第5話

 白い雲が湧きたち、青い空の色を鮮やかに際立たせていた。連日、体温を上回る気温の日が続く中で、汗を流しながら外回りの営業を続けた。

 巷間では、地球温暖化について――温室効果ガスが原因だと指摘する論者が多い中で、太陽の黒点運動の活発化に起因する――と、主張する論者も存在していた。甲論乙駁の議論が戦わされているにもかかわらず、解決策は見当たらず、日々、地球環境は悪化していた。

 私にとっては、人類の生活環境に影響する大問題よりも、目先の問題の方が大きく重くのしかかっていた。厳しい現実を目の前にすると、哲学的命題や社会問題よりも、自分の日々の生活の安定の方が優先課題になる。それは、至極当然のことのように思えた。――自分は器の小さい人間に過ぎないのか?――私は、自分に問いかけてみた。

 神戸市の三宮に着いて、フラワーロードを歩いていると、ミンミンゼミの蝉しぐれが、私の耳の中で反響し、蒸し暑さをいっそう強く、厳しいものにした。銀杏や楠の並木道を歩き、営業先の寺院に着いた。

 寺の住職は、祖父の代からの付き合いだ。私は住職なら、私の苦境を何とかしてくれそうな気がしていた。万一、住職から生命保険契約がとれない場合は、死のうと思っていた。そこまで追い詰められていた。誰が原因でもなく、私の誤算が現状につながった。

――商売では、大福帳が命の次に大事だ――、私は時代劇か何かで耳にした、この言葉を自分の今の状況に当てはめて考えてみた。私にとっての大福帳=見込み客リストは、成約の見込めない顧客リストになっていた。

 私が有望客と考えていた顧客のうち、五人は私の勧誘を断り切れず、社交辞令で期待を持たせるように演じていた。

「来週結論を出します」「急用ができたので、もう少しだけ待って下さい」「私は必要性を感じているのですが、妻が反対するので話し合っているところです」「前向きに考えていますが、今すぐには決められません」

 私は、彼らの言葉を真に受けて、先延ばしされるたびに追いかけ続けた。不決断は、私に対する気遣いから出ていたのが理解できたものの、時間と労力がかかる分だけ、神経を消耗しモティベーションの低下につながった。

 先行き不安感と、奇妙な脱力感が膨らみ、自己処罰的な想念と感情が、心の中で支配的になっていた。私の心の中では、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」で語られる「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」のセリフを思い出し、主人公ハムレットの煩悶に自分を重ね合わせていた。私には、それが根源的な問題に思えていた。

 私は、何故か胸騒ぎを感じ、有名なセリフの意味を考えて、英語版の「ハムレット」の同一箇所を調べてみた。「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」に相当する「To be, or not to be」は直訳すると「かくあるべきかどうか」となり「that is the question」の部分は「それが問題だ」となるのに気づいた。

 ハムレットの悩みがどうあれ、――私が今、生きるか否かのシンプルな二択問題に向き合い答えを出すべき状況か――と考えると、心の奥の深いところから笑いが込み上げてきて、馬鹿馬鹿しくなった。私は、目前の営業成績に囚われて、視野が狭くなっていた。

 交流会で、横倉の語る「人生は、二択やないと思います。五択を並べて、ご託宣と行きましょうや」の……、ジョークを思い出した。

 住職の家には、大きな猫がいて冷房が効いた部屋の中で、手足をダランと伸ばしていた。私は、住職の奥さんに「あの猫、シャルトリューですか?」と尋ねた。

 私は、蟹江さんの飼い猫によく似た青い猫を見つけ、運命論者のようなオカルト思考に陥り、――偶然の一致ではなく、今後の自分の幸運を予感させる出来事だ――と、考えていた。だが、私の不条理な妄想は打ち砕かれた。

「あの猫は、ロシアンブルーです。以前にも、尋ねられたことがあります、毛色が同じだし、雰囲気もシャルトリューに似ていて、見分けがつきにくいですね」

 住職は実に淡々と、私が手渡した資料に目を通し、しばらく考えると、申込書に記名捺印してくれた。私は消え入りたくなるほど、恥ずかしかったが首の皮がつながり、ほっとした気持ちになっていた。

 夏の間は外回りが過酷なものになり、汗が滝のように流れ出る日が続いた。熱中症で倒れないように合間を見て、喫茶店に入ったり、自販機でスポーツ飲料を買い求めて公園のベンチで飲んだりした。

