第四説 メツレイガ

 メツレイガの圧倒的な巨躯と、鉄で造られた身体から轟く唸り声は、まるで神話の生物のようであった。守護獣や魔騎難と対峙したことのある仁達でさえ、固唾を呑まずにはいられなかった。

 殊更、護はメツレイガに畏怖の目を向けていた。かつて日本全土を荒らした殺戮兵器がまさか本当に『いた』なんて。例えるなら、平成生まれの子供が授業で習った戦国時代を実際に体験したような、面食らい戦慄するしかない感情にとらわれていた。

 アッシュブレイズ討伐に意気込んでいたシリアル巡査部長も、すっかり血の気が引いてしまっていた。国家に仕える身である彼は当然、メツレイガの恐ろしさを知っていた。旧議事堂および官邸を破壊、その余波で当時の内閣関係者は全員死亡という形で崩壊、その後も荒神のごとく日本全土を荒らし尽くし、『文明』を消し去ってしまった。奴は動く災害である。霊長類の理屈など簡単にねじ伏せる。それはレシーバーズ相手でさえ変わらぬ道理であった。

 誰もが慄く中、一人立ち向かう者がいた。アッシュブレイズである。

「星斬!」

 剣の炎を揺らめかせ、大地を蹴り上げる。メツレイガの頭部めがけて跳んだ。

「やめるんだ!」

 咄嗟に護が声をかけるが時すでに遅し。掲げた剣はメツレイガに振り下ろされようとしていた。だが、メツレイガはこれを唸り声によって生み出される音の壁一つで防ぐ。アッシュブレイズは弾き飛ばされ、無防備で地面へ叩きつけられた。

「傀衣!」

 護は血相を変えてアッシュブレイズに駆け寄る。メツレイガは無機質かつ獰猛な眼でいくつかの小さな生命を見下ろしていた。歯牙にもかけない、といった具合で。

「大丈夫か、傀衣!」

 自身も毒に侵され重篤にある身ながら、護はひたすらアッシュブレイズに呼びかけた。だが案の定、護はひどく咳き込んだ後に意識を失い倒れた。

 横たわる二人を踏み潰そうと、メツレイガの足が迫る。仁は走ろうとするが、メツレイガが足を上げた際に巻き上げられた砂塵混じりの風で動けない。もはやこれまでか。

 そう思われた瞬間、メツレイガは足を止めた。視界が開けた仁の目に映ったのは、虹彩の翼でドーム状の壁を作るフェニーチェだった。

「フェニーチェ様!?何故こちらへ……」

 面食らうシリアルをよそに、フェニーチェは背後のアッシュブレイズに呼びかけた。

「ここはひとまず共同戦線といこうではないか」

「断る」

 気絶する護を抱きかかえ、アッシュブレイズは即答した。

「悪党の手を借りる義理はない」

 抜き身の剣は激しく炎を噴き上がらせていた。

「そう躍起になるな。我々とてセントラルタウンを破壊されては困るのだ。利害が共通している以上、敵対関係を引きずる意味は無い。それはそれ、これはこれというやつだ。違うか?」

「どの面を下げてそんな……!」

 ラバーズ──レシーバーズの力を持たないだけで犯罪者扱いし、虐げてきた奴が好き放題に言ってくる。アッシュブレイズは今すぐにでもフェニーチェへ飛びかかりたかった。しかし、

「手を貸すならその男、こちらで助けてやらんでもない」

 フェニーチェの提案を無下にはできなかった。事実、ラバーズの護が受けられる医療の範囲で、彼の身体を蝕む毒を消す方法は無い。ハイトピアの医療機関に預ける以外、助かる術は無いだろう。

 アッシュブレイズは握り拳に力を込めて、

「……嘘なら殺す」

「助かるよ、わかってくれて」

 高慢な態度に怒りは募るばかりであったが、それは全て剣に乗せてメツレイガにぶつけた。炎の刃が鉄の体躯をとらえる。だが、メツレイガは微動だにしなかった。全力の一撃をものともしないメツレイガを前に、アッシュブレイズは面食らうしかなかった。

「ビクともしない……!?どうすれば……!」

 焦燥に駆られるアッシュブレイズにフェニーチェが再度提案した。

「私の攻撃に続け」

 アッシュブレイズは乗り気ではなかった。そう言って隙を作らせ、不意打ちでも仕掛けようとしているのではないかとさえ考えていた。だが、作戦に乗らずにメツレイガを倒せる方法が思い浮かばない以上、乗らざるを得ない。

 フェニーチェは虹彩のレンズを正面に作り出した。

「炎を投げ込め!」

 剣に炎をまとわせ、アッシュブレイズは思いっきりスイングした。剣から放たれた火球はレンズを通り圧縮される。矮小な高熱の球はメツレイガの皮膚に焦がし痕を残した。

「多少なりとも効いてはいるな。とくれば弱点を狙いたいところだが……」

「額だ!」

 マージナルセンスへと変貌したリッキーが二人に呼びかける。

「そいつは額に回路が集中している!そこを狙えば無力化できるはずだ!」

 とはいえ、数十メートルもの高さのある額までメツレイガの妨害を受けず跳躍するのは至難の業である。そこで仁が、

「あいつの攻撃は俺が受け止める!お前は跳ぶことだけ考えろ!」

 と声をかけた。義太郎もまた、

「奴さんの足場はワシが固めたる!せやから気兼ねなく全力ブチ込んだれ!」

「私は頭上にレンズを作ろう。そこを通り抜けて最大限まで高めた火力をぶつければ、奴とてひとたまりもないだろう」

 至急、作戦が行われた。

 まず、メツレイガの足首に義太郎の舌を巻きつける。マージナルセンスが義太郎の身体を支えつつ、二人でメツレイガの脚を引っ張る。通常ならこの程度で止まるはずはないのだが、義太郎の足裏から出されるカエルの粘液は地面をつかんで離さず、今や大地と一心同体と呼べる形にあった。とくれば一体と二人の我慢比べである。

