S・D・Gs ~狭川さんにとって 度し難い 愚行についての 所感~

江田・K

狭川さんにとって度し難い愚行についての所感





 平日の昼下がり、ファストフード店にスーツ姿の、対照的な見た目のふたりがいた。背の低い女性とひょろりとした長身の男性。狭川さがわさんと土井くんだ。


 今年、新卒採用された土井くんの本日の業務は先輩の狭川さんに同行しての外勤なのだが、今は店の二階窓際席で休憩中。狭川さんが「部長ぶちょーに指示されてる時間まで余裕あるし、ちょっと待機してよっか~」と言い出したからだ。


 土井くんの正面でMサイズドリンクのカップを両手で持っている狭川さんは童顔におっとりとした口調もあいまって二歳年上とは思えない。背も低いし。



「ねえ、土井くん」


「は、はいっ。なななななんでしょうか狭川さんっ」


「緊張してるねぇ。もっとリラックスリラックス~」


「えっと……」


 にこやかに笑いながら肩を上下させておどけて見せてくれる狭川さんに、土井くんは顔を赤くした。もっさりした陰キャメガネの土井くんに女性と一対一サシでの食事――といってもファストフードでドリンクのみだが――の経験はない。もっとも、土井くんが緊張している理由はそれだけではないのだが。


「待機中くらいらくぅ~にしてないとさ、よぉ~」


 先輩らしく土井くんを気遣っているというよりは自分がそうしたいから気を抜いている様子の狭川さんだったが、手元のドリンクカップに視線を移した途端、ゆるい笑みがフッと消えた。そして、


「ねえねえ、コレのこと、どぉ思う?」


 やや舌足らずながらも真剣な口調で問うてきた。


「ど、どうとは? ていうかコレってですか?」


「土井くんのにも刺さってるやつぅ」


「ストロー……ですか」


「そうそうそれそれぇ」


 狭川さんはぷっくりとした形のいい唇を思い切りヘの字にひん曲げてみせた。


「どうしてストローが紙になっちゃってるのぉ?」




■□

 自分のカップにも刺さったストローを見て、土井くんは頷いた。


「ああ、最近変わりましたよね」


「土井くん、『変わりましたよね』じゃないでしょお」


 狭川さんは眉を吊り上げて怒りだした。まったく怖くないが。むしろかわいいだけだが。


「せっかく飲みもの買ったのにぜんっぜんおいしく飲めないじゃない! トイペの芯みたいな味するんだけど!」


「えっ、狭川さんトイレットペーパーの芯食べたことあるんですか!?」


「なわけないでしょお! 土井くんは自分の先輩がトイペ食べるタイプに見えるのっ!?」


「いえいえ、とんでもないです!」


 土井くんはブンブンと手と首を振って否定。


「トイペの芯は喩えに決まってるじゃない」


 狭川さんがストローを咥えた状態でカップから引き抜く。なんかエロい。それをそのまま土井くんの方に顔ごと突き出してくる。近い近い。顔が近い。やたらといい匂いがする。狭川さんはストローを上下に揺らす。


「ほら見てぇ。もうフニャフニャになっちゃってるしぃ!!」


「あー、はい。そうです……ね……っとぉ」


 同意しながらも土井くんはそれどころではなかった。ストロー1本分の距離まで近づいた狭川さんの顔がまともに見れず、ちょっと目を逸らしたら今度はブラウスの隙間から深い谷間をばっちり見てしまい落ち着かない気持ちになった。でかすぎる。身長差が30センチ以上もある先輩に対して、土井くんはそう思った。


