03.異変

 クライアスという名は日本にとどまらず瞬く間に全世界に広まっていった。あの怪獣はそれだけの注目を集めていたのだ。そして市の思惑通りクライアス目当ての観光客は激増し、これといった特徴もなかった地方都市は今や地球上で最も人類の関心を惹きつける場所になっている。市長からすればとんでもない棚ぼたで、今日もメディアに出演しては景気のいい笑顔を振りまいている。

 だけど私の方は「自分がクライアスの名付け親です!」なんて名乗り出る気はなかった。別に私は目立ちたいわけではなかったし、クライアスが客寄せパンダのような扱いを受けるのもあまりいい気持ちはしなかった。怪獣というのはその名の通り、どこか怪しい得体の知れない存在である方がふさわしいように思えるのだ。結局名前が付いたところで何か研究に進展があったわけではないが、このままクライアスが人気者になってしまったら、あいつはついに私たちの日常の一部になってしまうのではないか。非合理と非日常の塊であるからこそ、クライアスはクライアス足り得るのに。


 そんな後方彼女面同担拒否厄介古参オタクみたいな私の心情を知ってか知らずか、クライアスの行動に変化が見られるようになった。以前はのしのしと街を練り歩き時々思い出したように鳴き声をあげるくらいだったのに、最近は目に見えてその活動が活発になってきている。実害はないという点では変わりはないが、その行動は住人たちに驚きと不安を与え、観光客たちを狂喜乱舞させた。

「きっとこれはメッセージなんだよ」

 筋金入りのオカルト派である彩花は声を潜めて私に言う。

「メッセージって、どんな?」

「人類に対する警告とか、秘められた地球の意思とか。あとはクライアスを祀っていた古代人たちが、時空を超えて私たちに何かを伝えようとしてるとか」

「もしかしたら勝手に名前を付けられたことに怒ってるのかもね」

「それはないんじゃない? だって良い名前だし」

 彩花は平然とそう言ってのける。もし私の推測が正しければ彩花は共犯者ということになるのだから否定するのは当然なのだが。

 対策チームの方でも様々な仮説が立てられているが、そのいずれも推測の域を出ることはない。もはや人々は彼らに何かを期待することよりも、自分の無責任な妄想を含まらませることの方に価値を見出したようだった。どんな物事にも理由をこじつけられるオカルト派に対して、形だけでも理論的であらねばならないSF派はやや劣勢のように思えた。

「あれは一種のポーズなんじゃないか?」

 そのSF派の一人である朝陽はソファに座ったまま虚空に向かって呟くように言う。

「ポーズって?」

「つまり自分に名前が付けられたことに対して、リアクションをしてみせたわけだ。そうなるとクライアスは周囲の人間の言動を理解していることになる。やっぱり情報生命体の仕業である可能性が高いな……」

 この情報生命体とは何かという話を三十分ほど聞かされたが、AIとの違いがわからなかったので理解するのを諦めた。

 わからないものはわからないままでいい、という第三勢力の私としては、今更クライアスの行動に理由を求めようとは思わなかった。怒っているのでも、人類の期待に応えようとしているのでも、もしくは私たちがまったく想像もつかないような理由であってもいい。ただとにかく、クライアスにはルールとか法則とか、そういうものに縛られて欲しくなかった。今まで通り自由奔放に、そして元気に過ごしてくれればそれでいいのだ。その結果人類が滅ぶことになってしまったとしてもかまわない。どうせ防ぎようはないのだから。私はそんな心境でベッドに入り、電気を消して目を閉じた。


「姉ちゃん、起きて!」

 朝陽の叫び声で私はまどろみの中から現実に引き戻される。枕元の時計を見ると時刻は午前三時だ。いったい何があったというのか。眠い目をこすりながらどうにか体を起こすと、朝陽が興奮した様子で告げる。

「クライアスがうちの真上にいるんだよ! こんなに間近で見れるチャンス今だけだって! ほら早く起きて!」

 朝陽に手を引かれるままベランダに出た私は頭上にそびえる黒い巨塔を見やった。そこにはクライアスがいた。まるで我が家を跨いで仁王立ちするような格好で、クライアスはそこにじっと留まっている。クライアスのことになるとよく喋る朝陽も、今はその迫力に圧倒されたかのように押し黙っている。もしかしたら私を踏みつぶしに来たのかな、とも思ったが、クライアスはじっとしたまま動く気配がない。それは最近の傾向からいえばかなり珍しいことだった。いったいこいつは何を考えているんだろう。それとも幻影でしかないこいつには思考能力なんてないんだろうか。

「クライアス」

 私は小さくその名を呼んだ。するとクライアスはまるで返事をするように鳴き声をあげた。その大地を震わすような轟音は、私の耳にはなぜだか心地よく響いた。その声で目が覚めたのか、お父さんとお母さんもベランダに出てきて一緒にクライアスを見上げた。

「でっかいなぁ」

 まるで少年のような表情でお父さんが呟いた。クライアスはしばらく我が家の上に居座り続け、夜が明ける頃になってようやくまたのそのそと歩き始めた。彩花あたりなら「これはクライアスが名前を付けてもらったお礼を言いに来たんだよ」とでも言いそうだ。だけど私はそこまで楽天的になることはできなかった。

 あいつはいったい何のために現れたんだろうか。数多の人間が数えきれないほど抱いてきた疑問を、ついに私も抱かざるを得なかった。


 対策チームから久々の発表があったのはそれから三日後のことだった。深刻そうな表情をした初老の研究員は深刻そうな声でこう言った。

「あくまで目測ではありますが、どうやら対象は少しずつ縮小しているようです」

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