婚約破棄をしようと思います!

宮前葵

婚約破棄をしようと思います!

 婚約破棄をしようと思う。


 私、リシュリーはこの大帝国の皇太子、ローマルズ様の婚約者だ。一応。


 いや、一応なんて付ける必要は無い。もう三年も前、十三歳の時、帝宮で豪華華麗な婚約式が行われ、私は全帝国にローマルズ様の婚約者として認知された。以降、ずっとそのままだ。だから私はローマルズ様の立派な婚約者の、筈だ。


 ローマルズ様は赤い髪に緑の瞳の、それはそれは麗しい方で、背もすらりと高く、眉目秀麗。おまけに文武両道。父である皇帝陛下のお仕事を既に相当肩代わりなさっていると聞くし、去年初陣した際には手柄を立てて勲章を貰っていた。


 何というか、反則的に何でも出来る方。それがローマルズ様だ。


 この皇太子殿下と私がなぜ婚約する事になったのかは良く分からない。三年前、生まれて初めて帝宮に上がり、初めての夜会に出た。つまりデビュタントを果たした一ヶ月後、突然決まったのだ。


 帝国中の貴族が首を傾げたんじゃないかしら。私のお家はバルタイユ伯爵家は、伯爵だから家格が低いとまでは言えない。だけど、帝国貴族としては上に公爵侯爵を始め、伯爵家でも我が家より格上のお家が一杯ある。


 歴代の皇妃様は大体、公爵侯爵家出身だ。伯爵家出身の方は稀だ。まして私のお父様は帝国の政治に関わる事も無く、のんびりと領地を経営しているような方だ。私が婚約するまで皇帝陛下と一対一で話した事も無かったそうだ。


 それがどうして皇太子の婚約者を出せたのだ?と、帝国貴族は全員不思議がった訳だ。私も首を傾げたわよ。


 何しろ、私は皇太子殿下にはデビュタントの時にご挨拶して、ダンスをご一緒した、それしか会った事は無かったのだ。我が家は頻繁に帝宮の夜会に出るような家格じゃ無いからね。


 だが、お父様が皇帝陛下に呼び出されて打診され、皇帝陛下の打診は事実上の命令だから断れず、あれよあれよとバタバタしている内に、私は皇太子殿下の婚約者になってしまった。


 正直言うと、私は驚きつつも喜んだわよね。だって皇太子殿下の婚約者だ。将来の皇太子妃だ。ゆくゆくは皇妃だよ?それはワクワクするじゃない。


 私は次女だったから、せいぜい子爵くらいに嫁入りするんだろうな、と思っていたのだ。それが大躍進だ。毎日帝宮に上がり、お茶会なり夜会なりに出れば、皇太子の婚約者としてありとあらゆる方々が敬意を払って接してくれる。


 私は鼻高々だった。そして、この敬意に相応しい、立派な皇太子妃になろうと、厳しい皇太子妃教育に頑張って取り組んだのだ。何しろ伯爵家次女でのんびりやっていたのだもの。皇太子妃に相応しい教養と振る舞いを身に付けるのは本当に大変だったのよ。


 で、そんな大変な思いをして皇太子妃になろうとしていた私が、皇太子殿下との婚約をどうして破棄しようなどと考え出したのかというと。


 他ならぬ皇太子殿下が、私に対してあまりにも塩対応だったからだ。


 ローマルズ様とは毎日お会いする。私は教育と社交の為に毎日帝宮に上がるのだが、毎日昼食をご一緒するのだ。


 それは良いのだが、皇太子殿下はこれに毎日遅刻をなさる。数十分。酷い時は二時間も遅刻なさるのだ。私はその間ダイニングで馬鹿みたいに待っていなければならない。


 遅れるなら遅れるから一人で先に食べて良いと言ってくれれば良いのに。しかし殿下は連絡する手間を惜しむからかそうしないのだ。


 そして、遅れても「すまない」の一言も無い。


 そもそも食事の最中、殆ど喋りもしない。私が何か言うと「ああ」「そうか」「そうなのか」と返事をするのが関の山で、ローマルズ様から話し掛けてくる事などまずない。


 表情もその美麗顔にブスッとした表情を浮かべ笑顔も無い。


 無表情でろくにお話もしてくれない方とご飯を食べてみなさいよ。食事がとっても美味しくないから。それが毎日だ。


 しかも帝宮ではほぼ毎日夜会が開かれ、私はこれに毎日のように参加しなければならない。ローマルズ様と。


 豪華な夜会ドレスは帝宮に用意されているから、昼食後にすぐに着替える。何しろお風呂からだから時間が掛かるのだ。着付け、化粧の間は動けない。肩は凝るしコルセットはきついしで大変なのだ。


