第4話

 種子をまき、水をやり、大切に育てると収穫の秋には、多くの実りをもたらしてくれる。文字通り、根気強く継続していた営業活動が奏功し、連日の成約につながった。

 支社内でも営業所内でも、私は一目置かれ、同僚に会うたびに褒められた。

「箭内君、今週の活躍ぶりは素晴らしかった。いよいよ、眠れる獅子が覚醒したな」

「一日、二日続く成果は偶然のケースがある。一週間続くのは、偶然ではなく実力によるものだと思う。期待が持てるな」

「おいおい、箭内……、調子づいて、俺を置いてきぼりにしないでくれよ」

 同僚たちの言葉は温かく、成果が出る前とは違い、視線まで柔和なものに変化して見えた。

 私が好成績に急変したのは、無論、偶然の産物ではなく、セールスコミュニケーションのスキルアップに努めたこと。さらに、異業種交流会での人脈が今になって、営業成果のプラスに作用したことが影響している。

 二週間目も、三週間目も好調が続くと「たまたま、成果が出たからといって頭に乗るなよ。『勝って兜の緒を締めよ』と言うだろ? むしろ、これからがきつくなるよ」と戒めていた所長からも褒められた。

 周囲の一喜一憂を見ていると、不安感がムクムクと湧いてくる。だが、そんな素振りを見せるわけには行かず、私は休む間を惜しんで、営業先に出かけた。

 紹介受注がうまくつながり、好調がキープできたので次の週も、成約が続いた。

 支社長にランチに誘われ、二人で席に着いた。

「君が不調の時に、苦言を言って申し訳なかった。私は、君の親と同世代だ。君を育てる親心から出たものと思ってくれ」

 私の好調の理由は、毎回参加している異業種交流会と関係がある。小堀と何度か話して、アドバイスを受けるうちに信頼を得たのが大きかった。私は小堀に教わった手法をすべて教わった通りに実践した。

「セールス言うものはなあ。物売りでも、保険みたいな形のないものでも、売りっぱなしはあかん。どうフォローするかが、鍵になる。たまに、既存客の様子伺いに行っているか?」

「いえ、突然行くのは先方の迷惑になるし、アポイントをとってから訪問するのも、営業目当てだと、嫌がられそうな気がします」

「あほやなあ。御用聞きは、軽くあしらわれがちや。メアドを知っている先には、ステップメールを送信して、お役立ち情報を提供することや。信頼を獲得したら、家族や知人を紹介してもらえる。それとな……、たまには電話して、それとなく満足度を聞いておけ。聞くのも、タイミングが大事やで」

 小堀は、私に懇切丁寧な指導をし、見返りを何一つ求めなかった。私は心苦しくなり、内心では自分を責めつつも、藁にも縋る思いで小堀の話に聞き入った。

「箭内君を見ていると、幼いころに死んだ弟を思い出すねん。君みたいにおとなしいけど、ええ子でな。俺の顔を……、君のように、真っ直ぐな視線で見て、小さく頷くんや」小堀は懐かしそうな表情をしながらも、詫びるような口調で打ち明けた。

 小堀のアドバイスに従い、成約後一年以上経過している顧客リストを見て電話したところ、私がすすめた保険に満足している顧客からの紹介が、次々と成約につながった。

 小堀は、私に自分の顧問先の中小企業を複数、紹介してくれた。職域セールスでも、新入社員を中心に、個人年金や定期保険の成約に結び付けた。

 支社で月間成績が発表された。私の営業成績は成約件数、金額ともにMDRTの常連メンバーを押しのけてトップになった。

 支社長は「君の絶え間ない努力と、汗の結晶だ」と拍手して、表彰状と記念品としてパーカーのボールペンを贈呈してくれた。私は、ぎこちなく礼を言った。

 営業所長は「最初は、箭内のことだから、好調なのもマグレだと思ったよ。まあ、先輩の顔も立てて、あんまり飛ばし過ぎるなよ」と冷やかした。

 所長は、私の感謝の言葉を「それは、別にいいよ。まあ、気を緩めるなよ」と遮ると、そそくさと目の前を去って、自席に戻った。

 私は意気揚々として、交流会にも参加した。

 同じ席には、横倉と弥生と蟹江さんが腰かけていた。六人席のあとの二人は、初めて見かけるメンバーだ。

 このころには、蟹江さんは伝説の人になっていた。周囲の話では――蟹江さんは、江戸時代から続く、京都の呉服問屋の令嬢で、若いころは奔放に振舞い、有名作家や俳優とも交際していた。今でも、それなりの暮らしをしていて、暇つぶしと世の中の動向調査のために、交流会に参加している――と囁かれていた。

