03 いざ、王宮へ参らん


 クロムは生活破綻者だが、説明すれば実行する能力はある。

 つまり知らないだけであって、学業以外のことは無能というわけでは決してないのだとロミは気づいた。

 童顔で背も低めなロミは、とても二十歳には見えないと称されることがしばしば。からかっていい相手と思われがちなため、雇われ先ではわざと高い場所に物を置かれて「取ってみろよ」と意地悪をされることが多かった。

 そのため「年齢の近しい男は信用に値しない」と思っていたのだが、クロムはとても親切だった。まるで物語に出てくる紳士のような振る舞い。それを臆面もなくやってのけて、当たり前の顔をしているのだ。

 ジャックが「根が素直なんだ」と言っていたけれど、これはそれだけではないのではないだろうか。

 王宮に私室を与えられて、王太子の部屋を訪ねていけるほどの権限を持っている。有力者の家に婿に狙われるぐらいの上玉。じつはけっこうイイとこの坊ちゃんなのかもしれないと、この一ケ月で気づく。

 それなのに余命僅かとされている身。

 なお本人へ告知はせずに「たまにはゆっくりしなよ」と言われて、ここにいるらしい。

 よく話題に出てくる従兄とやらに心から感謝している様子から、ロミとしても真実は伝えにくい。あなた呪われてもうすぐ以下略だなんて。


 今日はその従兄に会うためにクロムは出かけている。すごく豪華な箱馬車が迎えにやってきて見送ったところだ。

 ボサボサ頭で浮浪者っぽい風体の男がお金持ち仕様の馬車に乗りこむさまは違和感バリバリだったが、御者は平気な顔をしていた。彼のプロ意識にロミは称賛を送る。

「さて、夕飯はどうしようかなあ」

「クロムはたぶん王宮の晩餐会に出るぞ」

「晩餐会!」

 なんと煌びやかな単語だろう。きっと食べたこともない美味しい食事が堪能できるに違いない。晩餐会万歳!

「食べたいって顔をしてるな」

「だってジャック、宮廷料理人ってすごいんだよ?」

 なにしろ王族のくちに入る食事を作ることを許された存在。比較すれば、庶民舌のロミの作るものなんて残飯に等しい。

 異国人に育てられた下町庶民のロミにとって、王宮は物語世界そのものだ。自分には縁がないと思っていたそこに主人が出かけているなんて、未だに信じられない。

 貴公子というわりに随分と抜けたところがあるため、クロムがじつは王宮職員である事実を忘れかけていた。彼は自宅警備員ひきこもりではないのだ。

「なら、オマエも行くか、王宮」

「なに言っちゃってんのジャック。セキュリティ厳しそうな王宮に部外者が入れるわけないじゃん。摘まみだされて人生終了だよ」

「部外者じゃねーだろ。オマエはクロムの」

「そうか、ご主人さまの忘れ物を届けにきた小姓です的なスタンスで」

 首元まで刈り上げた髪といい、凹凸の少ない体型といい、少年でもきっと通るに違いない。

 後ろ髪を伸ばしていると掴まれたり引っ張られたりして逃走の邪魔になるから切っていたが、こんなときに役立つとは。

 拳を振り上げて宣言するロミに、ジャックは翼を畳んで首を振った。



     ◇



 ジャックに先導されて辿り着いたのは、王宮を外壁に沿ってしばらく歩いた先にある扉。ロミの背丈より高い位置にあり、あまり人間向きには作られていないように思えたが、気にせずよじ登った。クライミングは得意だ。

「オマエの人生にすごく興味があるよオレは」

「私もジャックの地獄耳に興味津々だよ」

 ここに来るまで、警備員の配置や動きをまるで見ているかのように教えてくれた。例の「王宮にいる鳥はすべてオレのもの」発言を体現しているかのような現象に助けられ、こうして侵入に成功した次第だ。

 そう、侵入しているのだ。これはもう不審者丸出しである。

 ジャックの導きで使用人の制服置き場へ赴いて着替える。

 男装なのは、他に合うサイズがなかったせいなのだが、そのおかげで晩餐がおこなわれているフロアに行くことができた。

 初めは炊事場で洗い物をしていたのだが、手際の良さを褒められて現場での食器回収を任されたのである。大きな食堂で働いた経験が活きた結果だ。




「おおお、すごい。ひとがいっぱい」

 まるでドレスの見本市だ。着ているのはマネキンではなく生きた人間だが、ロミにとってそこにたいした差はない。

 どのひとも似た化粧をしていて、似たような色合いで、個性というものがない。

 かつて働いていたお屋敷で行われた夜会でも見た光景だが、さすが王宮だけあって規模が五倍ぐらいある。働き甲斐があるというものだ。

 縫うようにひとびとのあいだをすり抜けて、ホールという海を縦横無尽に渡り歩く。漏れ聞こえる会話から、これはラムスル王太子殿下の誕生祭だと知れた。王子ともなれば、こんなお誕生日会が開かれるのかと戦慄する。

 この国の王太子といえば、数年前から結婚するする詐欺を繰り返している不埒な男という印象が強い。やんごとなき方には事情もあるのだろうが、不成立が続いているのは本人に問題があるのではないだろうかともっぱらの噂だ。

