12

 私がメリッサ・ラーズグラードと初めて出会ったのは半年程前で、妻がリヨンでいい店を見つけたと言うので一緒に食事に行った時の事だった。


 確かに彼女は傍から見て美人だったし、とても綺麗な声と優しい喋り方が印象に残る魅力的な女性だった。だけどそう思ったである。その時は彼女との関係を深めようとは微塵も思わなかった。





 それからしばらくして。友人と食事に行く時、レストラン・メリッサを選ぶことがままあった。この時も彼女に対して何も思わなかったし、自分がどう思われているかなんて考えもしなかった。単純に、店の雰囲気と料理の味が気に入っていたからこの店を選んでいるだけだ。彼女と話す回数は行くたびに増えていったのだが、あくまで常連客として見られているのだと思っていた。


 彼女との関係に進展があったのは5、6回目に訪れた時だったと思う。私が手洗いから戻る途中、ふいに声を掛けられたんだ。いつもの様な世間話を二言三言交わした後、彼女は手紙を渡してきて「お一人の時に御覧になってください」とそっと囁いたんだ。


 家に帰った後それを読んでみると、そこには『初めて見た時から何か気になっていた』『話してみるとますます惹かれていった』『度々うちの店に来ていたので少なからず好意を持ってくれているのではと考え、今回思い切って手紙を出してみた』『可能ならば、二人で会いたい』そんな事が記されていた。

 

 それから一週間程悩み続けたよ。何、悩みすぎ? 私は女性と関わる機会がそれほど多くなくてね。悩んだ挙句、とりあえず一回だけ会ってみようと思ったんだ。友人としての関係を築けそうならそのまま続けて、妻を裏切るような事になりそうならきっぱりと関係を断とうと思ったんだ。


 




 ……まあ、結果は皆が知る通りだよ。最初に固めたはずの意思は彼女と会うたびに崩れていった。私は既に退職していて、妻の仕事の手伝いも他にアシスタントが大勢いたから暇な時間は山ほどあって……彼女と深い関係になるまで、一月掛からなかったんじゃないかな。


 そんな日を過ごしているうちに、私自身メリッサとの関係をいつまでも続けるべきではないと考え始めたんだ。彼女もそう思っていたのはなんとなく伝わっていた。だから、そう遠くないうちにこの関係を終わらせる日が来るのだと思っていたのだけれど……






 ある日、メリッサの別荘に招待されたんだ。その別荘には何度も来ていたので特に何も思わなかったな。いつものように妻には知り合いとキャンプに行くと言って出て来たので、別荘でゆっくりと過ごしていたのだが……夕食後、メリッサはある話を切り出した。それは二人の関係についてだった。


 メリッサは私の事を愛していたが、やはり結ばれる事は難しいだろうと考えていたようだ。歳の差や私が有名人の夫である事、父の許しを貰うの事……問題は色々あったからね。これでメリッサとの関係も終わる。安堵しつつも、どこか寂しい気持ちになっていた私に、メリッサはある物を取り出して見せたんだ。それは、リュミエールの『申込用紙』だった。 






 知り合いにダンジョンに詳しい男がいたからそれが何なのか、何をしようとしていたのかすぐわかったよ。これさえあれば二人は結ばれることが出来る。そんな事を言うメリッサに対し私は待ったをかけたんだ。その時の私はすっかりと目が覚めていて、彼女と別れようと思っていたからね。


 ただ、それをストレートに伝えるのはなんとなくまずいと思い「申し込みをしても絶対に選ばれるわけではない」「課題をクリアした人間は今までごく僅かだ」「それを売って、君の為に使って欲しい」そんな事を言って何とか彼女をなだめようとしたんだ。

 

 そうして一時間程話し合いが続いて……メリッサは諦めてくれたんだ。「この決意が揺るがないうちにきっぱりと別れましょう」「二階にあるあなたの荷物をまとめて、今すぐ帰って」「そうしてもう二度と、会わないようにしましょう」そんな風に言ってくれた。


 ああ、よかった。これでまた以前の生活に戻ることが出来る。彼女に手伝ってもらい荷物をまとめ、さあ階段を降りようと思った時だった。いきなり視界がグルグルと回って、体中に痛みが走った。メリッサがゆっくりと階段を降りて来る姿を見た時、自分は彼女に突き落とされたのだとようやく理解できたんだ。






