動物園
久しぶりの課外授業に、周りの生徒たちは皆、少し浮き足立っていた。シズキも例外ではなかったが、不満気な面持ちの生徒が多い中、シズキだけは興奮に満ちた表情で今日の授業の「個人的な」補助資料を広げた。
(動物の観察、久しぶりだな・・・!)
シズキの両親はゲンジュウ第一世代だ。ゲンジュウに関する法律や資格が整備された年代に育ったせいか、ゲンジュウに対する熱量が他の世代よりも強い。そのため、動物よりもゲンジュウを好む傾向が強いヒューマンが多い。更に、AIによる新規ゲンジュウのクリエイトが原則としては禁止されていることや、ゲンジュウ作家になるために、難易度の高い試験を受けなければならない点も相まって、ゲンジュウ作家は子を持つ親が子供になってもらいたい職業の上位にランクインしている。
そんな背景もあってか、ゲンジュウのふれあい施設は何度も訪れたが、家族で動物観察に行ったことは一度もなかった。
(ゲンジュウも良いけど、なんとなく動物の方が愛着が沸くっていうか、なんでいうか)
シズキが、この前に動物達に触れ合ったのはジュニアスクールの課外授業で動物観察体験に参加した時のことだった。物理的に近付いている訳ではなくカメラを通しているとは言え、リアルに再現された匂いや感触に、驚きと興奮の連続だった。
(ゲンジュウっていい匂いすんだけど、なぁ。可愛すぎるっつーか、幻想的すぎるってーか)
騒めくクラスルーム内に、教師の声が響く。ジュニアスクールのときにねだって買ってもらった『どうぶつずかん』が強制的に閉じられてしまい、目の前に保護区までのマップが現れた。
「各自、居住エリアから最も近い保護区への地図が表示されてるはずだ。事前に保護責任者からも了承を得ているため、これから出発して欲しい」
ヘッドギアを外し、窓の外を見る。快晴とはいかなさそうだが、青と白のコントラストが鮮明だ。ここ数日、悪天候が続いたこともあるが、元々物理空間での活動に苦手意識の強いシズキが、家の外に出るのは10日ぶりのことだった。
(なんだかんだで、外に出るといい気分になるんだよな。毎日だと億劫だけど)
バックパックの持ち物をチェックしていると、課外授業時は上腕に付けることになっている、通称「トランシーバー」に教師から連絡が入る。
「先に出て行ったやつがいると思ったら、お前かAKS。集合は11時だ。遅れるなよ。」
一方的な連絡だけで通信は遮断された。どうやら教師の話は、まだ続いていたらしい。教室で自分だけ勇足に出て行ったことが笑われているはずだ。恥ずかしい気持ちが込み上げてくるが、保護区に入れるという高揚感に勝るはずもなく、シズキは慌ただしく部屋を出た。
無機質な物理空間が、今日だけは煌めいて、輝かしく見える。ヘッドギアを忘れてきたことに気づいたが、戻っている時間はない。いや、ソニックバイクをハイスピードモードにすれば、取りに戻るくらいの時間は捻出できるはずだ。それでもシズキは早く動物たちに会いたい気持ちが先行して、戻ろうとしなかった。
(ブックパッドはちゃんと持ってきてるし、問題ないよな)
自分に言い聞かせて、必要もないのにソニックバイクのスピードを上げた。
保護区に着くと、すでに何台かの見覚えのあるソニックバイクが止まっていた。急いでゲートに向かい、ブックパッドから学生証を取り出す。取り出そうと思って、シズキはここが物理空間であることに気づき、ブックパッドを立体投影モードに切り替え、学生証を表示した。
「学生証確認。生徒の皆さんはこのゲートを通過後、まっすぐ進んで、突き当たりを右に曲がったところにあるカモフラージュルームに集合して下さい。」
ゲートをくぐり、やけに明るい、真っ白なトンネルを歩く。
妙な眩しさに目が疲れそうになりながら歩いていると、ブックパッドがバックパックの中で揺れていることに気がついた。シズキがブックパッドを取り出すと、立体映像が映し出される。
ー カモフラージュルーム → ー
トンネルがちょうど二股に分かれているところで案内表示が出ただけのようだった。
(物理空間の割にやけに綺麗に表示されるな・・・)
と、思ったところで、シズキは膝をつき、大げさに項垂れた。
やけに明るいトンネルの正体。ゲートから入った先、ここは屋内だ。
(そうだ、ヘッドギアだ。ヘッドギアがあれば、きっと動物のなにかが見えたはずだ!