 蒸し暑さが厳しさを増すにつれて、徒歩で長い時間歩くのがいよいよ耐え難くなってきた。週刊誌の記事によると――アンケート結果では、外国人観光客の95%が自国よりも日本の夏の方が暑い――と、回答している。外回りの営業活動では、気温の高さに加え、湿度の高さが体力を消耗させていた。

 私は仕方なく、クルマを走らせた。乗車した直後の車内は、熱気でムンムンとしており、サウナ風呂のように汗が出るのを促した。冷房が効くまで辛抱し、先方に着いて帰りにクルマに乗った時は、また熱気がこもっていた。これを繰り返し、成果の出ない日ほど、暑さが身体に堪えた。

 大阪市内で連日35℃を超える日が続くと、クマゼミは鳴かなくなり、私の営業成績も気温の上昇に反してダウンしていた。五月中旬から七月まで続いた好調が、嘘のように急降下し、連休前の不調よりも厳しい展開になっていた。

       ※

 ホテルの正面玄関を抜けて、ロビーを見ると紅葉の赤をイメージした飾り付けが目を引いた。交流会のメンバーでは、私と麗奈と朝永がいつも、周囲の微妙な変化に気づいて話題にしていた。

 レストランでは、また朝永と同じテーブルになった。

「私は、あらゆる時代の中で、昭和三十年代の日本が好きだ」と、朝永は言った。

「どうしてですか?」

「昭和三十七年と三十九年に、阪神タイガースがセリーグの公式戦で優勝しているのも一つの理由だ。私は、まだ生まれていなかったがね」と、朝永は声を出して笑った。

 一瞬だが「えっ」と、発声したあと絶句した。

 私はスキンヘッドの朝永の風貌から、若くても六十歳前後と見ていた。誤解に気づくと、申し訳ない気持ちになった。

「昭和三十年代の日本人は、未来への希望に燃えていたし、皆、努力家だった。今の日本では『額に汗して働く』とか『根性』とかの前向き思考を嘲笑い、棚ぼた式の幸運を願うのが、当たり前のようになっている。当時の日本の文学や、映画には、今のような白けた雰囲気がない」と、朝永は力をこめて話した。話し終えると、寂しそうな表情をした。

「皆、目まぐるしく変化する周辺環境に振り回されて、ゆっくりと自分を省みる心の余裕がないのでしょうね。職場で『根性論』を口にすると、からかわれそうな気がします。それはそれでいいと思うし、私は今の時代の雰囲気が好きですね」

「それも、一つの考え方だ。君の年齢だと、昭和がどんな時代だったか、想像するのは難しいよね」

「映画の中の昭和は、明治や大正とは違う意味で、新時代の幕開けに見えます。テレビやクルマが登場したのが、最大の歴史上の出来事みたいなイメージですね。でも、どうしても、平成生まれの自分には、古臭く思えてしまいます」

「なるほど、そんなもんかねえ。昭和は遠くになりにけり……か」朝永は、嘆息した。

 私は、朝永に最近、詐欺メールが大量に届いているのを告げて、反応を見た。実際に、自宅で使用しているパソコンのメールボックスに一日当たり、数百通のメールが届いていた。私は、投資、詐欺、出会い、エロなどの系統のメールをまとめて迷惑メールに振り分けた。交流会の参加メンバーの大半に同様のメールが届けられていたため、朝永は「責任を痛感している」と、詫びるように話した。

 レストランを後にして、生保セールスのために大阪市内を回っていた。商店街を歩いていると、コーヒーの香ばしい匂いや、様々な料理の匂いが鼻腔をくすぐった。昼食を食べたばかりなのに、微かな空腹を感じた。

 朝永からスマホに連絡が入り「今晩、飲まないか?」と誘われた。

 異業種交流会の会場と同じホテルのスカイラウンジに、夕食後の午後八時に会うことになった。

 私は仕事が予定より早く終わり、手持ち無沙汰になったので、夕方にホテルに立ち寄り、エレベーターで最上階まで上った。ちょうど、日の入りの時刻だ。ホテルの窓から外の景色を眺めた。

 太陽が沈むと、夕陽が赤々とした残照で雲の色を染め、舞台裏に姿を消していた。秋の入日は、ことのほか美しく照り映え、寂寥感を余韻に残して、消えていく。私は、物悲しくもドラマチックな光景に心を奪われた。私は、夕闇の底に沈みつつある大阪の街並みを初めて、素晴らしいと感嘆した。