 他国の姫君、自国のご令嬢。

 両者の噂があり、どちらとゴールインするかは庶民の賭け事のひとつである。

 ホールの奥。高い天井から吊るされている大きなタペストリー。描かれているのは、神の御使いとされる鳥の姿。

 聖獣伝説は各国に存在するが、我が国は「天界より舞い降りた鳥が落とした羽が大地となった」という神話が残っている。

 その聖なる鳥の下に並ぶ面々が王族だろう。無駄にキラキラした衣装をまとった若い男がきっとラムスル殿下。なんだかどこかで見た気がするけれど、女性も男性も、どれも似たような雰囲気をしているので気のせいだと流すことにした。それよりもクロムを探さなければ。


 ――そうクロームズさま、やっといらしてくださった、やっとわたくしに気づいてくださったのね、愛しいひと。


 背中に氷を入れられたようにぞわっとする声がどこからか聞こえて、ロミはお盆を落としそうになって踏ん張った。

 ここで粗相をするわけにはいかない。プロ給仕の名が廃る。

(クロームズ?)

 似た名前のひともいたものだと思いつつ、周囲に年配男性しかいないなかで響いた若い女性の声に違和感を覚える。腹話術なようでそうではない現象。

 ジャックのときは両者がその場にいたけれど、今回のこれはどうだろう。立派な髭を蓄えた紳士が裏声を出したとしても、ああいう声にはならないのでは。

 疑問に思うなか、歓喜に満ちた声が続く。

 声の主にとってクロームズという人物は理想が服を着て歩いているような紳士で、すべてにおいて完璧で文武両道。たくさんの女性の中から自分を選んでくれたが、周囲から嫉妬され、ついには彼と引き離されてしまった。

 ひそかに文通を続けていたなか、やっと彼が王宮へやってきた。自分を迎えに来てくれたのだ。

 上ずったような熱のこもった囁き声は、内容に反してどこかおどろおどろしい。

 ロミの経験からすると「一方通行の片想いをこじらせて奇行に走る寸前」であり、ここで止めないとやばいかんじのやつだった。


「ロミ?」

 考えこんでいると、自分の名前が聞こえた。ざわめきのなかを誰かが歩いてきて、ロミの前に立つ。

 黒い貴人服は周囲の男たちと同じものだが、だからこそ体形の違いが歴然だ。腰の位置が高く、余計な肉がついていないことがわかるシルエット。そしてその美しさを台無しにするボサボサの黒い髪。

「クロムさま? どうして」

「どうしてはこっちだよ。ロミがなぜここにいるんだ。ジャックはどうしたんだよ」

 姿を探すようにホールを見渡す。そういえばここへ入ってから見ていない。美味しい食事には目がないジャックにしては珍しいこともあるものだ。

 ちなみにロミは、皿を下げながらこっそり一口ずつ堪能済だ。味を盗み持ち帰り、再現したいところである。

「せっかくのご馳走なのに、どこ行ったんだろう」

「味はたしかにいいんだけど、僕はロミが作るごはんのほうが好きだよ」

「クロムさまが馬鹿舌になってしまったっっ」

「そうかなあ。なにを美味しいと思うかはそれぞれで、僕はロミのごはんがすごく好き。きっとこういうのを『くちに合う』っていうんじゃないかな。疲れちゃったから、早く帰ってロミとお茶が飲みたい」

 目の端に映る素晴らしい料理の数々を前にして、のほほんと述べるクロム。余生観がハンパなくて、ロミはなんだか泣きそうになってきた。ああ、お可哀そうなご主人さま。

 そのときだ。あの、ちょっとやばそうな女の声が響いた。


 クロームズさま!


 声とともに空間が揺らぎ、ひとの形を取り始める。すぐそこにいた男が悲鳴をあげ、グラスを落として飛びのいた。パリンと軽い音を立てて割れたと同時に、他のひとびとも退避しはじめる。

 近くに残っているのはロミとクロムだけとなったとき、何もない空間には見慣れない服装をして髪を結い上げた女性の姿がうっすらと浮かび上がっていた。

「君は誰だ?」

「そんな、わたくしのことをお忘れになったというのですか」

「どこかで会ったかい? 僕はひとの顔を覚えるのが苦手で、名前も憶えられなくて。だけど君みたいに個性的なひとなら記憶していると思うけどやっぱり駄目だ、会ったことないよ」

 たしかに実体がないっぽい女のひとというのはインパクトがある。

「だけどクロムさま。幽霊になるまえに会っているとか」

「幽霊か生霊かはわからないけど、ほら見てごらんロミ。彼女の服はキモノというんだ。東国の伝統装束だよ。我が国では見ないものだし、あちらの国でも昨今は着用しないと聞いている」

「あー、それは院長も言ってました」

「僕の母親が着ていたものは王宮に保管されていたんだけど、知らないあいだに盗まれてしまったらしくて、数十年経つけど未だ見つかっていない。ねえ君はそれをどこで手に入れたんだい?」

「へ? 知らないわ、お父様が用意してくださったものだし、クロームズさまはこの衣装を纏えばお喜びになられるって言って」

 なにやら雲行きがあやしくなってきた。痴情のもつれかと思いきや、窃盗事件の犯人疑惑?

 とはいえ、このひとは幽霊。つまり亡くなっている。盗まれたのも随分前っぽいし、お父様とやらも亡くなっている可能性が高そうだ。関係者がいなくてうやむやになっちゃう。真相は闇の中。

 それはそれとしてロミは疑問をぶつけた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る