 そうして大変な思いをして華麗なドレスに身を包んで夜会の会場に行く。本来は私は皇太子殿下の婚約者だから、ローマルズ様のエスコートを受けて入場する筈なのだが、やはり殿下は大体遅刻なさる。


 夜会の場合は一人で入場してはいけないという事は無いので、仕方なく私は一人で入場する。婚約者がいるのに夜会に一人で入るなんて本当はみっともない事なのだ。


 会場入りしたって、婚約者がいないとダンスも踊れない。婚約者がいるのに他の方とダンスを楽しむなんて不倫同然の破廉恥行為だ。


 しかも私は未来の皇太子妃なので、ひっきりなしに貴族の方々から挨拶を受け、談笑しなければならない。優雅な笑顔を浮かべ、当たり障りのない話題でオホホ、ウフフと笑っていなければならない。


 これもローマルズ様がいらっしゃれば、殿下と負担を分けられるのだが、殿下は夜会の場合は一時間は平気で遅刻なさる。殿下がいらっしゃる頃には挨拶タイムは終わっていて宴はたけなわだ。


 夜会でも皇太子殿下は私の側にいらしても全然楽しそうな顔はなさらない。周囲に沢山の貴族がいるので、如才ない愛想笑顔を浮かべてはいらっしゃるけど。


 私の手を引き、腰を抱き、ダンスも踊るのだけれど、会話は昼食の時と同じく無い。むしろ談笑に来られた方々との方がたくさん喋っているわね。


 有体に言って退屈だ。私としては仲良しの貴族令嬢の所に行ってお話でもしたい所だが、殿下のお側から勝手に離れられない。夜会で婚約者の側から離れてフラフラしていれば、即座にそのカップルは不仲であるという噂が社交界に流れる事になる。


 それを知っているから殿下も私の側から離れないのだろうね。だけど本当は一緒にいたく無いから遅刻してくるのだろう。


 何というか、ウンザリだ。どう考えてもこれは私、愛されていないよね。


 笑顔を向けてくれなければ、気安くお話もしてくれない。婚約者なのに。


 最初はこうじゃなかったのよ?ちゃんと笑顔を向けてくれたし、たくさんお喋りもした。遅刻も殆ど無かったと思う。突然帝宮に出入りするようになって不安だった私を気遣う優しさも見せてくれた。


 それがだんだん笑顔も無くなり。無口になり、遅刻も酷くなった。もう全く愛を感じない。


 帝室の男子は十八歳で結婚するのが習わしだ。ローマルズ様は私と同い年。つまり私が結婚するのは二年後の予定。それまでずっとこの状態が続くのか。いや、結婚するんだからずっとか。


 これは、あれだわね。皇太子殿下は私との婚約が嫌になってきているんだわ。


 おかしいと思ったのよ。殆ど会ったことも無い私を婚約者にするなんて。どうせ、帝国の貴族界か政治のウンタラカンタラで、あまり家格の高くない家から皇太子妃を娶ろうという話になったんでしょう?良くある話だわ。


 貴族の結婚なんてそんなものだもの。あくまで家同士の繋がりの強化だとか政治的な何かの関係で行われる。娘なんて政治の道具。政略結婚なのだから同世代に嫁げれば上等。下手をすると三十も離れた方の後妻になる事を強いられる例だって珍しくないのだ。


 そうして決めた婚約者だけど、肝心のローマルズ様が私を気に入らなくなってしまったんでしょうよ。何しろローマルズ様は貴族令嬢に大人気。私という婚約者がありながら、彼を必死に誘惑しようとする女性が後を絶たないくらいなのだ。


 引く手あまた選り取り見取りの状況で、どうして茶色髪の背も低くスタイルもストーンとした冴えない娘を嫁にしなければいけないのか、とローマルズ様が思うのも当然だろう。分かる分かる。


 多分、いつどうやって私との婚約を解消しようか、何時も考えているのだろうね。だからいつもあんなに上の空なのだ。


 ・・・ふざけるなー!