外で動物見るから、ヘッドギアなんかいらないって思ってたけど、やっぱいるじゃん!)
シズキの想像通り、ヘッドギアがあれば、このトンネル内では仮想空間に再現された動物たちと触れ合えるアクティビティが楽しめるようになっている。
動物離れが進み、ゲンジュウが重宝される時代。一方で保護対象の動物とは触れ合うことができない時代でもある。保護官の一人が少しでも動物好きが増えて欲しいという想いで作ったもので、今では全世界の保護区でこのアクティビティを楽しむことができる。
ゆっくりと足を踏み出し、立ち上がる。大きく溜息を吐いてから、カモフラージュルームの前に立った。伸縮壁を使った扉は、一見するとどこが開くのかがわかりづらい。
足元に投影された足跡のマークを頼りに、少し移動するとすぐに、壁に半円形の穴が空いた。
「急いで飛び出してった割に遅かったじゃん」
クラスメイトの一人が声をかけてきたが、ヘッドギアをつけていないシズキには、それが誰だかわからなかった。
見渡すと、シズキを除いて4人のクラスメイトがいるようだったが、やはり。ヘッドギアなしでは、誰が誰だか、判別することは難しかった。
トンネルと同じく、白く無機質な室内を見渡していると、部屋の奥から2人の保護官が現れた。
「あれ、君。ヘッドギア、忘れてきちゃった?」
黙って頷くシズキに、保護官がヘッドギアを取りながら話しかける。
「おい、保護官用の予備、取ってきてやってくれ」
1人が奥へ戻って行った。残った保護官がシズキに話しかける。
「動物、あんまり興味ない?」
シズキは驚いて、首を素早く何度も横に振った。
「ん?どっち?」
「あ、いや、あの!動物、大好きなんです!物理で見ると思ってたから、その。慌ててて、ヘッドギア忘れてきちゃって、だから、その」
慌てるシズキに一瞬驚いた保護官は、笑顔になるとシズキの頭をくしゃっと撫でた。
「そっか、それならいいんだ。観察が終わった後、時間があるんだったら、しばらくヘッドギア貸しといてあげるから、トンネルの中も楽しんどいで」
シズキが勢いよく礼を告げると、戻ってきた保護官にヘッドギアを渡された。カモフラージュ色のヘッドギアは、自分が持っているものより、少し重かった。どうやら、保護官用に特殊なセンサーが付いているらしい。
シズキがヘッドギアを装着すると、保護官の説明が始まった。
「こんにちは。私は保護官のライオネルです。今日、皆さんには、保護区の歴史と課題を学んでいただいた後、動物を物理で観察してもらいます。」
拍手しそうになる手を止めた。どうやらこの日を待ち望んでいたのは自分だけのようだ。他の生徒たちは興味なさげで、集中力を欠いていた。
「今日、皆さんに観察してもらう動物の中には、鳥や齧歯類みたいに、馴染み深い動物たちもいます。特に鳥は、皆さんと同じようにあくびをすることでも有名ですね」
何人かの生徒の背筋が伸びる。シズキからは見えなかったが、同じように、あくびをしていたんだろう。
「さ、では、アイスブレイクはこれくらいにして、早速、保護区について学んでいきましょう。教科書なんかに書いてあるので知ってる人も多いかと思いますが、地球上には約1万5千の保護区があります。保護区に似た考え方は、約600年くらい前からあったと言われていて、500年ほど前には約7000の保護区があったという記録もあります」
「どうぶつずかん」を思い出しながら、シズキは保護官の話に耳を傾けていた。
今のように野生動物とヒューマンを含むその他動物たちが完全に分離されるようになったのは、確か300年前だったはずだ。それまでは、動物園という施設で様々な動物を飼っていたため、アジア圏にもライオンがいたという記述を思い出した。
(ライトパイプで行けば手続きの時間なんか入れてもアジア圏からでもアフリカ圏までほんの数分なのに。なんでわざわざ)
