第8話 タイトル

 長い回想を中断した。耳に意識を集中すると階下から微かな話し声が聞こえる。当分、終わりそうにない。

 眼前のノートパソコンを起動させた。二通のメールが届いていたので目を通す。二日前に送信したPBWのリアクションのチェック完了の知らせであった。問題の箇所はないので公開の準備に移るという。他方のメールには支払われる金額が記されていた。

 気分を一新して次の作品と向き合える。プロットは完成して必要な情報も手に入れた。曖昧な記憶には意外と手間取った。取り敢えず、喉の渇きは一時的に忘れることにした。

 作品の冒頭の一行は少し悩む。決まると文章が走り出す。関連した映像が頭に浮かび、自然な描写の手助けとなった。一話に一時間と掛けず、手動で保存しようとして手が止まる。

 タイトルはおろそかに出来ない。短いと目立たない。長いと冗長で目が滑る。奇をてらうと両極端な評価を受ける。作品の内容に沿っていて程よい長さで纏めると凡庸になる。

 考えていると身体が火照ってきた。炬燵の電源を切って座椅子から立ち上がる。横手の窓を開けてベランダに出た。

 木製の柵に両肘を置いた姿勢で庭の色付いた木々を眺める。昨晩は風が強かったのか。芽吹いたばかりの大根や小松菜に赤や茶色の落ち葉が被さる。寒さをしのぐ掛け布団のように見えて口元が緩む。

 肌寒さを覚えて褞袍どてらの前を閉じた。路面が凍結する日は近い。半月もすればクロスバイクの走行が困難な寒波がくる。山からは猟銃の音が鳴り響き、牡丹鍋を求めた観光客で賑わう状態が目に浮かぶ。

 白髪交じりの頭を無造作に掻いた。散漫な意識のせいで考えが纏まらない。上体を起こして腕を組む。褞袍の厚みもあって右胸を圧迫した。腕を解いて合わせ目から左手を差し込む。

 丸い隆起に触れても反応はない。完全に機能を停止していた。ペースメーカーが厄介で疎ましく思った時期もあったが、今現在、嫌悪する気持ちはかなり薄れた。たまにうつぶせで眠りたいと願うことはある。押される痛みに耐えられれば可能だが、安眠とは程遠い状態になるだろう。

 突然、頭の中に一文が閃いた。天啓の類いなのか。これしかないと瞬時に確信へと変わる。

 急いで部屋に戻るとタイトルを打ち込んで保存した。


『私の二つ目の心臓は止まっている』


 どうやら会話が終わったようだ。玄関の引き戸を開ける音がした。

 ノートパソコンの電源を切った私は軽い足取りで階段を下りていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の二つ目の心臓は止まっている 黒羽カラス @fullswing

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