 私は、自分の存在を醜くも矮小だと考えつつも、周囲の輝きに目を奪われていた。

 約束の時刻まで、二時間三十分もあった。支社長や営業所長がこの場所にいたら、悠長に過ごす時間があるのなら「一件でも電話を取れ、一人でも多く見込み客に当たれ」と、背中を強く押されそうな気がした。

 見込み客にアポイントメントだけでも、獲得しておこう――と思い、遠景を見ながらスマホで電話してみた。五件電話したが、いずれも不発だ。

 スカイラウンジの大きな窓から、眼下を見ると大阪市内の美しい夜景が広がっていた。繁華街のネオンライトが明滅し、少し離れたところの高速道路で走行するクルマが、流れる光の川のように見えた。

 店内は薄暗く、柔らかな照明が蠱惑的なムードを醸し出していた。中央に配置されたグランドピアノは、ほのかな明かりを宿して艶めかしく輝き、ショパンのピアノ協奏曲を滑らかに響かせていた。

「二十年前は、あのピアノにピアニストが腰かけて演奏していた。それが、今じゃあ自動演奏だ。時代が変わると、色々なものが変化しているね」

「今の時代の俺たちは、時代の変化に鈍感になっています。朝永さんにすすめられた昭和の作家や文化人の本、まとめて読んでみました」

 小堀が遅れて入ってきたタイミングで、ウエイトレスがワインボトルを手にして席まで来た。フランスワインの赤で、五年ものだ。ウエイトレスはコルクを抜くと、テイスティングのために朝永のグラスを取り、僅かに液体を注ぎ込んだ。

「結構です。有難う」と、朝永は同意を求めるように、私たちの顔を見た。

 私も麗奈も、朝永を見て軽く会釈した。

 朝永は、率直に交流会が原因となった不祥事を詫びると

「もともと、営利目的ではなく研鑽の場として、異業種交流会をスタートした。だから、会費は無料で、誰でも自由参加できるようにした。しかし、現実はそう甘くはなかった。目下、検討中だが有料で集まってもらい、月一回のセミナーの開催をする。少人数制の交流会にしたいと思う」

「つまり……、現在の異業種交流会は解散するのですか?」

「そのつもりだ。ちょうど、開催一年になる来年の一月に解散するつもりだ。今日は、君たちの意見を聞こうと思ってね」

 交流会では、猫の話しかしない蟹江さんも来ていた。――アルコールが入ると、確実に居眠りする――と、私は予想した。

「私は、反対やわ」蟹江さんは短いが、きっぱりと告げた。

「他に反対は、ありませんか?」

「……」

「会員数も少なくなっているし、解散するのなら、来年一月と言わず、すぐにでもええと思いますわ」

「名残惜しいのですが、反対する理由もありません」

「私は現状のままで、続けるつもりはありません。もし、解散に反対なら私の代わりに、誰かに運営してもらうことになります」

「誰が後任に適当でしょうか? 私は、小堀さんが年齢的にも適任だと思います」

「箭内君に、そう言うてもらえるのは嬉しいけど、運営は無理やな。朝永さんには……、ほんまに、頭が下がります」

「小堀さん、それほど難しい手続きもないし、時間もかからない。私が、今までしてきた運営はすべてお伝えしますが……、いかがでしょう? 私も、あなたが適任だと考えていました。どうですか?」

「私は、正直に言うと、朝永さんの一月解散に賛成です。これから、新機軸を打ち出して、会員数を増やすのも、難しいと思うのですわ」

 各自が自分の意見を話したものの、来年一月の解散は動きそうもなかった。

       ※

 相変わらず、成約ゼロの週が続き、絶望的になった。心の内側に居座り続けている脱力感のせいで、何をする気にもなれなかった。皮肉にも、そういう時こそ動く必要があった。

 やむなく、親戚の中でまだ訪問していない従弟の家を訪ねた。私は勿論のことながら、無理やり押し付けるつもりはなく、提案営業のつもりで相手先を訪問した。

 だが、私より二歳年下の従弟は、俗にいう――保険セールスマンは、身内に無理やり営業をかけて成約するように、会社ぐるみで方向づけている――という俗説を信じていた。

 従弟は、翌日になり営業所長あてに、抗議のFAXを送信してきた。内容は辛辣を極めており「身内に無理やり、商品を売りつける魂胆が気に入らない。そういうマインドは、ソリューション営業とは言わないのではないか? 即刻、馬鹿な営業方針は取りやめるべきである」と記述し、最後に――Don‘t  be  an  idiot. Don,t  make  employees  beg.――と、英語で記していた。