 私は――そういえば、蟹江さんは知的で上品な顔立ちをしているな――と、思った。だが、蟹江さん情報の出所は分からない。

「豆川の奴、あいつ、私になんて言ったと思う?」弥生は、席に着くなり憤りをぶちまけた。

「僕も聞いていました。『姐さん、ええ、胸してまんな。今度、酒でも飲みに行きまへんか?』言うて、誘っていました。あんなネタ振りは芸人の僕でもしませんわ」

「そうそう、誘うのなら……、それはそれで、言いようがあるでしょう?」

「昼間やし、酔っている風もないのですわ。あれは、無神経を通り越してますな」

「弥生さんはスタイル抜群だし、男性には魅力的に見える。多分ですが、揶揄いたくなったのでしょうね。乱暴な口調は照れ隠しですよ」

「豆川さんは、普段から口が悪いし、ほんまは、弥生さんをどう思うているのやろ」

 横を見ると、蟹江さんがうつらうつらと、居眠りをし始めた。

「きっと、ここにいると安心感があるのよ。そっとしておいて、あげましょう」

「老舗のホテルやし、蟹江さんの思い出の場所なのと違いますか?」

「それも、考えられるよね」

 他愛ない話だが、私は子供の頃から、横倉のような気楽な性分の男が好きだった。

弥生のように本心を包み隠さない女性といると安心できた。

 蟹江さんは目を醒ますと、一方的に猫の話を始めた。

 飼い猫は、フランス原産のシャルトリューで、猫の名前はシャ・ノワールとシャ・ブルーだ。写真を見ると、メス猫のシャ・ノワールは、身体は小さくて毛色が濃く、オス猫のシャ・ブルーは大きな体格で毛色は薄く見えた。

 シャ・ノワールは、フランス語で黒猫、シャ・ブルーは、同様に青猫を意味する。――やはり、蟹江さんは只者ではない――、周りがざわつく中で居眠りできる豪胆さも、育ちの良さから来るもののように思えた。

 ある日の午後、大阪市内を歩いていてスーパー銭湯を見つけた。午前中に一家族から三件ほど成約していたので、身体を休めたくなっていた。

 受付で入場料と、貸しタオル代金を支払い、ロッカールームで腕時計や財布などの貴重品を預け、脱衣室で裸になり、浴場に入った。男湯の中は、大浴槽を中心に、ジェットバス、サウナ、岩盤浴のコーナーに分かれていた。大浴槽は、スポーツクラブのプール並みに広々としている。

 午後二時の銭湯はガランと空いていた。洗い場の椅子に腰を下ろし、石鹸を付けたタオルで身体の汚れを落としていると、大浴槽でバシャバシャと、水を弾く音が聞こえた。振り向くと、豆川が浴槽の中を伸び伸びと泳いでいた。大浴場の壁には、三ヵ所も「遊泳禁止」の張り紙がある。

 私は、豆川に近づき「大丈夫なのか?」と、問いかけた。

 豆川は偶然、スーパー銭湯で出会ったことを驚く素振りもなく「まあ、心配せんでも、よろし」と、嘯いた。

 私は、先日読んだ和辻哲郎の「大和古寺巡礼」の中に「西洋の風呂は事務的だ。日本の風呂は享楽的だ」と、書かれていたのを思い出した。――豆川は確かに、風呂を享楽的に扱っている――と、考えると胸の内から笑いが込み上げてきた。

 豆川は、泳いでいた時に首に巻いていたタオルを外し、ちょいと頭の上にのせると話しかけてきた。

「このスーパー銭湯は、宿泊施設があるのは知っていますか?」

「ああ、さっき入口で貰ったパンフレットに、そう書いてあったな」

 それまで、私と豆川のほかに七十歳代と思しき入浴客が一人だけいたが、浴場から出て行った。

「そしたら、宿泊施設に羽毛布団二十組を売りつけたのは、誰やと思いますか?」

「もしかして、君か?」

「ご明察。だから、昼間でもここで遊べますねん」

 私は、悪びれた様子のない豆川を見て――つくづく要領が良い男だな――と感心した。

 二人の声は、エコーがかかって聞こえた。

 豆川の話では、スーパー銭湯では、私の勤め先のセールスマンをよく見かけるとのことだ。名前を聞くと、すべて成績優秀者ばかりだ。豆川は同僚とも名刺交換し、自分を売り込んでいた。銭湯で私を見つけても、驚かない理由が腑に落ちた。

 豆川が浴場を出た後で、私はサウナ室に入った。サウナは高温・高湿度に設定されており、肺の中まで熱気が入り込むと、しばらく椅子に腰かけているだけで、玉の汗が噴き出した。室内は薄暗く、薪がパチパチと弾ける音が耳に響いた。