 その後、気が付くとベッドの上にいたんだ。どうやらあの後気を失っていたらしくてね。横に座っていたメリッサがすぐに気が付いて声を掛けて来たんだ。


「ああ、よかった。気が付いたのね」

「君は何を……」

「動かないで、転げ落ちた時に足の骨が折れてしまったみたいなの」


 そう言われ、両足から痛みが伝わって来るのに気が付いたんだ。ベッドで介抱してくれたという事はさっきの事は一時的にカッとなって取った行動であり、今彼女の頭はクールダウン出来ていると思い安心した。まあ、それが間違っている事はすぐにわかったんだけどね。


「ああ、本当だ。よりによって両足とは……」

「いいえ。落ちた時に折れたのは左足だけだったわ」

「……どういうことだい?」

「丁度いいと思ってね。あなたが気を失っている間に右足の骨も折っておいたの。これならあなたは逃げられないでしょ? でも安心して、リュミエールへの願い事を書く時、骨折も治して下さいってついでに書いてあげるから」

「え、いや、ちょっと……」

「私気づいたの。あなたが反対するのなら、その度にどこかの骨を折ればいいって。あなたが賛成してくれるまで続けるわ。いいわよね? どうせリュミエールが治してくれるんだもの。ああ、血が出るような行為はやめてあげるわ、死んでしまうから。でも、少しぐらいなら大丈夫かしら……」

「何故そんな事を? 私に構わず『申込用紙』に記入すればいいじゃないか」

「だって、私だけが一方的に望んでいるような願い事、リュミエールはきっと選んでくれないと思うの」

「こんな風に脅して同意を得ても選んでくれないと思うが」

「脅しではないわ。私はあなたが心の底から考えを変えてくれるまでとことんやるつもり。人間には二百本くらいの骨があるんだから、じっくりいきましょう」


 私はぞっとしたよ。彼女はいつもみたいな綺麗な声で、おぞましい提案をしてくるんだ。このままだと殺されるよりひどい目に合うと思い、私は必死になって頭を回転させた。そしてある事を思いついた。





 

 まず、彼女に謝罪をしたんだ。「自分が間違っていた」とね。そう伝えると彼女はぱっと明るい表情を見せてね、一先ず安心したよ。次に私は、「リュミエールの課題はとても難しいらしい。だから、願い事を書く前にしっかりと情報を集めた方が良い。なんせ一度きりのチャンスだからね」そう言ったんだ。


 私の言葉に彼女はあっさりと信じこみ、『申込用紙』への記入を待ってくれたんだ。そしてしばらく情報を集め、次の週の月曜日にまたこの別荘に戻ってくると言った。これも私の作戦通りだ。金曜から日曜はレストランが忙しくなるから、出来るだけ休まないようにしていると彼女が言っていたのを覚えていてね。ともあれ、その日は水曜日だったから四日の猶予が生まれたわけだ。


 彼女は別荘を出ていく時扉や窓を閉ざしてしまった。決められた人間の魔力にだけ反応する新型のクラビス合金を使用した扉と窓だ。しかし幸いな事に、リュミエールの『申込用紙』を置いていったんだ。持って行かれたら打つ手無しで諦めるしかなかったけど、完全に閉ざされた別荘に置いていった方が安全だと思ったんだろうね。また、私が先に『申込用紙』に記入してしまうなんて事も思いつかなかったみたいだ。とにかく、私はすぐに願いを記入した。


『彼女との関係を誰にも知られることなく、この状況から救い出して欲しい』


 そう記入したんだ。何故そんな風に記入したかって? 妻への配慮、自らの保身、色んな理由があったけど、一番初めに思ったのは彼女が不幸にならないようにということだ。これは見栄じゃない、本当だよ。彼女の父はとても厳しい人らしくてね。娘の不貞行為を知れば勘当してしまう可能性は大いにあったし、周りから色々と言われる可能性もある。あんなに恐ろしい一面を見てしまったのに、憎しみの感情は不思議と湧かなかった。彼女には苦しんでほしくないと本気で思ったんだ。





 さて、『申込用紙』に記入はしたものの選ばれるかどうかはわからない。駄目だったのなら天罰なんだと受け入れ潔く諦めよう、そう思って眠りについたんだ。そこで、私はリュミエールに導かれた。折れている筈の足は何ともなくて、奥の部屋に歩いて進むと三人のウェイトレスが立っていた。私の願いを受けた事と、それを叶えるための課題を伝えてきたんだ。


 「直接説明することなく、自らの危機を誰かに伝えてみなさい」


 私はまず、両足を折られ監禁されている状態なので無理ですと言ったんだ。そうしたら両目を隠したウェイトレスがそれはわかっていると言い、ある程度人の行動をこちらで操ってあげるから、何か案を出してみなさいと言ったんだ。


