第4話 爪紅看守とメグルくん

 ———マンドラゴラは無実の死刑囚の涙(または死に際に放出した体液)と土との結婚により生まれ、絞首台の下で育つといわれている。



 0区の居室棟に到着した爪紅とメグルは、今まさに首を締められている鍵野を救うべく、長い廊下の中央付近に向かって走り出した。

「そこ! 手を離しなさい!」と爪紅。他の職員の存在を気にした物言いである。

 爪紅がそばに駆け付けてもなお、18番は鍵野の首を締め続けている。

「これ以上聞かないなら実力行使に出るぞ」


「さっき散々実力行使してたけどね。バレバレ」

 刀根が笑いを堪えながら小声で言う。

 周防は腕組みをしながら、爪紅の後ろでソワソワしているメグルを見つめている。

「ところで刀根。あの小さいセンセイ、見たことあるか?」

「え? 後ろにいる奴っすか? ないっすけど。毒島さんが知ってるんじゃ」

「呼んだー?」

 いつの間にか背後に立っていた毒島に驚き、2人は思わず「うわぁ!」と声を合わせた。

「びっくりした!」

「脅かさないでくださいよ!」

 毒島は呑気にあくびなどしている。

「いやあね。なんか目が覚めたら身体がラッピングされててさ」

「縛られてるんす」呆れ笑いの刀根。

 周防は、普段のしかめっ面に戻り顎をしゃくった。

「毒島さん、あの小さいセンセイ、どの区の誰なんですか?」

「ああ、あの子? あの子はねえ」


 爪紅が実力行使に出たのと同時に、メグルは2番を制圧しようと飛び出すも、勢い余って官帽を落としてしまう。

 慌てて拾い上げようとしたが、そのまますっ転び、運悪く頭上に青々と茂った葉があらわになってしまった。


「ボクが温室で超個人的に栽培してるマンドラゴラだよ」

 周防と刀根だけでなく、共同室に閉じ込められている看守全員がどよめき出す。

「えーーーーー!!」

「いや草」と刀根。

「ななな何で」と周防が毒島に食ってかかる。「何で草を0区の職員として配属させようとしてるんですか!? 何を考えてるんですかっ!!」

 刀根は、なんとか声を殺しながら笑っている。

「んー? まぁ時期が来たっていうか、昔いろいろあってね。ちょうど相性良くて面倒見てくれそうな職員見つけたし、みんな可愛がってあげてよ」

「俺は好きっすよ。ぷっ、はははは」

「いやいやいや! いや!! 一見人間ですけど草……魔法植物ですよ? これ、他の区の職員にバレたら相当バカにされますって」

「そうかもねぇ」

「先輩、取り乱しすぎ。ははは」


 何やら盛り上がる共同室を背に、爪紅は刺又と紐に絡まりながらも18番を羽交い締めにしていた。

「抵抗をやめなさい!」

「クッソ、こいつ力が強い。魔法士じゃないクセに、ぐぬぬぬぬ」

 18番から解放された鍵野が、咳き込みながら床に両手をつく。

「ゲホッゲホ……非魔法士に助けられるなんて、屈辱すぎる。にしても何を盛り上がってるんだ、こちとら死ぬ寸前だったっていうのに」

 鍵野は怒りながらも霞んだ目を擦って2番の動向をうかがうと、その尋常じゃない様子に度肝を抜かれた。

 2番は身体を小刻みに振るわせながら、胸に手を当てて涙を流していたのだ。

 その視線の先には、見様見真似で2番を制圧しようとするも、急に泣き始めたので右往左往しているメグルの姿があった。

「1番!! 1番ではありませんか!!!!」

 2番は感極まった様子でメグルに抱き付いた。

「1番!! 何だか顔つきが幼いけど、間違いなくあなた!! 1番っ! へぇ〜〜ん、嬉しいでしゅう〜〜!!!」

 盛り上がっていた共同室が、しんと静まる。

 もみ合いになっていた爪紅と18番も、床を這いつくばる鍵野も、抱き付かれているメグルも、傍観していた受刑者たちでさえも面食らって沈黙し、2番に注目した。