 と私は叫びたい。どういうことなの!元はと言えばそっちが言い出したんじゃないの!私と婚約したいって!


 そりゃ、決めたのは皇帝陛下とその周辺で、皇太子殿下はただその言う事を聞いただけなのかも知れないけれど、それなら最後までちゃんと言うことを聞いていなさいよ。三年も経った今になって今更不満を持たれてもこっちも困るのよ!


 もう私は将来の皇太子妃として扱われ、敬われ続けてもう三年なのだ。今更婚約解消なんかされたら大恥だ。恥ずかしくてこの帝国になんていられなくなってしまう。


 いや、待てよ?そんな事になったら皇太子殿下だって大恥だ。他の女性に気移りして婚約解消なんて大スキャンダルだ。それは避けたいだろう。ではどうするか。


 多分、良くあるやつだ。私に有る事無い事罪状を吹っかけて、断罪して婚約解消の上処刑、良くて国外追放にするつもりだ。そうすればローマルズ様は悪徳婚約者を追い出したとして正義の味方になるし、名誉も守られる。そしてほとぼりが覚めたら、愛する誰かさんと結婚すれば良い。


 私は無実だー!


 酷い。酷すぎる。これでも私は健気に、良い皇太子妃にならんと日々頑張ってきたのに。本当に厳しい皇太子妃教育にも耐え、皇太子殿下を狙う御令嬢がたの嫌味に耐え、ろくに休みもない社交塗れの日々にも耐えてきたのだ。


 私の青春の日々を返せー!


 そう考えると、フツフツと私の心の中に怒りが湧き起こってきた。一体私に何の罪があるというのか。いくら何でも酷いではないか。皇太子殿下でもやって良いことと悪いことがあるでしょうよ。


 何とかせなば。何とかしたい。何とか殿下に一矢を報いねば。このままおめおめと国外追放などになってたまるものか。私は考えに考えた。


 そして考え付いたのが、婚約破棄だった。


 え?それでは結局結果は変わらないのでは無いかって?勿論、皇太子殿下からの婚約破棄を待つのではなく、自分からバーンと三行半を叩きつけてやるのだ。


 そう、ローマルズ様から婚約破棄されるのを待っていたら罠に嵌るのを待つようなものだ。そこまで行ってしまえばどうやっても国外追放から逃れられまい。


 しかし、私が自分から婚約破棄を発表して、社交界全体に皇太子殿下の不実を訴えればどうか。社交界には私のお友達も結構いるし、皇太子殿下と仲が悪い貴族もいる。皇太子殿下の弟を皇帝に推している貴族もいるのだ。


 そこに私が皇太子殿下の不実をぶち撒ければ大騒ぎになることだろう。私に味方して私を守ろう、利用しようという貴族が出るのでは無いだろうか。


 そうすれば私の名誉は守られ、国外追放などされずに済む、という寸法だ。


 これだ、これしかない。これで行こう!私はそう決意したのだった。



 婚約破棄を決意した私だが、その事は誰にも秘密にしていた。皇太子殿下の周囲の者にバレたら勿論アウト。実行前に殿下に知られたら断罪イベントが前倒しになるだけだ。


 なので帝宮の侍女達にも知られるわけにはいかない。噂好きの貴族婦人達に漏らすのなんて論外だ。


 お父様お母様にも漏らせない。反対されるに決まっている。二人とも「リシュリーが皇太子妃なんて恐れ多い」と言いながら、一生懸命私の状況を整え助けてくれているのだ。そこへ私から婚約破棄したいなんて言ったら二人して卒倒してしまうだろう。許してくれるとは思えない。


 そんなわけで、私は計画を誰にも漏らせなかった。秘密、内緒。極秘にしていた。


 婚約破棄を宣言するなら、なるべく大きな社交の場でやりたいわね。小さな夜会なんかでやったらもみ消されるかも知れないもの。全貴族が集まるような大社交なら、あっという間に噂が知れ渡って消す事は出来なくなる。


