あの前世の私たち


「一体全体、何が問題なのかが分からない。」


アルフレッドは、語気を荒げてアリシアに言った。


「僕たちは、確かに兄妹のように育った。でも、それが何だって言うんだ?実際のところ、僕は、君の兄ではない。この家の遠縁の貴族だ。両親が亡くなってから、君の家族が僕を引き取って育ててくれた。僕だって、先日名誉の殉死を遂げた君の御父上のご恩に報いたい。アリシア、君もこの家も僕が守る。何でそうさせてくれない?そんなに僕のことが信頼できないのか?」


「…そういう事を言っているんじゃないわ。この国は戦火に見舞われてるのよ。革命で国が揺れていて、明日もどうなるか分からない。革命派が真っ先に狙うのは、我が家のような貴族なのよ。だから、お父様も殺されたんじゃない。この家にしがみつくより、隣国の商人の家に嫁いだ方が、私も安全なのよ。貴方だって、実家に帰って、隣国のお抱え宮廷画家になれると思うわ。それが、最善の策よ。」


「画家としての人生なんて、もうどうでもいいんだ。アリシア、僕だって、何度も戦争に出陣してる。勲章も持ってる。君が知らないだけで、僕は戦える男なんだ。」


 アリシアは、目を背けていたアルフレッドの姿を目の端で、ちらりと見た。この激しい戦争が始まってから、アルフレッドは、アリシアの父に付き従って何度も生き抜いてきた。幼少の頃の、ニコニコ微笑む少し丸っこいブロンドの可愛らしい少年ではもうない。アルフレッドの白い体には、幾重にも真新しい傷が刻まれ、画家らしく線の細い頼りなげだった指は、節くれだった男らしいゴツゴツしたものに変わっている。あの厳しい戦闘狂の父ですら、アルフレッドの変わりようや潜在能力に狂喜乱舞し、アルフレッドには見込みがあるから、家を継がせたいとのたまうほどだった。…そして、自分も、もしかしたらアルフレッドと結ばれる事を期待しているのかもしれない。そんな事は、薄々気付いていた。…でも、認める訳にはいかないのだ。


「…アリシアは、あの舞踏会の日の夜のことを、覚えていないの…?」


何の反応も得られないと感じたのか、アルフレッドの声が弱々しくなる。


(忘れている訳がない。)


 そう思いながら、アリシアは黙って、アルフレッドの顔を覗き込んでいた。あの夜、二人はとても自由気ままだった。アリシアの許嫁も父も生きていて、戦争もなく穏やかで。親の敷いたレール通りの人生を疑いもしなかったし、アルフレッドとも、ずっと、共に生きていけるとその時のアリシアは信じていた。


 無礼講の舞踏会のその夜、仮面を付ければ、婚姻していようがなかろうが、どんな相手とも踊れ、結ばれる事が許された。一人、また一人と、一晩の恋人たちが夜の闇に溶けていく。成人したばかりで、ただ何となく参加したアリシアは、睦言の飛び交う空間を興味深く観察していた。


 そんなアリシアの前に、一人の背の高いブロンドの青年が静かに立った。ダンスに誘う時も、ベットに誘う時も、口数の少ない男だった。しかし、仮面の奥の空色の瞳と、ほのかに香る男くさい体臭は、アリシアの生活の中に常にいる存在のものだった。今まで、兄妹のように育ってきたアルフレッドが、いつのまにか、男になっていたこと。優しく抱きしめられ、腰に手が触れた瞬間に、得も言われぬ快感が走ったこと。それらは、アリシアにとって衝撃以外の何物でもなく、心のどこかでひどく蠱惑的に感じた。その感情に気づかないふりをし蓋をして、何事もなかったかのように生きてきたのだ。しかし、その日から確実に、アリシアの心の中には、儚げでありながら、決して枯れない小さな芽が、少しずつ少しずつ、成長していた。許嫁が戦死した時、心のどこかでほっとしたのは、そのせいだろう。彼のことは、好きでも嫌いでもなかったし、むしろ開放感すらあった。もう、アリシアを縛るものは何もないはずなのに。


「アリシアは、僕の事をどう思ってるの?僕は、君を愛してるよ。ずっと、そばにいたいんだ。」


 震える声で、アルフレッドが尋ねる。ブロンドの髪の毛の間から、うるんだ青い瞳が見えた。抱きしめたら、きっと、今まで感じたことのないような気持ちに襲われる予感がした。それが怖くて、余計に頑なになったアリシアはツンとして答える。


「本気で誰かを好きになったことなんてないから、分からないわ。」


アルフレッドの表情が、見るからに曇る。アリシアの心が、ちくりと痛む。


「僕は、君が何度僕を突き放しても、君への想いを証明する。」


涙をその瞳から一筋流しながら、震える声で、アルフレッドは告げた。


「馬鹿みたい。貴方のそういう重くてうざい所が、私は大嫌いよ。」


 その場の空気にいたたまれなくて、思わずつっけんどんに答えたアリシアは、逃げるようにアルフレッドの前から踵を返す。去り際に目の端に写った彼の表情は、今まで見たどの表情よりも悲しげに見えた。


 数ヶ月が過ぎた。アルフレッドをあれからずっと避けていたアリシアは、隣国に亡命していた。あそこまで突き放せば、アルフレッドも諦めて、戦火を逃れ、実家に避難しているはずだ。多くの貴族たちが、そのように亡命していた。母国で戦い続けているのは、無謀な誇りを持ち合わせた勇猛な者だけだった。そんな勇敢さが、あのおっとりしたアルフレッドに備わっている訳がない。そんな風に、アリシアは言い聞かせ続けた。



 ある日、母国から知らせがきた。どことなく、嫌な予感が身体じゅうを駆け巡る。心臓が早鐘を打つように鼓動した。震える手で、広げた紙には、一房のブロンドの髪の毛と、血の付いた勲章が、ひっそりと入れられている。形だけのお悔やみには、アルフレッドが、アリシアの家の名に恥じぬ獅子奮迅の名誉の戦死を遂げたことにより、階級が上がったとしたためられていた。思わず、アリシアは大粒の涙を流し、吠えるように泣き叫ぶ。  その時、彼女は初めて気が付いたのだ。自分自身が、彼を失いたくないがために、自分の想いから目を背けていた事を。窓を雨粒が激しく打ち続けている。当分、やむことがないのを印象付けるように。


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