憎き愛しき兄弟姉妹たち

ぶざますぎる

憎き愛しき兄弟姉妹たち

汝もし供物を祭壇に捧ぐる時、其処にて兄弟に怨まるる事あるを思ひ出さば、供物を祭壇の前に遺し置き、先づ往きて、その兄弟と和睦し、然るのち来りて、供物を捧げよ (マタイ福音書.5:23-24)



[1]

 私には歳の離れた妹がいる。もしくは、いた。今では完全に絶縁したので、その生死も判らない。私は妹を激しく憎んでいたし、妹の方でも、私に対する嫌悪を剥き出しにしていた。両親の死をきっかけに我々は離れ、それから長い時が経つ。時は人の気持ちを変えるというが、私は妹への憎悪を失っていないし、恐らくは妹も同じだろう。

 両親は私のことを厳しく躾し、妹のことは甘やかした。特に父親は、私への躾の際によく、怒声や打擲を用いた。子ども時分の私は、ひどく怯えた。そのくせ妹に対しては、打擲はおろか、怒鳴り声ひとつ上げたことがない。妹のできが好かったというわけではない。私と同じことを、もしくはもっと悪質なことを妹が仕出かしても、父は妹を叱らなかった。それが、子ども時分の私には納得がいかなかった。今も、不服の感情は身の裡に残っている。


[2]

 そうした状況を妹はよく見ていた。おそらくは、特別扱いをされる自分と、対照的にひどい扱いをされる兄とを比較し、優越感を抱いたのだろう。

 愛されるために生まれ、チヤホヤしてもらえる素晴らしい自分。同じ振舞いをしても、打擲をされる兄と、叱られることも無い自分。自分は特別な存在なのである。だから特別な自分は、特別でない兄のことを見下しても好いのだ。

 妹は幼い時分から、私への当たりが強かった。今思い返してみても、妹の私に対する態度は、およそ同じ人間に向けるようなものではなかった。

 そうした妹の態度に私が不満を漏らしたり、もしくは癇癪を起したりすれば、それに対して父と母は怒り、ひどい時には父から打擲された。そして決まって言われるのだった。おまえは兄でこの子は妹なんだから、と。

 妹からの攻撃は凄まじく、おそらくは読者諸賢の想像を遥かに超えるものである。顔を合わせれば罵詈雑言を浴びせられ、暴力を揮われる。私の一挙手一投足に文句をつけてくる。私に落ち度があれば、そうした文句にも対応ができようが、今思い返してみても、どうしても私は、自らの過失を見出すことができない。  

 妹の言い掛かりに対して、私ができるだけ感情的にならぬよう、ひとつひとつ丁寧に反論しても、それに対して返ってくるのは、筋を欠いた人格攻撃だけ。私が努力をしたところで、向こうはハナ、私への嫌がらせが目的だったから、会話が成立するはずもなかった。

 独り立ちできる年齢になり、私が家を飛び出るまで、妹からの攻撃は続いた。両親に相談しても無駄、それどころか、兄としての自覚が足りぬと説教を受けるのがオチである。私は耐えた。

 

[3]

 私が家を出て暫く経つと、父に癌が見つかった。私はたまに実家へ帰り、父を見舞った。その際に妹と鉢合わせても、互いに無視をした。数年後、父は他界した。葬儀やら、諸々の手続きやらで、私はできる限り母を手伝った。妹もその場にいたが、やはり会話は無かった。

 また数年経ち、母も亡くなった。私は母が亡くなるまでに、何度か実家へ母を訪ねた。そこでも妹と鉢合わせたが、案の定、互いに無視をした。そして、母の死。 

 相続云々に於いて、私は殆どのものを拒否した。どうで妹は、僅かでも私に金が往くのを嫌がるだろうし――実際、妹は相当な策を弄していたことが後に判った――父と母が居なくなった以上、私は実家に関わるつもりはなかった。妹とは言い条、私は親族としての情なぞ一縷も持ち合わせていなかったから、繋がりになるようなものは、できる限り捨て去っておきたかった。

 転帰、すべては私と妹の双方に都合好く進んだ。幾つかの書類を片づけるために私は、今や妹の所有物となった実家を訪れた。そこで久しぶりに妹と会話を交わした。会話とは言い条、それは必要最低限の言葉のやりとりに過ぎなかった。すべての手続きを終え、私は実家を後にしようとした。その私の背中に、妹が罵声を浴びせた。

「あんたみたいにぶざまな人間、死んだ方がマシ。私ならとっくに自殺してるよ」

 これを書く今も、なぜ妹がそのような罵声を浴びせてきたのか、私は一所懸命に考えてみる。併し、これまでずっとそうだったように、皆目見当がつかない。


[4]