 そういう大社交の場で私は叫ぶのだ。


「私は皇太子殿下との婚約を破棄します!理由は、皇太子殿下が・・・」


 ・・・あれ?理由をどう言えば良いのだろう。


 えーと。そう。皇太子殿下が冷たいから!・・・ではなんか弱いな。


 殿下が浮気を・・・。しているのは知らないわね。噂も聞いたことが無い。


 私を放置して・・・。はいないわね。ちゃんと夜会には私を伴うしね。


 ・・・ま、まぁ、その辺はアドリブで。その場の勢いで何とかなるでしょう。と、私は問題を棚上げした。


 婚約破棄をすると決めると私の心は少し楽になった。もうすぐお別れだと思うと殿下の仏頂面も気にならない。うんうん。随分お疲れなのね。ご苦労様でございます。という感じだ。


 私は考え、夏の初めの建国記念日の大夜会を計画の実行日に定めた。帝国の創建を祝うこの日なら、ほとんどの帝国貴族が帝都に集まり、帝宮で開催される大夜会に出るだろう。絶好の機会だと言えた。


 大夜会が行われる帝宮一の大ホールには皇族専用の入場階段がある。普通の入場者は一階から普通に入るのだが、皇族は二階から階段を降りて入場なのだ。私も皇族に準ずる扱いになるからここからの入場になる。これだ。ここが良い。


 階段で入場する途中で私は叫ぶのだ。「私は皇太子殿下との婚約を破棄します!」と。どうせ殿下は遅れて来るだろう。私は一人で入場する事になるだろうからね。階段の途中で叫べばすごく目立つだろう。


 そう決定した私はホールを下見し、どこから叫ぶかまで決めた。高過ぎず低過ぎず。軽い踊り場があったのでそこが良かろうと決定した。


 ホールの下見と言ったが、単に下見に来たのでは無く、その大夜会の準備に来たのだ。飾り付けの計画や、テーブルの配置を決め、出す料理やお酒、当日の楽団の編成、入場した貴族諸卿をどのように誘導し、どのくらいの世話役を付けるかなどなどを事細かに決めるのである。


 こういう社交の準備は基本的に女性の仕事で、屋敷の女主人の仕事だ、ここは帝宮。帝宮の女主人は皇妃様である。で、次の皇妃の私も手伝いに駆り出されていたのだ。つまり皇妃実習だ。


 皇妃様はお優しい方で、丁寧に一つ一つ教えて下さった。たまに厳しい事を仰る事もあるが、それも私を思えばこそだというのが伝わってくる。本当に国母に相応しい素晴らしい方なのだ。


 私はもう皇太子殿下とは別れる気だったが、完全に私を娘として扱ってくださる皇妃様と別れるのは辛い事だった。皇妃様、婚約破棄したら悲しまれるかしらね。


 その時、ふと、皇妃様が仰った。


「今回の夜会は楽しみね。リシュリー。きっとみんなびっくりするわね」


 びっくり?今回の夜会の趣向に驚くような演出があったかしら?私が首を傾げていると、皇妃様が慌てて自分の口を手で塞いだ。


「あらやだ。まだ内緒だったんだわ。ローマルズに怒られちゃう」


 皇太子殿下に怒られる?それを聞いて私はピンときた。


 ははーん、読めたわよ。


 皇太子殿下も、この大夜会で私との婚約破棄発表をやるつもりね!


 そうよね。婚約破棄を発表するなら出来るだけ多くの貴族の前でやりたいものね。殿下も同じ事を考えたのだ。


 小癪な!負けないわよ!こうなればどちらが先に、大々的に発表するかの勝負よ!


 殿下がいつ婚約破棄の発表を狙っているかは分からないけど、私が計画する入場と同時に発表するのより先の筈は無いだろう。


 悪いけどローマルズ様、私の勝ちね!私はそうほくそ笑んでいた。・・・のだが。




 夜会当日。私はいつも通り夜会の準備に入った。今日が本番だと気合を入れつつ、支度室に入ったのだが。なんだか様子がおかしい。


 支度室の侍女達が妙にピリピリしているのだ。緊張している感じ。失敗は許されない雰囲気。何だろう。何か不祥事でもあったかな?