「土井くん大丈夫? 顔赤いよぉ?」


「アッハイダイジョウブデス」


 狭川さんはストローを慎重にドリンクに刺しなおすとズズズと吸ってマズそうな――というか実際マズいのだろう――顔をした。子供っぽい仕草が可愛らしい。


「ホント、どういうつもりで紙ストローになんかするの? アタマ悪いのかなぁ?」


「あー、ええと、それはSDGsに関する取り組みってヤツですね」




■□■

「えすでぃーじーずぅ?」


 狭川さんは変な味の飴玉を転がすみたいにその単語を口にする。


「ご存じです、よね?」


 土井くんがおそるおそる尋ねると、狭川さんは難しい顔をした。


「なんか聞いたことはある……よーな気はするかも」


Sustainableサステナブル Developmentディベロップメント Goalsゴールズの略でして」


「さすてなぶるでべろっぷめんとごーるず? 土井くんは難しい言葉知っててえらいねぇ。えらいついでに日本語にしてもらえるとおねーさん嬉しいなぁ」


「あ、はい。日本語にするとという意味だったかと」


「ソレは……日本語、なのかなぁ?」


「日本語ですよ」


「そっかぁ。日本語かぁ」


 と狭川さんはがっかりした様子。


 土井くんは頬をポリポリかきながら、ええと、ともごもご呟いて、


「SDGsというのは『誰ひとり取り残さない』という理念を――」


 お題目を唱えかけたところで、


「ちょちょちょちょっと待ってぇ!」


 狭川さんに制止された。


「な、なんでしょうか」


「『誰ひとり取り残さない』って言うけど、私たちの気持ちが取り残されてるよぉ。紙ストローは嫌、っていう気持ちがぁ!」


「そ、そうかもしれませんけど、そういう意味ではないので」


「うぅー……」


 唸り声で納得いかない心情を表明する狭川さんはドリンクを一口。ストローの味に「べぇ」と舌を出して遺憾の意を表明する。


「ところでさ、土井くんはなんでそんなに詳しいの?」


 狭川さんが知らなさすぎなのでは、とは思っても土井くんは口に出したりしない。先輩に失礼だし、先輩を怒らせたくはない。絶対怒らせるな、と部長から言われてもいる。


「就職するにあたって勉強したんですよ」


「あー、そっかぁ。ウチの会社のゴミ処理業務って、SDGsと関連するとこもある…………あるのかなぁ?」


 狭川さんが小首を傾げる。土井くんは大きくため息をひとつ。


「あると思ったんです。入社するまでは!」


「あはははは。おもしろーい」


 狭川さんはケラケラと手をたたいて笑う。対する土井くんは憮然とした表情。


「面白くないです。……話を戻してもいいですか?」


「紙ストローに?」


「はい。紙ストローに」


「いいよん。続けて続けてぇ」




■□■□

「SDGsには17の目標があって、その中のひとつに『海の豊かさを守ろう』というのがあるんです」


「あのさあ土井くぅん、海の豊かさと紙ストローは関係なくなくなくない?」


「関係なくはないんですよ。海洋プラスチック問題というのを聞いたことは?」


「ないよぉ」


「ええと、プラ製品の多くは使い捨てなのはご存じのことと思います。使い捨てられたプラの多くは最終的に海に行きつきますよね」


 土井くんの言葉を狭川さんはふんふん頷きながら聞いている。土井くんとしても傾聴の姿勢はありがたかった。なるべくわかりやすい説明を心がける。


「プラスチックは分解されませんからそのまま海を漂いつづけて環境に負荷をかけるようになるわけです。とある試算によると、海に流出しているプラスチックの量は毎年800万トンとも言われているそうですよ」


「ぜんぜんピンと来ない数字だねぇ。多いってことはぁ、なんとなくわかるけど」


「ジェット機5万機相当の重さだそうです」


「あははっ。余計にピンと来なーい」


 狭川さんに苦笑を返して土井くんはさらに解説を付け加える。


「他にも2050年には海洋プラスチックの重量が海にいる魚の重量を越えるという試算もあるようです」


「うわ、それはヤバいねぇ。ヤバいってことしかわからないけどヤバいねぇ」


「海洋プラスチックが増え続けると生態系に多大な影響を及ぼすことになり、このままほうっておくのは――」


……ってコト?」


「そういうことです。なのでSDGsの目標のひとつになっているわけで、企業もプラスチックを減らそうとしているんですよ。だからストローを紙製にしたりとか」


「ちょっちょっちょっ、ちょっと待ってよ土井くんっ」


 本日何度目かの狭川さんの制止。


「なんでしょうか?」


「海洋プラスチックが大問題なのはよぉく理解わかったけど、どう考えてもおかしいことがいっこあるよね」


「と、言いますと?」


「わたしたちが今、店内でお召し上がり中のこのドリンクにブッ刺してあるこのストローね? コレが海洋流出することはないんじゃない?」


 なんとなく狭川さんの言い分を察しながらも土井くんは小さく頷いて先を促した。


「このストローをわざわざ店の外に持ち出してそこらへんにポイ捨てしたりする? しないよね。普通に店内のゴミ箱にシュートして帰るよね。だったら店内でお召し上がりの場合のストローは紙でなくてもいいんじゃないかなぁ」