 先に述べた通り、私は独り立ちができる年齢になると直ぐ、家を出た。私は実家から遠く離れたS県へと引っ越した。なるたけ妹から離れた処へ行きたかった。   

 その地で私はK電工という会社に就職した。私はこの会社で電気工事の仕事をした。多少なりとも知識がある方なら判るだろうが、この業界は非常に労働環境が悪い。おまけに、職人も気難しい人が多く、往時、まだ若かった私は非常に辛い思いをし、よく涙で枕を濡らした。

 そうした厳しい環境で私が仕事を辞めずに済んだのは、同じ会社にいた安井という男の御蔭だった。安井は温厚で人好きのする人物で、職人としての腕も素晴らしかった。悪魔のような他の職人たちと違い、安井は新人の私にも優しく、熱心に技術指導もしてくれた。歳は25とのこと、私の年齢ともそれほど乖離が無く、私は頼りになる兄ができた気がして、とてもうれしかった。

 今思えば、安井のくれた優しさが、実家を飛び出してから初めて手にした人の温もりだった。


[5]

 ある晩、私は安井に連れられてK湖に往った。K湖は周囲を宏大な自然公園に囲まれた人造湖、私が住む社員寮から車で2時間ほどの距離にあった。道中には明かりも無く、車のライトが闇を裂いて進んだ。

「この辺りじゃ結構、有名なんだぜ」

 車を運転しながら、安井は言った。

「前にカップルが心中したんだよ。そいつらの幽霊が出るって評判なの」

 前日の昼休憩中に私は、自分が怪談好きである旨、安井に話した。それを聞いた安井は、好い心霊スポットを識っているから連れてってやる、と言った。それがK湖だった。

 安井が社員寮まで私を迎えにきた。22時頃だった。

 

[6]

 湖から少し離れた駐車場に車を停め、湖のぐるりに造られた堤防を2人で歩いた。明かりと言えば、月の光と、堤防に等間隔に設けられた外灯のみ、その明かりも水面の暗黒と、周囲の木々が作り出す闇に吸収されてしまって、実質、私たちは寂寞とした黒の世界に呑み込まれかけていた。

 安井も私も、懐中電灯の類を持参しなかったのである。私はてっきり、そうしたものは安井が用意していると思った。だから、車を降りた安井が、何の装備も持たずにスタスタと闇の中に向かって歩いて往くのを見て、私はギョッとした。

 これを書く今、その安井の後姿を思い返してみる。大した明かりもない夜道を一切の躊躇いも無く歩く様子からして、彼はあそこを、何度も訪れたことがあったのだろう。それも夜の裡に来たことが、何度も。


[7]

 暫時、堤防を歩いたものの、何も起こらなかった。退屈な時間の経過によって、闇に対する恐怖は薄れていた。この時点で私はすっかり飽きていた。ただ家の布団のことのみを思い浮べ、早く帰って眠りたいと考えていたが、安井の手前、そのようなことは口にできなかった。

「何も出ませんね」

 婉曲的に退屈と倦怠を伝えられればと思い、私は言った。

 安井がチラと私の方を窺った気配があったが、私たちは丁度、外灯の死角に立っていたため、安井の表情までは見えなかった。

「まあ、もうちょっと待ってみな」

 安井は言った。その口吻には、どこか確信めいたものが感じられた。


[8]

 バシャバシャと、遠くで音がした。湖の方向だった。安井が歩みを止めて、湖の方を向いた。私たちは外灯の真下に来ていた。安井は笑っていた。そして湖を見つめたまま私に向かって

「な? 」と言った。

 私たちは光の只中にいた。湖の方は完全な闇、とてもではないが音の正体は確かめられなかった。

 バシャバシャという音は止むことがなく、それによって、水生生物が気まぐれに立てた音ではないことが判った。それに、そうした生き物が立てるにしては、バシャバシャという音は重く、大き過ぎた。ひょっとしたら、野生動物か人間が溺れているのではないか。私は瞬間そう考え、直ぐと自分でそれを否定した。音は何の前触れも無く、湖の沖で急に生じた。湖は暗く、寂寞としていたので、あれが溺れた音なら、事前に何かしらの前兆があったはずだった。

「あれが、心中したカップルなんだよ」

 安井は嘲るような、怒るような口吻で言った。

「馬鹿みてえだよな、死んでもまだ、ずっと溺れてやがるの」

 安井は歪に笑っていた。平生の安井とはまるで別人のようだった。私はその様子に恐怖した。そして最前から止むことなく響き続ける、バシャバシャという音にも。

「おーい、馬鹿ども! 夜の湖は冷てえだろ! ざまあねえな、ずっとそうしてろや、馬鹿が! 」

  安井は湖に向かって怒鳴り、返す刀で私に言った。

「へへへ。実はな、おれはよくここに来て、あの馬鹿どもをからかって遊んでるんだよ。ホント間抜けだよな、あいつら」

 平生の安井は、決して怒声を上げるような人間ではなかった。

 バシャバシャという音が少し大きくなった気がした。私は少し考えて、その音が、つまりは音を立てている何かが、こちらへ近づいてきているのだと、気づいた。その接近は、明らかに安井の罵声をきっかけに始まっていた。私は恐怖した。

