02 カラス、かく語りき
「オマエはくちで身を滅ぼすタイプだよな」
「よく言われるけど心外だわ」
「自覚ねーのがなお悪いわ!」
あれから約一週間。台所で昼食の準備をしている最中、少し離れた場所に身を置いたカラスと会話をすることは、ロミの日課となった。なお近くにいないのは、ロミがオーブンを見ながらうっかり「鳥の丸焼きって憧れの食べ物だよね」と呟いてしまったせいである。
「最初の顔合わせのときはもっと普通の娘だったのに、本性を隠してやがったのか」
「失礼な。雇ってもらうためには猫は何匹も被っていいのよ。一日で解雇されたとしても、その分の給金は請求できるんだから」
「オマエ、どんな生活送ってきたんだ」
「それはこっちの台詞だよ。クロムさまとジャックは、いったいどういう関係?」
仲介所で聞いていたのは、王宮文官クロムの功績と、その彼が数年前から変わってしまったことぐらい。口頭での説明で進行し、文書は渡されなかった。
だからロミは、これは相当問題のある案件なのだと思ったのだ。
詳細を記したものを渡して、それをもとに訴えたりしないようにしている。物的証拠は残さず、あとでなにかあっても「え、そんなこと言った?」で済ませるための手法。
「でも背に腹は変えられないかなって。返済が迫ってたし、とりあえずのお金が欲しかったの」
「オマエ、どんな生活送ってきたんだ」
「人間、二十年も生きてるといろいろあるんだよ。ところで話がループしてる。私のことはいいから、ジャックのこと。クロムさまが変人になったのはジャックを連れまわすようになってからなんでしょう?」
「オレが元凶みたいに言うなよ。まあたしかに、アイツが周囲から浮いたのはその頃からだろうけどさ」
鍋で湯を沸かしながら、ロミは野菜を切っていく。ついさっき市場で貰ってきた野菜クズだ。処分する前のものを引き取る。あちらも捨てずに済むし、こちらとしてはタダで手に入って美味しい。両者に嬉しい取引である。
荒れ放題のゴミ屋敷と認識されていた家は、ロミが来てから明るい印象に変わったと、市場からは感謝されたこともあり、お値引き率も高い。気分は上々、節約も上々だ。
とはいえ、べつにロミが特別なわけではない。単純にクロムが書物以外に興味がない生活破綻者で、世話をする者がいないせいで空気すら淀んでいただけのこと。
おまけにジャックだ。カラスがゴミを漁っているとか不衛生だとか。そんな負の印象を与えまくっていたが、それすらもロミの存在で払拭された。
ジャックはロミにひそかに期待している。王宮で見かける女たちのように着飾っているわけではないが、すべてを他人任せにして暮らしている娘たちより、ロミのほうがよほどクロムの助けになるに違いない。
鼻歌をうたいながら支度をするロミを見ながら、ジャックは言葉を続ける。
クロムは現在二十八歳。言うまでもなく独身だ。有力株のエリート職員にしては珍しいが、言動が言動なだけに遠巻きにされているのだろう。しかしながら二十代前半はかなりモテたらしく、王宮で開催される舞踏会ではダンス待ちの列をなしたとか。
「今でもモテはするんだよ。顔は変わってねーわけだし、身なりをきちんと整えさえすりゃー貴公子の出来上がりだ。女たちが残念がって、茶会でピーチクパーチク囀ってるぜ」
「なんでそれをジャックが知ってるの。盗み聞き?」
「オレさまがわざわざ出向いてるわけじゃねえぞ。王宮にいるすべての鳥はオレと繋がっているんだ。だから聞こえる」
「壁に耳ありってやつだ」
「なんだそれは」
「東国の言葉」
院長がよく言っていた。ショウジとメアリーがどうとか。
「まあともかく、クロムはモテた。特定の誰かと懇意にはならず、適度な距離を保つことを心がけた結果、誤解する女も増えたんだ」
優秀であるがゆえ、クロムの交友関係――とくに女性に関しては制限がかけられた。当時、二十代半ばだった王太子ラムスルの婚約者が決まっていなかったこともあり、名家のご令嬢をクロムに近づけさせないようにする動きがあったらしい。
王太子より上玉だと思われるエリート文官。
なんとなくわかるなあとロミは思う。
王太子ということはいずれ国を背負う立場だ。その配偶者ともなれば、民からの声を受け取ることになる。
庶民というのは勝手なもので、国の代表には言いたい放題まくしたてるし、表面化する大半は批判なのだ。そんな悪口ばかりを言われる立場になるぐらいなら、優秀な王宮職員の嫁に収まるほうが心の安定につながるだろう。
王族からの提案で、クロムは王宮の一室に与えられた部屋に籠るようになった。