「あー」


 土井くんは視線をやや上方向に向け、虚空を見据えた。特に何かが見えるわけでもないが。


「それに!」


 狭川さんは言葉を繋げた。まだ何か文句言いたいことがあるらしかった。




■□■□■

「ストローを紙にしといてどぉして蓋はプラのままなの? 紙の味嚙み締しめてるときにぃ、コレが視界に入ってくると『おかしくない!?』って気分キブンになるんだけど」


 狭川さんは怒っていた。怒っていてもやっぱりかわいいな、と土井くんは思う。


「先にフタを紙にしたほうがいいのにね。どうせするんだったらさ」


「まったく同意します」


「それにね!」


 まだまだ続くらしい。


「今までは飲み終わったのを捨てる時、蓋とストローは一緒に捨ててたじゃない?」


「そうですね」


 蓋をパカッと外して飲み残しと氷を捨てて、カップと蓋・ストローを別々に捨てていた。これまでは。


「なのにストローが紙になったせいでストローとフタを分けて捨てないといけないんだよ。どうしてくれるの土井くん!」


「ぼ、僕に言われましても……」


「まあね、実際にはそんな大した手間なわけじゃないんだよ。でもね、今までしてなかったことをやらないといけなくなるっていうのはぁ」


「面倒に感じる、ってことですね」


「そうなの」


 狭川さんはなおも続ける。


「ちょっと話は変わるけどぉ、ファストフード食べようかってときにカロリー気にしたりしなくない? わざわざゼロカロリーのコーラとか選ばないよね」


「気にしないですねえ」


 人によるんじゃないかな、と思いつつ土井くんは同意してみせる。


「それとおんなじレベルでファストフード食べてるときに地球環境のこととか気にしてる人なんていないんじゃないかな。すくなくとも私は気にしたことない」


 ひとしきり喋った狭川さんはズゴゴッとわざと音を立ててドリンクを吸い込んだ。


「それにね、私思うんだけど、海洋プラ問題をどうにかしたいんなら紙ストローの前にやることがあるよね」


「やること?」


「まずはポイ捨てしてる人を取り締まった方がいいよ」


「取り締まり、ですか」


「うん。ゴミ箱以外にモノ捨てるような人がいるから海洋プラスチックが問題になっちゃうんじゃないのぉ?」


「ポイ捨てされたゴミが最終的に行きつくのが海と言われてますからね」


 狭川さんの意見はもっともではある。


「それならストローが紙でも蓋がプラスチックだったら意味なくない? ポイ捨てするような人はストローだけを捨ててるわけじゃないだろうし」


「蓋もカップも捨てるでしょうね」


「だったらもうポイ捨てそのものを取り締まらないと!」


 胸の前で両手を握りしめる狭川さんを見て、土井くんはうーむ、と唸った。そりゃそうだよな、と思いはするのだ。


「取り締まりは……、企業というよりは行政の仕事ですね。企業がどうこうできる話ではないですよね」


「でもSDGsってもともとは国のアレでしょお?」


「国っていうか国連の掲げた目標ですね」


「それならやっぱり国が主導でしっかりしないといけないと思うなあ。どうして企業がストローを紙にするのを黙って見てるだけなんだろうね。取り締まり強化くらいしなさいよね」


