第46話 ここから私のリスタート

 アワラの決死の行動のおかげでアカリが助かったのを確認したと同時、アーシムとロンボはそれぞれ剣を構えてソードスキルを発動させた。


「ソードスキル、シバルリープライドッ!!!!」

「ソードスキル、デュアルディスターバンスッッ!!!!」


 アーシムの三連撃技とロンボの十四連撃技が超巨大ウミウシ型海異かいいに襲い掛かる。


「やああぁぁぁぁっ!」

「はああぁぁぁぁっ!」


 一撃目、見事に命中。

 二撃目、確かな手応え。

 最後、三撃目。


 これで、終わりだっ……!


 渾身のソードスキルを叩き込んだアーシムは、攻撃を終えると即座に海異から距離を取った。

 落下しながら体勢を整えてしっかり着地すると、数秒遅れて隣にロンボも降り立った。


「やったか?」


 ロンボが呟き、ウミウシを見上げる。


「ロンボさん、それフラグ……」


 その台詞に対して、アカリが何かを言いかけた次の瞬間。


「グオオオオオオオオォォォォォォォォッッッッ!!!!!!」


 水平線の遥か彼方、海の向こうの王都まで届きそうな、化け物の不気味で不快な断末魔が耳を劈いた。

 それからウミウシの巨体が、ザバーンと大波を立てながら海に沈んでいく。


「っ! みんな、どこかに掴まって」


 アーシムが指示した直後、波によって船体が大きく揺れる。

 僕とロンボは甲板の手摺りに、アワラとアカリは帆柱に掴まり、振り落とされないよう必死に耐える。


 そしてしばらくして、続いていた揺れが収まった頃には、あんなに大きかったウミウシ型海異の姿は跡形もなく消え去っていた。


「良かった、倒せた……」

「ああ。結構危ない場面も多かったけどな……」


 ロンボと顔を見合わせて、安堵の表情を浮かべる。

 麻痺状態に陥った兵士はいたものの、犠牲者は一人も無し。帆船への被害も最小限。海伐かいばつ騎士軍としては完勝と言っていい。


 けれどアカリとアワラにとってみれば、今回の戦いは失態だらけだったようで。

 歩み寄ってきた二人が、申し訳無さそうに口を開く。


「ごめんねっ、アーシムさん、ロンボさん。アカリが調子に乗ってたせいで、色々と迷惑かけちゃったよねっ? 本当にごめんなさいっ」

「本来ならマリンピア海軍のみで撃破する作戦だったにも関わらず、反対にこちら側が助けて頂く形となってしまいました。またマリオネットとして、リューグ軍の皆さんを危険に晒してしまったこと、深く謝罪申し上げます。このお詫びとお礼は後日、国防省と協議の上で改めてさせて頂ければと思います」


 アカリがパチンと両手を合わせて、アワラが艦長の制帽を取って、深々と頭を下げる。


 別に僕たちはそこまで気にしていないのに。そんなに謝られると、逆にこっちが申し訳無くなってくる。

 とりあえず、まずは二人に頭を上げるよう促す。


「アカリ監視官、アワラ艦長。気持ちはもう十分伝わりましたから、頭を上げてください」

「…………」

「…………」


 アカリとアワラの表情は、まだどこか冴えない。よほど責任を感じてしまっているのだろうか?

 励ましの意味も込めて、アーシムは言葉を継ぐ。


「もしもこの海異に海伐軍だけで挑んでいたら、最悪の場合は全滅していたかもしれません。少なくとも、こんなにあっさりと倒すことは出来なかったと思います。僕たちの被害がごく一部の兵士の、一時的な麻痺だけで済んだのは、きっと、間違いなく、マリンピア軍の皆さんとアカリ監視官のおかげです。だからお二人には、ちゃんと感謝しないといけませんね。ありがとうございました」


 二人が何かを言う前に、続けてロンボも発言する。


「そしたら俺からも言っておかないとだよな。アカリ監視官、アワラ艦長、ありがとう。二人には相当助けてもらったぜ!」


「アーシムさん、ロンボさん……!」

「お心遣い、感謝します」


 ようやく少し笑顔が戻った、アカリとアワラ。


「それじゃあ、みんなの麻痺状態を直して王都に帰ろうか」

「ああ、そうだな。……っと、そっちの仲間は大丈夫そうか?」


 ロンボの問いに、アワラが小さく頷く。


「ええ、現在は再起動が可能かどうかシステムのチェックを実行中です。また、万が一に備えてスペアの機体が格納庫に、人格データがクラウドにバックアップしてありますので、ご心配には及びません」

