第十六幕 狂獣討伐
破壊された村の広場で何度も鋭い剣閃が煌めく。その度に耳が痛くなるような金属音が発生する。その発生源となっているのは二人の女戦士と、そして一匹の巨大な妖魔。その妖魔……
「ぐぁっ!!」
そのうちの一人である
「うおぉぉっ!!」
男装の武者……謙信が薙刀を振りかざして妨害する。それによって何とか紅牙への追撃は阻止できたが、今度は自分が攻撃対象になってしまう。当然一転して防戦必至になる謙信。すぐにそれすら危うくなるが、そこに態勢を立て直した紅牙が後ろから斬りかかり奴の注意を逸らせる。
先程からこの繰り返しで何とか持ち堪えているようなものだった。これがどちらか一人が単身で相手をしていたら、今頃とうに命は無かっただろう。腕利きの戦士二人だから辛うじて持ち堪えている状態であったが、それももう限界を迎えつつあった。
「くっそ……! まだなのかい!?」
「今少しだ、踏ん張れ! だが……此奴、我等を本気で襲っていないように見えるな」
悲鳴混じりの紅牙に自身も歯を食いしばって猛攻に耐えつつ、謙信は鎌鼬がまだ余力を残している事を直感で悟っていた。恐らく奴が本気であれば、法術の加護もない状態では如何に謙信達が腕利きであろうが持ち堪えられなかっただろう。
だがそれを深く考えている暇はない。というよりその前に事態が動いた。
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』
真言と共に破魔の光弾が飛んできた。鎌鼬が咄嗟に跳び上がってそれを躱すと……
『ヒノカグツチの滅炎!』
今度はそこを狙って火矢が迫る。回避直後だった事もあり火矢は鎌鼬の身体に突き当たった。それだけでは傷つけるに至らなかったが、奴が怯んで後退する。その隙に紅牙達の元に駆け寄る二人の女性。
「紅牙さん! 謙信様!! ご迷惑をお掛け致しました!」
「……! 尼さん、
大分衣服は乱れていたもののとりあえず無事だった妙玖尼の姿に喜色を浮かべる紅牙。それとは対象的に謙信は妙玖尼の無事には喜んだものの、もう一人の人物を見て目を眇める。
「こんな所に巫女だと? まさか……」
武田の歩き巫女の噂は謙信も知っていた。もしこの人物の正体が彼女の予想通りだとするなら、少々厄介な事になる。その人物……
「……思う所は色々あるだろうし、多分あなたの想像通りだと思うけど、今だけは他に優先すべき事があるでしょう?」
「む……そう、だな」
謙信もそれを認めた。今だけは武田より何より、目の前のこの妖魔を討つ事が優先だ。こいつは人の世そのものの敵だ。謙信は今だけは
「ははっ! これで万全に戦えるよ! 化け物、よくも好き放題やってくれたねぇ。今度はこっちの番だよ!」
伽耶達も合流した事で気勢を上げた紅牙が鎌鼬を挑発する。元々の妙玖尼達三人だけでなく、美濃でも戦いを共にした歩き巫女・伽耶が加わってくれた事は僥倖であった。これなら勝てる。紅牙ならずともそう思うのは当然であった。
だがここで鎌鼬がこれまでとは異なる様相を見せた。こちらが四人揃ったのを見ると、その獣の口を吊り上げて
「……!! 奴の邪気が……」
「膨れ上がっている……!?」
妖魔の邪気を感知できる妙玖尼と伽耶の二人が目を瞠る。否、奴の体毛が逆立って身体が一回り大きくなり、その両前脚の逆刃や尻尾の鏃が更に凶悪な形状に変化する様を見れば、例え邪気を感知できなくても何が起きているかは明白だ。
「なるほどねぇ……これが奴さんの
「やはり今までは遊んでいただけか。化け物め……」
紅牙と謙信も、その見るからに剣呑な変化を目にして警戒を強める。それと同時に本気になった鎌鼬が恐ろしい咆哮を上げて飛び掛かってきた。
「……!! 速いっ!?」
謙信が目を瞠る。鎌鼬の動きも先程までより明らかに速くなっている。紅牙たちだけであったら為す術もなく斬り倒されていただろう。だが……
『オン・クロダノウ・ウン・ジャク!』
妙玖尼が唱えた『真言界壁』の術が間に合い、前衛の二人を覆うように半透明の光の壁が立ち昇る。鎌鼬の逆刃が障壁と接触した。
「ぐっ……!?」
そしてその衝撃の強さに妙玖尼が呻く。だが何とか奴の一撃を防ぐ事は出来た。そして一撃でも防げれば僅かに隙を作る事は出来る。
