君に好かれたくて自分以外の人になろうとした

(どこから、道を間違えたのだろう。)


 そんな場違いな事を頭に浮かべながら、得物を握りしめ、愛馬に跨がり歩をすすめる。土煙が上がり、怒号が飛び交う戦場で、無心になって槍を振るう。顔に飛び散る他人の鮮血も拭わず、相手があげる悲鳴にすら耳を傾けず、ただ淡々と、淡々と、まるで作業をしているかのように、アルフレッドは戦場を駆け抜ける。初陣の際、悶え苦しむ敵味方の悲鳴に思わず膝頭が震え、耳をふさぎ、動けなくなった小さな少年は、もうそこにはいなかった。戦いながらも、そんな変わり果てた冷酷な自分に気付く。槍を振るう訓練をして、自分の体を鍛えるのは好きだ。だが、他人と命を奪い合う槍は好きではない。そう思ってしまう生ぬるい自分に、軍人という職業は合っていないのだろう。そんな事は、最初から分かりきっていた。


「ねえ、ピエール。私思い付いちゃったの!今日はきっと、お茶会をするには良い日和よ!ほうら、見て!小鳥たちも、私達のご馳走に招待されたいみたい!ちょうど良いわ、従兄の伯爵も、それから、マヌエラ伯母様に、男爵に、コーネリア夫人と将軍とー…お忙しいから、無理かもしれないけれど、女王様にもお声がけしましょう!誰も来れなかったら、私と貴方とアルフレッドと、小鳥たちで、花畑を見ながら小さなお茶会にするの!」


「それは素敵だね、ロレッタ。僕もちょうどそろそろ休憩を取りたいと思っていた。難しいかもしれないけれど、女王様にも一応お声がけしてみよう。僕の新作を見たいと先月おっしゃっていたから、ちょうど良いかもしれない。それに、国政に軍事にお忙しい女王様には、僕達のような者との時間は良い息抜きになるだろうさ。」


 思い付きと気分で生きている少女のような母と、キャンバスに向かってまだ二時間しか経っていないのにすぐ息抜きをしようとする、呑気で穏やかな芸術家の父。この大きな子どものような二人に育てられた幼少期のアルフレッドは、いつも緩やかな悠久の時を過ごしていた。母が、無計画に毎週のように行うお茶会では、彼女の趣味をことごとく反映した色とりどりの豪華なティーセットや調度品が用意される。このお茶会に、よく現れる招待客の中には、母の従兄であるアリシアの父もいた。


「ロレッタ、君の我が儘にはもううんざりだ。私のこの緻密なスケジュールを見たまえ。軍人に休息はないといつも言っているだろう。この下らない催しの招待状を送るのはやめてくれ。」


 厳めしい口ひげをひねりながら、お小言を繰り返すアリシアの父に、いつだって母はお構い無しだった。


「あらまあ、ジョージ。久しぶりじゃない、来てくれて嬉しいわ。貴方のお好みの茶葉を取り寄せたのよ。今日は、貴方の先の武勇伝を披露して欲しいの。家からあまり出られない私に、冒険の話を聞かせてよ。」


 どこ吹く風の母に煙に巻かれたアリシアの父は、仏頂面で差し出されたティーカップに口をつける。文句を毎回言う割には、必ずせかせかとやってくる彼の姿は、アルフレッドにとって非常に印象的だった。


 アルフレッドは、母のこの突拍子もなく自由で優雅なお茶会の風景を幼心にとても愛していた。なぜなら、アルフレッドの目から見ても風変わりな自分たち一家に対して、やって来る生真面目な招待客の多くが、なんだかんだお小言を言いながらも、彼の一家の織り成す独特な空気感に癒されて帰っていくのがよく分かっていたからである。


 そして、この奇想天外なお茶会で、必ず母は自作の詩を歌った。母の透き通るような声は、いつも屋敷の庭から、少し離れた森まで響き渡り、母が歌うと必ず、鳥や小動物が現れる。人間を怖がるはずの飛び入りの小さなお客たちは、不思議と耳をそばだてて母の歌に聞き入っていた。そんな和やかで静かな宴に、厳格そうなアリシアの父も思わず口元を綻ばせる。