 当然、その妨害を振り払おうとメツレイガは雄叫びを上げる。しかし、口内に血を滲ませながら仁がそれを受け止めた。アキレスによる防御力と、ユニゾンギアによって引き出された受け止める力の相乗効果で、メツレイガから繰り出される攻撃の全ては仁の体内へ吸収される。

 その隙に火力を最大限の向こう側まで高めたアッシュブレイズが、頭上のレンズめがけて全力で跳躍した。全身に炎を纏った剣士は空を切り、メツレイガの額を両目でとらえた。

「喰らえ必殺!『セイバー炎(エン)ド』!」

 炎の剣が真っ直ぐに振り下ろされた。刃がメツレイガの額に喰い込み、回路を焼く。猟師に狩られた獣のごとく、メツレイガは脱力してその場に倒れた。同時に傀衣も意識を失い、その場に倒れた。

「傀衣!」

 足を引きずりながら、仁が駆け寄る。

「お前、傀衣に何を!」

 フェニーチェは睨みつけられながらも、何の気なく答えた。

「強化された炎に彼女の身体がついてこられなかった、それだけだ」

 踵を返し、片手で護を抱える。

「約束は約束だ。この男は責任を持って我々が治療しよう」

「……頼むぞ……」

 仁の言葉に、フェニーチェの目はわずかながら細くなった。

「頼む……か。敵にかける言葉とは思えんな」

 そう呟き、フェニーチェはその場を去った。

「仕方ないとはいえ、任せて良かったんだろうか……」

 仁が苦虫を噛み潰したような顔をすると、義太郎が肩に手を置いた。

「ツケが回ったら何とかしたる。そのためのワシや思とる」

「オレだって同じですよ。指揮官の尻拭いだって、アマカゼの隊員の仕事ですから」

 笑顔で答えるリッキーに、仁は微笑み返した。頼もしい限りだ。

 そんな三人に向かって、シリアルが吠える。

「貴様ら!アッシュブレイズとグルだったのか!許せん!この事はホリゾン様の耳に入れさせてもらう!そしてお前達諸共、Be-Landの奴等を──」

「どうするんだ?シリアル」

 シリアルの首元に、鏡のナイフが突き立てられていた。フェリーチェである。

「戻られたはずでは……」

「言ってなかったな。あれは私の分身。鏡の力で作った幻だ」

 ナイフの刃先は寸分の狂いも無く動脈を狙っている。

「しかし、奴等はウォンテッドランク1の者と繋がりが──」

「私に口ごたえか?」

「め、滅相もございません!」

 シリアルはすっかり借りてきた猫のように黙り込んだ。

「しかしだ。実際、君達を放っておくのも癪ではある。そこで一つ、頼まれてくれないか」

 穏やかな口ぶりとは裏腹に、フェニーチェの眼光は冷たく鋭かった。仁は固唾を呑んだ。状況的に不利なのはこちらである。どれほどの無理難題を押しつけられるか、わかったものではない。

「セントラルタウンにメツレイガが現れた。伝説上の文明破壊兵器がこの現代に蘇ったのだ。ただ事ではない。それに、この巨体の質感からして我々との交戦を除き外傷は一切負っていない。とすればだ、セントラルタウンに一目散に近づいたと見える。何らかの意志が介入しているのは間違いないだろう。そこで君達にはセントラルタウンの外へ調査に行ってほしい。この堅牢な街の外で何が起きているのか調べてもらいたい。事と次第によればタカマガハラから手を引こう」

「二度も呑む覚えはない!」

 傀衣が反抗する。しかし直後、フェニーチェの冷ややかな目と合って護の処遇を思い出す。やり場のない怒りが傀衣の胸中で暴れ回る。仕方なく、頷いた。

「それで良い。では『調査隊』の皆さん、ご機嫌よう」

 シリアルと共に去りゆくフェニーチェの立っていた場所を睨み、傀衣は悔しさと情けなさで膝をつき、呻き、涙した。何であんな奴の言う事なんか聞かなくてはならないのか。あいつらのために罪もない子供達や大切な人が傷ついているというのに。

 ひざまづく傀衣に、仁はしゃがんで声をかけた。

「君は無理に来なくていい。タカマガハラは元々、俺達の問題だから」

 実際、仁は調査とやらに傀衣を連れて行く気は無かった。護が危篤の今、傀衣は少しでも近くにいてあげるべきだ。たとえ追われる身であったとしても。それに、あの古びた教会にいた子供達の件もある。彼らを守る者がいなくなるのはいけない。

 しかし、傀衣の口から出た言葉は違った。

「行きます」

 傀衣は目を擦って、仁の顔を見つめる。倒れ伏すメツレイガの影が二人を呑み込む。

「次にこんな恐ろしい奴が現れた時、もうあんなのの手を借りたくないんです。自分の守りたいものは自分で守れるようになりたい。それに、皆さんの手助けもしたいんです。多分、エンセイバーならそうします」

「でも……教会の子供達はどうするんだ?」

「なので一言、挨拶に行ってもいいですか?それと皆さんも一緒に来ていただけると嬉しいんですが……」

 仁、リッキー、義太郎は顔を合わせ、同時に答えた。

「もちろん喜んで」

 かつての文明崩壊の副産物でもある分厚い雲の中で、太陽の光が揺らめいていた。


「シリアル、奴等をつけろ。機を見たら……」

「『調査失敗』に……ですね」

「助かるよ、物わかりが良くて」

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レシーバーズ 灰の章 風鳥水月 @novel2000

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