 私の心は、充実感で満たされ、不調時のことは完全に忘れていたし、不安や嫉妬、憎悪の呪縛からも自由になれていたので、自分は幸運に恵まれると確信していた。

 私が浴場から出て、脱衣室で服を着て休憩室に行くと、既に豆川の姿はなかったが、先に出た老人が、椅子に腰かけて涼んでいた。老人はコーヒー牛乳をテーブルに置くと「風呂場で泳ぐ奴は、今まで見たことがない」と、声に出した。

「すみませんでした」と、私は豆川の代わりに謝った。

「そやけど、さっきの連れの人は、元気がよかったなあ。あんなことできるのも、若いうちだけや。おっちゃん、羨ましいわ。ええなあ、ええこっちゃ」と、老人はエアコンの通気口を見上げながら呟いた。

 本来なら、苦情を受けても良いところだが、老人は理解を示し「若者の特権だ」と、目を細めながらほめてくれた。

 ツキに恵まれているときは、意外なほど物事がうまく展開していく――私は、漠然と感じていた。

       ※

 生活面に安心感が出て来たので、小堀にすすめられて毎朝、大阪城公園の周辺をウォーキングした。早朝五時にもかかわらず、ジョギングやウォーキングをする連中の姿があった。JR森之宮駅の近くにある公園をスタート地点とし、北外濠の外周から大川に出て、毛馬水門まで往復して戻る11.8キロメートルのコースだ。

 iPodやウォークマンから流れ出る音楽に耳を傾けながら、無表情な顔を正面に向けてランナーたちは私の横を走り去って行った。私は先を急がずに、町の景色を見ながら歩いた。ゆっくりと、時間が流れていく。私は保険セールスを始めてから、時間に追われ、急かされ続けながらも、あれこれと考えてきた。

「君の、知恵のない頭で……、余計なことを考えても、答えは出ない。とにかく、外に出て一人でも多くの人間に声をかけて、話を聞いてもらえ」と所長の痛罵を浴び、指示されつつも、悪戦苦闘の連続だったのが、嘘のように思えた。

 悪夢は過ぎ去った――と、私は実感した。

 気持ちに余裕ができると同時に、私生活にも好影響がでた。

 私は麗奈を誘い、神戸市の美術館に行った。何点もの油絵を鑑賞しながら、黙って歩いた。角を曲がると、彫刻が置かれており、裸像は男性器までリアルに造形されていた。私は言葉を失い、自分の頬が強張っているのを実感した。

 麗奈は、急に笑い出し美形の男の裸像の局部を指さすと

「ほら、これって……、居酒屋の前にある狸の置物に似ている」と、反応した。

 私は麗奈の真意が分からず、明らかにうろたえていた。

「それっ、信楽焼の狸のことだろ? 君って、ユニークだよな」と、かろうじて言葉にした。

「私って、ユニークなの。気が付かなかった?」悪びれた様子もなく、言い放った。声の調子が冷笑的で、突き放すようなニュアンスを含んで聞こえた。

 私は、麗奈が遠回しに別れを告げようとしているものと早合点した。

「どうして、急にそんな心境になった?」

「えっ、何のこと?」

「俺のこと、麗奈はどう思う?」

「好きよ」

「えっ? もう一回言ってみて」

「何回、言わせるの?」麗奈は、子供のようにあどけなく、頬を膨らませて見せた。

 美術館を出て北の方角を見ると、緑の樹木を生い茂らせた六甲の山並みが、近く感じられた。子供の頃から――昼頃に、山が近く見えると夕方から雨が降る――言い伝えを聞いていた。雨具の用意がなかったので、不安になったものの夜になっても雨は降らなかった。

 三宮から元町まで歩いていると、麗奈は目を輝かせ「横浜と神戸は、双子みたいに似ている」と、クリスマスプレゼントを手にした子供を思わせる笑顔を見せた。

「横浜も神戸も港町で、横浜にはマリンタワー、神戸にはポートタワーがある。横浜の中華街と神戸の南京町、横浜の山手西洋館と神戸の北野異人館。どこも、そっくりなの。それに、町の中に赤レンガの建物が多くて……、海沿いのホテルの外観も似ているの。神戸市は横浜市を少しだけ小さくした町に見えるの」

