小さな雲
しらす丼
小さな雲
早朝の冷気で白くなったため息は、誰に見つかることもなく空に散っていった。
「今回もダメ、だったか」
駅前通りの歩道をトボトボあるきながら、私は誰にともなくそうこぼす。
昨日、入社試験を受けた企業から連絡があり、その結果は見事に撃沈だったのだ。
ずいぶんと丁寧な対応をされたから、もしかして――と期待していたのに。
ああそういえば。内定を出すつもりのない人間には過ぎるほど親切に接するなんて話をどこかで聞いたかも。まさか、まさかだ。
「はあ」
舗装された道に反射した朝日は眩しく、サワサワと吹く風は私の頬をヒヤリとなでていく。
「さむっ」
肩をすくめてから顔を上げると、空には絵の具を拭い忘れたような存在感のない薄くて小さな雲があった。
まるで今の私。そこに存在はしていても、誰にも気に止めてもらえない私。
きっとこのままあの雲のように、私のことは誰にも見つけてくれないだろう。
「もうニートでいいかな」
そんな、弱音を吐いてみる。
ため息をついてから顔を正面に戻すと、並んで歩く一組の親子の姿を認めた。
手を繋いで、楽しそうにお話ししている。
私にもあんな純粋な時期があったかもしれないなあなんて、母親を見上げて話す小さな女の子を見て思った。
唐突にどこかで響いたクラクションの音がすると、女の子はビクッと肩を震わせ、後ろを振り返る。
「――あ、ママ! みて!」
女の子はそう言いながら母親の腕を引っ張った。
「なあに?」と答え、母親は女の子の見ている方に目を転じる。
「あれ! ちっちゃいくも! みぃちゃんみたい」
「まあ、本当ね。みぃちゃんみたい」
私も足を止め、二人が向いた方に目をやった。
みぃちゃんが誰なのか、何なのかはわからない。けれど、その先にはさっき私が見ていた存在感のない小さなあの雲があったのだった。
「かわいいくもだったねぇ」
「そうね」
私がぼうっと佇んでいるうちに、二人は嬉しそうに雲の感想を言いながら、私の横を通り過ぎていった。
横目でその二人を見てから、また視線を空へと向ける。
挨拶をされなかったのは少し寂しく思ったけれど、きっと仕方がないんだろうな。
あの子達にとって、今はあの雲が大事なのだ。
同類と思っていたあの小さな雲にすら、私の存在感は劣っているのか――と自嘲するように小さく笑う。
あんな雲に嫉妬とは。惨めだな、私は。
歩き出そうと足を一歩、前へ踏み出す。
「おねえさーん!」
ハッとして、足を止めた。そして、
「おはよう、ございます!!」
溌剌とした女の子の声が響く。
その声が聞こえた方に顔を向けると、さっきの女の子が私を見ながら微笑んでいた。隣にいる母親は柔らかい笑顔でこちらを見ている。
寒空の下、心の奥がポッと温かくなった気がした。
「お、おはようございます」
私がおずおずと答えると、女の子たちは満足そうにまた前を向き、歩いて行く。
「そっか」
誰かはきっと見ていてくれる。そういうことだよね――。
両手で顔をペチンと叩き、私はまた歩き出した。
「ようし、今日の就活も頑張るぞー」
私は存在感のない、小さな雲。
でも、誰かがきっと私を見つけてくれる。
小さな雲 しらす丼 @sirasuDON20201220
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