 従弟は、格下の大学を卒業して、保険セールスをしている私を見下して――物乞いをするな――と、批判しつつも、嘲笑していた。私は、今の状況を予想もしていなかったので狼狽した。当然のことながら、支社での私の評判はガタ落ちになった。

 営業所長は、私の要領の悪さ、営業センスのなさを詰った挙句に

「君は……、いや、お前は……、そんなことでは、何をやっても、どこに行っても通用しない。よく、そんな調子で生きていられるよなあ」と、皮肉った。攻撃的言動は、懐に隠し持つナイフのように、ほのかな殺意を内包している――私は、直感的に身震いした。さらに、理不尽な論理の組み立てと獣性を憎みながらも、意気阻喪していた。

 業を煮やす――という言葉があるが、文字通り悪業を積むことに他ならないのではないか――、私は周囲の無理解を責める思惑からではなく、そんな気がしていた。

       ※

 その夜、長い夢を見た。

 私は目を瞑り、ベッドで横になりながら、日常とは隔絶して存在する不条理で不思議な異世界を眺めていた。

――外は満月の光が煌々として、夜の世界を明るくしていた。私はフラフラと見知らぬ町中をさまよい歩き、蔦の絡まるいかにも古めかしい洋館にたどり着いた。初めて見る建物で、家の主が誰なのか分からないにもかかわらず、私の手が無意識に門扉を開くと、それに合わせて足も勝手に前に進み出していた。

 ドアは木製のもので、取っ手には輪状の金具がついている。扉を押し開くと、部屋の中は暗く、奥に動物が潜んでいるのか、双の目を怪しげに光らせていた。部屋の明かりを点けると、動物の正体がクロヒョウであるのが分かった。

 クロヒョウはしなやかな動きで歩みを進め、牙を大きくむき出しにすると、走り出し、まだ部屋の隅にいた私を目掛けて飛びかかってきた。私は危機一髪で、この世界が幻想のようなもので、思惑次第でどうとでも変化できるのを記憶の中から引っ張り出した。つまり、この不可思議な世界で、自在に魔法が使える能力に気づかされた。

私は、クロヒョウが小さなクロネコになるように心の中で念じた。と同時に、恐ろしい肉食獣は、小さな猫に姿を変えていた。

 部屋の真ん中には、木目の浮き出たマホガニー材の大きなテーブルが配置されていた。テーブルの上に置かれた瓶は蜂蜜で満たされており、中にコブラが漬けられていた。瓶の外側は結露しているため、濡れた表面を手にして滑り落としそうになった。死んでいたコブラは、生気を取り戻すと鎌首を持ち上げ、得意そうに尖端の割れた舌をなまめかしくチロチロと動かした。

 私はまた魔法の力に頼り、コブラが生き返らないように念じた。するとコブラの舌の先から世にも綺麗な真珠がこぼれ出た。コブラはまたおとなしくなった。瓶の横には、愛くるしい女の子の赤ん坊の人形があおむけに載せられている。寝かすと目を閉じ、抱き上げると目を見開くタイプだ。

 私は、洋館の主は風変わりで謎に満ちた人物に相違ないと考えた。椅子の上に無造作に開かれている新聞紙を見ると「我が国のAI技術は世界最高の技術水準に達した」「政府が海洋資源の採掘で得た資金を投じ、ベーシックインカムを導入。~各界から賞賛の嵐~」「土星の衛星タイタンに未知の生物を発見~政府首脳により近く公式会見を予定~」との見出しが躍っていた。

 私には何故か、それが遠い過去に目にしたもののように思えた。新聞記事で政治家や彼らの功績を褒めるのは、はたして良い事なのか悪い事なのかと自問した。答えは容易には見つからなかった。

 洋館の中には、いくつもの部屋があった。どの部屋にも固有の香りが満ちていた。私はクロネコが、また獰猛なクロヒョウに変身する事態を恐れ、次の扉を開いた。この部屋は白檀の香りが満ちており、部屋の明かりを点けても中は薄暗く、肌寒く、気味の悪いムードが漂っていた。

