【読み切り】フクザツ兄姉関係

古月湖

ある日の兄姉

「なあ妹よ」


 読んでいる小説が章の分かれ目に入ったので、俺はベッドに寝転びながらそう声を上げた。

 すると、勉強机に両肘をつきながら、幸せそうにアイドルグループの裏側動画を見ていた『妹』の肩がピクリと反応する。


「なあに弟くん」

「俺は腹が空いたぞ、なんか軽食を作ってくれ」


 小説はこれから物語の後半、一番面白いところ。空腹なんぞでそのため集中力をそがれては堪ったもんじゃないのである。

 しかし妹は振り向きもせずこうのたまった。


「どうしてお姉ちゃんなのかな、弟のあんたが作ってきてよ。私もお腹空いたし」

「じゃあお前が自分の分作るついでに俺のも作ればいいだろ、それで万事解決だ妹」


 言い返すと途端、部屋に静寂が訪れた。

 どちらともなく小説を閉じ、動画を一時停止する。

 そして二人してにらみ合う形に入った。


「は、私が姉なんですけど」

「いや、俺が兄だが?」


 アニメや漫画だったらバチバチッと火花が散る場面だろう。それくらい、なかなか凄まじいにらみ合いだったね。

 このやり取りは今年に入ってからもう20回は繰り返した。

 もういい加減自分が妹だと認めて欲しいころだが、とはいえそれが難しいこともわかっている。


 俺と妹の血は繋がっていない。

 数年前に親父と再婚した新しい母に一緒についてきたのが、この――生年月日と生まれた時間その他もろもろが一致した――妹だった。


 俺が最初に妹に持った印象は『かわいい』だ。

 母親の後ろからおずおずと現れ、耳を真っ赤にして「はじめまして……」とぺこりと頭を下げる姿には胸がどきどきさせられた。

 事前に『妹になる子だから、優しくあげるんだよ』と親父から聞かされていたこともあり、当時中学二年生の、妹キャラが熱いお年頃(個人差アリ)の俺にはストライク。

 これからは兄として威厳のある行動をしようと決意したのである。


 が、それが問題だった。


 どういうわけか、向こう側も俺のことを『お姉ちゃんとして、しっかり引っ張ってあげるのよ』と言われて我が家にやってきたそうだ。

 そうやって、双方『兄だ』『姉だ』だと互いに主張し続けて、意地を張り合い続けた結果が――これだ。


「いいからあんたが作ってきなさいよ」

「俺のは今いいところなんだ、お前が行け」

「そんなこといったら私もいいところですぅー」


 小学生のように唇を尖らせる妹。

 しかしここで退くわけにはいかない。兄としてのプライドがあるからな、うん。

 さて、どうやって説得するか。


「お前のほうが入口に近いだろ、動きやすいやつが積極的に動いたらどうだ?」


 俺はドアまでの距離に注目し、そのことを指摘する。

 近いやつがやる。非常に理にかなった理由だ。


「……近いとか、べつに関係ないし」


 妹はあからさまに苦しい返しをしてきた。

 表情も『痛いところをつかれた』と如実に語っている。

 よし、ここでもう一押し。

 とどめを刺すべく最後にひとこと言ってやろうとするが、


「――じゃあ、逆に聞くけどさ」


 ギリギリのところで先制されてしまう。

 ……ちっ、面倒な奴め。

 俺は仕方なく聞く体勢を取った。


「なんだ、言ってみろ」

「弟の去年の家庭科の成績、なんだっけ?」


 この先に続く展開が読めたが、聞かれた以上答えなくてはならない。


「……5」

「私は4。こういうのって上手な人がやるべきじゃない?」

「……いや、家庭科の成績が料理の上手い下手に直結するわけじゃ――」

「――家庭科の成績、ほとんどが調理実習だって聞かされたよね? サンドイッチの」


 くそっ……!