「安井さん、帰りましょう。お願いですから」

 私は安井の腕を引き懇願したが、安井は大丈夫だよ、大丈夫と言って、相変わらず口元にニヤニヤ笑いを浮かべたまま動こうとしなかった。そして、またもやバシャバシャと音を立てて近づいてくる何かに向かって、嘲罵を投げかけた。

 夙に述べたように、私たちは外灯の真下に居た。音の正体からすれば、我々の姿は丸見えのはずだった。私たちからすれば、湖は真暗で音の正体も判らなかったが、いずれ音を立てている何かはこちらに辿り着き、急斜面ながらも決して登攀は不可能でない堤防を越えて、私たちの眼前にその姿を現すであろうことは、明らかだった。

 転帰、私は安井を置いて逃げた。だが逃げたとは言い条、それは駐車場の車の前までだった。家に帰るためには、先ほど車で長い時間をかけて走った闇一色の夜道を歩かねばならなかった。私にその勇気はなかった。結句、私は安井の車の前で立ち往生する他なかった。

 あの音の正体が堤防を登り切り、私のいるこの場所までやってくるかもしれない。私は顫えた。だが畢竟、何ら化け物は現れず、数分もすると安井が何食わぬ様子で姿を見せた。そして「おう、お疲れ。じゃあ帰ろうか」と満足げな口吻で言って、車に乗り込んだ。先ほどの、怒声を上げていた姿とは打って変わり、平生通りの、優しい安井に戻っていた。

 帰りの車中、私たちは一切、湖での出来事について話をしなかった。安井はラジオの内容に笑い、たまに私へ仕事の話や、だっちもない世間話を振った。私の方でも、言葉では表すことのできない色々な心機をふとこり、湖での出来事について水を向けることができなかった。そうしている裡に車は社宅の前に着いた。安井は私を降ろして「じゃあ、また仕事でな。おやすみ」と言って、車で去っていった。

 この件以降、私は安井に対して心理的距離が生じた。一方、安井の方では何の変化も無く、これまで通り、優しい態度で私に話しかけてきた。だが、湖で見た彼の姿からして、今やその優しさの裡に、どこか嘘や演技めいたものが感じられるようになったので、私は最早、彼のことを素直に慕うことができなくなっていた。


[9]

 それから3か月後、安井は通勤中に事故死した。彼の死に対して、私の身の裡では相当に屈折した心の動きがあった。心理的距離が生まれたと既述したが、それはあくまでも距離であって完全な断絶ではなかった。

 入社当時、彼の優しさによって私が救われていたことは確かであり、そうした意味で、彼に対する愛着は私の身の裡に残っていた。加えて、誰かと死別した際に特有の、過剰に過去を美化する人間心理、そして、故人に対して行った自らの言動へのこれまた過剰な自責が生じ始めていた。私の筆力では、往時の精神状態を正確に表現することができない。よって、これ以上の仔細を書くつもりは無いし、その機微については、諸賢の想像に任せる。

 安井の葬儀には、社長をはじめ社の全員が参加することになった。夙に述べた通り、私は安井に対して屈折した身の裡であったけれども、いざ棺に横たわる彼の姿を見ると、涙がポロポロと流れ出て、どうすることもできなかった。

 葬儀で、私は安井の両親を見た。父と母、共に相当の老け込み具合、ひょっとすれば葬儀の最中に倒れて死んでしまうのではないかと思うほど、憔悴して見えた。

 葬儀の後、我々は火葬場に移動した。安井の遺体が燃やされている間、私は他の人々と一緒に過ごす気分にはなれず、火葬場の中をウロついていた。一人になりたかった。そうしている裡に、社長と出くわした。

「落ち着かないのは判るが、あまりフラつくんじゃない」

 社長は私に言った。それから

「ちょっとつき合え」と続けて、私を喫煙室へと連れて往った。


[10]

 社長は煙草を呑みながら、言った。

「おれはアイツの親父とつき合いがあって、アイツのことはガキの時分からよく識ってたんだよ。それにしても、気の毒だよな。子どもが全員、自分たちよりも先に死んじまうなんてな。あぁ、お前は識らねぇか。アイツには兄と姉が居たんだよ。何で死んじまったかって? …… まあ、アイツの兄と姉は、男と女の関係だったんだわ。それで最期には、ほら、K湖ってあるだろ、あそこで一緒に死んじまったんだよ。アイツが中学生の頃だったかな。遺書があってな。そこに2人の関係のことが書かれてたんだよ。アイツがその遺書を見つけたんだ」


<了>


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