第6話
「八束が、いないと、駄目だ。」
そういう優介の言葉のせいで、僕の決意はいとも簡単に揺らいだ。父の決定によって、二学期からは全寮制進学校に編入することが決まっている。どうせ、この夏休みが終われば、優介とは離れることが決まっているんだ。それなら、別れを惜しむ時間くらいあってもいいはずだ。優介から離れるために、優介の選択権を、優介自身に返す必要だってあると思った。
僕は、夏休み登校をすることにした。
その間、優介に選択の機会を与えた。しかし、それは対して意味がなかった。
あまつさえ、僕がいなくなったときに、他の誰かに選択権を委ねたことを知った。僕は、優介にとって、居てもいなくても変わらない。
優介は、僕を信頼して、選択を委ねているのではなかった。自棄になっているだけだ。自分の選択の責任が怖くて、逃げているだけの臆病者だ。
夏休み登校が続いて、残すところあと僅かになった時、優介が言った。
「なあ、八束。殺してくれよ。」
よく言う。誰よりもそれが出来ない僕に対して、その選択を委ねるなんて、ひどい男だ。
なあ、八束。殺してくれよ。そう繰り返した優介の首にかけた僕の手には、脈拍が伝う。優介の死を見届けたいと思っていたはずなのに、この脈が止まるのは耐えられないだろうなと思った。優介が離れていくかもしれないなら、優介が死んでしまうかもしれないなら、僕が離れればいいし、僕が先に死んでしまえばいいとさえ思う。
それくらい、
「優介、耳の穴かっぽじって聞け。好きだ。」
喉から、こぼれるように言葉が出た。
「お前は、俺を選べるのか? これは、俺が選べる選択じゃない。だから、お前は選ぶんだ。」
僕の目に映るのは、押し倒した優介だけだった。それなのに、優介と僕は目が合わなかった。優介は、俺を見ているようで見ていなかった。絡まない視線に、自嘲的な笑いがこぼれそうになる。ずっと、こんな風に恋をしていたのかもしれない。お互いに向き合っていたとしても、かみ合っていなかった。
「俺は、」
ゴオオ……と、飛行機の通る音が聞こえる。燃料が燃えて、朽ちて散っていく音だ。片頭痛がする。気圧のせいなら、明日は雨だろう。雨が降る前には、飛行機雲が空に渡る。きっと今日の空には、快晴を邪魔する飛行機雲が忌々しく光っている。
「八束君、別の学校でも、元気でね。」
思ってもいない言葉を、本物のように差し出せるこの女が嫌いだ。正直に自分たちと向き合ってくれると評判の教師だが、僕にはそうは思えない。
美術準備室に呼び出され、次の学校に向けた手続きの完了を知らされ、用事も済んだし、帰ろうとした所だった。
「八束君。」
三浦に呼び止められ、足を止めた。振り返れば、今日は夕日が混じったような朱色の口紅が引かれた唇が柔らかく歪む。上がった口角は、いつも同じところで留まるのが不気味だ。
「中島君とは距離を置いた方がいいって、あの言葉は、あなたのためでもあったのよ。」
あなたのため、その言葉に不思議と既視感を感じて。舌打ちが漏れそうになるのをぐっとこらえた。
「それで、あなたは中島君に選ばれたのかしら。」
無粋な女だ。そんなことは、僕と優介だけが知っていればいい。
さあ?とわざとらしく答えれば、三浦の口角がいつもより少しだけ上がった。
「あなた、吹っ切れた顔しているから、どうなったのかわからなくて、気になるわ。」
「……選ばれても、選ばれなくてもどっちでも変わりませんよ。」
決断を迫った自分がいうのは、おかしなことだろうか。しかし、すべてが終わった今ならば、本当にそう思える。優介の頼りなく、淡い声で紡がれた決断は、僕にとって大切なものだった。
「"優介が選択すること"、それが、何よりも僕が望んでいたことです。」
これから、僕は優介から少し離れたところで生活していく。
新しい生活は、僕に何をもたらすのかはわからない。離れている間に、僕の歪んだ気持ちに包帯を巻いて隠して、消してしまうことができたらいい。乾いたミイラが蘇らないように、埋めて、土に還ってくれたらいい。そして、赤い花の一つや二つ、咲かせる肥料になればいい。
美術室の扉に手をかけた。引手の金属がひんやりとする。ずっと手汗が滲みやすく冷え切っていた手では、感じられなかった冷たさだった。
指先が乾いているだけ、ただそれだけの変化が、僕のこれからを示しているような気がした。
まっかな白と淡い夏 紺野みづき @ko-nnomizu-
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