 それで私は必死になって考えた。思いつくままに人の名前を挙げ、こんな風に集めて、こんな行動を取るように注文してもらい、ウェイトレスにはこんな行動を取るように…………今思うとあんな無茶苦茶なメッセージをよく解読してくれたと思うよ。一通り伝えると、段々と意識が薄れていって……別荘のベッドで目を覚ましたんだ。


 その後は祈るしかなかったよ。祈りながら、別荘の中を這いずり回って過ごしていた。そして運命の最終日、君たちが私を救ってくれたんだ。




 ***




「──という事だったんだよ」

「なるほどね、大変だったなぁ先生」

「まあそれも不倫をしたのが始まりですので、身から出た錆ですわ」

「それに関してはアタシもフォローし兼ねます」

「いや本当に……もう二度としないよ」


 ジェフが救いだされてから三週間後。一行は以前来たレストラン・メリッサの個室に集まっている。呼ばれたのは偽の同窓会で集まった五人に、マオとギルバートを加えた計七人だった。救い出されたものの両足の骨は折れたままなのでジェフは車椅子に乗っている。


「そうそう先生、今回の謎を解くのにギルも力を貸してくれたのよ。マオちゃんとギルの二人に相談していなければ多分解けなかったでしょうね」

「そういやギルバートさんは同窓会に呼ばれてなかったすよね?」

「私はリュミエールに同窓会に呼ぶ人を伝える時、ギルバート君は思い出せなかったみたいでな……申し訳ない。今はダンジョンの研究をやっているんだって?」

「ええ、マオと組んでやってます」

「君がダンジョン研究をやっていたおかげで私は救われた、ありがとう。そして、ドーソンさん」


 ジェフは車椅子を操作しマオの近くまで移動すると、頭を深々と下げた。


「君は私を救うために『申込用紙』に記入をしてくれたそうだね……本当にありがとう」

「『課題』を達成するにはあなたに会って「あなたの状況は私に伝わりました」と直接言うか、リュミエールに答えを伝えるしかありませんでした。監禁されている場所がわからないので前者は不可能。あなた救う手段は残りの一つしかなかっただけです」

「結果として私は君の願い事を叶えるチャンスを奪ってしまったわけだ」

「気にしないでください。おそらく私の願い事はリュミエールでも叶える事は出来ないと思うので」

「……今後困ったことがあったら言ってくれ。可能な限り協力することを誓うよ」

「ありがとうございます……一つ、質問していいですか?」

「なんだい?」

「リュミエールはどんな風にあなたを救出したのですか?」

「ああ、それはだね……」

「失礼します」


 そう言って個室に入ってきたのはメリッサだった。彼女の存在に、ジェフを除く六人はぎょっとする。


「……どうかなさいました?」

「何でもないよ、お嬢さん。きっと君が美人だからみんな驚いたんだろう」

「まあ、ありがとうございます。ヨエル君から注文を受けた、特製のスイーツをお持ち致しました」

「ああ、ありがとうございます」

「では、ごゆっくり……」忙しいらしく、メリッサはすぐに退室した。

「今のはメリッサさんよね? 先生、どういうことですか?」

「『課題』が達成されて戻った後、私は彼女の別荘の前に放り出された状態だったんだ。そこにメリッサが現れて……何て言ったと思う? 『どこか具合が悪いのですか?』と聞いてきたんだよ」

「それって……」

「ああ。どうやらリュミエールはメリッサの私に関する感情と記憶をきれいさっぱり消してくれたみたいでな。その後適当に「車のひき逃げにあって足の骨が折れた」と言って電話を借りて、妻に迎えに来てもらってそのまま病院に……って感じだね」

「なるほど。それなら二人の関係は広まりようが無いっすね。知っているのは先生だけだし」

「私達もいるでしょ」

「あ、そっか。でも安心してよ先生、誰にも言わないからさ!」

「ははは、じゃあ口止め料という事で……一番高いワインでも頼むか! 他に食べたいものがあったら好きな物を頼んでくれ!」


 皆が美味しい料理とお酒で談笑している中で、ロザリアはふと思う。


(さっき言っていた、リュミエールでも叶えることが出来ないマオちゃんの願い事って何なのかしら……いえ、それ以前に知り合って結構経つのに私はあの子の事全然知らないわ。もっと仲良くなるために、今度どこかに誘ってみようかな)


 パフェを食べる事に夢中になっているマオを眺めつつ、ロザリアはひっそりと遊びに行く計画を立てるのだった。

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探偵とダンジョン 柏木 維音 @asbc0126

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