05.消失

 大半の人間の予測を裏切る事態に、人々はクライアスが出現した時に匹敵するほどの混乱を見せた。クライアスは消えたのか、どこかへ逃げたのか、それともまだそこにいるけれど私たちが認識できなくなったのか、様々な憶測が飛び交い、その全てが確証がないという理由で退けられた。

 対応を迫られた対策チームは、自分たちの推測が誤りであったことを認め、捜索チームを編成してクライアスの所在の確認を行うということで手を打った。しかし幾人かの目撃証言によって、クライアスが急速に縮んでいってその姿を見失ってしまったという事実が確認されると、クライアスは消滅したのではないかという意見が主流となった。その原因はさっぱりわからないが、もしそうであるなら対策チームの仕事はひとまず終わったということになる。責任を押し付ける相手を失ったことで、議論は少しずつ失速していった。


 「怪獣のいる街」として一躍有名になったこの街も、今や夢から醒めたように整然としている。物好きなマニアたちは未だに実地研究と称してこの街に留まっているが、クライアスを大きめのマスコットとしか思っていない大半の人たちは既に興味を失っていた。店頭に並べられた売れ残りの怪獣グッズだけが、かつてここにクライアスが存在していたことを教えてくれる。何事もなかったかのように月日は過ぎ、クライアスは一部の界隈でオカルト的神話として語り継がれるだろう。そう考えても少しも気持ちは晴れなかった。

 休日ももう半ばが過ぎるというのに、私はほとんど何もしないままベッドで寝そべっている。日常というのはこんなにもつまらなかっただろうか。私は天井を見上げながら記憶をたどる。怪獣のいない街で、普通の女子高生として暮らしていた私は、別に自分の境遇に不満なんか抱いていなかったはずだ。それがたったの二か月ちょっとで、ここまで変わってしまった。私にとってクライアスはそれほどまでに大きな存在だったんだと改めて思い知らされた。

 ベッドの脇に置いたスマホが音をたてる。五分ほどぼんやりしてから思い出したように画面を見ると、彩花が何かメッセージを送って来ていた。「これ見て」という短い文章の下に貼ってあるリンクを開く。すると例の自称言語学者の新しい投稿が表示された。私はゆっくりとそれに目を通す。


 この事態の急転をどうとらえるべきか、明確な回答を示せる人間はおそらく一人もいないだろう。それに関しては私も例外ではない。だが今まで私が構築してきた理論に基づいて一つの推論を立てることはできる。

 まず注目すべき点は、クライアス消失の数日前に行われた対策チームの発表である。あの発表によって「クライアスはいずれ消える」という共通認識が確固たるものになったのは間違いないだろう。しかしクライアスは彼らの予想に反してたった一晩で姿を消してしまった。このあたりに謎を解く鍵があると思う。

 私は今までクライアスは人々の認識の中に存在していると考えていた。それは間違いではないと今でも思うが、細部においてはいくつか誤りがあったかもしれない。つまり全ての人々の認識が平等にクライアスに影響を与えているのではなく、その影響力にはかなりの偏りがある、という可能性を考慮していなかった。

 もしこの仮説が正しいのだとすれば、対策チームはあくまできっかけを作ったにすぎず、クライアスに対する直接的な影響力はあまり大きくないと考えるべきだ。そしてクライアスがその名に縛られる存在である以上、彼の命名に関与した人間が大きな影響力を持っていると考えられる。具体的に言えば命名の最終的な決定権を持っていた市長と、クライアスという名前を発案した人物である。

 市長は先日のインタビューでこの件について「予想外の事態だ」と答えている。このことからおそらくクライアスに強い影響を与え彼を消失させたのは発案者の方であると考えられる。この人物の心情を知る術は今のところ存在しないが、クライアスの名付け親であるこの人がこの事態の急転の中心にあった、というのが私の推測である。


 私はしばらく身動きが取れなかった。ただ浅い呼吸を繰り返すのが精いっぱいで、胸の奥から溢れてくる何かを抑えることができなかった。やっぱり私のせいだ。私が「もうすぐ消える」なんて言ったから、クライアスは消えてしまったんだ。親に見放されてしまった赤ん坊みたいに、その脆弱な幻影の体は息絶えたんだ。呆然とする私の目の前に彩花からのメッセージが表示される。

「これって逆の捉え方もできると思うの」

「美咲がまだクライアスのことを思い続けてるなら」

「クライアスは消えてないかもしれない」

「まだあきらめないで」


 あの日、クライアスは私に会いに来たんだ。きっと私を踏みつぶすためでもなく、お礼を言うためでもなく、ただ別れを告げるために。


 じっとしてはいられなかった。本当はクライアスに会いたかった。でも怖かった。自分が愛した存在に嫌われるのが、何よりも怖かった。あいつはきっと全部わかってて、一人静かに消えていくことを選んだんだ。なんなんだよ、ほんとに。怪獣のくせにかっこつけやがって。

 今の私にできることは何なのか、すぐには思い浮かばなかった。私は藁にも縋る思いで言語学者のセリザワにDMを送った。


 信じてもらえないかもしれませんが、私がクライアスの名付け親です。私は彼に消えて欲しくないと思っています。勝手なことを言っているのは重々承知の上ですが、どうすればクライアスを救えるのか、教えていただけませんでしょうか。どうかお願いします。

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