「そっか、なら良かった」


 アーシムには機械人形の言った言葉の三分の一くらいは意味が分からなかったのだが、ロンボの反応からしてハヤサメとシコツが完全に壊れてしまったのではないみたいで安心した。


 午後九時三十分。超巨大ウミウシ型海異、討伐作戦が完了。

 マリオネットのアワラを戦艦あわらに送り届けた後、僕らは部下の兵士たちと共に王都の軍港へと帰投した。



 あれから季節はすっかり変わって、夏真っ盛りの八月。


 王城の敷地内にある聖堂。天井近くのステンドグラスから差し込んだ陽光が、白い大理石の床を極彩色に染め上げる。

 そんな神秘的で幻想的な空間の中、長椅子に並んで座りながら会話をする人物が二人。

 ネプトゥヌスとサラーキアだ。


「そろそろあの少女がこの世界に引き戻される頃合いだが、お前はこれで本当に満足なのか?」


 パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、こちらを見ることもなく問うネプトゥヌスに、修道服に身を包んだサラーキアは迷わずこくりと頷く。


「うん、満足だよ」

「ははっ、即答と来たか。だが何故だ? たった四年、向こうの世界にいられる時間を引き延ばしただけで、あの少女は結局この世界に転生することになる。結末が変わらないのなら、それはお前が望んだハッピーエンドにはならないのではないか?」


 ネプトゥヌスがようやく私と目を合わせてくれた。


「確かにこのままだとメリーバッドエンドかもしれない。でも重要なのは、凪沙なぎさちゃんが東京とパリで金メダルを獲ったこと。凪沙ちゃんはあの世界でやりたかったことを、ちゃんと全部果たせたんだよ。だからあとは、こっちの世界で幸せになってくれたらそれでいい。そしたらきっと、これ以上ない完璧なハッピーエンドでしょ?」