 正面には、スタンドに吊り下げられた人体の骨格標本が立てられていた。首のところには蝶ネクタイが結ばれている。髑髏は「ケタケタ」と上下の歯を打ち鳴らすと「ようこそ私どもの世界へ」と、薄気味悪い声で挨拶した。天井を見ると、吸血蝙蝠がぶら下がりこちらの様子をうかがっていた。背筋が凍り付きそうな気配を感じ、慌ててこの部屋を飛び出した。

 次の部屋は広々としており、至る所で金木犀の香りがした。どういうわけか、夜中なのにテレビには昼の番組が放映されていた。しかも、縁に彫刻を施した家具調の古いブラウン管テレビだ。画面には、神戸市で開催されていた「みなとの祭」の様子が映されている。

 私は、神戸市に生まれたものの「みなとの祭」はその後、道路交通事情の変化に合わせて「神戸まつり」と名称を変え、パレードの規模が小さくなっていたので、映像でしか知らなかった。

 私が見ているのは、祖父が撮影した8mm映像で、実家の居間で見たものと同じだった。父が幼いころは「みなとの祭」が開催されていたので、毎年のように祖父に連れられて見物していた。ここは家の一階であるのに、天窓が上層階まで開き、星のまたたく夜空が見えると、ミス神戸を乗せた花電車は走り出し、ロケットのようにアンドロメダ星雲に向かって上昇し続けた。

 この部屋には、若かりし頃の両親がいて、座卓の前に座布団を敷き、そこで好物の愛媛みかんを頬張っていた。二人は、家族全員で松山の道後温泉に行き、鯛茶漬けを食べた情景や、当地の地酒が美味しかった体験を回想して懐かしがった。私は、今の自分と同年代に見える若々しい両親を見てここに留まりたくなり、後ろ髪を引かれる気持ちで先へと進んだ。

 奥の階段を見つけ、上の階の様子を下から窺ってみた。音もなく、人の気配も感じられなかった。私は自分の心臓の鼓動が高鳴るのを感じていた。

 洋館の二階に上がり、ドアに薔薇の造花が貼り付けられた部屋に入った。この部屋は麝香の匂いが立ち込めていた。中に入ると、シリコン製の若い女の裸の人形があった。大きく澄んだ目、肉感がありながらも桃の果肉のような形の良い唇、艶やかで弾力性のある肌の質感や、張りのある胸、くびれた腰、すらりとした脚のすべてが、パーフェクトに見える。

 それは、生身の人間が持つ特徴のすべてを備えながらも、美術品のように上品なため、隠微さとは無縁のように感じた。

 私は、麝香の強い匂いに頭がクラクラしていた。シリコン製の人形の後ろから、見知らぬ男装の麗人が出てきて、奥のビリヤード台に近づくと「この僕と勝負しませんか?」と、いつの間にか手にしていたキューを卑猥な手つきで弄んだ。

 すると、シリコン製の女の人形の頬に赤みが差して、生気が蘇ったように私に向かってほほ笑んだ。人形は潤いを帯びた瞳で、こちらを見つめながら懇願するように「うまく入れてね」と甘い声を漏らした。

 男装の麗人は、キューを巧みに操作して、十五個のボールを残らずコーナーポケットに入れた。だが、私は自分が心底から望んでいる場所は、この部屋ではないと直感して、ここを出た。

 次の部屋は、高級レストランのような様々な料理の匂いが漂っていた。中では小説家の谷崎潤一郎、小説家で僧侶の今東光、哲学者の和辻哲郎、物理学者の湯川秀樹、料理研究家の辻静雄が食卓テーブルを囲んで談笑していた。

 私は一人の男に「小説家の谷崎さんではありませんか?」と尋ねると、即座に「何をとぼけている。君に招かれたから、私たちがここにやって来たのじゃないのかね。君は、まるで生命保険の勧誘員のように不躾だな」と厳しい表情をした。

