ひとすじの髪

 ある日、妻のうなじから髪が抜け落ちた。

 慌てて医者に見せたが、病みがちであるがゆえのことか、何かの大病なのか、判別つかず経過を見ることになった。その後新たに髪が抜け落ちるようなことはなく、医者もその場の症状だと診断した。


 その時見たようなひとすじの髪が部屋に落ちていることがある。


 妻に聞いても「あら、不思議ね」と言う。以前抜けた髪と同様のものかはわからないが、黒黒として妻からたった今抜けたような様相を呈している。どこか具合が悪いのを隠しているのではないかと、また医者に見せたが何も病の予兆は無いらしい。

「大げさですよ」と帰り道に咎められたので、少し詮無い思いをした。

 

 その髪は妻の後ろをついて回っているようで、繕い物をしてうつむいている首から今抜けたように落ちている時もあり、台所仕事をして立つ背後に現れる時もある。

 話を聞いて面白がった同僚が家に見に来たことがある。何時もはすぐに見つかるというのに、その時に限って家中を探しても髪は見つからなかった。

 怪異の類が好きなようで「ひと目見たかった、見つかったら是非とも連絡してくれ」と残念がっていたが、夕飯をともにして酒が入ると機嫌が途端に良くなり赤ら顔で帰っていった。

 千鳥足の同僚を見送り、玄関の戸を閉めそのまま戸締まりをし、洗い物をする妻に声をかけようとすると後ろに髪が落ちていた。

 他の者の前には姿を現さないらしい。

 

 現れるたびに妻が文句を言いながら掃除する手間を除けば害の無いものだ。


 歳を重ねるにつれ私も妻も白髪が混じるようになってきた。

 そうして気付いたのだが、いつの間にか落ちている髪にも白髪が混ざるようになっていた。

 妻から抜けた髪はまだ生えているつもりだということだろう。

  

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回帰回想怪奇 日々野いずる:DISCORD文芸部 @Izzlay

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