「……キャラ変?」と鍵野。

「いや草」と刀根。


「……1番? 受刑者番号1番か? 一体どういうことだ」

 周防は訳が分からないといった風に辺りを見回した。


 メグルが、ぐりぐりと顔を擦り付けてくる2番に対し、引き気味で言い放つ。

「あのォ、キミ誰?」

「き! き! 『キミ誰』ぇ!?」

 2番は奈落の底へと突き落とされたかのように膝から崩れ落ちた。

 そして数秒もしないうちにメグルの足(側根?)にきつくしがみつく。

「ちょっとっ!」

 メグルは必死に2番の顔を掴んで遠ざけようとしている。もう泣きそうである。

「1番!! 私ですぅ、あなたの愛すべきフィアンセの!!」

「フィアンセーーーーー!!??」

 居室棟内ほぼ全員が口を揃えた。そして一気にざわつく。

「な、なぁこのおっさん、フィアンセの意味分かってんのか?」

 自然と冷や汗が湧いた爪紅が、コソコソと18番に話し掛ける。

「うん、まだボケる歳じゃないから分かってると思う」と狼狽える18番。

 それを見て鍵野が、「この状況どうにかしろ、お前の仲間だろ」と訴えた。

「違っ、俺は今日、たまたま能力が買われてここに」

「『たまたま』で俺を殺そうとすんなよな!」

「ご、ごめん……」

 3人はメグルと2番からゆっくりと遠ざかっていく。

 2番は「ねえ、ねえっ! 思い出してよぉ」と可愛く泣きながらメグルの足にすがり付いている。

 思い当たる節がなくて困り果てたメグルは、助けを求める目で辺りを見渡した。

 爪紅は両手でバツのポーズを作っている。

「ご、ごめんね。僕、本当にキミのこと知らないんだ」

「ふええええ、そんなぁ〜〜」

 2番は床にペタンと座り込み、手で顔を覆ってしまった。


「うーん。これは、明らかにしなきゃいけない過去がまた一つ増えたねぇ」

 毒島はそう呟き、「にばりんあーけて」と2番を優しく呼びつけた。

「ブゥちゃん、ぐすっ、ぐすっ。ごめんねぇ」

「『にばりん』!? 『ブゥちゃん』!? なんなんだこの茶番は」

 周防が極めて怪訝な顔で毒島と2番を見比べる。刀根は周防の反応がおかしすぎて窒息しかけていた。

 ガチャン

 2番が手をかざして共同室の扉を開け、看守たちに巻き付いていた紐を一瞬で解く。看守たちは、解放された者から順々に出てきた。

 出てきたはいいが、皆この事態をどう治めれば良いのか分からない。

 毒島がメグルに手を振りながら近づき、2番の前でしゃがみ込む。

「にばりん、その子はボクが栽培しているマンドラゴラなんだ。幼い頃の1番にそっくりかもしれないけど、同一人物かどうかはボクも分からない。だから、離してあげて」

 2番は鼻をすすり、残念そうにメグルから離れる。

「けど、その子はこれから0区で働くことになったんだ。君のお世話もしてくれる。もしかしたら、いつかキミのことを思い出してくれるかも!」

「ブゥちゃん……」

 メグルはいそいそと爪紅の方に走ってくる。

「来んな、来んな。訳分かんないんだから」

 涙目になりながら小声で訴えるメグル。

「僕も分かんないよ。え、僕このおじちゃんの世話係に任命されるの? そしたら爪紅くんも一緒だよ」

「馬鹿言え冗談じゃねえよ、やっぱりお前がバディなんて絶対認めん」

「そんなぁ」

 急な展開を丸く収めるべく、周防が毒島と2番の前に立った。

「2番、それなら良いだろう? 当面のところ復讐は保留にしてもらいたい。副看守長、後でお話を」

「あいよっ、了解」と毒島が2番と手を取って立ち上がる。

「お騒がせして申し訳ございません。私への懲罰は何なりと」

「お、おう……」

 急に元の口調に戻った2番に動揺する周防。

 全員がほっと一息着いた瞬間だった。


 ガン! ガン! ガン!