シズキの意識が少し逸れた間も、保護官の説明は続く。集中力を取り戻して、耳を傾けた。
「400年ほど前まで、ヒューマンによる過剰な保護が行われていたせいで、本来あるべき生態系のバランスが保たれていないことが、AIによる予測で発覚しました。」
その話は教科書で読んだことがあった。行き過ぎた保護で、生態系に歪みが生じ、あるべきバランスが崩れている、と。過保護な、アンバランスな状態を正すために一部地域では『特別介入』という、種の存続を調整する活動が今でも続けられている。
「様々な意見がありますが、ヒューマンの介入があれば生き残れるが、自然界だと淘汰されて絶滅してしまう種が一定数存在します。自然界のべき論としては絶滅も致し方ないのかもしれませんが、尊い、そして数奇な種の絶滅を目の前で黙ってみていることに、抵抗感が強い人も多いんじゃないかな」
保護官がゆっくり、一人一人と目を合わせた。フィロソフィーの授業でも度々議題に上がる話の一つだ。
正解のない、いや、正解を一つに絞り込めないような問いに、複数の見解を理性的に導き出す。考えるべき分野に対する興味が強ければ強いほど難しいと言われているが、シズキは今まさにこのジレンマに囚われていた。
「もちろんこの保護区でも、そう言った様々な意見を尊重しています。ここでは、遺伝子検査の結果や、ヒューマン・AIの歴史への関与度合いなど様々な観点を設けて、スピーシーズで保護すべき動物の決定に関与しています」
一生に一度は行ってみたいと思っている、スピーシーズの話題に、ただでさえ普段より上昇気味のシズキの興奮のボルテージが更に上がる。
「あ、あの、」
普段の授業では自ら挙手して質問することなど滅多にないシズキの行動に周りも少しばかり驚いている。
「何か質問かな?」
保護官の言葉に首を縦に振ってシズキが続ける。
「あの、スピーシーズには、スピーシーズに・・・このエリアから、スピーシーズに移管された、動物っているんでしょうか?」
「そうですね。この保護区だけで言うとまだありませんが、200年前にこのエリアの別の保護区からスピーシーズに移管された動物はいますよ。図鑑なんかには書いてあるのですが、知ってる人、いますか?」
沈黙。面倒くさそうに俯いている生徒もいる。唯一シズキだけが、記憶を辿ろうと、頭の中で必死に『どうぶつずかん』をめくっていた。
「答えは、オオサンショウウオ、です。理由は・・・」
興味がなさそうな生徒が多いことを感じ取っているのだろう、保護官はあまり溜めることなく話を続けた。
エリア固有種の中でも、遺伝子汚染が続いていたことや、環境DNAからほとんど検出がされなくなったことが主な要因だったようだ。保護され、スピーシーズに送られた2匹は、両方ともオスだったため、生態系保護法に則って人工的に卵子を生成し、今でも繁殖が続けられていると言う。
「一方で、この保護区でもオオサンショウウオのDNAが検出されることがあるため、野生にも存在している可能性が指摘されています。」
保護官は、唯一、目を輝かせているシズキに目線を合わせる。
「スピーシーズには、遺伝子情報から復元された動物たちも多くいます。水星に新しくできたスピーシーズには、復元された古代生物が多くいるから、きっと楽しんでもらえると思うよ」
更に目を爛々と輝かせたシズキに満足そうな保護官は、動物の保護に関する話はこれで終わりだと告げ、動物観察の説明に移った。
シズキは図鑑で見た古代生物を想像しながらも、肉眼で野生動物を観察するための手順を、忙しなくメモに取るのだった。
500年後の教科書シリーズ @nilcof
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。500年後の教科書シリーズの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます