言っているのや。そんな器の小さい人間の言うこと、気にすることないで。俺に言わせれば、箭内君の方が人格も見識も上やな」

「俺なんかに、小堀さんに持ち上げてもらうだけの価値があるのでしょうか?」

「あるよ。ただし、君が勉強家、読書家やから、ほめているのやないで。今のエリートは、いくつの何を覚えているかで競い合おうとする。しかし、大事なのは、知識よりも知恵の方やな。自分が知っていることを活かして、何を作り出すか、どう応用するかの方が大事やろ」

「営業で実績を上げるのは、知識ではなく知恵ですよね。俺は……、それが、小堀さんが期待するほどにはできなかった」

 小堀は、口は悪いが――人の上に立つ者ほど正しい――と、思うような世間知らずではなく――立場の弱い者をあしざまに罵る――酷薄な人間でもない。私よりも、現実を等身大に、過不足なく、見て判断しているのが分かった。私は、小堀の期待に応えられずに、宥められ、励まされているうちに自分が情けなく思えてきた。

 麗奈は私の方を見て、ガッカリしたような表情をした。

「そうよね」と、麗奈は慰めの言葉が見つからないのか、曖昧な表現で同調した。

 私は自分の意に反して、目から涙が溢れでた。すすり泣きを抑えようとして、肩が震えていた。

 麗奈はテーブルに目を向けたまま、黙って頷いた。

 私は、窮屈で屈辱に満ちた今の生活に飽き飽きしていた。部屋は開放的で、狭くはなかったが、閉塞感で圧し潰されそうになっていた。以前なら、本や新聞や衣服のまとまりのなさも安らぎにつながったが、今の私には、だらしなく、汚らしく、惨めなものに見えていた。

「To be,or not to be」に対する、私なりの結論が出た。生きるか死ぬかの問いではなく、かくあるべきかどうかに対する答えである。私は生命保険会社を辞める――選択肢を選んだ。明朝にも、営業所長に申し出るつもりでいた。

 狡賢い選択肢のように思えたが、それは小堀の言う――正当で……、正常で……、前向きな……狡猾さだ――と、考えた。

 その夜、大学時代の先輩で建築士事務所のオーナーから、自宅に電話が入り

「建設業界新聞が、記者を募集している。箭内は大学時代同人誌で小説書いていたやろ。合格するかどうか確約はできないけど、受けないか? あそこの社長と知り合いなので、お前を売り込んでおくよ」

 私は、素直に好意に感謝すると電話を切った。

「この埋め合わせは、何かの機会にします」

「お前ごときに、そんなこと期待してへんわ」

 新聞社の面接は、最先端の記者、速報部長が出て来て、選考を通過した。筆記試験は、私が予想していたよりも、簡単な内容だ。残すは、会社役員との面談だけとなった。

 最終面接には、社長が出て来て告げた。

「当社は、先々代から人員整理で社員をクビにしたことがない。業績不振は、経営者の責任だと考えている。社員の定着率は95%で、退職者は、女子社員は結婚による寿退職、男子社員は定年退職が大半だ。ただし、取材は粗相のないように、原稿の締め切りは一日も遅れないように頼む。心配するな。それだけだ」

 私は、内定されたのに気づかず、呆然としていた。

 面接の結果として、自宅に採用通知が届いた。新聞社には正月明けから出社する。

 電話で建築士事務所に連絡した。私は、無邪気に喜んで見せた。

「弱音は吐いておく、もんやなあ、箭内……」先輩は、嫌味な口調で言い放った。私はその言葉が、先輩への負い目を感じさせず、逆に嬉しかった。

 四月頃には、百名を超えていた異業種交流会の会員たちが、ポツリポツリと減り続け、十二月には十名前後しか、集まらなくなった。

 朝永を始めとして、私と親しい小堀、横倉、麗奈、弥生、蟹江さんは残っていた。直言居士の豆川も残留組だ。他は、比較的新しいメンバーで、交流会には参加したり、しなかったりしていた。

       ※

 私は手ごろなアパートを見つけ、麗奈と同棲生活を始めた。

「木造アパートの二階以上の部屋に住むと、本の重量で床が抜けるケースがある。大量の蔵書を抱え込んでいる君の住むのは、一階でないと危険だ。それと、読んだ本は古本屋に売るようにすべきだ。地震で蔵書の下敷きになり、大怪我しないようにな」と、朝永は私に忠告してくれていた。

「よくあることだ」と、朝永は付け足した。

 麗奈は冗談だと思ったのか、爆笑していたものの、相談した結果、一階に住むのを同意してくれた。

 奇妙な二人暮らしが始まった。私は麗奈の身体に触れると――ガラス細工の城が脆くも崩れ去ってしまわないか――とイメージし、慄然としていた。恋愛は相手を弄び、傷を負わせてしまうケースがある。人を愛する行為が人を傷つけてしまう――、人間のもつ不条理だ。それが原因で、麗奈を失わないかと考えて、弱気になっていた。

 人は、本能的に行動している時は、快の刺激を求め、不快な刺激を避ける――快感原則――を基準にして、無意識に反応している。そこに、深い考えは存在しない。しかし、自分の快感が他人の不快や痛みにつながる場合、本能的にではなく、理知的に行動しなければならない――と考えると、気が重くなった。思考と感情の流れが不自然に淀み、私は、自分を責めて悩んでいた。

「覚悟は、できているから大丈夫よ」と、麗奈は私の不安を見抜いたように告げた。

 私はまた、本の虫になった。書店で購入するだけでは足りず、複数の図書館に通い、産婦人科の医学書から古代インドの性愛の聖典「カーマスートラ」まで、大量の本を借りて、貪るように読んだ。コンドームは、不完全装着で避妊の成功率が85%、完全装着状態で97%だ。私は、薬局でコンドームを求めると、完全装着できるまで本の通りに練習をした。

 さらに、夜になると大阪市内の風俗店を訪ね歩き、女性たちに愚直に質問を重ねた。どこが感じるのか、どうすれば嬉しいのか、何をされると嫌なのか……、私の問いかけに彼女らの大半は、協力してくれた。

 人間の営為の中で、本能的な部分をどう扱えば良いのか、私には見当がつかない。夜の街を徘徊しながら、情けない気分になり、自己嫌悪を強く感じた。私は、自分がドブを徘徊する鼠のように思える反面、屈託なく私を指導してくれる風俗嬢たちが、スイスの芸術家ミロ・モアレにも似た、聖女のように感じられた。

 麗奈とは、自然に男女の関係になり、同じ布団で同衾できるようになった。それと、同時に私の内部では、精神的に逞しい男になろうとの意識が強まった。自然と書店や図書館の心理学書、精神修養書のコーナーに足が向いた。私は――つくづく、自分は本の虫だ――と思った。週二回、仕事の帰りに空手道場にも通った。

 空手に関しても、剛柔流、糸東流、松濤館流、和道流、極真空手など、各流派の本を十数冊まとめ買いした。

「あなたって、どこまで本の虫なのかしら」麗奈は、呆れ顔で呟いた。

「それが俺の取り柄だから、そこは責めないでくれ」

 麗奈とは他愛ないことで口論になったが、不機嫌による気まずいムードはすぐに雲散霧消し、仲睦まじく、長い時間を充実して過ごせた。

 営業所のメンバーが、私のために送別会を開催してくれた。

「箭内君は、手抜きをしない男だった。真面目さと一生懸命さは、営業所の他のメンバーも真似ができない。だが、適性と属性が、合わなかったのだと思う。私は、箭内君がもう少し、辛抱して続ければ、芽が出たと考えているが、今回、本人の希望を受け入れて、辞めてもらうことになった」

 所長が挨拶すると、営業所のメンバーは拍手してくれた。私と親しいメンバーもいたが、酒好きのメンバーが――飲む口実に集まったような会――となった。送別会では、主役の私は置き去りにされ、途中から存在感が希薄なものに変化していた。