「母上が歌うと、何で動物たちが近づいて来るんだろう?他の人が歌っても、逃げていくのに。」


歌う母に見とれながら、そんな風に不思議がるアルフレッドの頭を優しく撫でながら、父は訳知り顔に言うのだ。


「そりゃあ、ロレッタは、妖精だからね。きっと、彼らには仲間だと分かっているのさ。」


そして、いとおしそうに妻を見つめながら、父はアルフレッドに囁いた。


「分かるかい?アルフレッド。いつだって大切なのは、素直なありのままを楽しんでいる“今”この瞬間なんだ。その楽しさが、人から人へ、もしくは、動物へ、昆虫へ、魚へ、植物へ。自然界のあらゆる万物に伝わる。それが、芸術ってやつなのさ。芸術ってのは、何も人間だけの物じゃない。万物を楽しくさせる、魔法なのだよ。ほら、彼らの目を見てごらん。特に、あのお得意さんの野うさぎくんなんて、ロレッタの魔法の芸術にいちころなんだ。」 


悪戯っぽくウインクをする父が指し示す方向には、毎回やってきてお茶会のご馳走のご相伴に預かる、でっぷりとした茶色い野うさぎがいた。食いしん坊の彼は、なぜか母が歌い始めると、フワフワの鼻先をピクピクさせながら、クッキーのおこぼれを齧るのをやめるのだ。まるで、父の言う“芸術”を理解しているかのように。その姿は、本当に不思議な光景であった。


「どうしたら、母上みたいに、人や動物を夢中にさせる“まほうのげーじゅつ”が使えるようになるかな!?」


動物や人が集まる母の神秘的なお茶会の雰囲気に酔ったアルフレッドは、いつも興奮して父に尋ねた。


「まずは、“ありのままの今を楽しむこと”。次は、自分からも他者からも“愛”を感じること。最後は、自分にも他者にも、何の価値観にも縛られない“自由”を許すこと。それが出来れば、きっとアルフレッドにも出来るよ。」


父は優しく微笑みながら、時たまどこか遠い目をして呟く。視線の先には、楽しそうに歌う母がいた。だが、父がこの台詞を放つ時、その瞳は、どこか淋しげで、切なそうであった。


 その意味が理解出来たのは、数年後の事である。


「結核です。持って、後1ヶ月でしょう…。元々、とても病弱な方でしたから、お子さんを授かることはもってのほかでした。歌を歌うことすらご負担だったはずです…。」


母の元へ頻繁に訪れる医師は、もはや匙を投げたという言い種で、悲しげに首を振ってそう告げると、そそくさと帰っていった。


「あら、私が好きでアルフレッドを授かったし、歌を歌っていたのよ。子どもの前で、余計なことを言わないで欲しいわ。本当に、あの先生も、ヤブ医者で困ったものね。ね、心配しないで、大丈夫だから。」


母は医者の後ろ姿に向かって、ペロリと舌を出すと、おどけてアルフレッドを抱き寄せる。しかし、その腕は、数ヶ月前よりも確実に、細く弱々しくなっていた。


「本当に、母上は、ぼくのせいで体が悪くなっちゃったんじゃないの…?」


母の腕の力のなさに驚いたアルフレッドは、泣きじゃくって問い詰めた。


「貴方を産んで、こんなに大きくなるまで一緒に楽しく過ごせたから、私はすごく幸せなのよ。誰のせいでもないし、人はいつか死ぬのだから、今生きているありのままのこの瞬間を大事にしないとね。」


母はアルフレッドを抱き締めて、優しく微笑むと、父を呼んだ。


「ねえ、ピエール。私のやりたいこと、分かるでしょ??」


そんな母の問いかけに、父は当たり前のように、穏やかに答えた。


「分かるよ。お茶会の支度はもう済ませてある。」


「ええ、私、思いっきり歌いたいの。」


 嬉しそうに息を弾ませて、母は庭に駆け出していく。その姿は、少女その物だった。余命宣告をされても、彼女の毎日は、大好きな歌とお茶会で溢れていた。死が近づくにつれて、声量は少しずつ衰えたが、不思議と声はますます透き通って冴え渡り、母のお茶会に顔を出す動物たちは、まるで引き寄せられるように増えていく。


 一方で、人間の招待客からは、辛辣な意見を言う者も、少なくなかった。


「君は、どうかしているんじゃないか!?あんな状態のロレッタに歌わせるなんて、死期を早めるだけだ!だから、君みたいな風来坊の芸術家に嫁がせるのは反対だったんだ!ロレッタを殺す気か!?」


アリシアの父が目に涙をためながら、父の胸ぐらを掴んでそう叫んでいる光景を、アルフレッドは何度も見た。


「お言葉ですが、伯爵。病人はベッドにいなければならないと、誰が決めたのですか?喜びが秘薬にも勝る事はあります。それに、彼女が幸せを感じる自由を縛る権利なんて、誰も持ち合わせていません。私は、彼女を愛しているから、共に自由と喜びを謳歌したいのです。」


