06.終幕

 反応は思いのほか早かった。私がDMを送った十分後、言語学者のセリザワから返信があった。


 クライアスの名付け親を名乗る人物からの連絡はあなたで十四件目ですが、クライアスを救いたいと言ってきたのはあなたが初めてです。私はあくまで一研究者でありクライアスに特別な好意を寄せているわけではありません。しかし私の仮説を証明するための実験という形でなら、あなたに協力しようと思います。

 あなたの言うことが真実であるなら、おそらくクライアスはまだ完全には消滅していません。どれほどのサイズになっているかまではわかりませんが、あの街のどこかに存在していると思われます。あなたが呼びかければきっと応えてくれるはずです。クライアスに接触し、その存在を肯定してあげれば何らかの変化が生じると思われます。ただ、それでもクライアスの消失を食い止めることはできないかもしれません。あなたは確かに大きな影響力を持っているが、決して全能ではないのです。とにかくクライアスを発見することができたら、その行動と変化を私に報告してください。あなたの健闘を祈ります。


 私のすべきこと、あの怪獣のためにしてやれること、ようやくそれがわかった気がした。ベッドから飛び起きて私は外へ駆け出していく。いつのまにか沈みかけている夕陽を背に、怪獣の潜む街に向かって呼びかけた。

「クライアス!」

 赤く染まった世界に私の声が響き渡る。きっとまだどこかにいるはずだ。一人で勝手に消えていくなんて、そんなの絶対許さない。その時、どこか遠くから何かの鳴き声が聞こえた気がした。私は自分の感覚を信じて音のした方へ走っていく。

 帰宅ラッシュの雑踏の中でも、騒音にまみれた幹線道路沿いでも、不思議とその声は頭の中に響き続けている。どうやらそれは私にだけ聞こえているみたいだった。少しずつ、だけど確実に声の元へ近づいている。私は逸る心を抑えてじっと耳を澄まし、声のする方角を探る。そして学校の近くの公園に足を踏み入れた時、確信にも近い何かが脳裏をよぎったのを感じた。

 間違いない。きっとこの公園のどこかにいる。私は注意深く公園を見渡す。当然怪獣らしき生物の姿は確認できない。既に無邪気に遊びまわる子どもたちや練習に励む学生の姿はなく、いくつかの遊具が寂しげな影を地面に落としている。クライアスはどこまで小さくなってしまったんだろう。もし視認することが困難なほど小さくなっていたとしたら、もはや打つ手はない。私は祈るような気持ちで、もう一度彼の名を呼んだ。

「クライアス」

 数秒の間が空いて、どこからか「ギャア」という小さな声が聞こえた。そして視界の端で何か黒いものが蠢いているのが見えた。トンネルのような穴が開いたドーム状の遊具から何かが這い出してきている。色んな感情がごちゃ混ぜになって、結局折り合いが付けられないまま、私はゆっくりとその小さな黒い何かに歩み寄る。

 体長はわずか10センチほど、1000分の1近くまで縮んでしまったそいつは、間違いなく幻影の怪獣クライアスだった。私は彼に触れようとして、はっとした。その小さな体には確かに影があったのだ。影があるということはつまり、日光を遮っているということであり、それはクライアスの体が現実にそこに存在しているということに他ならない。私は恐る恐るクライアスに向かって手を伸ばす。

 別に噛みつかれたりはしなかった。ゴワゴワとした毛の感触が手のひらから伝わってくる。その虚ろな命と引き換えに、ついにクライアスは本物の体を手に入れたのだ。あるいはそれは私の錯覚なのかもしれない。だけど私にとってはそれで充分だった。私はそっとクライアスの体を抱きかかえた。ちょっと窮屈そうに身じろぎする彼の様子がなんだか愛おしい。

 何を伝えるべきか、とっさには思いつかなかった。だけど結局、私の気持ちはそんなに複雑なものではなくて、クライアスの方にしたって至高の名言なんか求めているはずもなかった。私はただ思ったままを伝えた。

「ありがとう、クライアス。あなたに会えてよかった」

 クライアスは「ギャア」と短く返事をする。ちゃんとわかってるのかな? と思ったけど、それこそ些細なことだ。クライアスはただそこにいてくれればいいのだ。恐竜の亡霊でも情報生命体でもいい。それだけできっと救われる人がどこかにいるはずだから。

 ゆっくりとクライアスの輪郭がぼやけていく。やっぱり私一人の力ではどうにもならなかった。いまや大多数の人間はクライアスは消えたと思っているのだ。抗いようのない現実がそこにある。クライアスは特に動じた様子もなく私の腕の中で大人しくしている。結局怪獣らしいことは何もしなかったな、と思いながら私は彼を抱きしめた。


 クライアスが消えて、代わりに新しくできたものが二つある。一つは駅前のクライアス像だ。これは一部の住人たちの要望に市が応える形で造られたもので、100分の1スケールのクライアスは資料が何一つ存在していないわりにはよくできている。これを見ていると意外と市長も純粋にクライアスのことが好きだったのかな、という気もしてくるが本当のところは本人にしかわからない。

 そしてもう一つは今私の手の中に握られているクライアスの歯だ。クライアスが消えてしまった後、この小さな白い歯だけが夢の中から零れ落ちたように残されていた。私一人の願いでは歯を一本残すのが限界だったらしい。でも私にとってはそれで充分だった。クライアスが確かにそこに存在していたということを、私自身が忘れずにいられるならそれでいいのだ。

 クライアスという名前が存在する限り、きっと彼はどこかで生きていると私は思う。皆が消えたと思ったから消えてしまったように、再び人々が彼を望めば何食わぬ顔をしてまた現れるだろう。それがどんな世界で、彼の出現によってどんな風に変わるのか、そんなことを考えるのが最近の日課だ。それが暗黒の未来でも別に構わない。その時は今度こそクライアスに全部ぶっ壊してもらおう。

「待ってるよ、クライアス」

 いつかその日が訪れるまで、私は今日を生きていく。

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幻影怪獣クライアス 鍵崎佐吉 @gizagiza

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