 お風呂に入り、丁重に肌と髪の手入れをされると、着付けと化粧に入る。おや?


 何だか今日のドレスは随分豪華だった。いや、皇太子の婚約者として私はいつも良いドレスを着てはいるのよ。しかし、今日の白に緑を散りばめたようなドレスはちょっと一段と良いもののようだった。


 着付けをされ、お化粧をされる。侍女達の気合は変わらない。物凄く真剣な顔で働いている。私も自然と緊張して背筋が伸びてしまう。


 装着されるために出された宝石類もなんだかいつもよりもひと回り豪華な品のような?おかしい。私はついに我慢出来なくなって聞いてみた。


「ねぇ、今日は随時良い宝飾品を使うのね?」


 すると侍女の一人が緊張も露わに答えた。


「ええ。お嬢様の晴れ舞台ですから。最高の格好をさせよ、と皇太子殿下に命じられております」


 晴れ舞台?私は首を傾げたのだが、侍女は仕事に戻ってしまった。なんだろう。


 あれかしら。婚約破棄をするんだから、せめて最後にお洒落させてやろうとか、そういうつもりなのかしら。そうはいかないわよ。だけど、こんな豪華な格好をしながら皇太子殿下に冷遇されているって叫んでも説得力が出ないかも知れないわね。


 私がそんな事を考えている間に準備は整った。全身全霊を込めて準備をしてくれた侍女達は、フラフラになりながらも、感動に目を潤ませて私を讃えてくれた。


「お美しいですわ!お嬢様!」


「本当に!皇太子妃に相応しい美しさと威厳です!」


 ありがとう。みんなのおかげね。と言うしかない。白に緑の差し色が入った見事なロングドレスに、白いヒール。ダイヤモンドが何個も使われたキラキラペンダントに、プラチナと真珠の大きな髪飾り。完全にお姫様モードだわこれ。


 私はまだ皇太子殿下の婚約者で、呼ばれ方はお嬢様だし、装いも帝室の皆様より一歩劣る質のものを身にまとう事になっている筈だ。しかしこれはどう見ても皇族仕様の装いだ。どういう事なんだろうか。


 ま、いいか。問題はこれからだ。一人で入場したら、階段の途中で婚約破棄を叫ぶ。よし!


 と気合を入れつつ皇族専用の控室に入る。皇族の入場は他の参加する皆様が入った後、少しゆっくり入るのが通例だ。なので控室で少し待つ事になる。


 皇帝陛下も皇妃様も、皇太子殿下も忙しいので、これまでは大体私はここで一人で待って一人で入場する事が多かった。のだが。


 なんと、今日に限って控室は満員だった。私は思わず入口で立ち止まって目を疑ったわよね。


 皇帝陛下、皇妃様は元より。ローマルズ様の四つ下の弟殿下までいらっしゃるのだ。勿論、皇太子殿下ご自身もしっかりいらっしゃった。あの最近は必ず遅刻してくる殿下がだ。


 しかも皆様格好が一際煌びやかだ。今日の私はキラキラだが、このピカピカの中に入ると違和感が無いだろう。埋没してしまう。特にローマルズ様は白基調で濃い青が差し色に入った華麗なスーツを着ていて、一際華やかだった。


「おお、美しいなリシュリー」


 皇帝陛下が気軽に褒めて下さる。私は慌ててスカートを広げて礼をした。


「もったいないお言葉でございます」


「素敵ね。そのドレスはローマルズが選んだの?」


 皇妃様もニコニコしている。


「そうです」


 皇太子殿下が短く答えた。へぇ、そうなのか。


「というより、リシュリーの帝宮のドレスは全て私の見立てです」


 ええ?ちょっとそれは衝撃発言だ。全然知らなかったわよ。


 私は帝宮で夜会に出る時は帝宮に用意されていたドレスをただ着て出ていたのだが、どうやらそれが全てローマルズ様が選んだドレスだったようだ。


 驚きのあまりマジマジと殿下のお顔を見ると、殿下は珍しく照れたように笑っていらした。・・・久々に笑顔を見たわよ。


 なんというか、ちょっとクラっときた。久しぶりの麗しい笑顔にやられたというのもあるけれど。私のためにわざわざドレスを毎日分選んでいたというのにもグッときたのだ。


 し、しかし、もう遅いんだものね。私は決めたのだ。この夜会に入るなり、階段の上からバーンと婚約破棄を・・・。


 あ、む、無理じゃない。この状況。どう考えても一人での入場じゃ無いんじゃない?