もともと彼は、古文書や他国の文書を翻訳する専門家として雇われており、研究者の側面が強い男でもある。本を与えておけば一日なにも喋らないのもザラで、涼やかな目元と相まって「クールで素敵」と評されていたが、その中身はどちらかというとオタク気質の子どもである。
たまに私室から外に出て、そのお姿を拝めるといいことがあるとメイドたちに喜ばれたりして、ますます黄色い声があがるようになったというのだから本末転倒。
王太子が「とりあえず隠しとけは逆効果だったのではないか」と考えるようになったころ、クロムが珍しくも王太子の執務室へやってきて人払いをしたうえで打ち明けた。身体に模様が現れた――と。
「あ、きちんと相談はしてたんだ」
「そりゃそうだろ。あんなのが前触れもなく身体に現れるんだぞ」
「でもタトゥー綺麗だろとか言ってたよね」
「……ラムスルがなあ、そう言ってごまかしたんだ」
「それで納得するほうがどうかしてない!?」
「根が素直なんだよ」
クロムの出自は少々複雑で、母親が東国人だ。遠くからこちらに嫁いできたはいいものの偏見も多く、神経をすり減らすことも多かった。
才女だった彼女は言葉には不自由しなかったが、水や食べ物といったものが体に合わなかったらしい。少しずつ変調をきたし、治療の甲斐なく亡くなったそうだ。
ロミにとっての育ての親も偏見に苦しんだと言っていた。大昔はそれなりに国交が開けていたらしいのだが、世界規模の戦争が幾度か起こるうちに断絶してしまった。ロミが生まれる十年ほど前から少しずつ回復しはじめたと聞いている。クロムの母親が嫁ぐことができたのも、そのおかげなのだろう。
「クロムの母親が残した書物には、身体に文様を施す文化があると記されていてな。こっちの国でも
「だから後天的に発生しうるってこと?」
「可能性はゼロじゃないってことだ。クロムはたしかに不思議な能力に目覚めた。オレの姿を検知して、声を聞いたんだ」
たしかにジャックは、ただのカラスには見えない。もっと頭のいいカラス。キングオブカラスだ。
うんうんと頷くロミを訝しげに見つつ、ジャックは続ける。
クロムの身体に現れた蔦模様は、最初は腰あたりに数センチほどだったらしい。
聖人の証といえるが、二十歳を越えてから現れた例は少ない。無駄に騒がせるのも良くないだろうということで事実は伏せられた。騒がしいことが苦手なクロムも納得ずくのことだ。
そして少しずつ蔦は長くなり、量が増え、気づけば今の状態になっているのだが、蔦の成長具合に規則性があることに気づいたのはラムスルだった。
王宮で開催される式典や舞踏会など、職員も参加せざるをえない――ようするにクロムが人前に現れて男女問わず会話をすると、まるで咎めるように蔦が身体を締め付けていく。
その事実に戦慄したラムスルは、クロムにローブを与えて、顔を隠すために髪を伸ばすことを勧めたという。
「なるほど、あのローブは王太子さまが。裏側にある刺繍はむしろクロムさまを助けるものだったんだね」
洗い替えで同じものが十着ほどあるのだが、洗濯するのはロミなので当然気づく。絵本に出てくる魔法使いのようなローブだが、裏側にはところどころ刺繍があり、それは封印を意味する形。
クロム自身が発する何かを抑えるのではなく、蔦の成長を抑制するのが目的だったのだ。
なぜそんなことを知っているのかとの問いには、こう答える。
いろいろあるんだよ、と。
仕事を選ばずに生きてきたので、それはもうありとあらゆる仕事に携わってきたロミの知識幅は広い。
彼の周囲から人を遠ざけ、王宮の外に住まいを与えた。
クロムは「さすがに僕もいい大人なんだから自立しろってことだよね」と苦笑していたが、きっとそうではない。
あの模様は左胸を――心臓を目指している。最終地点に到達したとき何が起こるのかわからず、国の重鎮がいる王宮に留めておくと危険だと判断されたに違いない。
王太子とも懇意っぽいのに冷たいものだと思わなくもないが、情に流されるわけにもいかない理由がお偉いさんにはあるだろう。仕方がない。
「つまり、余生ってことだよね。もしもアレによって命を落とすようなことがあるとしたら、心穏やかに過ごしてもらおうっていう、そのための世話係」
ロミは介護の経験もあるし、病院で仕事をしたこともある。あなたの明るさに救われたわと褒められたことだって何度となくあるのだ。
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