 居室棟入口の扉が、ものすごい音を立てながらこじ開けられた。

 その奥から、目を血走らせた14番が両手に巨大な鎌を武装して歩いてくる。

「めでたしめでたしってかァーーー!? ざけんなよクソどもォ!!」

 全員がただならぬ気配に目を見張った。

「アイツしつけぇな!」

 爪紅は舌打ちしながらジャキンと刺又を構えた。

 しかし、爪紅の人生における度重なる戦闘が原因か、U字の部分が破損し、カランカランと音を立てながら床に落ちてしまった。

「しまった!」

「2番、早く魔力を戻せ!」

 周防が声を張り上げている間にも、14番は爪紅に向かって猛スピードで駆け出していく。

 ここで死ぬのか。と爪紅が覚悟を決めた瞬間だった。

 きつく閉じた瞼の先で、何かが目の前で動いたのが分かった。

 爪紅は薄く目を開ける。「めぎゃあ」とも聞こえなかったが、確かにメグルが立っていた。

 メグルは屈んだ爪紅の前に立ち塞がり、身代わりとなるように鎌で身体を真っ二つに切断されてしまったのだ。メグルの半身がぼとり、と床に落ちる。

 信じられない事態に反応が追いつかず、まるで時が止まったかのように目を見開いた爪紅は、力なく後退り、刺又を落とした。

 その直後、どこからともなくダガーの魔法が炸裂し、鎌で身を守る14番を他の看守たちがそれぞれの能力で一斉に押さえ込む。

 14番は潰されるように制圧され、「ぶっ殺してやったぜぇ、2番さん! ギャハハハ!」などと笑いながらどこかへと連行されていった。


 いつの間にか遠くの方から、たくさんの足音が聞こえていた。


 爪紅は、過去を思い出していた。


 酔い潰れて母親とサラに暴力を振るう父親

 泣きじゃくりながら反撃するも、顔面を足蹴りをされ崩れ落ちる自分

 人の顔色ばかりうかがって、いつもオドオドしてるサラ

 そのサラを連れて出ていく母親

 倉庫で見つけた刺又で初めて父親に勝った

 自分は強いと錯覚していろいろな人を傷つける

 少年院にぶち込まれる

 「俺は一体、何なんだろう」

 教官だった鉄川は言った


 ———大事なのは、自分がどう生まれたかじゃない。どれだけ自分の人生に向き合い、本気になれるかだ。


 看守になり、ひたすら上司に頭を下げる

 どんな受刑者にも、毅然と接する

 武道大会で魔法士に負ける

 タコが潰れるほど刺又の練習に励む

 廃人のようになった父親に給料袋を渡す

 俯く父親と、向き合う自分


 爪紅はハッと我に返った。

 メグルは腰から下を切断され、力なく横たわっていた。

 爪紅が急いでメグルの元に駆け寄り、その半身を抱え上げる。

 切断された部分から白い液体が血のように染み出していた。

「草……? おい、草……メグル……」

 メグルは、消えるような声で「爪紅くん」と呟いた。

「僕、一瞬でも何かに……爪紅くんのバディになれたのかな。爪紅くんみたいに、本気になって『ジンセー』に向き合えたのかな」

 半身から染み出した液体は止まらない。

 薄く開いていたまぶたがゆっくりと閉じられていく。

「馬鹿メグル! こういうことじゃねえよ……おい、死ぬなよ! 枯れんな! おい!!」

「大事なこと、教えてくれてありがとね」

「メグ……メグル!!」

 爪紅は目に涙を浮かべながら、ぐったりとしたメグルの身体を揺さぶった。

 その時だった。

 メグルの官服のポケットから、真っ二つになったポテトパイセンが転がり落ちてきた。

『土や!! 埋めれば間に合うで!』

 爪紅にはポテトパイセンの言葉は聞こえなかったが、真っ二つになっても生き生きと伸びているピンク色の芽を見て、まだ間に合うと確信した。

そうだ。植物は切り裂かれたとしても、部位によってはそれほど大きな問題でない。残りの部分が再生し、復活する。その生命力の素晴らしさは、実家の花屋の手伝いをしていた自分が良く知っているではないか。