『ヒノカグツチの滅炎!』
そこに伽耶が素早く神祇の矢を撃ち込む。この火矢の神祇は素早く撃てる代わりに威力はそこまで高くないようで、鎌鼬のような上級妖魔には致命傷を与えるのが難しい。だがそれでも邪気を滅する異能の力んは違いないので、火矢を受けた鎌鼬はそれを厭うように跳びすさる。
『オン・ニソンバ・バザラ・ウン・ハッタ!』
その隙に『破魔纏光』を唱える妙玖尼。自分の法術も伽耶の神祇も強力なものなら致命傷を与え得るかも知れないが、この鎌鼬の素早さを考慮するとまともに当てる事さえ難しいだろう。まずは前衛の二人に攻撃を担ってもらうしかない。
「……!! はは、ようやくかい! さあ、今度はこっちの番だよ、クソイタチ!!」
まず『破魔纏光』を受けた紅牙が、不敵な笑みを浮かべて攻勢に転じる。彼女が刀で斬りつけると、鎌鼬は自らの逆刃でそれを防ぐ。今までは紅牙が一方的に弾かれるだけだったが、破魔の法術が掛かった今の彼女の刀は鎌鼬の逆刃に僅かに食い込んで傷をつけた。
だがそこ止まりだ。切断するには至らない。あの逆刃は相当な硬度のようだ。鎌鼬がもう一方の逆刃を振り上げて紅牙を斬り裂こうとする。
「うおぉぉぉっ!!」
だがそこに謙信が気勢と共に斬りかかる。その薙刀の刃にも既に『破魔纏光』が掛かっていた。その威力を警戒した鎌鼬は、今度は逆刃で受ける事はせずに飛び退って回避した。
『ヒノカグツチの滅炎!』
そこを狙って再び伽耶の神祇の矢が連続して撃ち込まれる。だが今度は鎌鼬も対策してきた。奴が尖った尾を振るうとそこから強烈なつむじ風が発生した。それは突風となって神祇の火矢を打ち消してしまう。いや、打ち消すばかりではない。
「……!! いかん、避けろ!」
何とつむじ風はそのまま勢いを減じる事なく四人の元に吹き付ける。妙玖尼の真言界壁も、立て続けに『破魔纏光』を使った直後では間に合わない。凄まじい突風に晒された妙玖尼達はとても立っていられずに、全員吹き飛ばされて地面に転がる。
当然その隙を逃す鎌鼬ではない。奴はまず最も手近に転がる紅牙に飛び掛かった。
「き――っ!!」
紅牙は引き攣った顔で必死に刀を立てて魔獣を牽制する。だがそんな苦し紛れの抵抗が通じる相手ではない。鎌鼬は構わずに逆刃を突き立てようと振り上げる。
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!!』
そこに何とか起き上がった妙玖尼が、上体のみ起こした不安定な体勢ながら『破魔光矢』を放って鎌鼬を牽制する。攻撃動作の途中だった鎌鼬は躱しきれずに被弾する。奴は奇怪な叫び声を上げて後退する。
「た、助かったよ、尼さん!」
その間に急いで立ち上がる紅牙。勿論謙信や伽耶達も打ち身の苦痛を堪えて体勢を立て直していた。鎌鼬は『破魔光矢』をまともに食らったにも関わらず、すぐに怒りの咆哮を上げて再び襲いかかってきた。腐っても上級妖魔だ。片時も休んでいる暇はない。
鎌鼬が連続で両前肢の逆刃を振るってくる。熟練の剣士もかくやという鋭い斬撃に人外の膂力が加わることで、一撃一撃が必殺を期した死の刃が無数に降り注ぐ。
「ぬ……ぐ……!」
「堪えろ! ここが踏ん張り所だ!」
紅牙と謙信の二人は完全に鎌鼬の斬撃への対処で手一杯になる。『破魔纏光』の加護がなければとうに得物を切り砕かれ、その逆刃の露となっていただろう。だがその二人の前衛の奮闘の成果で、鎌鼬を後衛の二人に寄せ付けずにいる事が可能となった。
『オン・マイタレイヤ・ソワカ!』
『タケミナカタの風穿!』
そうなれば後衛は攻撃の術に専念出来るようになる。二人の術師から立て続けに異能の力が迸り、前衛の二人と斬り結ぶ鎌鼬に命中する。怪物が苦痛とも怒りともつかない咆哮を轟かせる。奴に確実に手傷を与えているという手応えがあった。
「よっしゃ! このまま押し切るよ!」
それを悟った紅牙がいち早く攻勢に転じて、率先して鎌鼬に斬り掛かっていく。勿論謙信も負けじと追随する。鎌鼬は再び飛び退って尻尾のつむじ風を使おうとするが、勿論後衛の二人が黙って見ているはずがない。