 チーク材の食卓テーブルの前に腰かけている五人の男は、料理が配膳されるのを待っている様子だ。

 今東光和尚が「先生、一服どうです」と、葉巻を谷崎に向かって差し出した。「私は、柴田錬三郎君にすすめられて、キューバ産の上等のものを嗜んでいるのです」

 谷崎潤一郎は、表情を曇らせると「すまんね。高血圧症なので禁煙中だ。かつての芥川さんのようなペースで、たばこを吸うと寿命を縮めてしまう」

 二人のやり取りを聞いて、辻静雄は「喫煙すると味覚が衰える有力説があります。谷崎先生には、今回の料理を十分に堪能してもらえそうだ」と気遣いを示した。

 和辻哲郎は、私を見て「ここにお掛けなさい」と、隣の席をすすめた。和辻の手には、私が生まれた日の新聞が開かれていた。

 谷崎は私の方を見ると「君は、普段は何をしているのだね」と尋ねた。私は「主に小説や文芸評論を書いています」と答えた。私は大学時代には、小説と評論を同人誌に投稿していた。意外にも……、彼らは、私の創作活動を知っているかのように、批難し始めた。

 谷崎はテーブルを指先でトントンと叩くと「ああ、あれだね。君の小説は、女の隠微なムードが描けていない。命がけの恋をすれば、君にも良いものが書けるが……」

それを横目に見ていた東光和尚は「まあ、適当な女を見つけて、手っ取り早くやっちまうのだな」と、口を開き「あはははは」と大きな声で笑った。

「今さんもお人が悪いようだ」と和辻が指摘すると「いや和辻さん、箭内君に早く結婚しちまえと言っただけですよ」と言い直し、また愉快そうに笑った。

 料理は、前菜の三皿を手始めに、サラダ、スープ、魚料理、肉料理、デザート、食後のコーヒーに至るまで絶品だ。ロマネコンティの赤・白のワインも存在感を示していた。

――いったいこの食卓を誰が用意し、調理させたものなのか――と私は思った。

 まるで、想念を見透かしたように、辻は「何を考えている。君が私に依頼して、この場を演出させただろ?」と問い返した。

「まあ君、偉大な先生方とともに、この贅沢な食卓で一献傾けよう。君は、料理が芸術であるとともに、科学だとは思わないか?」と、ボトルを手に取り、私の前のグラスのワインを注ぎ足した。

 湯川秀樹は「健康に寄与する科学、人の生活に潤いをもたらす科学ですね」と補足した。

 辻は「この年の四月に大阪・阿倍野に調理師専門学校を開校する。魯山人先生に、生徒がつくった料理を食べていただきたかった」と目を細めた。美食家として知られる北大路魯山人は、昭和三十四年十二月にこの世を去っていた。

 私は、愚直にも「先生方のように、活躍したいと願っています」と打ち明けた。

 東光和尚は「おまえさんは、深い夢の中にいて、ありもしないものを見て生きているに過ぎない。この部屋にいる今この時だってそうだ」と、ほくそ笑んだ。

 和辻は、隣にいる私に「私たちは壮大な幻想の世界に住んでいるのかもしれない」と、湯川の同意を求めた。

 湯川は「すべての物質に、波動と粒子の二重性がある、物理現象が証明されています。世界は、幻想かもしれません」

 東光和尚は得意げに「一念三千と言ってなあ、人の心には宇宙のすべてが備わっているのが道理だ。即ち、宇宙の三千大千世界も稀有壮大な幻なのだよ」

 私はこの洋館の主を見つけに、いくつもの部屋を捜し歩いた。ある部屋で、無造作に置かれたアルバムを開くと、何枚もの写真がありこの家の主と思しい人物がいた。それはいずれも、私の姿で二十歳頃の写真だ。

 玄関に出て表札を確認すると、そこには「箭内祐大」と書かれていた。

私は……、目の前に存在しているこの洋館と周囲の世界が、三千大千世界のすべてにつながっていることを信じたくなった。

――私が、夢の中で見た偉人たちは、昭和に活躍した人物だ。私は、朝永に影響されて「昭和」に憧れて、半年のあいだ偉人の評伝や彼らの著作を読み、文芸誌の特集記事にも目を通していた。フランス人がパリの「ベル・エポック」の時代に郷愁を感じるように、私の胸の内には昭和三十年代の日本に対して、憧憬の念が芽生えていた。それが、夢に出て来た――と、私は考えた。

 夢の光景は、時間の秩序が崩れていて、西日に焼けてセピア色に変色したモノクロ写真と同様に、レトロな世界に見えていた。

 精神分析のフロイト理論によると、夢は人の深層心理を表象する精神の万華鏡のようなものだ。夢の中には、シンボルとして、人の心の内に潜む悩みや願望が出ている。死と再生を暗示する夢の内側に、私の本質が存在していた。

 私は、昭和三十年代に憧れながらも、現状に苦しみ脱皮することを望んでいた。

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