「異人館は、横浜の西洋館に負けていないだろ?」

「それは、そうだけど。でも、町全体を見ると、ちょっとだけ小さい。そんな感じかなあ。ごめんなさいね」

 私は、麗奈に見下された気分になっていた。

「あっ、一つ、横浜が神戸に負けているものがある」

 麗奈が指さした先に、六甲の山並みが見えた。

「横浜市内にも、大丸山、円海山という小さな山がある。幼稚園の頃に遠足で頂上まで登ったことがある。でも、あんなに堂々とした山はない。そこが、違うかな?」

「じゃあ、総合的に見ると、神戸市の勝ちだね」

「それは、どうかなあ」麗奈は舌をチロッと見せると

「よく晴れた日には、横浜から富士山が見える。日本一の山だよ。横浜の勝ちでしょ」と、自軍の勝利を告げた。

「それじゃあ、切りがないね。引き分けにしよう」

 他愛ない雑談の中に、珠玉の価値を見つけたい――私は、そんな風に漠然と感じながら、一瞬一瞬を楽しんでいた。

 麗奈との交際は、順調に進み、奈良や京都の名所旧跡巡り、映画・演劇の鑑賞で休日のスケジュールは満ち足りたものになった。

 連休中は、奈良市内の寺を散策し、公園で鹿に餌を与えた。猿沢の池では、二人で亀が泳ぐ姿をぼんやりと眺めた。微風が心地よく、私はこの幸福な時間が永遠に続かないかと想像した。

 表情豊かな麗奈が、愛嬌たっぷりに話す幼いころの思い出を聞いていると、誰もが羨む理想の状況に自分がいるのに気づかされた。麗奈がワイキキビーチで遊ぶ姿や、ぬいぐるみに囲まれた部屋の様子、好きだったテレビ番組、どの話も私には、宝箱のような貴重な物に思えていた。

 私には、麗奈の存在が大きく、眩しく感じられた。

 梅雨に入り、鬱陶しい毎日が続いたが、好調は衰えることなく、土砂降りの中でも足取りは軽く、充実した日を過ごした。

 雨の日の朝は、大阪城の周辺をウォーキングしなかったが、早起きが癖になっていた。そういう日は、朝永にすすめられた昭和の文豪たちの本を読み耽った。谷崎潤一郎、川端康成、今東光、三島由紀夫たち、文豪の描く世界の美しさと、毒々しさを味読するのに、私は雨の日の早朝を充てていた。

       ※

 一方で、異業種交流会では、強引なセールスの駆け引きや、勧誘が横行し、嫌気がさしたメンバーが離脱していった。

 八月に入り、最初の交流会の時に、騒動が持ち上がった。会場のレストランでは、六十歳以上の参加者が毎回、二~三名出席していた。そのうちの一人が、詐欺メールに引っかかり、五万円騙し取られていた。被害者の男性によると、交流会に参加して名刺交換し、メールアドレスを複数の人間に知られたのが原因だ。それ以外には、思い当たらないとまで主張していた。

 朝永が交流会の会員全員に電話やメールで連絡をとったところ、全体の六割の会員に同様の詐欺メールが届いていた。私もメールボックスを開いて確認すると、週に一回のペースで一通だけ、疑わしいメールが届いていた。

「高額当選おめでとうございます」「お荷物をお届けしましたが、ご不在なので持ち帰りました」「あなたに幸運をお届けします。読後の情報拡散をお願いします」などと書かれているものの、あて先に私の氏名の記載がなく、送信元の連絡先も曖昧になっている。

 私は一読して、馬鹿馬鹿しくなり、同様のメールは開かないで放置していた。被害男性は、内容を真に受けて、指定された銀行口座に五万円振り込んだが、予定日を過ぎても当選金の受け取りができず、連絡手段もないと、説明した。

 それがきっかけになり、交流会員の離脱者数が増えて行った。

 朝永と小堀は、誰かがメールリストを業者に売りつけたものと考え、犯人探しを始めたものの、結局のところ、手掛かりが何も見つかっていない。仮に犯人が交流会参加者だとしても、すでに離脱している可能性があった。

 男性が管轄の警察署に被害届を提出し、成り行きを見守る展開になった。被害男性は、交流会から足が遠のき、離脱した。

 誰とも名刺交換していない、最年長の蟹江さんは難を逃れていた。私は、何よりもそのことにほっとしていた。

 麗奈とは毎日、欠かさず電話かメールで連絡を取り合い、当日にあったことを中心に情報交換した。土日のいずれかはデートしていた。

 私の保険セールスは、八月に入ると毎週連続の成約はストップし、陰りが見え始めた。あせりが悪循環につながり、セールストークも自己中心的なものになり、ペースを崩していた。

「やっぱりなあ、そんなことだと思ったよ」と、営業所長は冷ややかに批判し、支社長は「スランプは、誰にでもある。好調が続くと過信のせいで、話すペースが従来よりも早くなり、顧客志向のセールスが、自分本位のものになりがちだ。そこを見直すと、改善できる可能性があるね」と、逆に励ましてくれた。

 ノルマに追い立てられるうちに、週一回の麗奈とのデートの約束を果たせない状況に度々、なっていた。

 大阪市内を歩いている時、海風が吹くと熱気のせいなのか、ドブのような臭気を感じる日があった。

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