 大柄な伯爵に体を揺すられても、一切動じないその時の父は、いつになく凛として格好良く見えた。そして、母の命も、父のその気持ちに応えるように、半年も永らえたのだ。最期のその瞬間まで、母は愉しげに毎日歌い続けた。父も、嬉しそうに母の歌に聞き入り、共に口ずさむ。そんな時間が終わりを告げた時、父もまた、助からない伝染病にかかっていた事を、アルフレッドは打ち明けられた。


「…父上も、死んでしまうの…?」


 アルフレッドは、何故だか、全然驚かなかった。そんな気がしていたのだ。息子の自分から見ても、両親は二人でワンセットのような存在に思える。鳥が片翼で飛べないように、母が亡くなってから、父が長生きするとは思えなかった。もちろん、幼いアルフレッドにとって、これ以上親を失う悲しみを負いたくないという、大きな不安や恐怖はある。しかし、それよりも、予感が的中したという気持ちの方が大きかった。


「アルフレッドにしか、頼めない頼みがあるんだ。」


 父は、何かを達観したような穏やかな瞳をしている。それは、波一つない大海原のように、広く、包み込むような優しさを秘めていた。アルフレッドには、父の次の言葉がもう分かっていた。だから、父に抱き付いて泣き顔を見られまいとしながらも、それを受け入れた。


「良いよ、父上。ぼくも、父上の絵が、いっぱい見たい。」


「ありがとう…我が儘を言って、申し訳ない。だが、アルフレッドにも伝わるような、“思い出”を描き残したいんだ。」


 それからの父は、今までのだらけた描き方をすっぱり辞めた。病床の父は、一心不乱に、何かに取り憑かれているかの如く、描き続ける。その筆は、日を経つ毎に冴え渡り、息を飲む程の美しさを帯びた。父が描いたのは、お茶会を楽しむ母の姿だった。今や過去となった思い出は、父の筆に辿られると、まるで息を吹き返したかのように、艶やかな幸せを纏って、“今”に戻ってきた。絵の中の母は、伝承の妖精のように清らかで美しく、愉しげに歌っている。父が力尽きた時、その最期に描いた絵は、彼が今までのどの人生で描いた物よりも、躍動感のある“幸せ”と“愛”、そして“自由”の瞬間を刻み込んだ。


 父の、その芸術家らしい死に様は、他方では非常に無責任な物であった。特に、アルフレッドを引き取りにやって来たアリシアの父の憤りは凄まじい物だった。


「だから、言ったのだ。馬鹿な奴だと。君は、決して父のような死に方はしてはならないぞ。」


アルフレッドは、噛んで含めるように、何度もそう言われた。


 しかし、葬式にやって来たとても気品のある美しい女性は、アルフレッドを呼び止めて、こう耳元で囁いた。


「私は、貴方の両親の死に様に、芸術家としての美学を禁じ得ません。果たして、生と死の狭間に身を置く時に、ただ時間を長引かせる事だけの価値観が正しいと言えるのでしょうか…?それは、生きている周りの者を優先しなければならないという、縛りなのかもしれません。少年よ、貴方はその齢にして、人が陥りがちな縛りから、両親を“自由”に解放する事を許しました。それは、非常に気高く、慈愛のある行動です。誰にでも出来ることではありません。貴方の“許し”なしに、貴方の両親は、素晴らしい芸術を残せなかったでしょう。私は、貴方に心から感謝します。そして、貴方がもし、両親のような生き方を選ぶならば、その時は、この私が、貴方の力になりますよ。」


 鈴の音のような美しい声に聞き惚れたアルフレッドは、貴婦人が去った後で、ハッとした。彼女は、父が昔描いた絵の中の女王様によく似ていたからだ。そんな彼女に認められた両親を、アルフレッドはとても誇りに思えた。また、母の耳に残る歌声を思い起こし、父のお茶会の絵を見る度、アルフレッドの心の中に痛烈に込み上げる情熱があった。


“ぼくも、いつか、二人のように、ありのままのこの時の自由を許せるような、愛を知りたい。そして、その情景を形にしたい。どれだけ時が経っても、忘れられない程の絵を描きたい。”


 そう、それは、アルフレッドの中に生まれた、小さな“芸術”の産声だったのだ。その小さな意志は、アルフレッドがその人生で初めて見つけた、“自分”であった。

 





 

  



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前世の姿 ~アリシアとアルフレッドの場合~ @tiana0405

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