「おい待ってろ! 今土持ってくるか」

 爪紅が「ら」と言いかけた瞬間、キキッと音がして目の前に台車が止まった。

 台車の上には巨大な植木鉢が置かれている。

「ヘイおまち! ご、ごめんね、勝手に部屋入っちゃった」

 顔に絆創膏を貼ったサラが、植木鉢の後ろからひょっこり顔を出す。植木鉢にはメグルのラベルが刺さっていた。

「速すぎだろ。また聞き耳立ててやがったのか」と顔を背けて指で涙を拭う爪紅。「サンキュ」と立ち上がる。

 毒島と鉄川が小走りで寄ってきた。

「鉄川看守長、ピッチありがとうございます。はぁー、それにしても相変わらずもの凄い脚力だね。白峯の何でも屋さん」

「い、いえ、そんな。ふふ」

 毒島はサラの足の速さに感心しつつ、鉄川と一緒にメグルの半身を持ち上げて植木鉢に着地させた。

「よっこいしょ、あたたー。腰が」

 メグルは土の栄養分を感じ取ったのか、うつらうつらとし始めた。

「う、う…ん」

 爪紅が、ほっと胸を撫で下ろす。

「足の方はどうしますか? こんな生き物初めてだ」

 楽しそうな鉄川。サラと物珍しそうに両足をいじっている。

「薬に使うんで、植木鉢ごと持って帰ります」

 毒島は、植木鉢が乗った台車を移動させようと持ち手を掴んだ。

「お、お待ちください。植木鉢ごとですか?」

 爪紅が焦った口調で毒島に尋ねた。

鉄川はその様子を目で追う。

「うん。切り刻まれなくてラッキー、ちゃんと生きてるわ。でも、残念だけど回復するまで数ヶ月はダメそうだからさ。もう別の人とバディ組んでよ。ね、看守長」

 鉄川が深く頷く。

「承知しました。そういうわけだ仙太郎。他の職員に打診してみるからな」

そう言いながらも、鉄川は目の奥で「それで本当にいいのか?」と爪紅に語り掛けるようだ。

「じゃっ!」

 毒島は片手を上げ、台車を押して居室棟を去ろうとした。

「待って……」

 咄嗟に爪紅が後を追う。

「まだ何か?」

「俺はどんな職員と組んでも、仕事はきっちり頑張らせてもらいます。けど、コイツが回復したら、また一緒にバディを組ませてください! 不器用だけど自分に本気で向き合おうとするところ、すげえなって。だから、俺は一緒に仕事したいです! 頼みます!!」

 上官に対して勢いよく頭を下げる爪紅を見て、鉄川の顔がほんの少し綻んだ。

「ああ。爪紅だ」


 東の空が明るくなり始めていた。

 冬の到来を感じるような冷たい空気の中、爪紅は、独身寮の方へゆっくりと台車を押していた。静かな早朝にガラガラと台車の音が響く。

 台車の上には、少し萎れた葉の生えた巨大な植木鉢が乗っていた。

「花屋の倅なんで、花卉かきの扱いは任せてください」というのが爪紅の精一杯の言い訳だった。

 メグルは、キラキラとした朝の日差しを浴び、地中から目を覚ます。振り返ると顔に絆創膏をいくつも貼った爪紅と目が合った。

「爪紅くん」

「よう」

「あー疲れたー。身体が植物で良かったって初めて実感したぁ」

 ホッと苦笑いするメグル。

「もうあんなマネすんな。人間でも植物でも死ぬときゃ死ぬんだから変わんねえよ。でも……お陰で初心を思い出したというかさ。まあ、助けてくれてありがとよ」

 爪紅は、その無愛想な顔さえ変えることはなかったが、小さく「相棒」と続けた。

 少しやつれたメグルの顔から、優しい笑みがこぼれた。

「えへへっ。朝日がおいしいね」




 参考文献

『邪悪な植物』朝日出版社 エイミー・スチュワート著、山形浩生監訳、守岡桜訳

『怪物の解剖学』青土社 種村季弘著

『ヴィジュアル版世界幻想動物百科』原書房 トニー・アラン著、上原ゆうこ訳















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獄中植物メグルくん 甘酒屋 @sadamasa4

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