 私は、それが妙に思えるほど嬉しかった。門出を祝福されることで、悪目立ちするのを恐れていた。

「じゃあ、新しい勤め先で頑張って……」彼らは帰り際になって、思い出したように告げた。寒空に、空々しく、虚しく声が響いていた。

 翌日、支社に出向き社員証や、備品の返却をして、事務員から退職後の諸手続きの説明を受けた。支社にいたメンバーに、退職の挨拶をすると、皆、今後のことを心配し励ましてくれた。同期入社のうち大半の社員は、次の就職先が決まった私を羨み、優績者ほど、保険セールスを辞めて新聞社の記者になることを気の毒がった。

 私と同様に元不動産会社のセールスだった同僚は、別れを惜しみながら

「やっと、俺にも運が向いてきた。複数の不動産仲介会社に依頼して、紹介された先に営業している。うまく行くと、来年はMDRTのメンバーになれる」と告げた。

「…………」

「俺が落ちぶれても、ずっと友だちでいてくれよな」

「…………」

 すぐに返答せず、少しの間考えていると、女性事務員は私の言いたいことを察した。私の顔を見ると「ねっ」と口を開くと、目配せした。

「ああ、分かったよ。友達でいよう」

 個室をあてがわれているプラチナクラスの二人が、私が退職するのを惜しんで席まできた。二人は年商一億円を上回る成績を十五年間も継続している優績者で、上等のスーツを着込み、支社でも堂々と振舞っていた。

 彼らは、ブランド物の洋服や小物類をコーディネートし、いつ見ても自分を魅力的に演出していた。一方で、私はファッションには無関心といっても良かった。知っているブランドといえば、ポールスミス、ラルフローレン、イッセイミヤケぐらいで、いずれも手持ちがなかった。

 プラチナクラスの二人は、保険セールス以外でも、著書の出版や講演活動で知られる社内セレブたちだ。私は偶然にも、二人と昼食を共にすることが多く、彼らが私と同様に本の虫であるのも知っていた。

「箭内君は、何かで必ず成功する人だと思う。長年、ワントゥワンで大勢の人に会っていると、人間に対する勘が働くようになる。君は年齢に似合わず、高い見識を持っている。それを活かしていくことだね」

「今、彼が言ったように……、君は、旅の行程さえ間違わなければ大成するよ。保険セールスという一つの旅で、少しだけ躓いたと考えればいい」

 私は、人生は旅ではなく、ドラマだと考えていた。到底、一つの旅で完結するものではなく、何度でもチャンスが巡りくる――そう思うことが、唯一の救いでもあった。また、別の旅が始まる期待感にワクワクしていた。

 カリスマ二人に励まされて、たとえそれがお世辞であっても嬉しかった。――プラチナクラスが自分のことを覚えていてくれた――それを今後の心の支えにしようと、感じていた。

 三年間勤めた支社を立ち去る時、営業所長が新人研修をしている声が漏れ聞こえて来た。私は、そこに立ち止まり耳を澄ませた。

「私どもの支社は、一般的な女性中心の職域セールスと異なり、男性で編成された精鋭部隊です。それぞれの業界で営業職として目覚ましい成果を上げたメンバーをスカウトし、新規開拓のみを行う厳しい部署です。ですが、成果報酬は公平に、努力の見返りとして分配されるので、やりがいを感じて仕事に臨めるわけです」

 私も、入社当初はやりがいも、魅力も感じていた――と、考えると懐かしさがこみ上げてきた。

 生命保険会社を退職した私は、翌週から新聞社に出勤し、三週間の新人研修がスタートしていた。建設業界の現状と問題点、資料の活用方法、取材先リストの見方、電話でのアポイント方法、特殊事例の調査方法、電話だけの効率の良い取材、現地取材の注意事項、著作権などのコンプライアンス、記事の作稿手法、推敲の効率的なやり方、校正の仕方など、多項目に亘っている。

 再就職後は、一時的に中断していたウォーキングを再開した。毎日、同じコースを歩きながら、あらゆることを考え続けた。思考が停滞し、陰気な空気を吸い込みそうになる時もあった。アパートに帰ると、麗奈がいて私のことを案じてくれた。