妙玖尼と伽耶から立て続けに異能の力が飛び、大技を振るおうとしていた鎌鼬の隙を突いて直撃する。奴が再び悍ましい苦鳴を上げて怯む。このまま押し切れば勝てる。皆がそう思った時、鎌鼬がこれまでとは異なる挙動を取った。
奴が体勢を低くして力を溜めるような動作を取る。すると目を疑うような現象が起きた。
「……! 何だい?」
「鎌鼬が……
全員が驚愕に目を瞠る。何と鎌鼬の身体から飛び出すように、
一体でも四人掛かりで何とか抑えていた相手がいきなり三体になったのだ。紅牙と謙信はたちまち防戦一方に追いやられる。だが妖魔の邪気を感知できる妙玖尼と伽耶は、視覚的な効果で一瞬驚愕したものの、すぐにこの
「皆さん、落ち着いて下さい! これは
「え……!?」
妙玖尼の警告に紅牙たちが目を瞠る。
「本体は一体だけよ! 他の二体は目眩ましに過ぎないわ! 本体を攻撃して!」
「と、言われてもこれは……!!」
続けて伽耶が指示するが、謙信は必死の表情で防戦を続けている。とても攻撃どころではない。紅牙も同じ状況だ。鎌鼬が作り出した二体の幻影は本物と寸分違わず、その逆刃の風切音まで完全に再現している。
幻影と解っていても本物との見分けがつかないので、幻影の攻撃にも反応して防御してしまい、その隙を本物に突かれて被弾が増える。そしてよしんば攻撃できたとしても、どれが本物なのか判別できないため当てる事は至難の業だ。法術の加護を受けているはずの紅牙と謙信の旗色が急激に悪くなっていく。
やはり上級妖魔は伊達ではない。これは当初の三人だけで戦いを挑んでいたら正面からでも負けていた可能性があった。だが今は心強い援軍がいる。
「私に任せて! あなたはとびきりの攻撃準備をしておいて!」
「……! 分かりました。お願いします!」
その援軍……伽耶の言葉に反射的に従う妙玖尼。問答している余裕はない。また能力の適材適所というものがある。幻影の対処を伽耶に任せる事に異論はなかった。彼女を信じて自身は攻撃用の法術の発動に入る。
「……実体のない幻影を見破るにはこれね。『ナキサワメの涙身!』」
一方で伽耶は大麻を振るって別の神祇を発動させる。地面から次々と水で構成された足のない乙女達が湧き上がり、滑るように移動しながら鎌鼬に殺到していく。といっても水乙女達の攻撃力はたかが知れている。上級妖魔たる鎌鼬には到底通じないだろう。だがこの水乙女達の役目は攻撃ではない。
「……! これは……!?」
「安心しな! あの伽耶って子の能力だよ。でも……」
初めて見る奇怪な現象に目を瞠る謙信に紅牙が補足する。しかし彼女もまた目の前の光景に戸惑う。水乙女達は鎌鼬を攻撃するでもなく、大量の水滴を中空に放って、その場一帯に簡易的な『雨』を降らせる。
だがその『雨』は
「なるほど、そういう事か!」
伽耶の意図にいち早く気づいた謙信が、薙刀を振りかざして
伽耶の意図に気づいたのは鎌鼬も同じだ。その獣の面貌を憤怒に歪ませると、『雨』を降らせているのが伽耶という事を即座に見抜き、怒りの咆哮と共に飛びかかる。術を操っていて無防備だった伽耶が顔を青ざめさせる。
「させるかいっ!!」
だがそこに紅牙が割り込んで妨害する。法術の掛かった武器を振るう彼女らの攻撃は充分牽制になり得る。当然そこに謙信も追いついてきて参戦する。幻影を見破られた所に、法術の加護を受けた女戦士達の猛撃。さしもの上級妖魔も苛立ちと怒りに暴れ狂う。そこに更に……
『オン・マユラギランデイ・ソワカ!!』
他の三人が稼いでくれた時間で法力を充分に練り上げた妙玖尼の、『孔雀天雷』の術が発動した。中空に発生した雷雲から強烈な落雷が、伽耶の水乙女たちが降らせる『雨』によって更にその威力を増し、紅牙と謙信が釘付けにしていた鎌鼬に命中した!
――ギエェェェェェェェェェッ!!!!!
凄まじい絶叫。『雨』によって濡れていた身体に強烈な落雷を浴びた鎌鼬は、悍ましい断末魔の叫び声を上げながら消し炭となり、跡形もなく消滅していった。
妖鬼の手先として数え切れないほどの無辜の民を殺戮してきた狂獣の最後であった。
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