回帰回想怪奇

日々野いずる:DISCORD文芸部

海藻の子

 春になろうかという頃合いの季節だった。吹き付ける風が穏やかさをはらみ、妻の手のあかぎれも少し和らいできた頃、石の多い砂浜から子供が上がってきていた。

 その頃、私は病みがちな妻を連れて海辺の寒村に旅行に来ていた。お互い街の生まれであったから、何を見るにも珍しく面白い。少し天気の悪い曇り空であるから、妻をおいて一人ぶらぶらと浜辺を歩いていた。

 その子供はひどく苦しそうに咳をしていた。体に引っかかった海藻をずるずる引きずりながら歩み、砂浜の石に足を取られそうになる。

 そのまま倒れるか、と、一歩踏み出そうとした

「さわっちゃだめさ」

 どこから現れたのか、薄曇りでまだ肌寒いにも関わらず薄手の着物を着た、よく陽に焼けている女が、そう声をかけた。

 驚いた私は体が固まり、子供はそのまま支えもなく転んだ。

「神の恵みなんだ、お兄さん他所から来ただろうな、さわったら恵みがなくなる」

「しかし・・・」

 神の恵みとやらが何かわからないが、びしょ濡れの子供をほったらかしにするとは。この子供は風邪や何かしらの病気になってしまうのではないだろうか。

「それにその子は海の子だからさ、人間じゃないんだ、海の子は海に帰る、さわったらダメさ」

 桶をかかえた女はどこかへ歩き出した。子供はゆらゆらと体を動かしながら、起き上がろうとしている。

「親はどこだ?あの女の人はああ言ったが、君はここらの人だろう?親を探してあげようか」

 あの女の態度からすると、おそらく何か理由があって差別されている家庭だったり生まれだったりするのだろう。どこからどう見ても普通の子だ。咳をひたすらしているのが妻に重なって哀れだった。

 海藻を取ってやろうと手を伸ばす。

 ニヤリと子供が笑った。

 まるで自分から籠に入った魚に喜ぶように。

 私は少し恐れを成した、が振り払う。ただ笑っただけのことだ。

 海藻を引っ張ると、どうも絡まっていて子供から離れない。それどころか、どんどん複雑に絡まっていくような気がする。

 そもそも私は器用な質ではない。これは村に戻り鋏でも借りなければいけないようだ。

 声をかけようと子供を見ると、それは大きな海藻の塊だった。

 黒々としてぬめりを帯びた昆布を中心に、細かい名もしれぬ色とりどりの海藻が陽に照らされても乾くことなくベチョベチョと濡れている。その海藻の塊は人の形を作っていた。

 どんどん海辺に流れ着いていた他の海藻を取り込み、また大きくなり、巨大な団子のような黒い球体になり、人の形をなくした頃、生きているように蠢きはじめた。

 何かの生き物の心臓のように脈打つ様は、あり得ないものだった。ありえない。見たことがない。このようなものは。

 ぞわっと鳥肌が立ち、飛びのこうとした。

 が、すでに遅く、海藻は黒い団子状になった身体を1度ぐっと身を縮め、すると一気に破裂した。あたりにべちゃべちゃと飛び散っていく。

 至近距離から海藻を浴びてしまい、得体のしれないものだったものが顔から服へまとわりついた。

 私は少し呆然とした。

 こういうこともあるのだろうか。

 さっきの女に話を聞けないかとしばらく居たが、再び女が来ることはなく、その間飛び散った海藻は消えず海の波に洗われていて、現実のことのようだった。

 療養先に選んだ村唯一の宿に海藻が絡まった格好で帰ると、「どこで遊んできたんです」と文句を言われた。

 

 海の子、海藻の子。

 村人が唄うわらべうたを後日聞く機会があり、そこに出てくる海の子を見たことがある、と言うと、「またそんな冗談を言って」と妻には流されてしまった。

 村人にも聞いてみたが「わらべうたの中でしか知らない」らしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る