第7話 虐殺

「3……2……」

扉の向こうから、無機質な声が聞こえる。

ちょっと待って、なんかもうカウント始まってるんだけど。

口振りからしても、明らかにさっきのあいつじゃないわよね。

他にも兵隊蟻が来てたの??

「……1」

なんで中にいるって……とか考えてる場合じゃない。

私は手を伸ばし、赤ちゃんを抱きかかえた。

「0」

背後で、扉がすごい音を立てて吹き飛んだ。金具や破片が撒き散らされ、こっちにも飛んでくる。

咄嗟に赤ちゃんを庇った。覆い被せた腕に、じっとした熱さを感じる。

二の腕に破片が刺さっていた。

痛った……。

「出てこいと言ったろ」

床を突くような硬く重い足音が入ってきて、すぐ背後で止まる。

振り返れなかった。指ひとつでも動かせば、殺される気がした。

「脱走者の女ひとりか。隊長アイツは、居ないようだな」

「倉庫の周りにもいませんでした」

「どうしますか、副隊長どの」

こいつら、一匹じゃない。

副隊長と呼ばれる最初に声をかけてきた奴と、他にあと二匹。

「この女から居場所を聞き出しましょうか」

また足音。もう一匹入ってきた。

ああ、もう無理だ。絶対に逃げれない。

「その必要はない。ここで待っていればいずれ戻ってくる。……おい、こっちを向け」

歯向かう余地なく、私は振り返った。

ガラス玉のような蟻の顔がそこにあった。

機械式の首が稼働し、私の胸元を覗き込むように近づいてくる。

「そいつが隊長の“大好物”か」

副隊長が私の抱えた赤ちゃんを見て言った。隊長というのは、いまお湯を取りに行ってるあいつのことだろう。

「随分痩せてますね」

「ああ。赤ん坊の世話の仕方など知らないからな。私が奴の個室に訪問した時も、寝床の上に放置していた」

「こんなもののために女王を裏切るなんて、なにを考えているのでしょうか」

「裏切り者が食用人収容区に入るのをみすみす見逃したという点では、お前たちも相当な間抜けだ」

「……申し訳ありません」

「役割を果たせないものに待っているのは死だ」

「は……」

会話の内容的に、後から来た二匹はここの検問兵らしい。ヘマをしてヘコヘコしている。

副隊長はひとしきりそれを咎めてから、再度私に向き直った。

赤ん坊それを渡してもらおうか」



※兵隊蟻(隊長)視点


お湯をたんまり汲んだタンクを抱え、倉庫からあと20メートルほどの所まで戻ったおれは、違和感を感じて立ち止まった。

規則的な足跡が、倉庫に向かって続いている。目立たないようおれの足跡の上に重ねられていたが、これは間違いなく兵隊蟻のものだ。

まさか。


(断るって言ったら?)

(抵抗する気か?)

(どのみち食われるんでしょ)


倉庫の裏に回る。壁越しに聞こえるのは、おれを疑ってた副隊長やつと、ブロンド女の会話だ。


やっぱりバレてやがったのか……。まあ、そこまで衝撃は無かった。

おれだって、自分の演技がうまかったなんて思っちゃいない。なんでまだ上に報告されてなかったのかむしろ不思議だった。


後悔しても仕方ないことだ。

奴がここまで突き止めてしまったからには、もう道はひとつしかない。


(なら、痛めつけてやる)

(副隊長、食料を傷つけることはやめておいた方が……)

(問題ない。こいつと赤ん坊は食用ではなく、奴が裏切り者である証拠として女王に突き出す)


背負ってきたタンクを壁に立てかけておく。

会話を聞く限り、おれの裏切り行為はまだ女王には知られていない。慎重な副隊長やつのことだ、確実な証拠を掴んでから告発するつもりだったんだろう。

つまり、まだ取り返しはつく。

いまここで、奴ら三匹を始末すれば。


(あっ……!!)

(バカめ。最初から素直に渡せ)


時間が無い。

おれは破壊された扉から、滑り込むように倉庫へ入った。


扉のすぐ前に立っていた検問兵の一匹が、最初におれに気づいた。

「! 副──」

すばやく身体をねじり、こちらに向き治ろうとする。だが、おれがそいつに肉薄する方が速かった。

身体をぴたりと脇につけると、前脚をそいつの後脚に引っかけ、はね上げる。

検問兵の身体が片側だけ宙に浮くと、配線や関節の詰まった腹面が露わになった。


おれたち兵隊蟻は、全身を強固な外殻で包んでいる。普通に突っ立ってるだけで、大抵の攻撃ははねかえせる。

そういう意味ではおれたちはほぼ無敵だが、完全無敵じゃない。弱点はある。

すなわち装甲に覆われていない部分──関節と、腹だ。


おれは無防備になった検問兵の土手っ腹に噛み付いた。

6本脚の付け根にあたる関節の隙間を顎で食い破り、その中身を引きずり出す。

色とりどりの内蔵配線コードやアクチュエータが、さながら腸のように、傷口からひと繋がりになって出てくる。茶色の循環液がぶちまけられる中、おれはその配線やらなんやらを、そのままそいつの首に巻き付けた。

