第十七幕 越後の龍
『孔雀天雷』によって焼き尽くされた妖魔が消滅していく。妙玖尼たち
「ふぅぅぅ……何とか、終わったねぇ。今回も肝を冷やしたよ」
紅牙が刀を納めつつ大きな息を吐く。特に今回のような難易度の高い退魔となると、彼女はいつもあわやという命の危機に瀕する事が多い。今回も例外ではなかったが、それをこうして無事に乗り越えられたのは間違いなく
「ええ、本当に。ですが……何やら不穏な様子ですね」
妙玖尼も弥勒の構えを解きながら、睨み合うようにして向き合う謙信と伽耶の方に憂いを帯びた視線を向ける。特に謙信の方は伽耶に武器まで向けている。ただならぬ雰囲気だ。
「このまま見逃してくれるって事は……まあ、無理よねぇ」
「当然だ。先程まではあくまで妖魔討伐を優先して手を組んだに過ぎん。そなたの協力もあって奴を倒せた事は確かだが、それとこれとは話が別だ」
嘆息する伽耶だが、なぜ敵意を向けられるのかは解っているようだ。そして実際に謙信は
「ちょっと待った! 流石に刃傷沙汰になるなら止めさせてもらうよ」
「ええ。伽耶さんのご協力が無ければ鎌鼬を無事に討伐出来なかった事はあなたご自身が認めているでしょう? 何かやんごとないご事情がお有りのようですが、一旦刃を下げて話し合いをする事は出来ませんか?」
二人に仲裁された事で若干冷静さを取り戻したのか、謙信が目を瞠って一歩下がる。
「……確かに、其奴は我等を見捨てる事も出来たのに、敢えて出てきたのも事実、か」
謙信は顔を歪めて唸りつつも渋々薙刀を収めた。妙玖尼と紅牙はホッと胸を撫で下ろす。いや、一番ホッとしたのは間違いなく殺気を向けられていた伽耶本人だろう。
「……美濃でも似たような体験をしたけど、今回は
伽耶が仲裁してくれた妙玖尼たちに感謝を述べる。しかし流石にこうなってくると問わずにはいられなくなる。
「とりあえず落ち着いた所でそろそろあんたの
紅牙も同じ思いらしく、謙信に胡乱げな目を向ける。
「そうですね。今まではご事情を慮って聞かずにおりましたが、伽耶さんに殺気まで向けたとあってはそうも言っていられません。我々にもあなたのご事情をお聞かせ頂けませんか?」
謙信の反応は美濃での
「言い難いなら私から言ってあげましょうか? ねぇ、『越後の龍』
「……っ!」
伽耶が呼びかけた名前に謙信は反論せず、代わりに苦虫を噛み潰したような顔を作る。だが妙玖尼と紅牙にとっては苦虫どころの話ではない。
「な、な……」
「長尾景虎……!?」
二人は目を瞠って謙信を見やる。今この日の本で『長尾景虎』という名前の人物は恐らく一人しかいないだろう。更には場所が信濃である事、武田の密偵である伽耶に対しての異常なまでの敵意と警戒、そして先程伽耶は【越後の龍】と呼ばわった。それらの事実から導き出される結論は一つだけだ。即ち……
「あなたが……越後国主、長尾景虎
越後の豪族を従える戦国大名。幼い頃から頭角を現し、その才を見込まれた家臣たちによって推され凡庸な兄、長尾晴景を追い落とし若くして越後の守護代となった傑物。『越後の龍』の異名を取り、信濃の豪族たちに請われ、信濃を武田の脅威から救うべく自らが発った義の将。
「それなりの地位の豪族かとは思ってたけど……こいつは予想外の大物さんが出てきちまったねぇ」
紅牙も驚愕を隠せていない様子だ。それも当然だ。上杉謙信という名が偽名である事は解っていたが、まさかの戦国大名本人だ。美濃で言えば斎藤義龍に当たる人物である。そんな人物が兵を率いて直接現地に赴いて妖魔と戦っていたなどとは流石に予想の範囲外であった。
「……確かにもう隠す理由はないな。如何にも、その通りだ。であるなら、私がこの女を見過ごす事が出来ん理由も理解できよう」
謙信は、否……
「私の命を狙っているあの奈鬼羅という妖鬼と繋がっている疑いは流石に抱かぬが、さりとて武田の間者を放置は出来ん。この者の腕前からしてかなり重要度の高い諜報任務を請け負っている可能性もある故な。鎌鼬討伐の礼として命は取らぬが拘束はさせてもらうぞ」
「……この状況で私が大人しく捕まると思って?」
