別れの儀式(食べかけのチョコレートケーキ)
帆尊歩
第1話 別れの儀式
「じつは、別れて欲しい」彼はいきなり切りだした。
「どういうこと」今まで来たこともないような高級レストランだった。
私はてっきりプロポーズだと思い、とても気が重かった。
なぜなら私も、別れを切り出そうとしていたからだ。
こんな時に限って高級レストラン、ハードルを上げるなよ、というのが正直なところだ。
私は、実家に帰って見合いをする。
いや見合いというのは、段取りに過ぎず、もうその人と結婚をすることは決定事項になっていた。
「お前には、飽きた」
「どういうことよ」
「だからそのままの意味だよ」
自分も彼を裏切って、別れようとしているから、ちょうど良いんだけれど。
自分の事を棚に上げて、カチンときた。
「どういうことよ」
怒りで、私はそれしか言えなかった。
「それしか言えないのかよ」
彼は見透かしたように言う。
彼と付き合いだして五年、お互いに貧乏学生だった私たちは、妙に気が合い付き合いだした。
「会社が忙しくなる。お前の相手が出来ない」
彼は大学三年の時に起業して、今年四年目に入る。
お互いに奨学金があったから、バイトしても、とてもお金を使う気にならず、私たちは本当に慎ましやかなカップルだった。
彼にはそんな反動があったのかもしれない。
死ぬ気で頑張っている彼に私は何もしてあげられなかった。
側で支えるというのも違う。
彼は会社で寝泊まりするくらいだった。
私は必要ないと漠然と感じるようになった。
忙しくてデートはおろか会うことさえままならない。
そんな生活が四年。
卒業して二年目になる。
そんな時だ、突然の実家からの縁談だった。
「あたしも話がある」私は不機嫌そうに言う。
「何だよ。俺の生活は改められないぞ、会社は今が一番大事なときだ。お前にかまっていられない」
「そうなんだ、よかったね。会社順調で。あたしはいらないって訳だ」
「そうだよ」
「ちょうど良かった。あたしも。今日は言わなきゃいけないことがあったの。こんなに良いレストランに連れてこられたから、凄く言いにくくなったけれど、ちょうど良かった」
「何だよ」
「実家に帰って結婚します」
「えっ」一瞬彼の顔が曇って、寂しそうな表情が浮かんだような気がした。
でもすぐにそれは消えた。
「ちょうど良かった、二人でハッピーエンドって訳だ」
彼は薄笑いを浮かべて、言った。
「全く、あなたは変った。本当は別れ話をすることが、もの凄く気が重かった。
会社が大変なんじゃないか、食べているのか、寝ているのか、心配で、心配で。
でも仕事の事は私には何も分からない。
手伝うことも出来ない。
だからせめて邪魔にはならないようにと思っていた。
でもそんな心配全然いらなかったんだね。よーく分かった」
「そうだよ、俺はそういうやつなんだ。お前が勝手に良い方に思っていただけだよ」
「いやあなたは変ったのよ。
出会ってすぐのクリスマス、お互いに、奨学金のことが頭から離れなくて、お金を使えなくて、クリスマスケーキなんか買えなくて、代わりに小さなチョコレートケーキを買った。
あの時のあなたは今と全然違う。
良いよ先に食べてって言うと、あなたは先にガバッって口にいれた。
私にくれたときは食べかけのようになっていた。
でもあの時のケーキが、あの狭いアパートで分け合って食べたケーキが、今までで一番おいしかった。
あたしはあなたを愛していたんだよ」
「だからなんだよ」
「ありがとう。
本当はもの凄く、言いにくかったけど、もう何の遠慮もいらない。
実家に帰って、結婚します。
さようなら」
私は言い切ったはずなのに、
心が高ぶっていたはずなのに、
後から、後から涙がこぼれた。
「涙、拭いて来いよ」
「言われなくたって行って来ます」私は怒りにまかせて化粧室にむかった。
私は鏡に向かって散々泣いた。
化粧室に入って来た他のお客さんに変な目で見られたけど、そんな事その時の私にはどうでも良かった。
少しおちついてラインが届いている事に気付いた。
親友の由布子だった。
(聞いた?彼の会社、倒産したらしい。もの凄い負債を抱えてたみたい、あんた大丈夫。あんたの性格だと、そんな事聞いたら意地張って、絶対別れないなんて言いそうだってみんな心配している。とばっちりが来たら大変だよ。辛いと思うけど、絶対に、別れてくださいって言うんだよ」
なんだそれ、そんなこと言われて別れるなんて言えない。
見合い、断ってだって、絶対に支える。
私は、慌てて席に戻った。
席に彼はいなかった。
テーブルには食べかけの、チョコレートケーキがおかれていた。
そしてナプキンに書かれたメモ。
今日はゴメン、でも別れてくれてよかった。
お幸せに。
本当は・・・
今までありがとう。
さようなら
冗談じゃない。
冗談じゃない。
なんなのよ。
本当は・・・の続きはなんなのよ。
その日を境に、彼は、みんなの前から姿を消した。
別れの儀式(食べかけのチョコレートケーキ) 帆尊歩 @hosonayumu
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