「が……ご……こ……!!」

前脚と顎を駆使して締め上げると、検問兵は脚をじたばたさせて暴れた。構わず力を込め、そのまま首をへし折る。

ごり、と鈍い音がする。

脱力した検問兵が循環液の水溜まりに崩れ落ちた。


「来たな……」

その奥で、副隊長やつが赤ん坊を持っていた。やはりお前か。

その足元に女が倒れている。出血はない。気絶させられたようだ。


「くそ……!」

もう一匹の検問兵は、既にこちらへ向かってきている。

おれは迎え撃つ姿勢で動きながら、間髪入れず捕獲用ワイヤーを撃った。

背中の射出機から飛び出した2本のワイヤーアンカーは、いままさに飛びかかってくる検問兵の脚元で交差し、絡まった。

そいつは前につんのめると、盛大にコケた。

それと同時に、おれは前脚をすくい上げるように振り抜く。脚の先端に配置された刃が、タイミングよく突っ伏した検問兵の喉を捉える。

刈り取られた頭部が宙を舞った。


残った胴体が沈黙するのは待たず、おれは検問兵を飛び越え、最後の三匹目に向かう。

「動くな」

待ち構えていたように、毛布にくるまった赤ん坊を掲げて、副隊長は叫んだ。

おれは止まらざるをえない。

「ふん……重症だな、これは」

それを見た副隊長は、心底軽蔑した声を発した。

「人間を盾にされて怖気付くとは。お前はもう隊長どころか、兵隊蟻ですらない」

「どうでもいいんだよ。そんなことは」

「裏切り者め。自分が生まれた理由を忘れたか」

「……女王に尽くすため、ってやつか?」

「…………お前は……いや、お前はずっとそうだったな」

こっちを睨みつける副隊長の後ろで、ブロンド女が起き上がるのが見えた。

頭を抑え、左右に首を振る。

「能力はあるのに、兵隊蟻としての自覚がまるでない。いつも自分の欲求が最優先で、部隊の指揮は私に任せっきりだった」

副隊長の足元にいる赤ん坊を見た女は、緊迫した顔になり、おれの方に振り返った。

何やら目配せをしている。おれと副隊長を交互に見ながら……気を引けってことか。

「なぜ私ではなく、お前のような奴が隊長に選ばれたのか……」

「そりゃ、お前よりおれの方が強かったからだろ」

「……なに?」

副隊長の声に、苛立ちが混じる。敵意がおれに向いているのがわかる。

その背後の死角から、女が抜き足差し足で近づき、多脚の下に潜り込む。

「お前は弱いから、いつまでも副隊長なんだよ」

「私が弱い?」

「そうだ、おれからすればお前は型にはまったことしかできない、木偶の坊だ」

女はゆっくりと、奴の身体の下を這い進み、赤ん坊に向かって手を伸ばす。

「兵隊蟻の本分は女王の命令をただ実行すること、それ以上でも以下でもない。個々の強さなどは、大した問題ではない」

当の奴はおしゃべりに夢中で、自分の真下で起こっていることに気づかない。

「……負け蟻の遠吠えだな」

「誰の負けだと?」

「人質がなきゃ、お前は勝てない」

副隊長は初めて、足元を見た。だが、もうそこには何も無い。

ちょうど、まさにその赤ん坊を抱えたブロンド女が、奴の下から這い出たところだった。

「この女!」

奴がその慌てた顔を上げる前に、おれは走り出していた。


すれ違いざまに片方の前脚を振るい、副隊長の顎に引っ掛ける。そのまま跳躍し、奴の背中に飛び移り、残る脚で、それぞれ奴の多脚の第2関節を踏み潰した。

「な──あ!」

一気に5本の脚をへし折られた奴は、体勢を崩して倒れ込む。

と同時に、おれは最初に顎に引っ掛けた前脚を、後方へ思い切り引っ張り上げた。

「あぁああが───」

上下に過負荷のかかった奴の首が悲鳴を上げ──根元から引き千切れた。


循環液が噴水のように撒き散らされる。

奴の胴体は、まだ小刻みに震えながら、無くなった頭を探し求めるように最後の一本の脚を弱々しく動かしていた。

その光景を眺めながら、おれは自分がとんでもないことをしてしまったと、今さらながらに理解した。


おれは仲間を殺した。

……そうか、これで。

これで正真正銘……裏切り者になってしまった。

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蟻赤子物語 ヴァリアント・ベビー とんとん @tontonbyousi

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