04 そして、これからのこと


「ところでさっきから気になってるんですが、クロームズっていうのは誰ですか?」

「そこにいらっしゃるじゃない!」

 幽霊女はビシリと指を突きつけた。その先にいたクロムは眉を顰める。

「人違いじゃないか? 僕はクロムだよ」

「そう。クロームズというのは、亡くなった伯父上の名前だよ」

 ざわりとどよめきが起こり、集団が左右に割れる。そのあいだをゆっくりと歩いてきたのは、王太子。

「年若い者たちは知らぬだろうが、ここにいるなかでも憶えている者はいるだろう」

 ギロリと一瞥をくれると、さっと目を逸らす者がちらほらと。なにやら後ろ暗い事情があるらしいとロミは不謹慎にも胸を高鳴らせた。

 王族のゴシップ。高く売れる。ごくり。


 クロームズと現国王は腹違いの兄弟だった。王妃はクロームズを産んだあとに亡くなり、後妻となったのが今の国王の実母である。

 どちらも正式な妃であり、そこに優劣は存在しないのだが、権力争いというものは周囲が勝手に盛り上がるのが常。若いころから優秀だったクロームズを推す声は多く、長子であることから揺るぎないと思われていた次代の国王は、留学先で他国の女性と懇意になった。

 時流もあり、近隣国の姫君と結婚して国を立て直そうとしていた頃である。決断を迫られたとき、クロームズは恋を選んだ。そして彼は継承権を放棄して、弟が王位を継いだのだ。

 愚かな男だと見下され、満場一致で彼は王族としてのちからを失い、名も消されてしまったのだという。


「我が父は、自身の兄を表立って救えなかったことを悔いている。家族として弔ってやることすら叶わなかったことを憂いている。国民感情に逆らうわけにはいかないが、王とてひとりの人間なのだから」

 しんと静まるホール。

 誰かがすすり泣くような声がしてロミが辺りを見回すと、盛大に泣いている幽霊女と目が合った。

「いや、あんたかい」

「だっで、おがわいぞうで……」

 ずびーと鼻をかんで、ハンカチーフを畳んだ。

「ところでゴーストレディ、貴女はクロームズの名をどこで知った?」

「わたくし、仲のよい従姉がおりましたの。姉と呼んで慕っていた彼女はクロームズさまと結ばれるはずで、けれど病気で亡くなってしまって。ずっとずっと聞かされていました。クロームズさまがどれほど素敵な方なのか。わたくしはいつのまにか姉の思考に呑みこまれてしまっていたのですね。私は姉ではないのに」

「その女性のことは伯父上に聞いたことがありますよ。申し訳ないことをしたと言っていました」

「ええ、ええ。さきほどの殿下のお言葉を拝聴し、クロームズさまがやはり姉のいったとおりの方であったことを確信した次第です」

「ならば――」

 ラムスルの声に被せるように幽霊はクロムに向かって言った。

「察するに貴方さまはクロームズさまの関係者なのでしょう? だってお名前がそうですし」

「本人ではないのだが」

「良いのです。だってわたくしと文通をしていたのは貴方でしょう?」

 手を握り合わせて笑みを浮かべた幽霊女に、クロムは首を傾げた。

「文通ですか?」

「お返事をくださっていたではありませんか」

「すみません、なんのことだか」

「慣れぬ東の国の文字を一生懸命――」

「あ」

 その言葉にロミは思わずといったふうに声を漏らした。注目が集まるなか、ロミは彼女に問う。

「もしかして『ゆさない』さんですか? なんであんな色を」

「恋文はインクの色を変えるのが主流なのよ?」

「こいぶみ」

 どこからどう見ても呪いの手紙にしか見えなかったあれが恋文ラブレター

「でも、そうね。クロームズさまに想う相手がいらしたように、その血を継ぐ方にも想う相手がいらっしゃる。わたくしたちはふたりして振られてしまいましたのね。ええわかっておりましてよ、初恋は叶わないのでしょう。素敵な思い出となりましたわ、ありがとう存じます」