 そう言って微笑みを浮かべたサラーキアに、ネプトゥヌスはなぜか大きなため息を一つ。


「全く、それは誰目線のメリーバッドエンドで、ハッピーエンドなんだ?」

「何それ、どういう意味?」

「いや。そもそもがお前の自己満足の為に始めたことだし、今更な話か」

「もう、あなたはすぐにそうやって……」


 ネプトゥヌスはいつも勝手に自分で納得して、サラーキアには説明してくれない。

 私は毎度、分からないまま置いてけぼり。

 あなたが何を考えているのか、私にはもうさっぱりだよ。 


 と、その時。

 聖堂の扉が開かれて、誰かが中に入ってきた。

 コツコツと足音が近づいて、私たちの真横でぴたりと止まる。


「久しぶりだな、ネプトゥヌス。どこのチビかと思ったぜ」

「俺にも色々と事情があってな。今は力を半分奪われ、体が縮んでしまっているんだ」


 見上げると、そこにいたのは戦神ウルカヌス。

 様子から察するに、どうやらネプトゥヌスが事前に呼び出していたらしい。


「んで、水を司るお前が戦いの神であるこの俺に何の用だ?」


 横柄な態度で早く本題に入れと告げるウルカヌスに、ネプトゥヌスは早速切り込む。


「単刀直入に聞く。お前が兎田とだ御影みかげをこの世界に転生させたのか?」

「……だとしたらどうする?」

「いや何も。ただ、お前の満足いく結果は得られたのかと気になってな」


 兎田御影はカイビトス公国内ではそれなりに暴れ回ったものの、大きな争いを生むことは無かった。

 闘争を好むウルカヌスとしては、やや期待外れな結果に終わったのではないか。


 そんなネプトゥヌスの質問に対して、ウルカヌスが飄々と答える。


「今のところ当然満足はしてねぇさ。だが、面白ぇことが起こんのはこれからだってあいつが言ってたからな。期待はしているぞ」

「あいつ? 誰のことだ?」

「さぁな。お前に教える義理は無ぇ」

「おい待て!」


 ネプトゥヌスが呼び止めるも、ウルカヌスは転移魔法を使ってあっという間に姿を消してしまった。


「裏にいるのは誰だ……?」


 呟いて、思考を巡らせるネプトゥヌス。


 やっぱり、私の嫌な予感は当たっていたんだ。

 サラーキアは以前から危惧していた。

 ウルカヌスの行動に何か裏があるのではないかと。

 世界の秩序を乱すような、とんでもない陰謀があるのではないかと。


 けれどまさか、協力者がいるとまでは考えていなかった。

 もしもそれが事実なら、事態はもっと深刻なものなのかもしれない。

 それこそ、この世界の時計の針が進んでしまうような……。


「私も少し探ってみるよ」

「ああ、頼む」


 ウルカヌスに入れ知恵しているのは、一体誰なのか。

 サラーキアは拳を強く握って、光が差し込むステンドグラスを見上げる。


 ちょっとでもネプトゥヌスの力にならなくちゃ。

 だって私は、あなたの監視役、だから……。



 三月末にオト女王が亡くなってから今日までの三ヶ月間は、本当に怒涛の日々だった。

 心の整理もつかぬまま、海伐騎士軍大佐として海異の殲滅を続けながら、国家運営の会議なんていう政治家のような慣れない仕事まですることになって。

 でもそんな風に忙しなく働いていたからこそ、今まで余計なことを考えずに過ごせてきた面もあったのだと思う。


 軍港からの帰り道。

 夕暮れの王都の街を一人歩いていたアーシムは、そんなことを考えていた。


 今のアーシムの精神状態は、少しでも心に余裕が生まれるとその隙間に負の感情が入り込んできてしまう、非常に不安定な状態にあった。元から心に傷を負っていたために、他人よりも精神面は弱くて脆かった。

 そこに追い討ちをかけるような、身近な人の死。

 ここまでは多忙だったために考える暇もなかったが、一度意識してしまったらもう限界だった。堰を切ったように感情が溢れ出す。


 やっぱり、オト女王がいなくなってしまったのは、つらい……。

 オトの姿を思い出すだけで、胸が痛くなる。心が苦しくなる。


「っ…………」


 こんな人通りの多い場所で、涙を見せる訳にはいかない。

 アーシムは来た道を引き返し、全力で走った。


 向かったのは、王都をぐるりと囲む堤防の外側にある砂浜。

 この砂浜は一般人でも立ち入りは可能な場所なのだが、わざわざ海異に襲われる危険を冒してまで堤防の外に出る者はほとんどいないので、いつも無人だ。


「僕はまた、助けられなかった……」


 夕日に赤く照らされた海を眺める、アーシムの頬を涙が伝う。


「やっぱり僕には、誰かを助ける力なんて無いんだ……」


 自分が情けなくて。悔しくて。

 どうにかしたくて。でもどうすればいいのか分からなくて。


 子供のように泣きじゃくるアーシムには、もはや騎士の勇ましさも大佐の威厳も無い。

 その姿は、まるで迷子の男の子。


「会いたいよ、ナギサ……」


 もう耐えられない。

 いよいよ誰かに縋りたくなって、僕は銀髪碧眼の少女の名前を口にする。

 彼女は未だに昏睡状態で、病室の寝台で眠り続けている。だからここに現れるはずはないのに。


 また声が聞きたい、笑顔が見たい。

 叶わないと分かっていながら、そう願わずにはいられない。


 すると突然、背後から声が聞こえた。


「アーシムさん、私もずっと会いたかったです」


 この穏やかで、落ち着くような優しい声音は。


「ナギサ……! って、気のせいだよね……」


 振り返ろうとして、途中で動きを止める。苦笑いを浮かべつつ、再び海を見つめた。

 僕の心はとうとう完全に壊れてしまったらしい。ついに都合の良い幻聴まで聞こえてきた。


「私がいない間、色々大変だったみたいですね。私も心配かけちゃって、すみませんでした」


 これは心の防衛本能だろうか。

 それほどまでにアーシムは、ナギサを求めていたということか。

 アーシムを慰めるような言葉が、ナギサの声で再生され続ける。


「アーシムさんは優しくて真面目で、だからきっと頑張りすぎちゃったんですよ。でももう全部を一人で抱え込む必要はありません。これからは私が半分持ってあげますから。……持てるかどうか、ちょっと不安ですけどね」


 最後に一言付け足して、くすりと笑う妄想のナギサ。


 駄目だ。このまま存在しないナギサの声を聞き続けていたら、二度と現実に戻れなくなってしまいそうだ。


 この幻聴を止めるため、アーシムは後ろを振り返ることにした。

 そこに誰もいないと、石混じりの砂浜と灰色の堤防があるだけだと、直視してしまえば声は止むはずだと考えて。


 意を決して、ゆっくりと振り向く。

 こんな場所にナギサがいるはずがない。ただ無機質な堤防が聳えているだけ。


 期待なんて、これっぽっちもしていない。


「っ……!」


 だけどその時、僕の目に映ったのは。


「ただいまです、アーシムさん」


 長い銀髪を風に靡かせる、碧い瞳が印象的な可愛らしい少女。

 妄想でも幻でもない、正真正銘本物のナギサがこちらを向いて立っていた。


 彼女は少し恥ずかしそうに、はにかんだ笑顔を浮かべている。

 でもその雰囲気が何故だか妙に大人びて感じられたのは、アーシムの気のせいだろうか。

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碧き世界のサルバトーレ 横浜青葉 @YokohamaAoba_

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