警戒した伽耶が一歩下がって弓を構える。確かに景虎の立場上、伽耶を見逃す事は出来ないだろう。それは理解できる。だが妙玖尼も紅牙も景虎の配下という訳ではなく、伽耶には何の恨みもない。それどころか彼女が協力してくれなければ、ここでも美濃でも敗北していた可能性が高いのだ。
「謙信……いえ、景虎様。あなたのお立場は理解しますが、さりとて恩を仇で返すような行為には賛同致しかねます」
「ああ、そうだね。あたしらはあんたの部下って訳じゃない。言ってみりゃ妖魔を倒すために一時的手を組んでたってだけだからね」
妙玖尼も紅牙も、伽耶を庇うように景虎と対峙する立ち位置を取る。つい先程まで強大な妖魔相手に共闘していた女性たちが俄に一触即発の状態となる。
とはいえ実質的に三対一という状況で、流石に景虎に勝ち目はないように思われる。だがそれが解っているはずなのに、何故か彼女の顔に焦りや憂慮の色はない。それどころか……どこか
「……そうか。お主らであれば確かにその者を庇う選択肢を取るであろうな。そんなお主らだからこそ私も信頼したのだ。……故に、
「許せ、だって? 許して下さいの間違いじゃないのかい? 大人しく引き下がるなら今のうちだよ」
景虎の言葉を、勝ち目がないと悟ったが故の謝罪と
「……! ああ、これは……。なるほど、強気だったのはそういう訳ね」
「え……?」
妙玖尼は何の事か分からず伽耶に向き直る。だが遅れて彼女も、この場に徐々に迫ってくる大勢の人馬が踏み鳴らす
優に数百人はいるだろうその軍団は迷うことなくまっすぐこちらを目指して行軍してくると、妙玖尼達四人を取り囲むように布陣する。
「ちょ、ちょっと、何なんだい、こいつらは!? 目当てはあたしらかい!?」
紅牙が慌てて刀を構える。
非常に訓練された迅速な動きだ。この集団が賊の類でない事の証左。何よりもその軍団は多数の
「……景虎様、探しましたぞ。ご無事で何よりです。まあ貴方がそこいらの雑兵や妖魔に遅れを取るとは思っておりませんでしたが」
「
部隊の指揮官と思しき騎馬武者が進み出てきて、景虎に声を掛ける。彼女を探していた部隊のようだ。そう……この軍団は
「それで……これはどのような状況でしょうか?」
勝長と呼ばれた指揮官の問いに景虎は、改めて薙刀を三人に向ける。
「あの巫女は武田方の密偵だ。速やかに捕縛せよ。……
「な……!?」
妙玖尼と紅牙は目を剥いた。だが景虎はやはり心苦しそうな表情のまま目を逸らして、彼女らの驚愕の視線を黙殺する。主の命を受けた勝長が手を挙げると、兵士たちが槍の包囲を狭めてくる。
「ち、こいつら……!」
紅牙は反射的に刀を掲げようとするが、それを伽耶が押し留める。
「やめておきなさい。流石にこの数には勝てないでしょう。下手に抵抗したら殺されるだけよ。……私のせいであなた達には迷惑を掛けちゃったわね」
「か、伽耶さん……」
諦念を浮かべながら自嘲気味にそう謝罪する伽耶に、妙玖尼も何も言えず呆然としてしまう。だが確かに三人だけでこの状況を切り抜ける事は不可能だ。少しでも抵抗したら兵士たちは容赦なく彼女らを殺すだろう。
伽耶が弓を置いて手を挙げる。無念だがここは彼女に倣うしかない。妙玖尼も錫杖を置いてその場に跪いた。
「ち、ちくしょう……。鎌鼬を倒してやった褒美がこれかい。とんだ『義将』様だよ」
紅牙も彼我の戦力差が読めないほど愚かではない。割れんばかりに歯噛みしながらも刀を置いて投降する。悔し紛れのその悪罵に景虎は一瞬表情を歪めるが、捕縛命令を撤回する事はなかった。
「さあ、早く捕らえろ。この者達を旭山城の本営に連れていくぞ」
景虎の命を受けた兵士たちが三人を捕縛する。伽耶だけでなく妙玖尼も紅牙も縄を打たれてしまう。かくして思わぬ成り行きから彼女たちは美濃に続いて再び虜囚の憂き目に遭う事となり、否応なく『表』の争乱へと巻き込まれていくのだった……
末法の退魔師 ~戦国妖鬼討滅伝 ビジョン @picopicoin
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