 そうなのだ。小一時間控室で待ち、侍従に促されて立ち上がる。私を含めて皇族全員がだ。私の手はしっかり皇太子殿下の手に握られ、腰はガッチリホールドされている。


 大扉が開いて、目の前に大ホールの様相が広がった。高い天井から吊り下げられていくつも輝くシャンデリア。黄金の装飾が何百本もの蝋燭を受けて光り、白壁には影がゆらめく。花が至る所に飾られ、装飾のタペストリーや旗、絵画が彩り豊かに広間を飾る。


 その中に百人以上は軽くいる帝国の貴顕達が色とりどりに着飾って立ち並んでいる。そして私たちが階段を降り始めると全員がわっと拍手をした。


 同時に楽団が皇帝陛下を讃える曲を奏で、侍女達が花弁を撒き散らした。な、なんか今日は一際派手じゃない?皇帝陛下と同時に入場した事は何度かあったけど、ここまでではなかったような・・・。


 皇族一家に囲まれて、皇太子殿下にしっかりと確保されていては、とてもではないが婚約破棄を叫ぶなんて無理だ。当初の計画は諦めざるを得ない。私も仕方無く微笑んで手を振るしかなかった。


 会場に降り立って、皇太子殿下と共に出席者から順々に挨拶を受けながら私は考えた。こうなれば他のタイミングで婚約破棄を宣言するしかない。どうするか。


 やはりあの階段の上から叫びたい。しかし、あの階段の辺りはダンスをするエリアになってしまっていて、宴が始まってしまった今はもう近付けない。どうしようか。


 そうだ。挨拶が終われば、私もローマルズ様とダンスをするはずだ。そう。ダンスをして、終われば二人は離れて一礼するのが作法だ。その礼が終わった瞬間に階段を駆け上がるのはどうだろう。


 その瞬間なら私をピッタリと抱き寄せている皇太子殿下も離れざるを得まい。それしかないわね。


 私はそう決して、何食わぬ顔で貴族達とにこやかに挨拶を交わしていた。


 この日、ローマルズ様は珍しくご機嫌で、表情も柔らかく、いつものように私から離れずにいるのだが、時折嬉しそうに私の頬に触れたり、私の手にキスをしたりする。どういうつもりなのかしら。今日、私に難癖を付けて婚約を破棄するつもりなんでしょうに。


 そして今日は出席者が多くてなかなか挨拶が終わらない。ようやく挨拶行列が終わったのは、宴は中盤になってしまっていた。


「踊ろうか。リシュリー」


 ようやく皇太子殿下がそう仰った。よし、ついに計画実行の時だ。


「喜んで。殿下」


 私は内心を押し隠して答えたわよ。


 私たちは手を取り合ってダンスエリアの中央に出た。一番シャンデリアの灯りが集中するように計算されているところだ。


 ゆったりとした曲に合わせ、ローマルズ様に身を寄せながら踊り始める。皇太子妃教育で厳しく仕込まれたから、このくらいのステップなら無意識に踏める。ローマルズ様の癖や呼吸も分かっているから、二人の動きはピッタリとシンクロしていた。


 私はこの後の重大事に向けて意識を集中していたのだが、ローマルズ様はじっと私を見ているようだった。


「何か気になる事でも?」


「え?い、いえ、何でも」


 ローマルズ様は笑った、久しぶりにこの人が笑うのをこんなに見たわね。


「緊張しなくていい。大丈夫だから」


 は?何が?婚約破棄が?私はちょっと混乱した。殿下が私の計画を知っている筈は無いけど・・・。


 そうこうしている内に曲が終わる。が、ダンスはよほどの事が無い限り三曲続く。慌てない慌てない。私とローマルズ様はダンスを続けた。次の曲は転調がある難しい曲だったが、鍛えられている皇太子殿下と私なら何という事もない。だが、周囲から感嘆の声が漏れるのが聞こえた。


 そして、三曲踊り終える。さぁ、いよいよね!私は段取りを確認する。殿下と離れて礼をしたら、一気に階段を駆け上る。そして叫ぶのだ。「私は皇太子殿下との婚約を破棄します!」と。


 曲が終わり、殿下の手が離れ・・・、ない。あれ?で、殿下?離れて下さらないと礼が出来ないんですけど?