 朝永が言うように、時間の持つ魔法の力は、周囲の状況を変化させた。私は、今の時間を何よりも愛おしく感じていた。

 異業種交流会の最終日になった。

 朝から音もなく、冷たい雨が降り続けていた。私には、それが惜別の涙雨のように思えた。

 ホテルに着くと、ロック式の傘立てに傘を預け、キーを引き抜いた。

 正月明けの金曜日なので、エントランスホールの目立つところに門松があり、背後に毛筆で大きく「迎春」と、書かれた紙が立てられていた。ロビーには、金屏風の前に酒樽が積まれ、新しい一年の始まりを祝していた。

 ポーターは相変わらず忙しく荷物を運び、フロントスタッフは受付のたびに明るい笑顔を見せ、コンシェルジェは宿泊客の相談に応じていた。私の目に映るホテルマンたちは、新年早々から忙しく立ち働いていた。

 私がロビーに入った時、蟹江さんはホテルの支配人と話していた。二人はお互いにお辞儀をして、にぎやかに会話を交わしていた。支配人が身振り手振りで、何か言うと蟹江さんは楽しそうに笑ったが、また二人でお辞儀をすると、支配人は奥に姿を消していた。

 私は、蟹江さんが大笑いし、はきはきと話しているのを初めて見た。蟹江さんは、只者ではなかった。仄聞したところでは、蟹江さんは、やはり京都の呉服問屋の令嬢で、洋画家のご主人としばらくフランスで暮らしていた。ホテルや交流会場のレストランは、亡くなったご主人との思い出の場所だった。

 私は、セーヌ河畔で、イーゼルに立て掛けたキャンパスに向き合う有能な画家と、若かりし頃の蟹江さんの姿を思い描き、恋物語を夢想していた。

 朝永は初対面で「異業種交流会を様々な人が行き交うスクランブル交差点のような場所にしたい」と、話していた。「ただし、ただすれ違うだけではなく、お互いの個性が触れ合うことで化学反応を起こす場所にする」とも告げていた。

 私と麗奈が席に着いた時には、異業種交流会には、主催者の朝永が奥の席にいて、小堀、豆川、弥生、蟹江さんが遅れて席に着いた。

 レストランでは有線放送で、正月の筝曲「春の海」が繰り返し流されていた。異業種交流会の「春の海」も、朝永がこの筝曲にちなんで名付けていた。

「今日が最後になる」と、朝永は感慨深げに伝えた。

 朝永は、異業種交流会が継続できなかったのは、自分の認識不足が原因だと、素直に謝ってくれた。

「来るものは拒まず、去る者は追わずのスタンスに間違いがあった」と、朝永は頭を下げた。

「充分な準備ができたら、少数会員制で運営し、参加費を徴収して、セミナーを開催しようと考えている。準備ができしだい、希望者には連絡するよ」

「色々、ありましたね。朝永さんのおかげで、面白い個性的なメンバーと同じ席になり、話をして、交流が深まりました」

「私は、嫌なことより、有意義な時間の方が多かったですよ。お昼の一、二時間を意味のある時間にできたと思います」

「家で、テレビやDVDを見ているより、余程楽しかったですわ」

 皆、主催者として無償で運営してきた朝永を慰労した。

「こんな会でも、なくなるのは寂しいですわ。ないよりは、ましや……、いう感じかな」と、豆川は相変わらずだ。

「ほんまに、あんたの減らず口だけは、なおらんなあ」小堀の口真似で、弥生が茶化すと、爆笑した。

 ウエイトレスは何事かと、振り向いた。視線の先に、豆川や横倉を見つけて「ウフフフッ」と、口元に手を当てながら笑っていた。

「弥生さん、俺の口真似、上手くなったなあ。損保セールスが、回らんようになったら、うちの事務員に雇うからな。俺の物まねが、上手くできるように練習しとき」

 小堀も明るく振舞っていた。

 私は、横倉の席の後ろまで歩み寄り、肩に手を置き話しかけた。

「凡ちゃん、応援しているよ。演芸会場に足を運ぶから、また、君が出る時は連絡して欲しい。君なら、人気芸人になれると思う」私は、素直でひたむきな横倉に、自分を写し見ていたので、励ましたい気分になっていた。