 プンプン怒っている。可愛い。顔には出さず土井くんは思った。


「取り締まりというと、たとえばシンガポールみたいに」


「めっちゃポイ捨てに厳しいんだったよね?」


「ですです。ポイ捨ては初犯でも最大1,000ドルの罰金だとか」


「ドル? 円じゃなくてぇ?」


「円じゃなくてです」


「いいねいいねぇ。日本もそれくらいにしたらいいんだよっ。ポイ捨て減らす方が海洋プラスチックなくすことに繋がるよきっと」


「かもしれないですね。でも――」


「でも?」


「プラスチックを作ること自体が環境に負荷を与えるために3Rが推進されているわけで、紙ストローが元に戻ることはないんじゃないですかね」


「3R? 土井くん、日本語で」


「あっはい。リデュース、リユース、リサイクルってやつです」


「に・ほ・ん・ご・で」


 土井くんは少し考えて日本語訳を口にする。


「減量、再利用、再生です。そのひとつめですね、紙ストローは」


「りでゅーす。……減量。減量かぁ。なんにしても、おこがましい話だよね」


 狭川さんは半眼になって口をひん曲げた。


「私が思うに人間なんて生きてるだけで地球に負荷かけまくってるでしょ」


「それはまあ」


「持続可能っていうのも人間の勝手な都合なわけだし、本当に地球環境のことを思うなら」


「思うなら?」


「人間が滅ぶしかないよね」


「じ、人類滅亡ですか」


「うん。そしたら持続可能な開発目標とかいちいち考える意味なくなるよね。環境破壊して開発を続けようとする人類自体が、いなくなっちゃうわけだから」


 狭川さんは真顔で言っている。本気だこのひと。


 土井くんは若干引いた。


 しばし、無言のまま時間が流れた。土井くんには、息をするのも唾を飲みこむのもはばかられた。先に動いたのは狭川さんだった。


「おっとっと、もうこんな時間だね。そろそろいこっか」


 そう言ってズゴッとドリンクの残りを吸い込み立ち上がった。実に嫌そうに紙ストローを引き抜き、きちんと分別をしてゴミ箱へ。


「は、はいっ」


 土井くんは慌てて立ち上がり狭川さんの小さな背中を追いかけた。




■□■□■□

 店の外に出たところで、ふたりは通りすがりの中年男性が飲み終わったカップを――もちろんストローもろとも――ポイ捨てをしている現場を目撃してしまった。


「…………」


 足を止めた狭川さんの気配が変わるのが、新人の土井くんにもはっきりわかった。


「あ、あの、狭川さん?」


「……あーゆーひとがいるからストローが紙になっちゃうんだよねぇ。あぁだ。


 狭川さんの目がギラリと剣呑な光を帯びる。 


「ちょっとちょっと駄目ですよ落ち着いてください何するつもりですか!?」


「サクッとっちゃおうかな、って」


 いつの間にか狭川さんの手の中には得物エモノが収まっていた。いつ、どこから取り出したのか、土井くんにはまったくわからなかった。


「だめですよ狭川さんっ! 仕事シゴト以外で殺ったらいけませんって!」


「これも3Rだよ、土井くぅん。さっきまでゴミ減らさなきゃって話してたじゃん」


「プラスチックを減らさなきゃって話ですっ」


「でもきっと再利用リユース再生リサイクルもできないから減量リデュースするしかないよ、アレは。そう思わない? 思うよねぇ?」


 真顔。さっきまでかわいいだけだった顔から表情が完全に抜け落ちていた。


「このあとの仕事に差しつかえますから!」


「だいじょぶだいじょぶ。証拠を残すようなヘマはしないってばぁ」


 狭川さんの剣呑さはいや増すばかりだ。


「お願いですからソレ仕舞しまってください!!」


 土井くんは汗をダラダラかきながら体を折りたたむくらいの勢いで頭を下げた。90度を越えて130度くらい。懸命の懇願が功を奏したのか、狭川さんは仕方なさそうに得物を仕舞った。というか消した。


「チッ」


 狭川さんの心境を如実に示す鋭い舌打ちが響く。が、土井くんはスルー。内心冷や汗ダラダラではあったが、スルーした。するしかなかった。


「ダ、ダメですよ。業務外でやっちゃうのは」


「真面目だよねー、土井くんってば。部長ボスがわざわざ私に付けただけはあるよ、ほんと」


「きょ、恐縮です」


「固い、固いなあ。だいじょぶだって、土井くんを殺したりはしないよ。私は」


「あ、あはは」


「うふふふふ」


 などと笑い合いながら狭川さんと土井くんは歩き出した。仕事の時間だ。ゴミ処理の時間。減量リディースしなきゃね、という声が雑踏に飲まれて消えた。







(了)

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S・D・Gs ~狭川さんにとって 度し難い 愚行についての 所感~ 江田・K @kouda-kei

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