 クネクネと身をよじらせて、ぐふふと笑っていたかと思うと、幽霊女の影が揺らいだ。

 ふわりと吹き込んだ風が彼女の姿を揺らし、上空へ舞い上がらせる。

 あまりにも呆気ない結末に、ホールにいた誰もが茫然と天井を見上げるしかなく、静寂が訪れた。

 パンと手を打ち鳴らしたのはラムスル殿下。

「王族の不祥事で騒がせた。皆、すまなかった。私はもう下がるゆえ、あとは好きに振る舞ってくれ」

 朗々とした声を合図に、周囲は少しずつ動き始める。楽団が音楽を奏で始め、音にまぎれるようにラムスルがクロムとロミに声をかけた。

「二人はこっちへ」



     ◇



 王宮のホールに忍び込んだだけでもたいしたものだったが、王太子の私室に招かれるだなんて、長生きはするものである。まだ二十年だがロミは思った。

 だが凡人のロミが想定しないことはたくさんあるのだと知る。

「クロム、脱げ」

 人払いをして三人だけになった途端に放った王太子の発言にロミはおののいた。

「あれ、私はお邪魔虫なのでは。はっ、つまり王太子殿下が結婚しない理由はつまりそういうアレで、ああ、だからなるほど」

 これはかなり衝撃の事実だわと思ったが、どうやらくちに出ていたらしく、ラムスルが慌てた様子で否定してきた。

「ち、ちちが、違うぞ、俺にはそういう趣味はない」

「ですが男性の身体には興味がおありになると」

「気になるのはクロムの身体だけだ!」

「すみません、誰でもいいわけないですよね、一途ですよね」

「ちがーーう!」

「それぐらいにしておいてやれよロミ」

 羽音を立てずに現れたジャックが、ロミの横にある卓に足をつけた。

「ラムスルの恋愛対象は女だ。ただヘタレすぎて進んでいないだけだ」

「ヘタレ」

「聖獣さま、彼女に何をおっしゃったのですか……?」

「せいじゅうさま?」

 目を剥いてジャックに視線をやると、鳥胸を反らせてジャックが言った。

「オレさまのことだ。言っただろう。王宮にいるすべての鳥はオレと繋がっていると」

「君は本当に聖獣さまの声を拝聴するんだなあ」

「だからそう言ったじゃないか、ラム兄さん」

「信じてないわけではなかったのだが、なにしろ彼女はちょっと変わっているから」

「にいさん?」

 ジャックからクロムのほうへ視線を移す。

 クロムは首を傾げて「言ってなかったっけ?」と呟いた。

「従兄のラムスル兄さんだよ。僕のことをいつも気にかけてくれるんだ。ところで脱ぐって?」

「おまえの身体に刻まれたあれを確認したい」

「蔦のタトゥー?」

 前をはだけるだけでいいからと言われ、クロムがボタンを外していく。

 固唾を飲んで見守っていると、あれほど禍々しく纏わりついていた蔦が綺麗さっぱり消えているではないか。

「やはり、原因はあの幽霊だったんだな。王宮で起きていた怪奇現象とおまえに現れたあれが同時だったことから、もしやとは思っていたんだ」

「え、そうだったの!?」

「ああ、そうなんだ。じつはなクロム。言っていなかったが、あの蔦はおまえにかけられた呪いだったのだよ」

「そ、そんな!!」

 クロムが大仰に驚くのを見て、ロミは「なんか出来の悪い大衆演劇みたいだな」と思った。

 思っただけかと思ったらやっぱりくちに出ていたらしく、クロムが泣きそうな顔でこちらを見る。

「……もしかして君は知っていたのか? ラム兄さんから事前に聞いてた?」

「いえ聞いてはいませんでしたけど、初日にあれを見ましたし、お身体も拝見しましたし」

「やはり君を選んで正解だったようだね、ロミ嬢」

「選んで、とは」

「宿の一室を借りて面接をしただろう?」

「あれ殿下だったんですか! どうりで豪華な部屋だなって思ってました。ベッドがふっかふかで一日宿泊させていただきましたけど、天国かなって思いましたありがとうございました」

 どこかで見覚えがあると思っていたら、面接官の男が王太子殿下だったとは。己の観察眼もまだまだ甘いと舌打ちが漏れる。

「王子様が変装して城下へ降りる。なるほど、恋のお相手は市井しせいの方なのですね」

「なななな、なにを言っているのかなあ君はっ」

「王族なのに嘘が下手くそすぎませんか」

「クロムも含めて、この国の王族は根が素直なんだって」

「顔芸や腹芸も必要でしょうに」

 ジャックの弁にロミは呆れる。

 この国、大丈夫なのだろうか。

「ところで羊のお兄さん」

「それは私のことを言ってるのかい……?」

 ラム肉は独特の味がして、なんでも美味しく食べるロミだけど、実はすこし苦手だ。

 だけどこのラムさんはわりと好きかもしれないと思う。

「クロムさまに黒いローブを与えたのは、呪いを抑制するためなのはわかりました。では、あの鬱陶しい前髪の理由は?」

「顔を隠せば、少なくとも新しく恋に狂う女性は減るだろう?」

 とてつもなく上からな物言い。すべての女性がクロムに焦がれるとでもいうのだろうか。

 だが、クロムの出自を知った今ならば、それもやむなしだったのだろうと思ってしまう。

 お相手が定まっていないラムスルより、御しやすそうなクロムを引き入れようとする権力者はいたことだろう。なにしろクロムは国王の甥で、もしかしたら彼こそが王太子として暮らしていたかもしれないのだから。

 おまけにクロムは聖獣の声を解してしまった。王太子がまだ成しえていないことをやり遂げてしまった。継承権の順位が覆る事態だ。

 こうして無駄な争いを避けるために、クロムを中枢から離したい一心で身を隠させようとしたのが事の経緯らしい。


「ジャックはどうしてクロムさまに声を聞かせたの?」

「べつにオレが選んだわけじゃねーよ。神の意思とでもいうのかね。むしろ、未だにオレの言葉が聞こえてないラムスルのほうに問題があるんじゃねーの?」

「なるほど、ヘタレだから」

「ヘタレだからな」

「聖獣さま、また何かおっしゃってます?」

「さてね。それで、オレの声が聞こえるオマエはこの先どうするつもりなんだ?」

「私? クロムさまの呪いが解けたのならお役御免ってことになるのかなあ。残念」

 だって給料がよかったし。

 肩を落とすロミに、クロムが慌てた。

「それは困るよ。僕はもうロミがいない生活なんて考えられないし。僕には君が必要だから一生傍にいて」

「いいんですか!?」

「一緒にいてくれるならなんでもするよ。監禁してほしいんだっけ? ラム兄さん、監禁って具体的にどうすればいいかな」

「……そんな特殊プレイ、知らない」

 いまいち嚙み合っていない会話に、聖獣ジャン・ジャックロウは、カカカと楽しげに笑った。

 愉快痛快、まったくこれだから人間は面白い。


 前髪を切ってさっぱりとしたクロムの麗しい尊顔を拝んでロミが腰を抜かすのは、翌日のことである。




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新しい主はどうやら呪われているようです 彩瀬あいり @ayase24

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