「おおきに、そのときは頼みます」

「俺のことは、応援してくれへんの? なんや、羽毛布団のセールスは芸人よりも、下みたいやな」今となっては、豆川の直言居士ぶりも愛おしく思えた。

 ランチメニューは、正月にちなんでお雑煮と、重箱風の漆器に入ったお節料理が出された。

 朝永は箸で、紅白の蒲鉾をつまみながら、全員の様子を確かめると

「私は、正月に『春の海』を聞くたびに、宮城道雄の負けじ魂に勇気をもらっている」と告げた。

 蟹江さんは、異業種交流会「春の海」には、すべて参加していた。

「蟹江さんは、皆勤賞だね」

 朝永の言葉を受けて、蟹江さんは笑った。私は、何かの情報をつかんで、呉服問屋の令嬢で、画家の奥様といわれる蟹江さんと親しくなりたかったが、結局「蟹江」が、苗字なのか、個人名なのか未だに分からない。私にとっては、何故かよくは分からないが、懐かしい感じのする存在だった。

「蟹江さん、交流会が終わると、寂しくなりますね」

 また、謎のように笑ったが、蟹江さんは、今度はかすかに頭を横に振った。

 蟹江さんは、交流会では猫の話しかしなかった。

 全員が昼食を終えていたが、誰からも話そうとせず静まり、有線放送から筝曲だけが聞こえていた。私の頭の中には、慌ただしく過去の出来事が想起されていた。

 朝永は、再び正月の筝曲「春の海」の話を始めた。

「春の海は、邦楽の最高峰で日本が世界に誇れる名曲だ」

「そりゃあ、すごい。ええ話聞かせてもらいました。落語で言うと、真打やないですか」

 横倉は、最終日まではしゃいでいた。

「海外でも、有名なのですか?」麗奈は、首を少しだけ傾げた。

「この曲は、日本だけではなくアメリカやフランスで同時にレコードが発売され話題になっている。作曲した宮城道雄は、クラシック音楽の影響を受けて、箏と尺八の演奏で故郷の瀬戸内海をイメージした……、この曲を作曲している。宮城道雄は、箭内君と同じ神戸市出身だ」

「はあ、そうでしたか? 今まで意識して、聞いたことがなかったです」

「私は、正月になると自宅でも『春の海』をDVDで視聴している。元日から、小正月の一月十五日まで聞くのが長年の習慣になっている。宮城道雄は、幼いころに罹った病気が原因で、八歳で失明している。そういう状況で、箏を学ぶと才能を発揮し、十一歳で免許皆伝が認められている。その後、十四歳で作曲を始め、十八歳で当時の制度では、盲官の最高位とされる検校になっている。宮城道雄は努力と工夫を怠らない天才だった。天才が努力すると、誰も敵わないよ」

「私は、最初に朝永さんから、宮城道雄の話を聞いた時、順境に甘んじていたらあかん。逆境をものともしないのが、本物の男やと思いました」小堀はいつになく、しみじみと話した。

「この交流会を解散しても「春の海」のマインドで、難局を乗り切って欲しい。皆に、それを口頭で伝えておきたかった。今日、それが言えて良かったよ」

「ほんまに、おおげさ……、おおげさですわ」豆川がからかい半分に、横から口出しすると、小堀が「豆川……、お前なあ、場をわきまえろ。口を慎め」と、注意した。

 朝永は、豆川を正面から見ると「それも、君らしい個性だよ」と、小さく声に出して笑っていた。

 最後の交流会なので、感傷的になったのか、女性二人――麗奈と弥生――は、泣いていた。蟹江さんは、同じタイミングで薄ぼんやりと遠くを見つめていた。

「蟹江さんはね」朝永は、私に耳打ちした。「若い者の話についていけないから、狸寝入りしていた。君のような生真面目な青年が好きなのだと、私には打ち明けてくれた」

 麗奈には、朝永の言葉は聞こえていないと思えたが、私を見て涙を拭きながら「クスクスッ」と、笑った。

 外に出ると、雨上がりの空に大きな虹がかかっていた。仏教では、お釈迦様が天上界から地上の摩耶夫人の胎内に入る前に、綺麗な虹がかかっていたという伝説がある。私は吉凶禍福を占うなら、これが善事の予兆だと信じた。信じようと……、決心した。

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正月の筝曲 美池蘭十郎 @intel0120977121

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