 しかし、ローマルズ様は離れるどころか、私をしっかり引き寄せる。そしてあろう事か私の手を引いて、私が駆け上るつもりだった階段を上り始めるではないか。ええ~?ど、どういう事?


 そして私が叫ぶつもりだった踊り場で立ち止まり、振り返る。私も強制的に同じく振り返る。眼下には何事が起こったのかとざわめく帝国貴族達。シャンデリアの光が皆様の身に付けた宝石に反射して眩しいわね。


 も、もしかして、ここで断罪イベント発生なの?婚約破棄を宣言するつもり?でも、そういう時、婚約破棄する悪役令嬢を抱き寄せているものかしら?


 しかして、ローマルズ様は十分に注目を集めてから、堂々と宣言をした。


「今日は皆に喜ばしい報告がある!私と、婚約者であるリシュリーとの結婚式が三ヶ月後に行われる事が決定した!」


 ・・・は?


 私はあまりに予想外の発表に戸惑うしかない。


「秋の収穫祭の後に行う予定だ。皆、そのつもりでいるように!」


 ローマルズ様が大きな声で言うと、貴族達はおおお、とどよめいた。


「おめでとうございます!皇太子殿下!」


「素晴らしい事ですわ!帝国万歳!」


「新しい皇太子妃誕生に祝福を!」


「お子が楽しみですな!お二人のお子ならさぞかしお美しく聡明なお子がお生まれになるでしょう!」


 などと祝福の声が次々と掛かった。ローマルズ様は堂々と手を上げて応えているが、私は殿下の胸に縋りついたまま戸惑うしか無い。あ、あれ?でも皇族の男子は十八歳にならないと結婚できない筈では?


