04.考察
当然その発表は大いに世間をざわつかせたが、対策チームはこの事実をどのように解釈するのか、という点については何ら結論を見いだせていないようだった。各方面の専門家や識者の意見が次々と紹介される中、私は一人考える。
クライアスが縮んでいる。もしこのまま縮み続ければ、いつか消えてしまうのだろうか。もしそうなったら、いやだ。クライアスがいなくなったら、この街はこれといった特徴もないただの地方都市に逆戻りしてしまう。怪獣のいる街、そこに暮らす私。まだ一月と数週間しか経っていないのに、この二つは不可分のもののように思えた。住人たちの間でも反応は様々で、クライアスを観光資源として見込んでいる人たちは不安がり、慣れたとはいってもやっぱり内心ではビビっていた人たちは密かな期待を胸に抱いているようだった。一部の軽薄な人たちが「クライアスを応援する会」というのを立ち上げて批判されたりもした。もっとも批判の内容も「無責任だ」とか「不謹慎だ」とかいう中身のないものばかりだったが。
「やっぱりこのまま消えちゃうのかな?」
そう言った彩花の口調は残念そうではあるけど、それはドラマとかアニメとか、そういうのが終わってしまうというのと同じくらいのテンションのように思えた。
「でもまだ決まったわけじゃないし」
私はそう答える。消えて欲しくない、とは言えなかった。私自身、なぜここまでクライアスに拘っているのかわからなかったからだ。あいつの名付け親になったことで母性のようなものが目覚めてしまったのだろうか。
「あ、でもさ、私面白い考察見つけたんだよね」
彩花は素早くスマホを操作してその画面を私に見せる。それは知らない誰かのSNSへの投稿のようだった。幾何学模様のアイコンの横には「言語学者のセリザワ」と書いてある。
「……言語学者?」
「まあいいから読んでみ?」
促されるまま私はその長文の投稿に目を通す。
単刀直入に言えばクライアスが小さくなっている原因はそのクライアスという名前自体にある。今まではただの「怪獣」でしかなかったあの幻影は固有の名前を付けられたことによって個として独立したのである。
言語という認識が直接現実に影響を与えるはずはない、と多くの人は考えるだろう。その考え方は間違っていない。ただそれはあくまで物質的な存在に対しては、という注釈が必要だ。クライアスはただの幻影に過ぎず、まさに人間の認識の中にのみ存在しているのであり、そうである以上言語という幻想の魔の手を逃れることはできない。
一部の人間はクライアスは情報生命体の生み出した実験装置なのだと主張しているが、私からすればクライアスこそが地球で初めて確認された情報生命体なのである。彼が怪獣というモデルを自らの化身としたことは非常に興味深いが、それに関する考察はまた日を改めて行うことにしよう。
幻影である限りおそらくクライアスは半永久的に存在し続けることが可能であっただろう。しかし名前によって存在を固定されたクライアスはその肥大した虚構の体を支え続けることが不可能になったのだと思われる。
クライアスに異変が生じたと推測される日はまさにクライアスという名が付けられたその日と重なる。結果としてそれはあの怪獣に対抗する唯一の手段であったわけだ。人類は図らずも最善策を導き出すことに成功したのである。
おそらくクライアスは遠からぬうちに消滅することになるだろうと私は思っている。クライアスは幻影としてのみ存在し得るのであり、言語によって個として認識されることには耐えられないだろう。とはいえ前代未聞の存在であるし不確定要素も多いのでやはり厳重な監視は必要であると考える。
私の胸の中で後悔とも焦りともつかない感情が鳴り響いている。もしかしたら私が名前なんか付けたせいで、あの怪獣は、クライアスは消えかかっているのかもしれない。彩花はそんな私の内心には気づかない様子で言葉を続ける。
「なんか情報生命体? っていうのはよくわかんないけど、ようはこれ言霊ってことでしょ。ちゃんとした学者の人がそんなこと言うのって珍しいよね」
私はその言葉にどうにか頷いて見せる。つまりこの自称言語学者はオカルト派とSF派の折衷案を導き出してみせたのだ。それが真実かどうかはさておき、かなりの支持を集めるであろうことは間違いない。そしてクライアスの名前が広がっていったように、この考察も人々に浸透していった時、それはまさに逃れることのできない認識の魔の手としてクライアスを握りつぶしてしまうのではないか。
私は窓の外に目を向ける。今日はここからではクライアスの姿は見えなかった。
日を追うごとにクライアスは人類の期待通り、もしくは期待に背いて縮み続けた。その速度は緩慢ではあったが、やがてその体がビルの陰に隠れてしまうほどの大きさになると、クライアスはこのまま消えてしまうだろう、という共通認識が暗黙のうちに人々の中に築かれていった。観光客の数はさらに増加して、道路に人がごった返すその様子はさながら閉店セールだ。私はもう一度クライアスに会いたいと思いつつも、あの群衆の中に飛び込んでいくのはどうにも気が引けた。
そしてある日、再び対策チームから発表があった。
「このままのペースで縮小を続ければ、対象は一か月後には完全に消滅するものと思われます」
人々の反応は前回の発表に比べれば盛り上がりに欠けたが、否定的な見解を示す人もほとんどいなかった。体長30メートルくらいにまで縮んでしまったクライアスは、好奇心とわずかな憐みの混ざった視線など気にも留めず、今日もビルの谷間を闊歩しているようだ。
「姉ちゃん、クライアス見に行かなくていいの?」
前はあんなに気にしてたのに、と言いたげな様子で朝陽が問いかける。私はソファに寝そべったまま答えた。
「いいよ、別に」
あの観光客たちと同じにはなりたくないという私の厄介オタク的な心情以外にも、私がクライアスに会いに行けない理由はあった。
「どうせもうすぐ消えちゃうんだし」
朝陽は黙って私を見つめていた。
その日の夜、クライアスは突然姿を消した。
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