 俺の反応をみて、妹の口角がにやりと吊り上がった。

 正直、成績の優劣の話を持ち出されても『家庭科の成績≠料理の上手さ』で乗り切れる計算だったが、そういえばそうだった。

 これ完全なるミスだ。


 妹はすでに勝った気で『せっかくなら美味しいサンドが食べたいなー』とかぬかしてやがる。

 なんとかしてこの状況をかいくぐるべく頭を悩ませ……そして見つけた。


「……いやまて、もうキッチンに食パンはないはずだ」

「え? そんなことないって、今朝学校行く前だって食べたし」

「今朝はあった、でも母さんが昼はホットサンドを食べたと言っていた。そして母さんは――意外と食べる」


 最後まで言い切った瞬間、妹の表情が硬くなるのを俺は見逃さなかった。

 よし、これでなんとか窮状は脱した。


 しかしもうあとがないのも事実だ。一押しでもされれば、返す術はない。

 でもそれは妹だって同じこと。

 つまり最後は、先に付け入る隙を見せたほうが、負ける。

 だが、もう一手目ほど説得力のある理由はいくら探しても見つからなかった。


 このままだと、ジリ貧。


 ここまで続けて、結局ふたりとも空腹なままそれぞれの趣味に戻るというのはあまりに不毛。

 ここまで費やした時間と体力の無駄だ。


 ……ならばもう、仕掛けるしかない。


 そして俺がその結論に至るのと同時に、妹も答えを導いたのか、決意を固めた大きな瞳のど真ん中に、まっすぐ俺を捉える。

 一瞬の沈黙ののち、どちらともなく、口を切る。


「お姉ちゃんの作るおやつじゃなきゃやだ~」

「お兄ちゃんの作ったおやつ、食ーべーたーい~」


 直後、妹は大きく目を見開いていた。

 確実に効いている、俺の選択した、プライドを捨てた『弟』攻め!

 無邪気な声でわがままを言うことで母性本能をくすぐる魂胆である。


 だが……


 妹が選択したのもまた、それを返すかのような『妹』攻め!


 上目遣いと猫なで声。

 とりあえずこうしておけば男は落ちるだろうという浅い考えの上に成り立った薄っぺらい作戦。


 ――くそっ! 分かり切ってるのに、あからさまなのに!


 どうにか崩れそうになる表情を取り繕って耐える。

 それは妹も同じなのか、それともそうでもないのか。

 部屋には数秒の沈黙が、しかし俺にとっては永遠のように感じられる数秒の時が流れた。


「ちょっと、トイレ行ってこよっかな……」


 なるべくわざとらしくならないようにそう言って、ベッドから体を起こした。

 それからゆっくりと立ち上がり、部屋のドアへと歩み寄る。

 と、


「私も、ちょっと充電ケーブル取ってこなくちゃ……」


 感情の読み取れない声色でそう言って、妹も立ち上がってドアへと手を伸ばす。

 すると当然、俺の進路へ横入りしてくる形になる。


「おい、俺が先だぞ」

「いや、私のほうが早かった」


 そうしてまた二人していつものようににらみ合う形に――はならず。

 二人して目が合った瞬間にパッと逸らしてしまった。

 必然、俺たちはドアの前で立ち止まる形になる。


「はあ……」


 いまのはどちらのため息だっただろうか。

 もう一度顔を合わせると、今度はもう目をそらす気も起きずに、どちらともなく笑い出した。

 それから俺は余裕がある大人な笑顔を作り、対して妹は太陽のように包容力のある笑顔を向けて来た。


「もう、下手な嘘言っちゃってさ。おやつはお姉ちゃんが作ってきてあげるから、弟は本読んでていいよ」

「それはお前もだろ。こういう時は兄の出番だ。妹は気にせず好きなことしてていいぞ、おやつは俺が作ってくる」

「いやいやここはお姉ちゃんが」

「いやいやいやここは兄として」


 そうやって朗らかに言い合いながら二人で部屋を出て、並んで階段を下りて、一緒にキッチンへと入っていった。

 気付けばさっきまでのことなど忘れて、俺たちは材料を用意して調理を開始していた。

 その違和感に妹も気づいたのか、ぽかんとアホそうに小さく口を開けて首をかしげていた。


「私たち、なんで二人でお菓子作りしてるんだっけ?」

「俺もちょっと、よくわからん」


 その回答が不満だったのか、妹はむーっと頬を膨らませる。

 仕方ないだろ、本当にわかんないんだから。

 一応もう一度だけさっきまでの流れを思い起こしてみるが、やっぱりどうしても二人でお菓子作りエンドだけはおかしい。

 と、俺がその結論に達するのと同時に妹もぷはっと息を吐き出して、


「「ま、いっか」」


 そうして、なんでか知らないが二人でお菓子作りにいそしむのだった。


 俺たちのちょっと変わった兄姉きょうだいの一日は、今日もこうして過ぎてゆく。

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