「ローマルズは十六歳で、本来ならまだ結婚は出来ない。だが、今回は私が特例で認めた」


 私の疑問に答えるかのように、皇帝陛下が階段を上がってきて仰った。


「これは先の戦いの戦功と、ラバーナ地方の用水路建設に際してローマルズの貢献が大であったので、その功に報いるためである」


 戦功と政治的な功績をもって特例が認められたという事らしい。


「あれほどの功績を残したのだから、ローマルズは一人前だと認めざるを得ぬ。一家を構えるには十分だろう。良い妻を迎えられる事だし、私も早く孫が見たいからな」


 皇帝陛下のお言葉に笑い声が起こり、納得した皆様が再び祝福の声を上げる。どうやら冗談やびっくりでは無いらしい。本当に結婚式が決まったようだった。


「驚いたかい?」


 ローマルズ様が言う。


「はぁ、それはまぁ・・・」


 煮え切らない返事になってしまう。なんというか、あまりに予想外過ぎて驚くより先に呆れてしまう。私の決意は何だったのか。


「驚かせられたなら頑張った甲斐があった」


「頑張った?」


 ローマルズ様はそれは嬉しそうに緑色の瞳を細められた。


「慣習で決まっている結婚年齢を覆すには並大抵の功績じゃ効かなかったからね」


 多くは語られなかったが、どうやら結婚を二年も早めるのは大変な事だったらしい。


「だけど、これでようやく君を妻に迎えられる。愛しているよ、リシュリー」


 ローマルズ様は私を抱き寄せて頬にキスをなさった。




 夜会が終わりお家に帰った私は、お父様に詰め寄った。


「どういう事なのですか?私は婚約破棄されるのではなかったのですか?」


 良かったなぁ、という表情だったお父様は一転、頭が痛そうな顔になって眉間に手を当ててしまった。


「まて、リシュリー。一体どこからそんな戯言が出てきた。誰から聞いた?」


「え?・・・誰からも聞いてはおりませんけど、何となく・・・」


 お父様は呆れ果てて疲れたわい、というお顔で深々とため息を吐かれた。


「馬鹿な事を言うで無い。あれほど皇太子殿下に愛されておいて自覚が無いのか?」


 へ?愛されている?私が愕然としていると、お父様は指を折りながら私に問いかけた。


「毎日毎日、朝食も取れぬほど忙しい皇太子殿下が、仕事を途中で抜け出してでもお前と絶対に昼食を摂るのは有名な話だ」


 ・・・確かに、ローマルズ様は欠かさず私と昼食を食べるわね。遅刻はしてくるけど。おそらくあまりに忙しくてどうしても時間に間に合わないのだろう。


「夜会のためにお前に用意するドレスは、殿下が必ずお選びになり、ご自分の服も合わせられる。宝飾品もだ」


 ・・・それは今日初めて聞いた。


「夜会で殿下が一度でもお前の側を離れた事があったか?」


 ・・・ありませんね。いつもピッタリ私の側にくっついていますよ。


 私が何も反論出来ない事を確認して、お父様はまたため息を吐いた。娘の馬鹿さ加減に呆れたという感じに。


「そもそも、お前との婚約も殿下の強い御希望によるものなのだぞ?」


 え?そ、そうなんですか?


「お前をデビュタントの夜会で見て一目惚れして『どうしてもリシュリューと結婚したい!』と仰って、私を含むあらゆる反対を押し切って婚約に漕ぎ着けたのだ」


 は、はぁ。一体何が、どこがそんなに気に入って頂けたんでしょうね?


「私にも分からん。そして、今回の結婚を早める話も『リシュリーとどうしてもすぐに結婚したい!』と無理を仰って、反対する皇帝陛下が引き換えに出された課題を全てクリアして、反対意見を押し切ったのだ」


 ・・・そんな裏話があろうとは。呆然とする私にお父様はやや怒ったように言う。


「なんでも『リシュリーがだんだん元気が無くなっている。寂しい思いをさせているに違いない。早く結婚して側にいてあげたい』と仰っていたそうだ。あれ程皇太子殿下に想われていて、お前はなんだ。婚約破棄だと?殿下に謝りなさい」


 ・・・ごめんなさい。素直に謝るしかなかった。確かに、婚約を破棄されるかも、というのは私の妄想だったようだ。そもそもなんでそんな話になったんだっけ?


 そうよ。そんなに愛して下さっている割には、態度が随分冷たかったじゃないの。私が言うと、その意見もお父様は一蹴した。


「そもそも殿下は親しくなればなるほど無口になる。と、お前が言ったのだろうが」


 そうだっけ。


「それに殿下の最近のスケジュールは、結婚のための課題をこなすために殺人的だったからな。本当にお疲れだったのだろう。本来なら婚約者のお前が労って差し上げるべきだろうが」


 ・・・ぐうの音も出ない。確かにお疲れですね、と思ったのは思ったのだ。それに気付いていながら、私は一回も労わらなかった。反省である。


「そういう事だ。結婚も決まった事だし、妙な妄想はせず、殿下に尽くすことを考えなさい。何しろお前は皇太子妃になるのだからな」




 結婚が決まってから、ローマルズ様のご様子は明らかに柔らかくなった。


 忙しさは変わらないようだったが、遅刻は少しだけ減り、昼食の時などは微笑まれながら私を見つめる事が増えた。ちょっと恥ずかしい。


「殿下は、何が気に入って私の事を妃に選ぼうと思ったのですか?」


 私はある時尋ねてみた。どうやら私は本当に皇太子殿下に愛されているらしいと分かってきたからだ。


 するとローマルズ様はそれはそれは嬉しそうに笑って仰った。


「すごく明るかったからだ。私は暗いからな。明るい君に照らして欲しかったのだ」


 ・・・容姿はキラキラしているのにね。確かにこの人、性格はかなり陰キャなのよね。思い込んだら一直線なところもあるし。


「これからも、ずっと私の事を照らして欲しい。私の妃」


 ・・・見た目に似合わず不器用なセリフです事。その見た目に騙されず、私もちゃんとこの人の事をよく見て、知らなければならないのだろうね。でないとまたつまらない妄想であさっての方向に暴走してしまう事になる。私が。


 何しろ私は皇太子妃。いずれ皇妃になるのだ。皇帝と皇妃が思い込みで暴走したら国が大変な事になっちゃうからね。気をつけなくては。

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